37:お祭り騒ぎの朝

 翌朝。

 晴れた秋空の下、私は漣里くんと肩を並べて、学校へ続く道を歩いていた。

「……やっぱり一晩じゃ治らないよね」

 漣里くんの顔には昨日と変わらず、大きなガーゼと絆創膏。

 でも、頬の腫れはかなり引いているし、唇の傷には瘡蓋ができていた。

 経過は順調、完治まではそう遠くない――と思いたい。

「でも痛みは引いた。おまじないのおかげ」

「だったらいいな」

 自己回復力を私の手柄にしようとしてくれるのが嬉しくて、小さく笑う。

 住宅街を抜けて、大通りに差し掛かる。

 しばらく雑談した後、私は切り出した。

「……野田たち、報復しにくるかな」

 不安に駆られ、自然とトーンも落ちる。

 昨日、私と別れた漣里くんが教室に戻ると、顔の惨状を見て、クラスメイトたちは大いにざわめいたらしい。

 追及を適当にかわし、引き続き文化祭準備を手伝おうとした漣里くんは「そんなのいいからゆっくり休め」と半ば強制的に帰らされたそうだ。

 葵先輩から聞くところによれば、あの後野田たちは先生方に連行され――かなり手荒なリンチを受けていたように見えたけど、皆は激怒しながらもきちんと加減していて、手当が必要なほどの怪我は負わなかったようだ――残された葵先輩は皆と会議を開いた。

 会議の内容は秘密とごまかされたが、後の処理は任せてと言われたらしい。

 葵先輩は賢く聡明な、切れ者だ。

 彼が任せろと言うのなら大丈夫だと思いたい……けど、やっぱり心配なものは心配。

 時海高校では葵先輩の勢力が強くて不利なら、他校の不良を集めて闇討ちすればいい、なんて恐ろしいことを考えそうな気がする。

「多分大丈夫だと思う。昨日、兄貴はめちゃくちゃ怖かったんだ。表面上はいつも通り笑顔なんだけど、雰囲気が全然違ってて、これまでの顛末を詳しく聞かれた。とにかく包み隠さず野田の悪行を全部話せっていうから、小金井が俺のために金を巻き上げられてたことも正直に言ったよ。そしたら、なんか薄く笑ってた。怒りの針が振り切れたっぽい」

「それは、怖いね」

 温厚な人ほど怒らせると怖いと聞くけれど、葵先輩はその典型だろう。

「あの分だと、慰謝料も込めてかなりの額を取り返すつもりなんじゃないかな。今日、小金井にも話を聞くって言ってた」

「そう。このままお金をとられたままなんて悔しすぎるし、取り返せたらいいな……」

 心から呟く。

 葵先輩に会ったら、私にもなにかできることはないか聞いてみよう。

 高校に近づくにつれて、生徒たちの数も増えてきた。

 前方では、おはよー、と女子が友達と挨拶を交わしている。

 そして、その女子二人組は気遣わしげに漣里くんを振り返った。

「……可哀想……」

「酷いことするよねぇ……」

 ……ん?

