31:妹になるには、つまり?
事態の改善に乗り出して、五日が経った。
みーこや友達が私に協力し、違う学年の子まで真実を広めてくれたおかげで、漣里くんに関する悪評は消えるまではいかないまでも、鎮静化はしてくれた。
漣里くんが庇った相手が小金井くんだと知ったみーこは「なんで最初から事実を話さないのよ」と小金井くんに突っかかったけど、彼は「あいつが勝手にやったことだ」と突っぱねた。
漣里くんに一言の感謝も述べないその傲慢な態度に、みーこは憤慨していた。
でも、小金井くんのことなんて正直、どうでもいい。
大事なのは、皆が漣里くんを見る目が緩和されつつあること。
昨日はクラスの子に突撃され、噂の真相について根掘り葉掘り聞かれたそうだ。
漣里くんが全ての質問に対して正直に答えると、その子は同情を示した。
その子に引っ張られる形で、昨日は設営班のクラスメイトと一緒にペンキ塗りをしたらしい。
屋上で独り寂しく読書していた漣里くんが!
皆と一緒に文化祭準備を!
昨日の夜、電話越しにその報告を受けて、本当に泣きそうになったと伝えると、漣里くんは大げさだと言っていた。
でも、漣里くんだって絶対に嬉しかったはず。
喜びついでに、お互い毎日お弁当だし、たまには一緒に学食なんてどう、と誘ってみると、漣里くんもすぐに同意してくれた。
というわけで、私は学校の昼休憩時間、漣里くんと食堂前で待ち合わせしていた。
わかってくれた子もいるけれど、まだ誤解は完全に解けていない。
それなら学年問わず、多くの生徒が集まる食堂で、私と漣里くんが仲良くご飯を食べる現場を見てくれたら、なんだ、漣里くんも普通の人間なんだなって認識を改めてくれる人もいるかなと思ったんだ。
……というのは建前で、本音は私が漣里くんの彼女だって皆にアピールしたいだけだったりもする。
何より、彼氏とお昼に学食デートっていうのは心躍るもんね!
食堂前でそわそわしていると、漣里くんの姿が見えた。
「漣里くん」
手を振ると、漣里くんも私に気づき、歩み寄ってきた。
「待った?」
「ううん、私もさっき来たところ」
「そう」
そうだよこれだよ!
学生カップルとして、一度はやってみたかったんだよ!!
幸せを噛み締めつつ、笑顔で合流し、開きっぱなしのガラス扉を通って食堂へ。
「今日のA定食は野菜炒めで、B定食は焼肉みたいだよ」
メニュー表を確認して、振り返る。
「俺はBにしよう。真白はどうする?」
もう漣里くんは私を「深森先輩」なんて他人行儀に呼ばない。
人前だろうと遠慮なく名前で呼んでくる。
「私は野菜炒めにするよ。最近ちょっと体重がね……」
私は遠い目をした。
夏休みに漣里くんと甘いものめぐりしすぎた代償プラス、食欲の秋のせいかと思われます。
「そんなの気にしなくても、食べたいものを食べればいいのに」
「いいえ、これは女子のプライドの問題です」
「そういうもんなのか?」
「ええ、そういうものなんです」
私はしたり顔で頷いてみせた。
「ふーん」
漣里くんは適当に返事をして、他に興味を惹かれるものがあったのか、ふいっと顔を逸らした。
長いまつ毛に縁どられた大きな目が、メニュー表を眺めている。
自覚はないらしいけど、漣里くんはとっても格好良い。この場にいる誰よりも。
私はみーこのような美人じゃないけど、せめて体重面だけでもコントロールして、漣里くんにふさわしい女子でいたいんだよ。
談笑しながら、漣里くんとカウンターへ向かう。
ただそれだけで、満たされた気分。
一週間ずっと他人のふりを強いられてきた分、いま隣にいられることが、何よりも嬉しくて、幸せ。
彼が私の名前を呼んで、きちんと私を見てくれることが――。
それぞれ頼んだメニューが載ったトレーを持ち、食堂に並ぶ長方形の白いテーブルのうち、空いている席に向かい合って座る。
次々と生徒が押し寄せ、席は埋まっていったけれど、私と漣里くんが座った窓際の六人掛けテーブルには誰も来ない。
……うーん、やっぱりまだ敬遠されてるみたいだなぁ。
遠くのほうからちらちら見てくる人もいるし。
でも、夏休み明けのような零下の眼差しじゃないだけ良しとするべきか。
気にしないようにしよう、と自己暗示をかけ、漣里くんと談笑していると。
急に食堂内がざわついた。
主に女子たちが。
ん?
