第11話 天地創造(6)

 どのくらい歩いただろうか。辺りはすっかり夕方になっていた。内陸に向かうに連れて、次第に大きな建物は見かけなくなった。密度は相変わらずだが、明らかに都市部ではなくなっている。追手が来ないのは幸いだが、その代わりに住民も見かけなかった。

 二人はかなり疲れていた。半日近く歩き続けているのだ。パンはあと一切れ、水もあと少しで無くなりそうだ。しゃべるのすら億劫だった。精神的にも肉体的にも限界が近い。ナギサが何か言ったが、頭に入ってこなかった。トオルは聞き返す。


「……ごめん、よく聞いてなかった」

「あ、あの……パン……まだある?」

「あるよ。最後だけど……」


 しばらく沈黙が流れた。朝から二人共まともに食べていないので、空腹なのは確かだ。だが、ここで最後の食料を消費してしまっていいのだろうか。少し悩んでから、トオルはパンを食べることに決めた。


「食べよう。食べて、もう少し頑張ろう」

「……うん」


 丁寧に祈りを捧げて、パンを分ける。少しナギサの方が大きくなるように調整したが、すぐにばれてしまった。「普段はトオルの方がよく食べるから」と言って彼女はパンを受け取ろうとしない。結局、大きい方から一口分ちぎって大体同じ量に揃えた。パンを食べながら、トオルが小さくつぶやく。


「見つからないな……人」

「そうだね……」


 ナギサも元気がなさそうだった。考えなくても当たり前だ。しばし沈黙が流れる。


「やっぱ無茶だったかな……。帰るか?」


 トオルはやや冗談交じりにそう言った。ナギサは首を横に振る。


「まだ夜じゃないし、日が沈むまでには……きっと、誰か見つかるよ」


 トオルは後悔した。出て行くにしても、やはり彼女は置いて来るべきだったのだ。だが、ナギサの決意が固かったのも確かだ。なら、いっそあそこに留まるべきだったのだろうか。少なくとも、そうしていれば命の危険は無かったはずだ。自分の無鉄砲さに嫌気が差した。


「トオル……何かネガティブな事考えてるでしょ」


 ナギサが、ふと彼の顔を見て言った。トオルは返答に困った。実際にそうなのだから。彼女は懇願するような目で続ける。


「諦めちゃダメだよ……。お願い、最後まで諦めないで」


 ナギサの目はまっすぐ彼を見ていた。そうだ、自分が真っ先に諦める訳にはいかない。現に自分の判断を信じてついてきた人間がここにいるのだ。最後まで希望を持ち続けなければ。トオルは「ありがとう」と言って彼女を抱きしめた。ナギサが小さく頷く。その時、セイジの声が蘇った。


「恐れることはない。ただ信じなさい」



 食事が終わり、二人はまた歩き始めた。坂道が増え、周囲の景色も次第に自然が増えてきていた。このままでは山に入ってしまう可能性が高い。進路の再考を迫られていた。

 それに、このまま今日中に誰も見つからないのであれば、どこかで寝床を確保する必要もあった。ナギサにその考えを伝え、一旦入れそうな空き家を探す。しばらく辺りを歩き回ってみたが、鍵が閉まっているところが多く、中には入れなさそうだった。


 空き家を探し始めてしばらく経った時、ナギサが無言で彼の服を引っ張り、怯えたように何かを指差した。彼女が指差す暗がりの中に、何か黒い影が動いている。熊だ。二、三十メートルほど向こうに一匹の熊がいた。

 とっさにポケットの拳銃に手をやる。だが、撃っても大した効果は期待できない。熊はこちらを見ているようだったが、二人のことをどう認識しているのかはわからない。とにかく、ナギサの安全だけでも確保しなければ。熊から目を離さないようにして、小声で囁く。


「ナギサ、一旦俺の後ろに隠れろ。そのまま二人で後ろの交差点まで下がる。交差点に差し掛かったら、熊から見えないように建物の陰に隠れろ」

「トオルは?」

「熊がこっちに来ないようなら、俺も続く」

「熊が来ちゃったら……?」

「お前だけでも逃げ切れ」

「そんな……」

「とにかく、やるぞ」


 ナギサは納得出来ないようだったが、言い合っている暇はない。言われたとおり、彼女はトオルの陰に隠れた。熊の動きを見張りながら、慎重に後ろに下がる。幸い、熊はこちらに向かって来ないようだった。交差点にさしかかり、背中からナギサが離れるのが分かる。しばらく熊を注視していたが、こちらに来る様子はない。慎重に、トオルも物陰に隠れようとする。と、その時だった。


