第1話 天地創造(1)

「トオル! 着いたよ!」


 愛らしい少女の声でトオルと呼ばれる少年は目を覚ました。狭いバスの車内で長時間揺られていたせいか、背中が軽く痛む。そのまま窓の外に目をやると、見たこともないほど巨大な建物の群れが天高くそびえ立っていた。だが、そのどれもが植物で覆われ、人の気配はどこにもない。その非現実的な光景にトオルはしばし呆然とした。ここが約束の地なのだろうか。


「さあ、みなさん降りてください。ここがあなた達の国、『神国エデン』です」


 車内に運転手の声が響く。その声はどこか朗らかで、喜びに満ち溢れているようでもあった。

 トオルは鉛のように固まっていた体を持ち上げ、降りる支度を始める。周りに座っていた他の少年少女たちも降りる支度を始めた。彼らは全員十八歳で男女六名ずつ。先程声をかけてきた少女が、トオルを急かす。


 トオルがバスから降りると、昼過ぎの爽やかな風が彼の頬をなでた。辺りには様々な植物の匂いが立ち込めており、遠くからは鳥の鳴き声が聞こえる。周囲に立ち並ぶ巨大な建物は、その穏やかさとは不釣り合いなほどに濃い陰を落としていた。


「ねえ、聞いてる?」


 話しかけてきたのはさっきの少女だ。トオルより二十センチほど背が低く、クセのない髪は肩の上できれいに切りそろえられている。彼女のつぶらな瞳が、トオルの顔を覗き込む。


「ごめん、聞いてなかった。景色があんまりすごいから……」

 

 彼が少し申し訳なさそうに答えると、少女は「やっぱりね」という顔をした。彼女はナギサといい、トオルとは恋仲にある。


「みんなもう向こうに行ってるよ。私達も急ごう?」


 そう言うと彼女はトオルの手を引いて早足で歩き始めた。目の前にある鉄とコンクリートの門には、ツタの隙間から「京海洋」という文字が見えている。門の両側にはライフルで武装した警備員が立っており、銅像のように直立不動の姿勢を保っていた。二人は早足で門を抜け、他のメンバーと合流する。


「お、バカップルのおでましだ」


 ゲンという少年が、後から追いついてきた二人を茶化す。身長はトオルよりやや低い百六十五センチくらいで、髪は角刈りだ。不細工なわけではないが、特徴的な顔立ちをしている。


「バカは余計だ」


 トオルはいつもの調子で彼をあしらう。ナギサも不機嫌そうな顔でゲンを睨むが、本気で怒っているわけではない。こうしたやり取りは彼らにとって挨拶のようなものだ。

 案内役の女性に連れられ、少し歩くと右手に二階建ての白い大きな建物が見えた。その前に、二十人ほどの大人たちが並んで立っている。男女が半々くらいで、歳は二十代後半から五十代前後まで様々だ。


 案内役に促され、トオルたちは彼らの前に横一列になって並んだ。真ん中に立っていた背の高い五十代くらいの男性が、トオル達の顔を一人ずつゆっくりと眺めていく。頭は短く切った白髪が大半を占めており、顔には金縁の丸眼鏡をかけていた。目つきは鋭いが、口元には微かな笑みが浮かべられている。その男は十二人の顔を一通り眺め終わると、背筋を伸ばしてこう言った。


「ようこそ、神国エデンへ。君たちがここで自立できるまで、我々が出来る限り力を貸そう。長い道のりになるが、ともに歩んでいこうじゃないか」


 そして、ふと思い出したように自己紹介を付け加えた。


「あ、私は『タカシ』だ。当面ここの責任者として君たちの生命を保証する。堅苦しい挨拶をしてしまったが、気軽に声をかけてもらって構わない。雑談も歓迎だ」


 そう言ってタカシは親しげな笑みを浮かべた。先程までの鋭い目つきとは反対に、屈託のない自然な笑顔だ。はじめは緊張していたトオルたちも、その顔を見てすこし安心する。


 その後、タカシの口から幾つかのルールが告げられた。


一.許可無く敷地外に出ないこと

二.単独行動は極力避けること

三.護身用の銃とナイフを常に携帯すること

四.立ち入りの禁じられた建物には入らないこと

五.決められた時間割に従うこと

六.スタッフから指示があれば従うこと

七.異常があればすぐにスタッフに報告すること


 そして、敷地内の地図とその他の細かいルールなどの書かれたパンフレットが全員に配られ、一同は宿舎へと案内された。案内役は引き続き同じ女性で、タカシや他の大人たちはどこか別の建物に移動するようだ。

