閑話「シュトラウス家の日常」
ミッドガル地方はとても過ごしやすい季節となりました。
草花の甘い春の香を胸いっぱいに吸い込むと、心に穏やかな風が吹きます。
寒くて辛かった、ユーグリット王国より帰還し数日。
今日も早朝からシュトラウス家は大忙しです。
洗濯物を済ませた私は今日もアニーと剣の特訓。
私ことメアリーの仕事は掃除や洗濯はもちろんのこと、朝~夕のお食事の準備から、ルーシェ様のお目付け役として、身の回りのお世話をすることです。
気持ちだけではルーシェ様をお守りすることはできません。
あの日、あの瞬間、私は何が起こったのか理解できなかった。
唐突に、光の矢に胸を貫かれたルーシェ様。
抱きかかえるルーシェ様からとめどなく流れ出る血。
戦慄の一言でした。
もう二度と、ルーシェ様を傷つけさせたりはしない。
私の一番のお役目は身代わりになることなんだから。
「キャ!」
ドサッ!
アニーさんの剣技に翻弄され私は倒れ込んだ。
「そんな腕では到底、王子は守れぬぞ!」
「あ、はい!」
彼女の腕前は中級剣士。
ミッドガル王国では上級の腕前だと認められると、貴族の仲間入りをするチャンスがあるみたい。
上級剣士となり名誉ある武勲をあげると、聖騎士の称号が叙勲される。
それは晴れて貴族の仲間入りをすることを意味するそうです。
アニーさんは事あるごとに、ドーガさんのような名誉ある武勲が一つでもほしいと、おっしゃいます。
そして「隊長に認められたい」と、口ずさむと赤面する。
アニーさんはどうやら、ウルベルト様に恋心を抱いてるようです。
そのウルベルト様と言ったら、面倒な仕事は全部アニーさん任せ。
旦那様と馬を並べては狩猟に精をだしてるご様子。
私にはアニーさんの気持ちは痛いほど良くわかる。
私も……恋心を抱いてるのですから。
「メアリー、休息しようか」
「はい、お茶と手拭いをご用意して参りますね」
「ああ、悪いな。すまん、よろしく頼む」
アニーさんが笑顔で私を見送る。
門前には微動だにせず佇む勇壮な騎士様がいらしゃる。
「ドーガ様、これからお茶にしますが、いかがなされますか?」
「精がでてるな、メアリー殿。アニーは加減を知らぬゆえ、無理せぬようにな」
ドーガ様は、年下のウルベルト様を心底慕ってる上級騎士。
ウルベルト様は24歳で旦那様の一つ下。
ドーガ様はもうすぐ、39歳。
ドーガ様はウルベルト様の部下と言うよりも、ウルベルト様の教育係として、幼い頃からのウルベルト様をご存じのようです。
そんなドーガ様は、人一倍責任感が強く、決して他人に仕事を委ねることをしない御仁です。
私も見習って頑張らなくちゃ!
館には先日、奥様のエミリー様がご用意しいてくれた、ほのかな甘みと香ばしい香りが漂う紅茶がある。
奥様が私達の為に取り寄せてくれました。
ルーシェ様が、おっしゃってました。
エミリー様には、あの日の事は何も話してないと。
後日、ルーシェ様は思い悩みながら、私とドロシーさんにだけ打ち明けてくれました。
奥様のこと、自分のこと。
そして、白鳥渚のことを。
『後は父上しか知らないから、絶対に内緒だよ!』
ルーシェ様は私とドロシーさんに対して、絶大なる信頼を寄せてくれている。
未来からドロシーさんと一緒に来たらしい女の子。
マリーステラと言っていた。
もし、私がルーシェ様の子を身ごもって女の子を授かったら、迷わずマリーってつけるかな?
でも……ルーシェ様は由所正しいミッドガル王国の王子様。
私とは身分が違い過ぎる……。
それに……歳だって……。
館に戻ると、不貞腐れながらウロウロしてる女の子がいる。
金髪縦ロールがとてもお似合いで、白いドレスを好まれるお嬢様。
ベオウルフ様からお預かりしてるハリエット姫です。
「ルーシェリアに伝えてくれないかしら? 暇だって!」
彼女はルーシェ様の婚約者。
最初は、子ども同士の約束事みたいだったけど……。
この縁組、旦那様もベオウルフ様も大変気に入ってるご様子。
両国の友好の証にもなる。
それに、お互いが嫌いあってる風でもないから。
私なんかよりは……。
「姫様も、紅茶いかがですか?」
「ルーシェリアも参加するの?」
「もちろん、ルーシェ様にも一言、お声をかけときますね」
「引っ張ってでも連れてきて! ほんと、暇なんだから!」
「はいはい」
そのルーシェ様と言ったら……。
二階の旦那様の書斎に籠りっきり。
『僕がマリリンを一人前の魔術師に育てるんだ!』
と、言う訳で、戻った日以来、毎日のように付きっきりで、マリリンちゃんに魔術の手ほどきをしている。
魔法都市エンディミオンアカデミーに通わせる前に少しでも、マリリンちゃんの魔術の技量を向上させたいみたいです。
二階に行くと、ルーシェ様とマリリンちゃんの声がドア越しに聞こえてくる。
ノックし、返事があったので、ルーシェ様に声をかけた。
「あひ……? どうしたのメアリー?」
「ど、どうされたんです! ルーシェ様!」
「あ、いや、マリリンの水魔法を頭からかぶちゃったんだよ」
「お師匠様……ごめんなのです」
そこには、にへーっとした笑みを浮かべるルーシェ様と、しゅんと落ち込んでるマリリンちゃん。
ルーシェ様は、8歳だと言うのに良いお兄さんを演じている。
時折、見せるルーシェ様の覚悟を決めたお姿は、とても8歳児とは思えないけれども。
えーっと、召喚勇者達が16,7歳ぐらいだから……もしかして、ルーシェ様の精神的な年齢もそれに近いのかな?