話を中断し、水を飲みながら視線の先、食堂の入り口を見ると、無数の視線の交差点にいるのは葵先輩だった。
葵先輩は普段、漣里くんお手製の弁当を食べている。
学食を使うことなんて滅多にないから、学食派の生徒が驚愕するのも頷けた。
葵先輩はカウンターで学食を注文しているけれど、その姿は決して生徒の中に埋没したりはしない。
むしろ同じ服を着た群衆の中にいるからこそ、異彩を放って見える。
私の後ろの席にいた女子が、ほう、とため息をつく音が聞こえた。
……凄いなぁ、葵先輩。
わかめうどんが載ったトレーを持って歩いてるだけなのに、皆、釘づけだよ。
葵先輩を中心に、きらきらと光の粒子がまき散らされて見えるのは目の錯覚なのかな。
葵先輩が持っていると、ただのわかめうどんが高級料理に見えてしまうマジック。
そしてお決まりのように、彼の元には女子が群がった。
「一緒に食べましょう」「いや私と」以下略。
その光景は、さながら美しい花に集う蝶の群れ。
葵先輩は控えめな笑顔を浮かべて女子たちと会話し、そして、不意にこちらを見た。
眼鏡の奥の目が私と合う。
彼は面白いものを見たかのように笑って、やんわりと女子たちの誘いを断り、こちらへやってきた。
「同席しても良いかな? 深森さん、漣里」
「あ、はい。私は構いませんけれども」
向かいの漣里くんの顔色を窺う。
「……。なんでわざわざこっちに来るんだよ」
漣里くんは微妙に不機嫌顔。
「いいじゃない、学校で顔を合わせることってそうそうないでしょう? それともデートの邪魔だった?」
「別にそういうわけじゃ……」
「じゃあいいよね」
葵先輩は漣里くんの隣に腰を下ろした。
直後、私と漣里くんしかいなかった六人掛けの席は女子で埋まった。
椅子取りゲームの如き速さだった。
葵先輩の隣の席をゲットした女子なんて、ガッツポーズすらしている。
その向かいの席の女子は天に感謝する祈りのポーズだし。
瞬間的に始まった椅子取りゲームに負けた女子たちが悔しそうな顔をして、別の席に座っていく。
……葵先輩の効果、凄い。
ぽっかり空いていたはずの、近くの席が全部埋まっちゃったよ。
その絶大な人気を思い知りながら、私は葵先輩に質問した。
「葵先輩が学食を利用するのは初めてですか?」
はっ。つい葵先輩って呼んじゃった……けど、まあいいよね。
弟の彼女の特権ってことで、女子の皆さん、許してください!
「ううん、前に何回かあるよ。でも久しぶりだね。普段は漣里がお弁当を作ってくれるから」
「え」
聞き耳を立てていた私の隣の席の女子がつい、といった感じで声をあげ、はっとしたように口を閉ざした。
でも、葵先輩は気にした風もなく、優しく微笑んだ。
「そうなんだよ。僕の弟はこう見えて料理上手なんだ」
「それは言い過ぎだ。普通だって」
「えー、なんだか意外。弟くん、お弁当作ったりするんだ……」
葵先輩の微笑みで発言権を得たを思ったらしく、女子は漣里くんを見つめた。
どうやら彼女の耳にも悪評は届いているようだ。
実物は悪評と全然違うじゃん、とでも思っているのかもしれない。
「変な噂を聞いたりしてるかもしれないけど、漣里はそういう子なんだよ。とても良い子なんだ」
「やめろ気色悪い」
「で、この通り照れ屋」
「あはは。えー、ほんとに意外」
会話に加わっていない他の女子も、私たちの席に注目している。
正しくは、葵先輩の発言、一挙手一投足に。
「わざわざデート中に乱入したのは、深森さん、君にお礼を言いたかったからなんだ」
「え、私ですか?」
思い当たる節がなく、私は口の中の野菜炒めを飲み込み、首を傾げた。
「うん。漣里がやっと重い腰を上げて、汚名をすすぐべく動き始めたのは、君のおかげでしょう。僕が兄だからだろうけど、僕の前で漣里を悪く言うような子は誰もいなかったし、聞いても知らないとごまかされるばかりで、歯がゆかったんだ。かといって、漣里は僕に助けを求めるどころか、気にしなくていい、俺も気にしてないって、その一点張りなんだよ。ずっとこのままなのかなって心配してたから、君には感謝してるんだ、本当に。ありがとう」
「いえ、そんな、私は全然」
軽く頭を下げられ、私は大慌てで両手を振った。
皆が見てます!
