挿話・小片

図書室にて(第三章)

「見ぃつけたー」

「…………」

 幼子の言い方をした男のにんまりとした顔ほど気色の悪いものはないが、年齢が分からぬ程度にこの男は美しい顔をしている。秀でた額にきりりとした眉、嫌みでない程度の高さの鼻。目は瞳が大きいせいで切れ長だがきつい表情にはなっておらず、それどころか浮かれているように常に楽しげにしている。髪は琥珀色と表現すべき金と茶の中間色、瞳は空の最も高いところの青。

「そんなに避けられると追いたくなります。俺から逃げたいなら、もうちょっと頭を使った方がいいですよ、イチル」

[隣に座るな。邪魔じゃ]

 床に広げた本とともに移動しつつ、男を避ける。図書室の本棚を背にして、机に広げきれず、手にも持てぬ重さの本を、立てた膝の上に載せていたから、動きは多少鈍くなる。その隙をついて男はいちるの隣で、広げていた本を見た。

 が、何も言わない。

[……何か言いたいことがあるかや]

「いえ、別に? 勉強熱心なのはいいことです。遠回りになっても自分で道を探すのはあなたの糧になります。ゆっくりおやりなさい」

 そこはかとなく上からの物言いだ。だが、彼はいちるの家主でもある。この喋り方は癖なのであって気にすることはないと思ってやることにする。

 いちるを探していたくせに、特に用事はないらしい。床にあった本を拾い上げて無造作にめくっている。写真を貼付け金箔を入れ宝石をはめ込んだ神話書を、軽々と拾い上げるのを見て、嫌な顔になった。これだからきらいなのだ。

「何か面白いところはありましたか?」

 文字を追う方を選ぶ。問いかけには応えないのに相手は気にしていないらしい。しばらくしてから、呼ばれた。

「イチル」

 日が傾いて本棚の狭間はつかの間濃い影の中に。

 男の目が白く光る。

「面白いものがないなら、俺の方を見てくれませんか?」

 無意識に働いている異能の力が男の様子を探っていたので、目が白っぽく輝くことも、どんな顔をしてそう言ったのかももう一つの目で見えていた。だが、実際に耳元に息が感じられ囁き声が響いた衝撃とは比べ物にならない。ものすごい形相で顔を向けてしまい、反射的に飛び退いたが。

「……っぁ!」

 ずるりと長い裾に本が重石となり掬われてしまった。予測できぬ、制御できない力で後ろへ倒れ込む。

 だが、手で頭を抱えられていた。素早く動いた男が、いちるの上に被さるようにして、上半身を支えたのだ。

 はー……という深いため息に、熱くなった目を吊り上げた。

[上に乗るな!]

「ぶつけそうになったのに何を言ってるんですかあなたは。感謝しろとは言いませんが、もうちょっと何か言いようがありませんか?」

[だから、上に乗るなと……!]

 言っているのに、男は更に身体を押し付けてくる。自由になる両腕で押し返すこともままならないほどの密着。西の雷神、ヴェルタファレン国主、半神半人の王、雷の武神、雷霆王と多様な異名を持つアンバーシュは、無情なほど青く白い瞳でいちるを見下ろした。

「あんまり可愛くないことを言うと――キスしますよ?」

 征服者の顔。

 いちるは歯を剥き出し、露になっている額を両手で後ろへ押す。

[近いわ、馬鹿者!]

「また顔を真っ赤にしてください。あの時の顔、とても可愛らしかったですよ?」

 熱が出るかと思う。羞恥や照れではなく、怒りのあまり。己のふがいなさと余裕のなさに。力を込めるのに一向にこの重い身体をどけられる気配がない。

[寝言は寝て言え、ふざけるのもたいがいにせよ雷霆王!]

「ふざけてませんってば。いつになったら本気にしてくれるんですか?」

[お前が偽りを口にしなければ!]

「明確に、確約してください。そうしたら俺も譲歩できると思うんですが?」

[同じことじゃ! お前が、嘘を言うことがなくなれば!]

 獣めいてすがめられる目。

「――承知しました、千年姫」

「ふぁっ!?」

 首筋に噛み付かれた、と同時におかしな悲鳴をあげてしまい、ついにアンバーシュが崩れ落ちた。全体重をもってのしかかられ、しかし何をするでもなく、ぶるぶると震えている。

 力が入らないのだ。

「は、はは、ははははっ! も、もう、わっ、笑わせないでください! お、おかしい……! なんでそんなに可愛い反応を……!」

 足を使って大男を横に転がす。笑いの爆発を腹を抱えてもんどりうっているところを、これでもかと思いきり蹴飛ばそうと立ち上がったというのに、即座に足首を捉えたアンバーシュは目の端に涙を浮かべている。ふくらはぎまでがさらされるという辱め。

「アンバーシュ――!!」

「では俺は、あなたが本気にしてくれるまで千年かけて戦い続けましょう。俺の気は、すごく長いんです」

 後に大臣補佐やら国王従者やらが駆けつけてくる大音声で怒鳴りつけたが、三百年在位する雷霆王はそう言っていちるを解放した。

 ひとときだけ。いちるに触れていた己の指先に軽く口づけて。

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