 私は断片的に聞こえてくるその言葉と彼女たちの眼差しに、違和感を覚えた。

 これまで漣里くんと一緒にいると、必ずといっていいほど向けられてきたのは、ほらあれが噂の、とでも言いたげな、好奇の視線。

 でも、辺りを見回すと、今朝の皆の眼差しには、好奇ではなく深い同情が宿っていた。

 ガーゼに覆われている漣里くんの顔を見て、気の毒そうに眉をハの字にしたり、唇を引き結んだりと――明らかにこれまでとは様子が違う。

 皆、漣里くんを被害者と捉えているようで、あれほど真実味を帯びていた悪評を囁くものなど皆無だった。

「……なんだ?」

 漣里くんも事態の変化に戸惑っている。

「昨日のことが広まってるみたいだね。あれだけ当事者がいたら当然かもしれないけど……」

 話しているうちに、校門が見えてきた。

「……え、みーこ?」

 いつもの校門にはありえない光景を目撃し、私はきょとんとした。

 校門の脇には九人の男子と一人の女子から成る、謎の集団がいた。

 昨日見た筋骨隆々の元サッカー部の部長を筆頭にしたサッカー部の部員たち、男子柔道部の部員、バスケ部の部員、その他、所属のわからない生徒たち。

 彼らの共通点は、どの生徒も素晴らしい筋肉の持ち主の、完全な肉体派であるということ。

 時海の筋肉自慢が一堂に会しているかのような、異様な光景。

 紅一点となっているのが、みーこ。

 彼女は男子軍団と同じく、腕組みして頭に赤い鉢巻を巻き、威風堂々と風に吹かれていた。

 登校してきた一般の生徒たちは、怪しすぎる集団には関わりたくないとばかりに、そそくさと傍を通り過ぎ、校門の中へと吸い込まれていく。

 しかし一方で、足を止めて彼らを遠巻きに眺め、ひそひそと囁き合っている生徒もいた。

 おかげで鉢巻軍団を含め、二十人を優に超える生徒が校門付近に集まっている。

「なんだ、あれ」

 漣里くんが無感動に呟く。

「お、やっと来たわね成瀬くん、真白」

 立ち尽くしている私たちを見つけたみーこが腕組みを解き、手を振ってきた。

「おお、来たか、成瀬弟。待ちわびたぞ」

 私が何か言うよりも早く、元サッカー部部長が両手を広げ、きらりと白い歯を輝かせた。

 そのまま洗剤のCMに出られそうな爽やかな笑顔。

「……逃げていいかな」

「まあまあ、行ってみようよ」

 私は既に逃げ腰の漣里くんの背中を押し、鉢巻軍団に近づいた。

「おはよう、みーこ……これは何の騒ぎなの?」

「見てわからない? 私たちは葵先輩の依頼を受けて結成された『成瀬漣里護衛隊』よ!」

 みーこは他の鉢巻軍団たちと一緒に、どこかの戦隊もののようなポーズをびしっと決めてみせた。

 ポーズまで打ち合わせてたんだね、みーこ……。

「……余計なことを……」

 頭痛を覚えたらしく、漣里くんは額を押さえた。

「何を言う、弟を案ずる兄の深い愛情だぞ。遠慮なく受け取れ漣里」

「呼び捨てか」

 元サッカー部部長に呼び捨てにされ、実に嫌そうな顔をする漣里くん。

 彼がこうまで表情を動かすのは珍しい――即ち、本当に嫌らしい。

「はっはっは。言っただろう、成瀬の弟は俺の弟だと。安心しろ漣里。はた目にも俺より明らかに筋肉量の少ない、可憐な子ウサギのようなお前は、俺たちがきっちり守ってやる。どうだこの肉体美! 頼もしい限りだろう!」

 元サッカー部部長は腕を折り曲げ、立派な力こぶを作ってみせた。

「なんなら自慢のシックスパックも見せてやるぞ」

「いらない」

 いそいそとカッターシャツの前をはだけようとした元サッカー部部長の行動を、漣里くんは即答で阻止。

「そうか、残念だ。まあ良い、これからお前は授業中以外、俺たちと行動をともにしてもらうぞ。俺たちは親衛隊として、休み時間はもちろん、登下校も食事も着替えもトイレも四六時中ぴったり張り付き、万全の態勢でお前を守ると誓――おい待て、何故逃げるっ!?」

 漣里くんは台詞の途中で踵を返し、全速力で逃亡を図った。

 あ、逃げた。

 苦笑している私の前で、元サッカー部部長は携帯を取り出し、誰かへコール。

「D班に連絡! 護衛対象がそっちへ逃げた! 至急確保されたし!」

「D班了解!」

 携帯から返事があった直後、わき道からこれまた屈強そうな男子三人が飛び出してきて、漣里くんに見事なタックルを決め――どうやら彼らはラグビー部らしい――捕獲した。

 D班って、一体この他に何人が護衛隊に参加しているんだろうか。

「放せ!!」

「暴れるな! 無駄な抵抗は止めろ!」

「貴様は完全に護衛されている!」

「そこは『包囲されてる』じゃないのか!?」

 三人がかりで押さえつけられ、半ば引きずられるようにこちらへ連れ戻されながらも、律儀に突っ込む漣里くん。

「放せって言ってるだろうが!!」

 漣里くんは暴れながら吠えた。

 けれど、二人の生徒が加勢し、さらに後ろから羽交い絞めにされたため、逃げるどころか、ろくに動けなくなる。

「はっはっは。漣里は本当に照れ屋だな。素直にありがとうと言ってくれて良いんだぞ?」

 悠然とした足取りで漣里くんの前に立ち、再び白い歯を煌かせる元サッカー部部長。

「ありがた迷惑だっ!!」

 珍しく感情全開で叫ぶ漣里くんに、聞き分けのない子供を諭す親のような口調でみーこが言う。

「成瀬くん、せっかく守ってあげるって言ってるんだから張り切って守られようよ。遠慮しなくていいんだよ? 先輩の言う通り、成瀬先輩の弟は私たちの弟だもの」

 横に手を広げ、大げさなポーズを取ってみせるみーこ。

 うんうん、と頷いて同意を示す鉢巻軍団。

「……先輩まで敵なのか……」

 元々人より少ないエネルギーを使い果たしたのか、漣里くんはぐったりした。

「心外だなぁ、味方に決まってるじゃない。私たちは一致団結して成瀬くんを野田の魔の手から守ろうとしてるんだよ? これを味方と呼ばずになんと呼ぶ」

 至って大真面目な顔をするみーこ。

 漣里くんはもはや何も言わず、深くうなだれた。

 笑い声が聞こえる。

 慎ましやかな、それでいて不思議と誰の耳にも届く笑い声。

 振り返れば、そこには口元に手をやり、お腹を抱え、さもおかしそうに笑う葵先輩が立っていた。

「成瀬先輩!」

 この場に居合わせた他の生徒たちと同様、みーこがぽっと頬を赤らめる。

 彼女は昨日、山田くんと別れた。

 何度浮気しようとも鉄拳制裁を加えることで許してきたみーこが本気で別れようとしていることを悟り、焦った山田くんは最終的に泣き落としにかかったらしいが、みーこは未練がましいその態度にとうとうブチ切れ、「だったら最初ハナっから浮気するんじゃねえ、最後だけしおらしく謝りやがって、そんなに女が好きなら一生他の女の尻でも追いかけてろ!!」と怒鳴りつけてやったそうだ。

