29:独りには慣れてるから

 私は漣里くんをその場に残し、いったん自分の教室へと戻った。

 漣里くんと一緒に戻っても良かったんだけど、一年生が二・三年棟に来るのは気が引けるかな、っていう配慮。小金井くんがいなかったら無駄足になっちゃうしね。

 幸い、小金井くんはまだ教室にいたため、私は彼を連れて再び一年棟の屋上へと向かった。

「わざわざこんなところへ呼び出して、何かと思えばそんなことか。話したいなら話せばいいだろう」

 漣里くんがこれまで黙秘していた真相を明かしたい旨を打ち明けると、小金井くんは腕組みし、小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「いいのか?」

 実に不遜な態度の小金井くんにも何の不快感も表さず、漣里くんは無表情に確認する。

「そう言ったはずだが聞こえなかったのか? 大体、いくら僕が頼んだとはいえ、何カ月も律儀に黙って自分を立場を悪くするなんて馬鹿としかいいようがないね。婦女暴行を働いただの不良グループを潰しただの、あることないこと騒ぎ立てられて悔しくなかったのか? 君にプライドってものはないのか?」

 人を舐め切った目つきで放たれたこの発言には、漣里くんの隣で黙って聞いていた私のほうが怒った。

「それでも漣里くんが黙ってたのは、小金井くんのためでしょう!?」

「はっ。押しつけがましい言い草だ。そもそも僕はあのとき、君に助けてくれなんて一言も言ってないはずだが?」

 小金井くんは睨んでいる私から目を逸らし、漣里くんを見た。

「確かに、助けてくれとは言われてないな」

「そうとも」

 静かに肯定した漣里くんに、満足げに頷く小金井くん。

「頼んでもないのに割り込んできて、あいつらを殴ったのは君の判断だろう? そのせいで他人から誹謗中傷を受けようと、僕の知ったことじゃないね。完全に自業自得じゃないか」

 小金井くんが頭を振る。

「むしろ僕は被害者だ。君の短絡的行為によって、僕はいまでもあいつらにつきまとわれてるんだ。いい迷惑だよ、全く」

「……余計なお世話だったとでも言いたいの?」

 私はきつく手を握りしめた。

 怒りの炎が胸中で激しく燃え上がる。

 漣里くんは虐められていた小金井くんを庇って野田くんたちに立ち向かい、これまでも小金井くんのために黙って耐え忍んできたのに。

 よりにもよって、庇われていた張本人がそれを全否定し、あまつさえ馬鹿にするなんて許せない。

 漣里くんと知り合う前、私のクラスでも、漣里くんのことは何度か話題に上がったことがある。

 平気で人を殴る不良。女子に手を上げる男なんて最低だよね。

 女子たちがそんな話をしていると、小金井くんは「他人のゴシップに構う暇があるなら勉強したらどうだ馬鹿ども」と、実に辛辣な口調ではあるけれども、遠回しに漣里くんを庇うような発言をしていた。

 だから、真実を知ったいま、小金井くんは漣里くんに感謝していたのかななんて思ってたけど、違ったの?

 あの発言には意味なんてなくて、ただうるさい女子たちの口を封じられればそれで良かったの?

「ああそうだよ。全て君が勝手にやったことだ」

「ふざけないで! 漣里くんはあなたを助けるために――」

 怒り心頭に発した私は彼に詰め寄ろうとし、漣里くんに腕を掴まれて止まった。

「もういいよ真白。ばらしていいっていう確認は取れたんだから、それでいい」

「でも!」

「言い争いに来たわけじゃないだろ。あいつの言う通り、あのとき割って入ったのは俺の意思だから。俺の行為が元で野田たちに恨まれて、つきまとわれて困ってるなら、逆恨みされても仕方ない」

「…………」

 到底納得いかずに、唇を噛む。

「話はそれだけか? くだらないことで僕を煩わせないでくれ。君たちみたいな頭の悪い暇人とは違って、忙しいんだよこっちは」

 小金井くんはそう言うなり、さっさと屋上を出ようとした。

 私の隣を通り過ぎた彼の背中に向かって、声をかける。

 怒りを消した、落ち着いた声で。

「ねえ、小金井くん」

「なんだ。まだ何か――」

 面倒くさそうな顔で振り返った彼の瞳を、私はひたと見据えた。

「あなたは確かに秀才なのかもしれない。入学からずっと誰からも称賛されて然るべき成績を誇っているのかもしれない。この前のテストも五十鈴に次いで学年二位だったもんね。その努力は素直に凄いと思う。尊敬する」

