34:実は策士だったりします

「その子の言う通りですよ! 私も見てました!」

 一人の女子が声を張り上げた。

 演劇部なのだろうか、彼女はよく通る声でその場にいた全員の注意を引き付けながら、興奮気味にまくしたてた。

「成瀬くんは弟くんを庇って、殴られそうになったから自分の身を守っただけです! これは完全に正当防衛です!」

「そうです、悪いのは野田たちです!」

「成瀬先輩が処分を受けるのは絶対におかしいです!」

 ありがたいことに、彼女の叫びを皮切りにして、ギャラリーから次々に援護射撃がきた。

「しかし校内暴力は――」

「じゃあ先生は、弟が殴られても黙って見過ごせっていうんですか!?」

 気の強そうな女子が、松枝先生の反論を吹き飛ばした。

「まずは言葉で――」

「あいつらは言葉が通用する人種じゃないんですっ!!」

「先生は暴れ回るツキノワグマを前にしても言葉で止めろと説得するんですか!?」

 生徒たちは葵先輩を弁護し続け、先生方が何を言おうとも片っ端から否定し、至極真っ当な正論を口にし、打ち負かしていく。

 ヒートアップする生徒たちの熱気に、私たちは立ち尽くすしかない。

「……真白、成瀬くんを保健室に連れて行ったら?」

 私と同じく、蚊帳の外にいたみーこが提案してきた。

 この騒ぎに乗じて抜けるのは簡単だけど……。

 ちらりと漣里くんを窺う。

「いや。俺のせいでこんなことになってるんだから、最後まで見届ける」

「……って、言ってるから」

「そう」

 みーこはあっさり引き下がった。

 そして、葵先輩が歩き出し、喧々諤々と言い争っている先生と生徒たちの前に立った。

「みんな、庇ってくれてありがとう」

 透き通った声に、ぴたりと声が止む。

 その光景は、まるで魔法のようだった。

「でも、いいんだ。僕が暴力を振るった事実は変わらないから……」

 愁いを帯びた、切なげな表情を見せた葵先輩に、多くの女子が心臓を撃ち抜かれたらしく、どきーん!! という音がここまで届いたような気がした。

 葵先輩は頬を赤らめ、何も言えなくなった生徒たち――驚くべきことにその中には男子もいた――を置いて、今度は漣里くんに向かって言った。

「漣里。この学校にいたら、またこいつらが何かしてくるかもしれない。いまよりもっと酷い目に遭わされるかもしれないから……僕と一緒に転校しようか」

「そんな――」

 悲しげな表情をする葵先輩に、私が何か言うよりも早く。

 主に女子たちから成る悲鳴の合唱が鳴り響いた。

 講堂を揺り動かすほどの大音量に、私は亀のように首を竦ませた。

 生徒の群れが葵先輩の前に移動する。

「嫌です成瀬先輩!」

「先輩は私の生きがいなんです! 先輩がいなくなったら、なんのために時海に通えばいいんですか!?」

「そうですよ! 先輩は時海のアイドル、至宝なんです! 転校なんて嫌です、どこかへ行ってしまわないでください!」

「成瀬くんがいない毎日なんて考えられないよ! お願い、考え直して!」

「でも……また弟が野田たちに何かされたらと思うと、恐ろしくて、不安で……」

 葵先輩は手で口を覆い、長いまつ毛を伏せた。

 その目の端にきらりと輝くのは、真珠のように美しい涙。

 ある生徒は悩殺されたかのようにその場に崩れ落ち、ある生徒は顔を真っ赤にし、ある生徒は――いや、ほとんどの生徒が似たような反応を見せた。

 彼あるいは彼女たちは一斉に倒れている野田たちを振り返り、彼らの元に殺到した。

「おいこら野田ぁぁぁ!!」

「ふざけてんじゃねえぞテメエ!!」

「しがない不良の分際で成瀬を泣かせるとは何事だあああ!!?」

「あんたらのせいで成瀬くんがいなくなっちゃうかもしれないじゃない! 超迷惑! 超最悪っ、サイッテー!!」

「この××っ! ▼▼っ!!」

 暴徒化した生徒たちに寄ってたかって罵声や、それよりももっと酷い放送禁止用語を浴びせられ、踏みつけられ、野田たちはぼろ雑巾となっていく。

 こ、怖い……。

 震えながら漣里くんの腕にしがみつく。

 漣里くんも恐れをなしているのか、黙っていた。

「成瀬くん!」

 生徒たちが野田たちを足蹴にする一方で、一人の女子が葵先輩の両手をぎゅっと握り、熱っぽく語った。

「私たち、これから野田たちを監視する! ファンクラブ緊急会議を開いて、時海に通う女子一丸となって弟くんを守るって誓うから、だから安心して!」

「女子だけじゃない、俺らも守るぞ! 成瀬の弟は俺の弟だ!」

 サッカー部の部長を務めていた、筋骨隆々の三年男子が手を上げた。

「どんなトンデモ理論だよ……」

 小声で呟く漣里くん。

「俺も誓います! 先輩が卒業した後も俺たち全員が成瀬を守ります!」

 この場の異様な雰囲気に流されたのか、あるいは本気なのか、相川くんまでもそう言ってくれた。

「みんな、ありがとう……」

 感極まったような顔で、お礼を言う葵先輩。

 でも、私はそこで、見てしまった。

 この大騒動を引き起こした当の葵先輩の唇が、「計画通り」とでもいうように、小さく歪むところを。

 さ……策士だ、葵先輩!