 彼女が彼氏のことで悩み苦しむ姿を見るのは親友として非常に不本意だったため、別れて大正解だったと思う。

 恋する乙女になってるいまのみーこのほうが、断然楽しそうだもの。

「おお、成瀬、おはよう! 弟が野田の蛮行にすっかり怯えて泣いていると言っていたが、だいぶ元気を取り戻したようだぞ! 数人がかりで捕獲したときなんて、陸揚げされた魚のように活きが良かった!」

「うん、これも皆のおかげだね、ありがとう。これから弟をよろしく頼むよ」

 にこやかな葵先輩の台詞に、ついにつもり積もった憤懣が爆発したらしく、漣里くんは羽交い絞めから力ずくで脱出した。

 葵先輩に詰め寄るや否や、胸倉を掴む。

 あくまで掴んだだけで、そのまま掴み上げなかったのは最後の理性なのだろう。

「いつ俺が怯えて泣いたって? 何がよろしくだ、お前、絶対楽しんでるだろ楽しんでるよな……?」

 さっきまでの状況はやはり相当にストレスだったらしく、葵先輩の胸倉を掴む手はわなわなと震えていた。

「やだなあ漣里、お兄ちゃんをお前呼ばわりした挙句、胸倉を掴むなんて、僕はそんな野蛮な子に育てた覚えはないよ?」

 葵先輩は笑んだまま、右手で漣里くんの額にデコピン。

 軽い一撃のようだったけど、その威力を体現するように漣里くんはのけぞり、額を押さえて俯いた。

 ……あ、痛そう。

「ごめんね、皆。弟はこの通り恥ずかしがり屋で、大げさに守られるのが嫌みたいだから、影でこっそり護衛してあげてくれるかな?」

「いらないって言ってるだろ……」

 漣里くんは額を押さえ、俯き加減のまま、恨みがましい目で兄を睨んだ。

「でも野田たちが」

「だったら俺じゃなくて野田を監視すればいいだろ!」

 漣里くんが怒った!

「あ、そうか。その手があったか。漣里、賢いね」

 いけしゃあしゃあと驚き顔をしてみせる葵先輩に、漣里くんは重く深いため息をついた。

「というわけで、皆、ごめん。作戦変更だ。弟の護衛じゃなくて、野田の監視のほうに回ってもらえるかな?」

『はい!』

 訓練された兵士のように、鉢巻軍団は葵先輩という名の総司令官に対し、一斉に敬礼。

 そして、話し合いながらぞろぞろと校門の中へと入っていく……

 その様子を見ながら、私は思った。

 葵先輩って、アイドルとか王子様とか言われてるけど、実は時海の真の支配者なんじゃ……?

「朝からとっても面白いものが見れたなぁ」

 葵先輩の晴れ晴れとした笑顔に、傍観していた大勢のギャラリーたちがときめいたらしく、ざわつく。

 この珍騒動のギャラリーは当初からさらに膨れ上がり、いまでは二十人以上となっていた。

 校門前でこんな派手な騒動を起こしていたら、誰だって気になるよね。

「ああ、楽しかっただろうな」

 思い切り皮肉を乗せた声で、漣里くん。

「ごめんごめん。こんなに味方がいるんだよってことを知ってほしくて、つい」

「いや、絶対楽しんでただろ。真白も笑ってたし」

「えっ、そんなことは」

 拗ねたような目で見つめられ、私は慌てて手を振った。

 ……すみません、白状するとちょっと、いやだいぶ、楽しんでました。

 だって孤立しがちで、いつもほぼ無表情の漣里くんが大勢の人に絡まれて、感情をむき出しにしてるんだよ?

 漫才みたいなやり取りもしてたし、その全てが面白すぎて、私は鉢巻軍団を止めるどころか、笑いを必死で我慢してました。

「まあまあ。もうしないって約束するから、許してよ」

 葵先輩の言葉に答えることなく、漣里くんは不機嫌そうにそっぽ向いた。

 葵先輩は苦笑して、私を見る。

「真白ちゃん。昼休憩に、小金井くんに家庭科室に来てって伝えておいてくれる?」

「あ、はい」

 葵先輩は直接小金井くんに話を聞くつもりなのだろう。

 私は緩んでいた頬を引き締め、頷いた。

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