あの葵先輩に頭を下げさせるなんてあいつ何様だって視線が突き刺さってます!
近くにいる生徒はやり取りが聞こえるからわかってくれてるけれど、遠くにいる女子生徒の視線の痛いこと!
「お礼もしたいし、また家に遊びに来てよ」
「はい。ありがとうございます」
『家に遊びに行く』というフレーズのせいで、近くにいた女子たちの眼差しまでも殺人的なそれに代わったけれど、精神衛生上スルーを決め込み、私たちは和やかに微笑み合った。
傍観していた漣里くんが、少しだけ不思議そうな顔で、葵先輩を見る。
「兄貴、噂のこと気にしてたのか?」
その問いかけに、葵先輩はとっても怖い笑顔を浮かべた。
あ、怖い。本当に怖いです葵先輩。
漣里くんも解き放たれた暗黒のオーラに恐怖を覚えたらしく、ちょっと引いてる。
「お前はどこの世界に弟の悪評を笑って聞き流せる兄がいると思ってるんだ?」
「すいません」
漣里くんが頭を下げた。
恐怖故か、非常に珍しい反応をした漣里くんに、葵先輩が怒りのオーラを解き、苦笑する。
「もっと僕を頼ってくれてもいいんだよ、漣里。何もしなくていいって言われるのも寂しいものなんだから」
「……ごめん」
「わかればよろしい」
葵先輩は頷いた。偉そうな口調とは裏腹に、とても優しい笑顔を浮かべて。
「深森さんとの出会いは本当に良い意味で漣里を変えたと思う。僕は僕なりに弟の名誉挽回に努めるから、面倒をかけるかもしれないけど、引き続きよろしくね」
「はい。それはもちろんです。面倒なんてとんでもないですよ」
私は微笑んで頷いた。
周りで話を聞いていた女子たちも、何やら目だけで会話している。
葵先輩にここまで感謝されるなら、私たちも噂の撤回に尽力しよう、とでも思っているのだろうか。
動機はともかく、協力者が増えるに越したことはないし、そうだったらいいな。
「やっぱり、兄弟っていいねぇ」
昼食が終わり、葵先輩と別れた後、私は漣里くんと廊下を歩きながら言った。
短い会話だけでも、葵先輩がどれだけ弟思いなのかはよくわかったし、なんだかんだ言って、漣里くんも葵先輩を信頼している。
葵先輩と漣里くんって、理想的な兄弟関係だと思う。
「兄貴がほしいわけ?」
「うん。いいよねー、葵先輩みたいなお兄ちゃん、理想だよ。優しくて包容力があって、頭も良くて、美人。もう非の打ちどころがないもん」
「じゃあ真白が俺と……」
漣里くんはごく自然な口調でそこまで言ってから、自分が何を口走っているのか悟ったらしく、不自然に言葉を打ち切った。
失敗したとばかりに顔を逸らしてしまう。
その横顔は赤く、耳まで染まっていた。
皆まで言われずとも、その続きを察してしまった私も、赤面。
「……ごめん。忘れて」
漣里くんはか細い声で言った。
「え、いや、えと……はい」
なんともぎくしゃくとしたやり取りを経て。
以後はお互い、しばらく真っ赤になって無言の時を過ごしたのだった。
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