冬②

 私は今、とても呆れている。

「――して、この動く同点Pは――」

「すー……すー……」

 今日もいつも通り隣から聞こえてくる、寝息の音に。

「だからこの公式をここに――」

「んー……んにゃ…………すー……」

 授業開始前には既に意識を沈没させていた奴は、とても気持ちよさそうに眠っている。ちなみに、授業前と授業中。合わせて十回以上は、奴や机を叩いたり、揺すったりしている。それでも起きない。昨日あんなにこってり絞られたのに、もうコレだ。平和な寝顔を見て、私はため息を一つ吐く。

 昨日の鈴村先生からの頼み事を、結局私は受けることになった。渋々だけど。頼まれれば断れない。そんな性格を呪うしかない。

 ふと、あのあと鈴村先生から言われた言葉を思い出す。三人でのほぼ一方的な話し合いを、明日、つまり今日の放課後、私と奴の二人で勉強をする約束で締めたあと、鈴村先生は私を個別で呼び出した。

――相葉を頭ごなしに否定するんじゃなくて、ちゃんと一人の人として接してほしい。

 私だって、最初からこんなに奴を否定していたわけじゃない。むしろ最初は好意的だったとさえ思う。一年生の初期は普通に会話していた記憶がある。頭は悪いが、外見は悪くないし、話す内容も楽しかった。なにより、一緒にいてお互いに楽だった、はずだった。勝手に奴が変わったのだ。一年生の夏休み明け。奴は、急に眠るようになった。ずっと熱心にやっていたサッカー部も辞めた。話しかけてもなにも反応がなかった時期もある。いったい夏休みの間になにがあったのか。それを教えてくれればいいのに。

「ほんと、どうしちゃったの……」

 口の中で小さく呟く。あれから一年とちょっと経っても教えてくれない。というか、それだけ経ったからこそ、訊くに訊けない。

 突然態度を変えた、奴。私はどうしていいのかわからなくて、ただただ戸惑った。戸惑ったけども、それを誰かに悟られると、変な勘違いをされそうで、それが嫌だったから、私は突き放したんだ。

「どうした、片桐。今日も保護者は寝てる我が子が気になるか」

「っ!」

 しまった、と思ったときにはもう遅く。どっと沸く教室に、気まずく思いながら顔を上げると、片側だけ口角を上げて笑う城林しろばやし先生と目が合う。

「私は誰の保護者でもないです」

「だろうなぁ。じゃなきゃ、お前は自分が生まれたと同時に相葉を生まなきゃいけないからなぁ」

 先生、それセクハラ発言だと思います。

 なんて言えるわけがなく。

「よそ見していてすみません」

 自分が悪いので素直に謝ると、フンッと先生は鼻で笑う。

「やる気のない奴は、放っておけ。来年は受験だ。しょうもない奴を気にしてたせいで足元すくわれたら、笑えないぞ」

 吐き捨てるように言うと、先生は再び黒板に向き直り、カツカツと音を立ててチョークで黒板に文字を刻んでゆく。それをノートに書き写しながら、私は下唇を噛み締めた。

 城林先生は今年の四月に来たばかりの先生だ。だから、何も知らない。

 奴が、もっともっと意欲のある馬鹿だったことを。

 確かに今はやる気がないし、しょうもない奴。私だってそう思う。だから、嫌い。大嫌い。

 相変わらず隣から聞こえてくる寝息に、私はもう一度ため息を吐いた。

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