25:リア充爆発しろ!
昼食が終わって五分後、昼休憩中。
私は特別棟の屋上で、その光景を見ていた。
「失礼なこと言っちゃって、ほんっとにごめん! 悪かったです、このとーり!!」
みーこは頭を下げ、硬く目を閉じ、顔の前で両手を打ち合わせた。
ぱんっと、小気味良い音が屋上に響く。
みーこが漣里くんに謝罪する場所として、私たちの教室がある教室棟ではなく特別棟の屋上を選んだのは、そもそもここが立ち入り禁止で、誰かが来る確率がほぼ確実にゼロだから。
そうじゃなければ漣里くんは来てくれず、謝罪は放課後まで延期になっていただろう。
私は気になることがあるとずっと考えてしまうタイプだし、何よりこの件は一刻も早く解決したかったから、漣里くんが応じてくれて良かった。
「別にいい」
路地裏での私の再現のように、平謝りするみーこに、向かいに立つ漣里くんは無表情。
私にはそれが地なのだとわかるけれど、みーこには怒っているようにしか見えないらしく、彼女はさらに言葉を重ねた。
「気が済まないなら一発殴ってもいいよ? 大丈夫! 私柔道部だし、趣味で鍛えてるから遠慮は無用! ヘイカモン!」
「人の話を聞いてくれ。さっきからずっと気にしてないって言ってるだろ……」
こいこい、と両手で胸を仰ぐような仕草をするみーこに、漣里くんは若干呆れ顔。
「俺は女に手をあげるような最低な奴にはなりたくない。真白の友達ならなおさら、絶対無理」
「それじゃ私が申し訳なさ過ぎるんだってば。成瀬くんにはもちろん、真白にもさ。ほんとに殴ってくれていいんだよ? 私だって彼氏が三回も浮気したときはブチ切れて往復ビンタからのボディーブロー、とどめに後ろ回し蹴りで沈めたもん。今朝の私の発言はそれくらい酷いものだったよ、自覚ある。だからどーぞ!」
「いや、ほんとにいいって……なあ、笑ってないでどうにかしてくれ」
「あ、ごめん、笑ってた?」
私は口元を手で覆い隠した。
二人とも私にとって大好きな人。
その分、今朝の漣里くんに対する誤解と偏見に満ちたみーこの暴言は本当に悲しかった。
だから、みーこが私の説得に応じて認識を改め、漣里くんに謝ってくれて、とっても嬉しくて、自然と笑っちゃうんだよ。
まるで心の中に火が灯ったように暖かい。
良かった。
誤解が解けて、本当に良かった。
でも、疲れさえ滲んでいる漣里くんの顔を見るに、呑気に笑っている場合ではないらしい。
私はみーこの隣に並び、その肩を叩いた。
「みーこ、漣里くんは本当に気にしてないみたいだから、その辺で」
「えー、でもー……それじゃあこれの出番かな……」
みーこは大いに不満げな顔をした後、屈んだ。
足元に置いていた自分の鞄を漁り、「じゃかじゃん!」とみーこが効果音つきで必殺アイテムのように掲げたそれを見て、ぴくりと漣里くんが反応する。
みーこが高々と掲げてみせたのは、購買部で売っているチョコデニッシュ。
ただのチョコデニッシュではない。
なんとこのパン、一日十個限定の超激レア商品。
食べた人間は例外なく絶賛し、一口で涙を流す生徒までいるとかなんとか。
いつも数秒で完売してしまうため、購買部に一番近いクラスの生徒に頼むか、もはや購買部のおばちゃんを買収するしかないと言われているほど入手困難な代物。
「真白に聞いたんだけど、成瀬くんって甘いもの好きなんだよね? これでチャラになるかな?」
「なる。殴るとかそんなのより全然なる」
漣里くんは台詞に合わせて二回、首を縦に振った。
食いついてる。超食いついてる!