 宿舎に着くと、トオルたちはまずその大きさに驚いた。コンクリートでできた五階建ての大きな建物。それは、十二人で住むにはかなり大げさだ。

 ところが、彼らが部屋を覗き込むと中は意外なほど小さかった。ベッドが空間の半分を占めている。小さなキッチンがついていたが、ガスは止まっている。水は出るのだが、なるべく節約するようにと念を押された。一階には多目的ホールがあり、自由に使えるようになっている。自動販売機やシャワーもあったがそちらは使用できないらしい。その後、彼らはそれぞれ一階の個室を割り当てられた。


「狭い部屋だな。頭ぶつけそうだぜ」


 そうつぶやいたのはアキラだった。確かに、十二人の中で最も背が高く、体格も良い彼にこの部屋は少々狭そうだ。


「まあまあ、『住めば都』って言うじゃん? 俺は小さいから大丈夫だな」


 ゲンがすかさずそう答える。アキラがしゃべるとゲンが必ず何か答える。それはトオルにとって見慣れた光景だった。


「じゃあ、次は畑に行きましょうか」


 案内役の指示に従い、子供たちは畑へと向かった。それは敷地内の開けた場所にぽつんとあるだけだったが、すでに様々な作物が育てられており、その内の幾つかはもう食べごろをむかえていた。


「うわー! おいしそう! これ、今食べちゃだめですか?」


 そう言ったのはハルナだった。彼女はいつもマイペースで、自分の欲求に忠実だ。肩の下まで伸びた髪が、風に吹かれてさらさらと揺れている。


「もー、せめて夕飯まで待ちなよ」


 ナギサが彼女をたしなめると、女性陣のリーダーであるチトセが笑いながらこう言った。


「ふふ、ハルナはいつも通りね。ちょっと安心したわ」

 


 その後、本部棟、調理場、食堂、礼拝堂などを周り、気がつくと夕食の時間になっていた。食堂へ移動する途中、トオルの友人でもあるセイジが声をかけてきた。


「なんだか、聞いてたほど『楽園』って感じじゃないね。すこし拍子抜けだよ」

「まあ、これから俺たちが頑張らなきゃってことだろ?」

 

 トオルの返答にセイジは黙って頷き、黒縁の眼鏡をかけ直した。彼が眼鏡をかけなおす時は、大抵何かを考えている時だ。


「……なにか気になるか?」

「ああ、ちょっとね」


 セイジはそれ以上何も言わなかった。


 

 夕食後、トオルはシャワーを浴びてから自室へ戻った。ベッドに横になると、色々なことが頭に浮かんできた。

 待ちに待った「神国エデン」での生活。しかし、自分たちはここで暮らしていけるのだろうか。ここまでたどり着いたこと、それ自体が極めて名誉であるのは間違いない。少なくとも、ずっとそう教えられてきたのだから。


 彼らにとっての「正しさ」は神の教えに従うことだ。神国最初の国民となり、その繁栄の礎となることもまた神の教えだった。そのためには、最終的に彼らだけでここの暮らしを完結させなければならない。


「繁栄の礎……か。でも、俺達が自立できるまでいつまでかかるんだろう? いずれは子供も産んで育てなきゃならないはずだ」


 皆の前では黙っていたが、トオルはかなり不安を抱いていた。護身用に銃まで渡されるということは、身の危険もそれなりにあるはずだ。当面施設の周囲には警備がいるようだったが、いずれ彼らもここを去るだろう。そもそも、ここはなぜこんなにも大きな建物であふれているのだろう? 昔誰かが住んでいたのだとしたら、彼らはどこに行ったのだろう?


 そして、トオルにはもう一つ気になることがあった。それは、施設内のいたるところで見かける同じ漢字だ。おそらく門の前に書かれていた文字もこれだろう。


<東京海洋大学>


 「海洋」はわかる。だが、「東京」と「大学」がわからない。漢字がわからないわけではない。その文字の意味するところがわからないのだ。


「とうきょう……だいがく……。で、合ってるかな」


 そんな言葉は習った覚えがない。大人たちなら何か知っているだろうか? 彼はそう思いながら眠りについた。

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