 成績で比較するなら、彼は学年上位、対して私は良くも悪くもない中間層。いや、理数系科目は中間ぎりぎりといったところだ。

 価値観が成績の一点のみで固定されている彼の目には、私なんて有象無象の一人としか映らないのかもしれない。

「当然だろう」

 小金井くんは得意げに笑ったけれど、私は微塵も笑い返したりはしなかった。

 ただ、思いのままを何の感情も挟まず告げた。

「あなたはとても優秀だけど、とても可哀想な人だと思う。自分の立場を悪くしてでもあなたを庇った漣里くんの思いがわからないなら、人の心がわからないなら、あなたの傍にはきっと誰もいられない」

 その言葉は、クラスメイトから煙たがられ、孤立している彼の心に届いていただろうか。

「…………」

 小金井くんは表情を消し、無言で屋上を出て行った。



 少し言い過ぎただろうか。

 時間の経過と共に冷静さを取り戻した私は、悶々とした気持ちを抱えながら昇降口を出た。

 昇降口から校門までは少々距離がある。

 その間を歩く生徒たちは、不良と名高い漣里くんはもちろん、その隣を歩く私にも、多少の好奇を含んだ視線を注いでいる。

 でもいまの私は、その人たちの視線も、ひそひそと囁き合う声も、構う余裕がない。

「……小金井は何か色々言ってたけど、ひねくれてるだけで、根はそんなに悪い奴じゃないと思うから」

 沈黙の果てに聞こえてきた声に、私は唖然とした。

 漣里くんは微妙に気まずそうな顔をしている。

 あれだけ言われたのに、漣里くんは小金井くんを庇うんだ。

 私が知らないだけで、何か庇うに足る理由があるの?

 いや、それでも……。

「……漣里くんは人が良すぎるよ」

 私は唇を尖らせた。

 私だってちょっとは言い過ぎたかもしれないけど、でも、彼氏を悪く言われて怒るな、なんて無理な話だ。

「なんであれだけ言われて怒らないの。クラスメイトにも邪魔だとか言われたんでしょ。ちゃんと怒ったの?」

「……いや」

 漣里くんは逃げるように目を逸らした。

「もー! 自分のことなのになんでそんなに他人事なの? 漣里くんはもっと自分の感情を表に出すべきだよ。ずーっと庇ってた相手にあんなこと言われて悔しくないの? 私は怒鳴りつけてやりたかったよ! クラスメイトに邪魔だって言われたときだって、もし私がそこにいたらきっと怒ってたよ」

「……。怒るとか、面倒くさくて」

 一拍の無言を挟んで、漣里くんは言った。酷く、平坦な口調で。

「空気読んで笑ったりとか。周りの意見に合わせて、自分の意見を殺したりとか。面倒くさいんだ。社会に出たならともかく、学生でいる間は学校を卒業するまで、いや、もっと短い奴はクラスが替わるまでの付き合いだろ。中学ではそれなりに付き合ってた奴だって、いまはもうろくに話さない他人だ」

 そういえば、漣里くんって、中学の友達にメルアド変更を伝えようとして、メールがあて先不明で跳ね返ってきたことがあるんだっけ。

「小学生の時から、もっと協調性を大事にしろって通信簿にも書かれてたけど。協調性って、そんなに大事なものかな。人付き合いなんてただ煩わしいだけじゃないか」

 夕闇が下りて、辺りは薄暗い。

 空には紺色とオレンジ色のグラデーションがかかっている。

 校門の両脇には見送りのための教師が立っていて、生徒が「さよーならー」と声をかけたりしていた。

「気を付けて帰りなさい」

 微笑んでそう言ってくれた女性教師には、会釈だけしておく。

 その間も、ちゃんと漣里くんの言葉は聞いていた。

「俺が何をしようと勝手に人は評価するし、言いたい奴には言わせておけばいいって思ってた。俺に関する酷い噂も、クラスメイトに邪魔だって言われたことも、本当に、真白が心配してるほど堪えてないんだ。また外野が何か言ってるなって、その程度」

 校門を出て、漣里くんは最後に締めくくった。

「独りには慣れてるから」

 それなりに長く続いた台詞は、そんな悲しい言葉で終わった。

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