第2話

 私は広島市で生まれ、七才からはくれ市の親戚の家で育ちました。伯母の家はどちらかと言えば裕福な家庭でした。三年、四年と経ち、友だちもできたのですが、学校が終わってからもいっしょにいたいとは思いませんでした。何と言いますか── 生身の人間との付き合いは、私の神経には刺激が強すぎたのです。

 一人でいることを私は好みました。本を読んだり、絵をいたりするのが好きな子どもでした。夏休みになると、家の近くを流れている川の上流へよく一人で行きました。自転車を漕いでいくんです。上流の上流のそのまた上流といったところまで。何をしにいくのかと聞かれますとちょっと困るのですが── 、何もしないためにいくんです。本を何冊かは持っていきます。だけど目的としては、何にも考えない時間を過ごすためにいくんです。言わば、心のスイッチを切るためにです。

 上流のほうへ行きますと、川は谷あいを流れています。川辺へ下りられるよう道がついているところも何ヶ所かありました。誰か昔の人が斜面を切り開いたわけです。急勾配でかなり危ないのですが。

 私は下りていって、川縁にシートをひろげて寝転がっていました。いちおう道がついているわけですから、若者のグループや、家族づれなんかがいたりもするわけです。あとから来てしまうとかね。

 私は、まったくの一人っきりになれる時間を欲していました。

 上流へは十二、三歳のころから行っていたのですが、十六歳になった夏、私はいい場所を見つけたんです。ガードレールをまたぎ越え、急斜面の雑木林をくだり下りる。道などはまったく付いていません。木から木へ走って移るというか── 走り下りて木にわざとぶつかって体をいったん止め、また次の木へ走り下りて体をぶつけていったん止まる。それを何度も何度も繰り返しながらはるか下まで下りていくんです。両の手のひらをこう、胸の前でかまえましてね、ぶつかる衝撃をうまくやわらげるんです。走り下りて木にわざとぶつかって止まり、またつぎの木に走り下りてぶつかっては止まる。まったく正気とは思えないような、そんなやり方で下っていきました。今、またやれと言われましてももちろんできませんよ、そんなことは。

 平らなところへ着きますと、夏草が胸のあたりまで生い茂っているんです。そこを掻きわけ掻きわけ、三十メートルくらい進む。

 青い空の下、草を掻きわけながら行きますと、とつぜん視界がひらけて川があらわれます。太陽を砕きながら流れるまぶしい川です。車道から下りられるよう道がついているところは、そこから上流へ行っても下流へ行っても五キロ以上はないんです。つまり川沿いを歩いてくる人間もいないわけです。私がやるように道なき急勾配を走って下りてくる変わり者もそうはいないでしょう。つまり、人の来ない場所、人からもぜったいに私の姿を見られることのない場所を、私はその夏、手に入れたんです。

 まったくの大自然でした。人工的なものは何ひとつありません。光を散りばめてゆれる頭上の葉むらが、なにかしら親しい言葉をささやきかけてくるように感じます。その声は私にだけ語りかけられていて、私にしか聞きとることができない。そんな気がしたものです。

 川は右方向から左方向へと流れていました。滝をつくりながら岩のあいだを抜けてきて、徐々にゆるやかになり、川幅を四倍ほどにひろげます。そしてまた横幅をせばめ、場所によっては真っ白いきらめきそのものとなって、蛇行しながら視界から消えていくんです。

 対岸は岩の壁が垂直に立ち上がっていました。細長く切り取られた空がはるかな高みに感じられました。谷ふところ、とまで言ってしまうと大げさになりますが、そう呼びたくなるような雰囲気をもったところでした。

 対岸の岩の壁のあたりの水は濃い紫色に染まっていました。こちらの岸へ向かうほど緑みをおびた色になり、さらに色が薄れ、水かさも浅くなり、最後は完全に透き通るんです。川床にちらばった小石の集まりまでがはっきりと見てとれました。そのすぐ上を陽の光でできた編み目模様が流れていく。今でも目に映るようですよ。記憶というのは、ずいぶんと不思議なものですね。

 川辺には砂地がひろがっていました。ところどころに転がっていた肌色をした岩は、あのあたり特有のものだったのでしょう。手でこすると指先に白いが付いたのを覚えています。降りしきる蝉の声に、走る水音。鳥の影がときおり川面かわもに映り、薄くなり、またくっきりとした形をとったかと思うと視界から消えていました。

 誰も来ません。誰からも私の姿は見えないんです。安らぎました。ほんとうに安らぎました。理由もない幸福感が何度も鳩尾みぞおちへのぼってきました。太陽が肌を焼く、心地よい痛みまでもが幸せでした。

 シートを敷いた砂地に海水パンツひとつで横になっていました。暑くて一〇分と耐えられませんから、水のなかへ飛び込みます。光の反射が対岸の岩の表面でゆらゆらとおどります。白い無数の小魚が泳ぎまわっているように見えました。あお向けに浮いて太陽を浴びていますと、世界には自分と青い空しか存在しないような心持ちになってきました。

 しばらく水のなかを楽しんだら、また川原で横になります。持ってきた本を開いたりもしました。そのころの私は国木田独歩くにきだどっぽの小説や、独歩が好んだワーズワース、それと立原道造たちはらみちぞうの詩が好きでした。甲羅干しのかっこうになりながらそれらの本を読みました。活字の並んだ紙面は陽をはじいて眩しいほどです。小説や詩のなかに描かれた田園風景なんかが目の前に浮かんできましてね── そこにじっさいの葉むらのざわめきや水の匂い、鳥の鳴き声なんかが重なって聞かれ── 私は夢の中にいるように恍惚となったものです。

 そんなふうにして、週に何度も私だけの場所へ通っていました。

 そしてある日、その場所で彼女と出会ったんです。







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