19話 何処かから聞こえてきたのは

『ふふ』


 不意に耳元でした笑い声に、私ははっと目を見開いた。慌てて起き上がろうとするけれど、身体が固まって動かない。


『りゅうのちは、うまいのう』


 誰、と声をかけようとしてもその声が出ない。目だけは動かせるけれど視界は真っ暗で、そもそもここがどこかは分からない。私、どうしたのかしら。


『だいじょうぶじゃよ。ころしたりはせぬ』


 耳元の声は続いている。しゃがれた老婆の声だけど……どこかで聞いたことが、あるかもしれないわ。

 私は、この者に魔術にでも掛けられているのかしら。でもそうなら、控えの間にいるナジャが気づかないはずはないわ。あれは、人の姿をしているだけなのだから。


『こんなおいしいりゅうのち、かんたんにしなれたらもったいないからのう』


 そうっと髪を撫でる手の感触。でも、やはり視界は真っ暗なままで私には何も見えない。

 何だか、ぞっとする。グランデリアのお屋敷に充満する嫌な空気が、今私の回りに満ち満ちているようで。

 ……つまり、この声の主がその原因ということね。ああもう、今動けたら速攻でぶん殴っているのに。


『まあ、もうすぐじぇしかはかれるからのう。そうしたら、のんびりいただくえ』


 ──ジェシカ様!?




「主様ー?」

「……え」


 いつものようにのほほんとしたナジャの呼ぶ声に、私は今度こそ目を見開いた。そろりと身体を動かしてみると、当たり前のように動く。どうやら私、お茶を飲んだ後ソファに横になっていたみたいね。まあ、我ながらはしたないこと。


「おはようございますー。と言っても夕食前ですけどー」

「え、ええ、おはよう。私、寝てしまってたのね」

「はい。それはもうぐっすりとー」


 ナジャはいつものようにニコニコ笑いながら答えてくるから、あれは完全に夢、だったのでしょうね。もし何かあったら、ナジャが気づかないはずがない、もの。

 ……ふと気がついたけれど、一緒にお茶を飲んでいたはずのパトラの姿がなかった。夕食前、ということだから、もうお部屋に帰っちゃったのでしょうね。一応、確認しておきましょう。


「あら、パトラは?」

「ちょっと前に目が覚めて、夕食前になったら主様起こしてくださいねっておっしゃられてお部屋にお戻りになりました」


 ほら、やっぱりね。というか、パトラに寝顔見られちゃってたのね……は、恥ずかしい……何てこと。エンドリュースの家でもめったになかったことなのに。


「……ナジャ」

「はい?」


 変な夢。

 エンドリュースの家でもめったになかった、ついうっかりの居眠り。

 そんなものが結びつくとは思わないけれど、私はナジャに話さずにはいられなかった。だって少なくとも、このお屋敷が何かおかしいのは事実、ですもの。




 そうして、夢の話をナジャに伝えた。彼女はしばらく考えて、それから眉間にしわを寄せる。どうやら、思い当たるフシがあったようね。


「……まさか、とは思うんですけど」

「何でも良いわ。教えてちょうだい」

「はい。昔に母様から聞いた話なんですけど」


 ナジャの母様。つまりは、私にメイスを下賜くださった龍女王様のことである。その方から、直接に伺った話……貴重ね。


「母様がまだお若い頃、だからすごーく昔なんですけど。何でも、龍の力を好んで食らう魔女、というのがいたとかで」

「魔女?」


 その言葉を聞いて、軽く首を傾げる。まあ、エンドリュースの娘である私が呼ばれることもある言葉ではあるんだけれど、基本的にはおとぎ話の中に登場する言葉よね。

 たまに、高度な魔術を駆使する女性のこともそう呼ぶとは伺ったことがあるけれど、そちらの魔女には私は面識はないわ。


「はい。龍って人間より寿命長いですから、龍の力を食らうと人間でも長生きしちゃうし魔力も強化される、らしいんです。どうやって食らうかは、知らないんですけど」

「力、ということは直接龍神様を食べたりするんじゃなさそう、ね?」

「そんなことできたら、力食らう以前の問題ですよう。主様も大概強かったですけど、それ以上ですし」


 まあ、そうよねえ。私はナジャをしばき倒しただけで、別に食べるとかそういうつもりはなかったし。というか、一応龍神様なのだから戦った時は全身硬い鱗で覆われていて、だから私は頭や胴を鈍器でぶん殴るしかなかったのだけど。


「その魔女って何しろ龍の力を食いたがるんで、龍には感知されないように能力を発達させたとか母様言ってましたけど。でも、私が生まれる前に滅ぼしたとも言ってましたけどねえ」


 そこまで話し終えた後うーん、とナジャは顎に指を当てて困った顔になった。そうね、生まれる前の話では、さすがにあなたにも分からないわよね。

 それに……龍女王様ご自身が、滅ぼしたとおっしゃっていたのね。ならばさすがに、生き残りはいない……と思いたい、のだけれど。

 何だか不安になったのは、気のせいかしら。

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