夏⑥

 あれから三日が経ち、講習が終われば先輩に会えることに心を躍らせていた私は、竹林たけばやし先生に伝言を頼まれて、灯香先輩を探していた。校内で行きそうなところをくまなく探したが見つからず、途方に暮れていたところで、同じ部活の先輩である倉木先輩を見つけた。倉木先輩は確か灯香先輩と同じクラスのはず。だから知っているかも、と尋ねたら、教材室のほうへ佐々木先輩と一緒に行くのを見たと教えてくれた。

 なんで佐々木先輩といるのか。色んな教化の教材室が並んでいる場所は、あまり人が通らない。そんなところに、なんで?

 私は急いで教材室へ向かった。そして、見つけた。ちょうど教材室の前の廊下で、二人は向かい合っている。どうやらなにか話しているようだ。

「とう――」

「好きなの……」

 聞こえてきた灯香先輩の言葉に、私は思わず壁に隠れる。今、好きって言った? 灯香先輩が、佐々木先輩に? どういうこと? 灯香先輩は、私が佐々木先輩のことを好きなの、知ってるはずなのに。張り裂けそうな痛み。それに堪えて、ふと灯香先輩の声が震えてることに気が付いた。湿っぽいというか、何かを堪えているというか、これは――泣いてる?

「自業自得だってわかってる。それなのに、なんで……私はっ」

「大丈夫、俺は知ってる、分かってるよ」

 優しい、なだめるような声。聞いたことのない声。佐々木先輩、こんな声も出るんだ。そう思った瞬間、胸の痛みが最高潮に達した。邪魔したい。そんな黒い衝動に駆られるがままに私は二人の前に出た。

「灯香先輩」

「神崎ちゃん……?」

 丸く見開かれた灯香先輩の瞳からは、大粒の涙がこぼれ落ちている。ああ、やっぱり泣いていたんだ。でも、なんで? 慌てて涙をぬぐいながら、灯香先輩はいつものように笑みを見せる。優しい笑顔。

「あ、もしかして勘違い、してる、よね」

「勘違い?」

 聞き慣れない冷たい声。自分の手でそっと唇を撫でる。今の声はここから出たの?

「ごめんね、大丈夫。私は、盗ったりしないよ」

「長谷川、盗るっていったい――」

「女の子の話。佐々木君、ありがとう。吐き出したおかげで少しだけ楽になった」

「そう、か……?」

 佐々木先輩が首を傾げるのも、無理はない。灯香先輩が顔に貼り付けているのは、佐々木先輩よりも付き合いの短い私にも無理をしているのがバレバレの笑顔だったから。その笑顔を浮かべさせたのは、もとの原因は違うかもしれないけど、タイミング悪く現われた私のせいなのだ。見ているこっちの胸が痛みそうな灯香先輩の笑顔は、きっと灯香先輩の言葉に嘘はない、そう思うのには十分で。佐々木先輩にかけた言葉から察するに、きっと、愚痴か何かをこぼしていたのだろう。何も知らない私がいると、それは言いづらいのかもしれない。なら私はさっさとここから退散するべきだ。だけど私は竹林先生からの伝言を預かっているわけで。でもその伝言を伝えたら、灯香先輩は無理をしたままこの場を去るだろう。私はいったいどうすれば――。

「じゃあ私、部活の練習しなきゃだから」

 灯香先輩が私の横を通る。

「あ、先輩!」

 結局呼び止めた。振り向いた灯香先輩に、私は伝言を伝える。

「た、竹林先生が、鈴村すずむら先生から許可が出たって――」

「でさ、鳴海お前どう思うよ?」

「えー」

 聞こえてきた名前に、灯香先輩の表情が固まったのがわかる。どうしてなのかわからずに首をひねると、廊下の角から男子生徒が二人現われた。両手にはたくさんの教材。上履きに入っている紺色のラインから、彼らが三年生だということがわかる。鳴海と呼ばれた男子が、灯香先輩に気づいて立ち止まる。

「あ、はせが――」

「神崎ちゃん伝言ありがとう! それじゃ!」

 灯香先輩は、声を張り上げるようにしてそう言うと、顔を伏せたまま男子二人組と壁の隙間を抜けて走っていった。それはまるで、全身で鳴海先輩を拒否しているように見えた。対して鳴海先輩はというと、静かに下唇を噛んでいる。

「なーんか鳴海さ。転校してきて早々長谷川さんと仲良くなったと思ったら、気付けば避けられてんのな」

「まあ、俺が悪いんだけどね」

 軽い調子で発せられた言葉の割に、その表情は切なげだった。それに気付いていないのか、男子生徒は食いつく。

「え、なになに。なんかやらかしたの、お前」

「なんでもいいだろ。ほら行くぞ。教材重ったいんだからさ」

「あ、俺ドア開けようか?」

「お、佐々木君。マジ助かる、ありがとう」

 佐々木先輩の言葉に、鳴海先輩は嬉しそうに返事をする。その声は、さっきまで見えていた本音にふたをしっかりとはめてきつくひもで絞めたような、どこか隙を見せないような声だった。

「神崎さん」

 パッと顔を上げると、佐々木先輩と目が合った。先輩は柔らかく微笑む。

「先、多目的室行ってて。すぐ行くから」

「あ……はい」

 私は頷くと、多目的室へと足を動かした。色々と訊きたい言葉があったのだけど、それを投げかけたところで答えてくれる気がしなかったからだ。実際そのあとに灯香先輩のことを尋ねても、俺がなにか言うことじゃない、と佐々木先輩は一言も教えてくれなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る