第12話 失楽園(6)

 渚が目を覚ますと、周囲は闇に包まれていた。後頭部が痛む。音と振動から、トラックの荷台だという事がわかった。次第に記憶が蘇ってくる。


「アキコさん……トオルくん?」


 闇の中に呼びかけてみる。すると、向かい側から声がした。


「ナギサ……無事か?」


 トオルだ。彼は無事なようだ。自分も無事であることを伝えると、トオルは深いため息をついた。


「すまん、俺のせいだ……。俺が、神国を出ようなんて言ったせいで……アキコさんまで……」


 彼はひどく落ち込んでいるようだった。震える声で続ける。


「俺のわがままのせいで、ナギサを、危険な目に合わせて……」

「やめて……」


 彼女は思わずそう言っていた。だが、トオルは自責の念が拭えないようだった。


「俺がこんな所に来なければ、アキコさんも死なずに済んだはずだ……」

「お願い、やめて……」

「あの日だって、俺がもっとうまく立ちまわっていれば……あの人だって、きっと……」

「お願いだからやめて!」


 渚はトオルの声がする方へと駆け寄った。手探りで彼の顔を探し、その頬を手で包み込む。


「お願い、やめて。人を殺したのは、教団の人たちでしょ?」

「でも……俺は、それを止めることも出来なかった……」


 トオルが泣いているのが分かった。涙が、彼女の手を濡らす。渚は、その涙を拭いながら語りかける。


「お願い、そんな風に言わないで。ね?」


 だが、彼の気持ちはまだ落ち着かないようだった。首を横に振っている。


「トオル!!」


 そう叫んだ瞬間、渚の頭のなかに何か引っかかるものがあった。


「トオ……ル?」


 そうつぶやいた時、彼女の頭のなかに様々な記憶が濁流のように流れ込んできた。神国のこと、皆のこと、そしてトオルのこと。


「トオル……トオルだ……」


 彼女の目から涙が溢れてくる。やっとだ。やっと思い出したのだ。手の中にある、彼の頬の感触を何度も確かめる。


「ナギサ……?」


 彼のその声を、渚はよく知っていた。今まで何度聞いてきたかわからない。震える声で答える。


「私……わかった。思い出した……何もかも」

「……ほんとか?」

「うん。あなたの事も、皆のことも、私達の思い出も、何もかも」

「ナギサ……」


 彼の目から涙が溢れているのが分かった。そして、それが悲しみの涙ではないことも。


「ごめんね……きっと、ずっと私の事探してたんだよね……それなのに」

「いや、いいんだ。それはナギサのせいじゃない」


 トオルは渚を抱き寄せた。渚も彼を抱きしめ返す。二人はしばらく、そのまま静かに泣いていた。



 渚は、幼い頃の事を思い出していた。大人たちに叱られ、皆が給食を食べている間、一人だけ何もない机を見つめるトオルの姿。こっそり自分のパンを持ち帰り、トオルが一人になった隙に手渡した。「ありがとう」と言って微笑むトオル。その顔が、たまらなく愛おしかった。


 明確に彼を恋愛対象として意識したのは、十一歳くらいの時だっただろうか。とにかく、野外実習の時だったのは確かだ。弓を持つ手が安定しないナギサの背後にトオルが寄り添い、「もっとこうだよ」などと言いながら彼女の腕を掴んだのだ。ナギサはその時、妙に気恥ずかしくなって逆に集中できなくなった。彼の体が背中に密着しているのがやけに気になる。その場はなんとかやり過ごしたが、その夜は彼のことを考えて眠れなかった。


 トオルは、施設の中では少し異質な子供だった。納得出来ないことがあれば、容赦なく大人たちを問い詰める。彼女は、そんなトオルが昔から好きだった。彼の態度は、渚には決して真似できないものだった。

 だが、そんな彼も大人たちに逆らい続けることは出来なかった。ある程度言うことを聞かなければ、追い出されてしまうと思ったのかもしれない。そんな彼の変化がとても寂しかった。だから、彼が再び大人たちを疑い、「神国を出よう」と言い出した時は嬉しかったのだ。なんとしても彼についていこうと思った。彼女にとっては、大人たちの教えよりも彼の決断の方が重要なのだ。たとえそれが不幸な結果を招いたとしても、彼を信じようと思った自分の気持ちに後悔はない。



「俺たち、これからどうなるんだろう……」


 トオルがぽつりとつぶやく。それは渚にも分からなかった。ふと、血を流して倒れるアキコの姿が蘇る。


「私達も……殺されちゃうのかな」

「わからない……」


 トオルも不安げだった。教団の大人たちの姿が頭に浮かぶ。その中に、責任者である「タカシ」の顔があった。


「……タカシに、よろしく」


 アキコの声が聞こえた。渚は思ったことを口に出してみた。


「もし……もしあの人がアキコさんの弟なら……私達の話、聞いてくれるかもしれない」

「……あのメモか?」

「うん。何が書いてあるのか分からないけど……」


 それは賭けだった。もし、神国の「タカシ」がアキコとは何の関係もない人物なら、渚たちに勝算はない。また、仮に彼がアキコの弟だとしても、彼女の言葉に心を動かされてくれるだろうか……。


 しばらく沈黙があった後、トオルが切り出した。


「なあ。あの人達、何のために動いてるんだろう……。やっぱり『神のため』かな?」


 言われてみれば、よくわからなかった。彼らは何のためにこんな事をするのだろう? だが、その答えが何であれ、渚の考えは決まっていた。


「もしこれが、あの神様のせいなら……。私、そんな神様なんていらない。他に理由があるなら、それを神様のせいにするなんて最低。どっちにしても、私はあの人達の『正義』を信じない」


 トオルが黙って頷いているのが分かった。あたりは相変わらず闇に包まれ、車の振動と走行音だけが伝わってくる。渚はアキコの事を考えた。見ず知らずの自分たちのために動いてくれたアキコ。三十年間弟を待ち続けたアキコ。彼女が、いったい何をしたというのか。


「困ったときはお互い様だよ」


 そう言って微笑むアキコの顔が浮かんだ。再び、渚の目に涙が溢れてくる。


「アキコさん……」


 彼女がそうつぶやくと、トオルが黙ってその涙を拭った。車が、次第に速度を落とし始める。トオルが彼女を抱き寄せる。車が停車し、男たちの足音が聞こえてくる。扉が開かれ、外へ出るよう促される。辺りはすっかり夕方で、夕日に照らされる神国の施設が見えた。

 二人は男たちに囲まれたまま、本部の建物へと移動する。長い廊下を歩き、見覚えのある部屋に通される。蛍光灯の光が、目に突き刺さる。扉が閉まると、聞き覚えのある男の声がした。


「久しぶりだな。二人共」

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