漣里くんがどれだけ甘党が知っている私は、笑いを堪えるのに必死。
きっとこのパン、すっごく食べてみたかったんだろうなぁ。
「じゃあどうぞ、ご遠慮なく」
「どうも」
受け取るときも漣里くんは無表情だったけど、背後にはたくさんの花が咲いていた。
あ、駄目だ、笑っちゃう。
笑わずにはいられない!
「大変だっただろ、入手するの」
「んーん、それほどでも」
「そんなこと言って、みーこ、昼休憩に入った瞬間に窓から飛び降りたじゃない」
「飛び降りた……?」
漣里くんが珍妙な動物でも見るような顔をした。
私の教室が二階にあることを、漣里くんは知っている。
パンを買うために平気で二階から飛び降りる女子なんてそうそういないだろう。
むしろいたら駄目だと思う。
「闘牛もびっくりしそうな速さで走って行ったよね。気づいたらもう視界から消えてたもん」
「まあねー。勢い余って二人ほど轢いちゃった」
「轢いたのか……」
「あ、だいじょぶだいじょぶ。ちゃんと蘇生はしておいたから」
「蘇生……?」
若干引き気味の漣里くん。
あっはっは、と快活に笑って、みーこは話題を変えた。
「ところでさー、成瀬くんが野田を殴ったってのは事実なんでしょ? あのガタイのいい野田をぶっ飛ばすなんて凄いよねぇ。格闘技でも習ってたの?」
「兄貴が昔、習ってて。教えてもらった」
「そうなんだ?」
これは私も初耳だった。
「ああ。俺より兄貴のほうが化け物」
漣里くんが頷く。
兄貴、というのはもちろん、響さんのことだろう。
葵先輩がもしかして……とは、露ほども思わなかった。
葵先輩に暴力なんてちっとも似合わない。
例えば桜の散る月明かりの下、着物姿で日本庭園に佇むとか、そういう雅な風景のほうが断然似合う人だもの。
どう考えたって暴力とは無縁の人だよね……そういえば一回だけ、下品な発言をした響さんの頭をはたいた現場を目撃したけれど、あれは例外中の例外。
あんな華奢で美しい人、誰かに殴られたら軽く吹っ飛んじゃうよ。
うん、暴力なんてダメ、絶対!
「中学のときに女子を階段から突き落としたっていう噂は嘘なんだよね? でもそれ私、ほんとにそうだって成瀬くんと同中の後輩から聞いたことがあるんだけど」
「ああ、それはふられた女の腹いせ」
「へ?」
「え?」
気になって、みーこと一緒に漣里くんを見つめる。
漣里くんは手品の種明かしでもするように、実に簡単に話してくれた。
「学校で一番可愛いとか言われてた女子に呼び出されて、屋上で告白されたんだけど、俺は好きでもなんでもなかったから断った。そしたら勝手に階段から落ちて転んでて、俺のせいにされたってだけ」
「な!?」
耳を疑う真相に、私は口をあんぐりと開けた。
「はあ? なんじゃそりゃ、とんでもない女子もいたもんね」
直情型のみーこもこれには立腹したらしく、柳眉をつりあげた。
「成瀬くんは否定しなかったの?」
「最初のうちは。でも、そいつ、外面だけは天使だったから。友達も多かったし。男も女もそいつの言いなりで、別のクラスの奴まで味方につけて、徒党を組んで悪者にされたら、太刀打ちできなかった。だんだん付き合うのも面倒くさくなって、もう好きに言えばいいと思って」
「……で、事実は捻じ曲げられ、ありもしない過去が捏造された、と……」
淡々と説明する漣里くんに、みーこは額に手を当てて、ため息をついた。
「気持ちはわからないでもないけど、そこは頑張ろうよ。全力で否定しようよ。それをさぼったおかげで、女子の間じゃ有名な話になっちゃってるよ? 私だって信じてたし。その噂だけじゃなくて、他にも酷い噂が流れてるってのに、ほんとに成瀬くんはこのままでいいわけ? 野田を殴ったのだって誰かのためなんでしょ?」
「いいよ」
「…………」
漣里くんの肯定に、みーこは黙り込んだ。
本人がいいのなら部外者が口を出す筋合いではないと思っているのだろう。
でも、正義感が強く、曲がったことを嫌う彼女の顔には抑えきれない不満が滲んでいた。
漣里くんはなんとも思ってないような無表情だけど、でも、そんなわけない。
濡れ衣を着せられて、複数の男女に非難されて、それはそれは傷ついたはずだ。
「……漣里くんに告白した子って、この学校にいる?」
固く手を握り締めながら尋ねる。
「いや、別の学校」
「……そう。残念……ここにいたら、いますぐにでも漣里くんの前に連れてきて、土下座させるのに」
限りなく低い声で、ぼそっと呟く。
「や、やだあ。真白さんってばこわーい」
私が怒り狂っていることが伝わっているらしく、みーこが引き攣った笑顔を浮かべて一歩引いた。
漣里くんも私がここまで怒るとは思っていなかったらしく、意外そうな顔。
だって、同じ女子としても、何よりも彼女としても、本当に許せない。
その子は一体どういう神経してるの?