 自分の持つ絶大な影響力を完全に把握してる……!!

 恐れ戦いている私に気づいたのか、葵先輩は皆の前で浮かべている神妙な表情とは一転、悪戯っぽく笑った。

 その笑みを見て、確かに葵先輩は響さんの弟だと、私は深く納得した。

「おいこら、お前ら! 教師の目の前で何をやっとるんだ!? やめろ、やめんか!」

 ここでようやく、大勢の生徒が二人の生徒を足蹴にするという衝撃的な現場を見て茫然自失していた先生方が我に返ったらしく、声を荒らげた。

「先生っ!!」

 野田を最初に足蹴にした女子が、勢いよく振り返り、華麗にターンを決めて松枝先生に詰め寄った。

「私も暴力を振るいました! 成瀬くんが処罰されるなら私も同罪ですよね!?」

「そうですそうです! 私もです!」

「成瀬くんが転校するなら私も転校します!」

「私も! 成瀬くんのいない時海に価値なんてありませんっ!!」

 口々に私も、俺も、と賛同の声があがる。

「むう……」

「松枝先生、まずいですよ。成瀬はカリスマ的人気を誇る生徒なんです。不当に処罰すれば暴動が起きかねません」

 小声で道長先生が松枝先生に言った。

「それに、成瀬は学年トップの成績優秀者で、現役での明洸大学の獣医学部合格を有望視されてるんです。転校なんてされたら、我が校の現役有名大学進学率に影響が……」

「それは困るな……」

 先生たちは打算に満ちた会話を行った後、固唾を飲んで見守っている生徒たちに言った。

「ああ、わかった! お前らも成瀬も不問に付す! ただし今回限りだ、二度とこんなことはするなよ!?」

「はい、わかりましたっ!」

「松枝先生、大好きー!」

 生徒たちのテンションは最高潮。

 その騒音で目を覚ましたのか、野田が音もなく、ゆらりと幽鬼のように立ち上がった。

 彼の制服は、生徒たちが容赦なく踏みつけ、蹴飛ばしたおかげで泥だらけだ。

 凶悪な目つきで彼が睨むのは、全ての元凶である葵先輩の背中。

「葵先輩!」

 警告を発するよりも早く、野田が動き、問答無用で葵先輩に殴りかかった。

 葵先輩はまだ振り返ったばかりで、不意打ちに対処しようがないように思えた。

 漣里くんが野田を止めようとしたけど間に合わない。

 間に合う距離じゃない!

 体温が奪われる感覚に襲われた直後、横からみーこが飛び出した。

 彼女は野田の腕を掴み、

「せいっ!」

 掛け声とともに、豪快な一本背負いを決めた。

 鈍い音を立てて野田が撃沈する。

 今度こそ気を失って伸びた野田を見下ろし、みーこは獲物を仕留めたとばかりに、腰に手を当てて鼻を鳴らした。

 おおおおお、とギャラリーが沸き、拍手まで起きた。

 悪を倒した勇者のように、大きく手を振ってギャラリーの歓声に応えているみーこに、葵先輩が歩み寄る。

「中村さん、だよね?」

「えっ。どうして私の名前を?」

 みーこは手を下ろし、目を瞬いた。

「深森さんから君のことは聞いてたから。助かったよ、ありがとう。でも、今のは僕も間に合った」

「……余計なことでしたか?」

 葵先輩の眼差しを受けて、みーこが委縮する。

「そうだね、守ろうとしてくれた気持ちはもちろん嬉しいけど、女の子に守られるのは僕の本意じゃないな。立場が逆だ。女の子を守るのが男の仕事でしょう?」

「いえ、でも、私、柔道部ですし……強いですよ? 見たでしょう?」

「ううん。柔道部だろうと、いくら強かろうと、関係ないよ」

 葵先輩はゆるゆると頭を振って、優しく微笑んだ。

「可愛い顔に、傷でも作ったらどうするの。女の子なんだから、無茶はしちゃだめだよ。もっと自分を大事にして」

 内側から光り輝くような葵先輩の笑顔に、ぶわっと、みーこの顔が真っ赤になる。

 彼女の周囲に花が乱舞する幻影が見えた。

「は、はいぃっ……!」

 みーこは握った左手を右手で覆い、その手を口元にやった。

 二人の頭上で教会の鐘が鳴り、小さな天使たちがラッパを吹いている。

 ……落ちたな、みーこ。

 もう彼女の脳内からは浮気性の彼氏の存在なんて完全に蒸発していることだろう。

 葵先輩は一人の女子を陥落させた事実に気づくことなく、のほほんと笑って「さあ、後は任せて保健室に行っておいで」と促してきた。

「……兄貴は天然でタラシなんだよな。ひー兄と違って全くその気がない分、たちが悪い」

「えー……と、とりあえず、行こう、漣里くん。手当てしなきゃ」

 私は夢の世界へトリップしている親友を残し、漣里くんの手を引いて保健室へと向かった。

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