「メアリー、なに考えてるの?」
「いえいえ失礼しました。お着替えの後、紅茶いかがですか?」
「いいね! 着替えたら行くよ!」
「お外に御準備いたしますので、マリリンちゃんとお越しになってくださいね」
「うん、わかったよ!」
私はルーシェ様の部屋を後にし、奥様の部屋をノックした。
「どうぞー」
「先日、奥様に取り寄せて頂いた紅茶を皆で愉しもうと思いますが、いかがされますか?」
「あら、相変わらず大変そうね。紅茶は私が準備して運んでおくから、メアリーちゃんは、いつものようにドロシーちゃんを誘って来てくださいね」
奥様はいつも気を使ってくださる。
「いいから、いいから……あの紅茶の美味しい入れ方、メアリーちゃん知らないでしょ。ここは任せてちょうだい」
そう言って、奥様は私の背中を押し、私が納得したと見て取ると厨房へと向かった。
一時はどうなるかと思ったけど、旦那様も奥様も元気でなによりだ。
私は階段を降り、更に地下へと降りる。
そういえば、シャーロットさんが言ってたな。
ドロシーさんは引き籠る癖があるから要注意だと。
トントン。
地下室の扉をノックする。
返事がないので、そーっと扉を開けてみた。
「ドロシーさん? 皆でお茶しますよー」
「あ、メアリーさん! 皆をここに呼んできてくれませんか!」
ドロシーさんは二階に用意された部屋を使うことが、ほとんどなかった。
今はアニーさんやドーガ様、ウルベルト様も同居している。
部屋の数が不足気味。
なので、今ではハリエット姫の部屋となっている。
「う、産まれそうなのです!」
あたふたして、必死の形相のドロシーさんの先には、ベットに寝かされた竜の卵があった。
「わ、わかりました! 皆を呼んできます!」
私はルーシェ様の部屋、奥様が行かれた厨房、そして外へと駆けずり回った。
全員が、地下まで来て、ドキドキしながら卵を注視している。
旦那様とウルベルト様はお出掛け中だ。
戻ったら、旦那様は特にショックを受けられるかも。
『ルーシェリアに負けるわけにはいかぬ。その卵から産まれる竜は俺が可愛がってあげるんだからな』
冗談なのか本気なのか、そんなことを言っていた。
卵がゴロっと揺れるとヒビが入った。
ピキッ!
パ、パキ、パキ、パキ!
ピィィィー!
孵化した。
両の手のひらに乗りそうな、可愛らしいホワイトドラゴンの赤ちゃん。
動物は、最初に見た者を親と勘違いし仰ぐときく。
誰を最初に見たのだろうか?
ところが、竜の赤ちゃんはトコトコと歩くと、ドロシーさんに飛びついた。
ドロシーさんは嬉しそうにホワイトドラゴンを胸に抱きしめた。
「よろしくな、ごんざえもん!」
ルーシェ様がホワイトドラゴンの頭を指で撫で、そう言った。
「お、王子! それは名前なんですか? そんな名前、可哀想じゃないですか?」
ドロシーさんが慌てながらも少しムキになっていた。
「えっ? そうかな……」
「だ、ダメですよ! そんなヘンテコな名前!」
「じゃあ、すけざえもんってどうだい?」
「それもダメです! だってこの子、女の子なんですよ」
「へ……? そうなの?」
「そもそも、ざえもんってなんなんですか!」
「このネーミングセンスを理解してもらえないのは残念で、しかたがないよ……」
ルーシェ様は本気で残念そうだ。
きっと過去の世界じゃ素敵な、お名前だったに違いない。
今度はハリエットお嬢様が何か閃いたようだ。
「その子は、ユーグリットの守護竜、花咲く女王の雛なんでしょ? でしたら名前はもう決まってますわ! ユーグリット・マリー・ド・ゴールよ!」
「な、なんだ? ハリエット、それは……あまりのも自己主張が強すぎやしないか?」
「あら、ルーシェリア、何か文句がおあり? なんとかざえもんよりは数倍も素敵じゃないかしら?」
ルーシェ様とハリエットお嬢様の間に、奥様が口を挟んだ。
「卵の世話をしてきたのは、ドロシーちゃんよね? 名付けの権利はドロシーちゃんにあると思うわよ」
さすが、奥様だ。
私もそれが一番いいと思ってた。
そもそも火吹き山の王はドロシーさんに卵を託したんだから。
「そ、そうだよハリエット、そうしよう!」
「お母様が、そうおっしゃるのでしたら、しかたございませんわ」
「で、ドロシー、なんて名前つけるんだ?」
ルーシェ様がドロシーさんに聞いた。
ドロシーさんは、竜王様とも仲良し、素敵なお名前が思いついているはず。
この場にいる全員がドロシーさんの言葉に息を飲んだ。
その中でもマリリンちゃんの、ドロシーさんを見つめる目は真剣そのもの。
アニーさんも、ドーガ様も期待の眼差しを送っていた。
私の胸も自然と高鳴る。
新しい家族の誕生なんだもん。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます