40:幸せ談義
しばらく王子と姫と遊び――といっても、触れたのは王子だけで、姫には手を伸ばした途端に逃げられてしまった――、私は一足先に階下に降りた。
再び葵先輩と向かい合って座る。
「お帰り。漣里は?」
葵先輩は見ていたテレビのボリュームを下げ、尋ねてきた。
バラエティー番組に出演していたタレントたちの声が小さくなる。
「王子と姫のお世話中です」
ミルクだけ入れたコーヒーを一口飲んで、空席に残された漣里くんのコーヒーを眺める。
葵先輩のコーヒーはブラックなのに、漣里くんのコーヒーは糖度120%、もはやカフェオレだ。葵先輩のそれとは色が全然違う。
「そっか。後夜祭は漣里と踊るの?」
葵先輩の視線は私のヘアピンにあった。
でも、葵先輩は漣里くんの部屋に行く前にはなかったヘアピンについては何も言わず、別のことを質問してきた。
「……誘ったんですけど、断られちゃいました」
本当はいまでも漣里くんと一緒に踊りたいと思ってる。
けど、無理強いはできないもんね……嫌々付き合ってもらったって、ちっとも嬉しくない。
「……無念そうだね?」
「えっ。いえ、……はい」
見透かすような葵先輩の眼差しの前では意地を張ることもできず、私は観念して認めた。
悄然と項垂れ、膝の上で手を握る。
「じゃあ僕に任せておいて」
「え?」
顔を上げると、葵先輩は慰めるように優しく微笑んだ。
「真白ちゃんは漣里の状況を変えてくれた恩人だからね。僕がなんとかしてあげる。ドレスは持ってる?」
「いえ、持ってませんけども……」
一年の時は制服で参加したし、漣里くんにダンスを断られたから、買う気にもなれなかった。
「じゃあ踊るとなったら、用意できる? 無理ならいいんだ。お互いに制服でも――」
「いえ、もし漣里くんが踊ってくれて、相応の格好をしてくれるっていうんだったら、買います!」
葵先輩の言葉に一縷の希望を見出し、私は勢い込んで言った。
「そう。とびっきり可愛いドレスを用意しておいて」
え、本当に、思い描いていた夢のダンスが実現するのかな!?
「はい!」
私は大喜びで頷き、それからふと気になって尋ねた。
「葵先輩は、誰かと踊る予定はあるんですか?」
この問いは興味本位でもあり、みーこのためでもあった。
みーこ、ずっと葵先輩が踊る相手のことを気にしてたもんね。
多分、みーこだけじゃなく、時海に通うほとんどの女子が気にしていると思う。
「今年は誰とも踊る予定はないよ。お誘いは受けてるんだけど、誰かと踊ったら、その誰かに迷惑をかけてしまいそうだから……」
葵先輩の表情が微妙に曇った。
「そうですか……」
去年の後夜祭では、葵先輩はダンスパーティーの主役となり、彼女と踊ったと聞いている。
良い人すぎて疲れる、と言って彼女はその後、葵先輩と別れたらしいけど――でも、葵先輩の絶大な人気を改めて知ったいまなら、それはただの口実だったんじゃないかとも思う。
付き合っている間、葵先輩の彼女は嫉妬に駆られた女子から数々の嫌がらせを受けたことだろう。
彼女は葵先輩ほど優秀でも美人でもない、平凡な生徒だったらしいから、なおさらだ。
有形無形の嫌がらせに追い詰められて、精神的に限界に達してしまったんじゃないだろうか。
全部私の推測にしか過ぎないことだけど、葵先輩も『迷惑がかかる』とわかっているみたいだし、完全に間違ってるとも思えない。
人気者だからといって、良いことばかりじゃない。
むしろ、人気者だからこそ、常人には推し量れない様々な苦労を抱えているんだろう。
……でも。
もし彼女が嫌がらせに負けて別れを選択したのだとしたら、その点、みーこはタフだ。
多少嫌がせされたところで、曲がったことを嫌う彼女なら泣くどころか逆に闘志を燃やし、草の根分けてでも犯人を探し出して土下座させそう。
葵先輩と付き合うなんてことになったら、時海に通う女子全員を敵に回すことになるって、みーこが言った台詞だよ、どうするの、って冗談めかして聞いたら、彼女はとても怖い笑みを浮かべ、ぺきぺきと指を鳴らしながら「上等だ」と言ってのけた。
いやバトルロワイヤルをするわけじゃないからね!? と突っ込んでおいたけど、みーこの目は本気だった。
誰を敵に回そうと構わない、絶対に彼女の座は譲らないという強い意志が見て取れた。
案外、みーこと葵先輩ってお似合いなんじゃないかな?
二人とも、華奢な身体と上品な顔に似合わず強いし、みーこの底抜けに明るい性格は、常に完璧であろうとする葵先輩を癒してくれそう。
「……葵先輩も講堂で待機する予定ですか?」
葵先輩が踊らず講堂に行くとなると、今度は講堂に人が殺到しそうだ。
「ううん、特別棟の屋上にでも行こうかなって思ってる。あそこなら人が来ないでしょう?」
葵先輩は透明な笑みを浮かべた。
自分の存在が軸となって大きな混乱を招いたりしないように、ひっそりと姿を隠し、後夜祭が終わるまで、夜の屋上で一人でいるのだろうか。
夕陽の屋上で読書していた漣里くんの姿が頭をよぎり、胸がきゅうっと締めつけられた。
そんなの、寂しすぎる……葵先輩は今年で卒業しちゃうのに。
高校最後の文化祭が独りだなんて、そんなの、あんまりだ。
「あの、じゃあ、私の友達を話し相手にするのはどうでしょう?」
「え?」
思ってもみなかった言葉だったのだろう、葵先輩は目を瞬いた。
「ああ、中村さん?」
「はい。彼女、葵先輩と二人で話がしたいみたいで。よろしければ是非!」
身を乗り出す勢いで言うと、葵先輩は不思議そうな顔をしながらも頷いた。
「よくわからないけど、構わないよ」
よしっ!
私は座卓の下で、密かに固く拳を握った。
賑やかし役にもなれるみーこがいれば、夜の屋上であろうと葵先輩が寂しさを感じることはないよね。
きっと報告すれば、みーこからは大いに感謝されることだろう。
それでもしも、万が一、二人がうまくいけば――お礼はパフェでいいよ、みーこ。
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