外面は天使でも、中身は最低じゃないの!
胸の底からマグマが沸き立っているように熱い。
手のひらの皮膚に爪を立てても、私の怒りは収まらなかった。
「……俺、女が嫌いだった」
突然の漣里くんの告白に、私は戸惑った。
手から力を抜き、耳を傾ける。
「昔から、目つきが悪くて怖いとか、無口でつまらない奴とか悪口言われて、敬遠されてたし。それでも寄って来るのは全員顔目当て。中学のときのその事件が決定打だった。それなりに仲良かったはずの奴まで汚物でも見るような目で見てきたし、放課後には複数の女子に囲まれて女の敵だとか罵倒されたし、皆こんなもんなのかって失望した」
「それはそうだよ……そんなことされたんじゃ、嫌いになって当たり前だよ」
深く同情して、俯く。
女性不信になったっておかしくないほど、漣里くんの過去は酷い。
漣里くんが悪評にも何も言わず、じっと押し黙ってるのも、その一件のせいで慣れて、諦めちゃってるからなのかな……。
漣里くんの心境を思うと、なんだか泣きそうになってしまった。
そんなのやだよ。
私はどうにかしたいよ……。
「誰とも付き合う気なんてなかった。真白に会うまでは」
「え」
足元のコンクリートから、漣里くんへと視点を移動する。
「真白は俺の中身を見てくれた。いまも俺のために本気で怒ってくれてる」
小さな風がさらりと漣里くんの髪を揺らした。
漣里くんの口元が緩む。
その思いがけないほど優しい、仄かな笑みに私の胸が大きく跳ねる。
「だから、好き」
あまりにもストレートな告白に、私の顔はぼんっ!! と火をつけたように熱くなった。
……れ、漣里くんは照れ屋なのに、たまに破壊力抜群の殺し文句を言ってくることがある。
大抵は不意打ちだから、私はいつも振り回されっぱなしで。
顔から湯気が出ているような気がする。
この暑さは絶対、太陽のせいなんかじゃない。
みーこ、口笛吹かないで! 茶化されたら照れ死にするから!!
「そ、そうですか……それはあの、光栄です」
私は冷凍マグロのようにカチコチに固まり、ぎくしゃくとお辞儀。
漣里くんの台詞のおかげで、私の怒りや物思いはどこかへ吹き飛んでしまった。
多分、そのために言ってくれたんだよね……あああ恥ずかしい! 嬉しいけど照れます!!
「で、でも、私のほうが漣里くんのこと好きだからっ! 私のほうが漣里くんのこと好きな自信あるものっ」
私は恥ずかしいやら照れるやらで、目をぐるぐる回しながら両手を振った。
「いや、俺のほうが」
「いやいや私!! だめ、そこは絶対譲れない!!」
「………………」
漣里くんの顔が赤くなったことに気づいて、恥ずかしさはもはや臨界を超えた。
二人して真っ赤になって俯いていると。
「あーもうリア充どもめ爆発しろぉぉぉ!!!」
私と漣里くんは、浮気性の彼氏と絶賛絶交中のみーこに泣きながらどーんと突き飛ばされたのでしたとさ。
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