 地面が少しずつ揺れ始めた。とっさに、ナギサが逃げていった方向を見るが、彼女はどこかに隠れてしまったらしく、見つけることが出来ない。熊は、トオルのいる方向とは逆に走り去っていった。

 

 揺れが始まって数秒後、かつて感じたことのないような大きな揺れが始まった。立っていることが出来ない。あちこちで物が落ちたり、ガラスが割れたりする音が聞こえる。


「ナギサ!! おい! どこだ!!」


 思わず叫んでいた。だが、返答はない。揺れはまだ収まらない。何とか交差点の中央まで避難する。激しい揺れのため、あちこちで土煙が上がっている。地面が割れているところもあった。


「ナギサァ!!」


 そう叫んだ瞬間、今度は違う方向に激しい揺れを感じた。


「……まだ揺れんのか!?」


 すさまじい音が響く。一部の建物が倒壊していくのが見えた。もし、ナギサがどこかの建物の中に隠れていたら……。最悪の事態が頭をよぎる。とにかく、揺れが収まるまでは何も出来ない。周囲の建物に気を配りながら、ひたすら待つしか無かった。



 揺れはかなり長い時間続いていた。地鳴りと建物の崩れる音が辺りを包む。実時間は一分あるかどうかだろうが、彼には数分間に思えた。トオルは、ナギサがどうなったのかが心配でならなかった。


 ようやく揺れが収まり、あたりを見渡す。電柱はまだ揺れている。ひび割れた地面、崩れた建物、地面に飛び散ったガラスや瓦。信じたくない光景だった。再び、彼を激しい後悔が襲う。


 やはり神国を出るべきではなかったのだ。あそこにいれば、仮に地震が来てもナギサとこのような形ではぐれることは無かったはずだ。だが、この揺れで神国が無傷で済むとも思えない。何かしら生活に影響は出るだろう。あるいは命が脅かされているか……。

 色々な考えが頭のなかを駆け巡り、八方塞がりだった。もし、神がこの地上を支配しているのなら、これは誰かに対する罰なのだろうか。だとしたら、誰に対する罰だ? 正しい信仰を持たなかった人々への罰なのだろうか?


 トオルは、ふと我に返った。そんなことよりナギサを探さなければ。生きている保証はないが、死んだと決まったわけでもない。だいぶ日が沈んできてはいるが、まだ日の入りまでは時間がある。その間に彼女を見つけなければ。

 トオルは、もう一度彼女の名前を叫ぶ。だが、口が乾いて声がうまく出なかった。水筒を覗き込む。水はあと一口だ。彼は飲むべきか悩んだ。飲めば自分の喉は潤うだろう。だが、ナギサを見つけた時に、彼女に飲ませる分がなくなってしまう。

 彼はナギサが見つかることを祈り、ひとまず水は我慢した。枯れた声でなんとか彼女の名前を呼びつつ、周辺を探す。


 しかし、ナギサの行方は相変わらず分からなかった。よく考えれば、彼女がどちらに逃げたのか、はっきりと見て確認したわけではない。背中を離れる気配でこちらの方だと思い込んでいるに過ぎなかった。

 一旦交差点の方まで戻り、別の方向を探す。建物の影が邪魔で道がよく見えない。彼女の名を呼びながら慎重に歩くが、やはり反応はなかった。どっと疲労が押し寄せてくる。トオルは思わず道端に座り込んだ。体の中に重い石を詰められたような感じがする。だが、正直この程度で体力の限界が来たとは思いたくなかった。むしろ、精神の方が限界なのかもしれない。


 思えば、教団の殺人を目撃し、仲間と意志をぶつけあったのはつい昨日のことだ。あれからまだ一日しか経っていない。そのうえ、今日は無人の市街をあてもなく歩き続け、熊と遭遇し、大地震まで来てしまった。心の拠り所であるナギサも行方不明だ。いったいどうすればいいのだろう。彼は再び水筒を開けた。手元にある最後の水だ。


「……すまん」


 彼は水を飲むことにした。これで再び動けるはずだ。だが、世界はそう甘くなかった。水を飲んだ瞬間、かろうじて保っていた気力が抜けた。目を開けているのもつらい。意識が泥に飲み込まれていくようだ。トオルは心の中で祈った。頼む、もう少し頑張れ。ここで倒れているわけには……。


 そんな彼の意志とは裏腹に、意識は薄れていく。


「ナギ……サ」


 遠くで、カラスの鳴き声が聞こえた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます