第27話 西ローマ帝国将軍アエティウスの説得

ハルドゥーンの顔色も変わっている。

「阿呆めが・・・・」

アッティラとアエティウスは、並んでシャルルとメリエムの前に立った。

「その通りだ、このメリエムも、あいつに見せないほうがいい」

ハルドゥーンの顔は、真剣というか怒りに満ちている。

普段は柔和なハルドゥーンである。

しかし、今は、まるで鬼のような、真っ赤な顔になっている。

「自分の意に沿わない者は、全て殺してしまう・・・」

「相手に理があろうが、なんだろうが・・・」


「ハルドゥーン!」

「何とかして!」

メリエムが悲鳴を上げる。


ラッパが大きく鳴り響く中、元老院議員の集団の後ろから、30人ほどの兵士がゆっくりと歩み寄ってくる。

いずれも、西ローマ軍の正規な軍装に身を包んでいる。


群衆から、どよめきと、あちらこちらから悲鳴が聞こえてくる。


「市民は、皆知っている」

「あいつのあの笑顔は、殺戮のサイン」

「ほぼ、全てが武器を持つものの、持たないものへの攻撃ではあるが・・・」

アエティウスも、その表情を固くする。

今さらながら、軽装で坂を降りてきた自分自身の短慮に、腹が立つ。


「このアッティラまで、ここで始末してしまうというのか・・・それとも、そこまでの計算もないだろうか」

アッティラの表情は厳しくなっている。


「いや、あのヴァレンティウスは、そこまでは、頭が働かない」

「人気の高いシャルルとやらを、呼びつけたのに、すぐに応じなかった」

「シャルルの体調不良もあるが、そんなことを考える男、配慮する男ではない」

「単なるメンツが傷つけられたこと、それに対する怒りだけだ」

「ガイウスに対して、そして騒ぎの本人たるシャルルに対して・・・」

アエティウスは、唇をぐっと噛んだ。



ハルドゥーンの脳裏に、ヴァレンティウスの血塗られた剣と、驚くような眼をして、血まみれで喘いでいる男女の顔が浮かんだ。

それも、もう10年も経っていることではあるが・・・


「犠牲・・・ローマ皇帝のための犠牲・・それは永遠の命を持つ・・・

そんな下らない理由・・・そのために・・」

「ただ、自らの刃に斃れる悲鳴を聞きたいなどと言う・・・こともあろうに・・・」

「ほんの気まぐれで・・・有力な協力者まで、謀反の疑いをかけ・・・」


ガタガタと震え、泣きじゃくる幼い娘を抱きかかえて、必死にローマの坂を駆け下りる自分自身の姿・・・

全てが走馬灯のように、去来する。


「メリエム・・・」

ハルドゥーンは、それ以上の言葉を発することが出来なかった。



「俺が出るしかないだろう・・・」

アエティウスは、一歩前に出る。


既にシャルルとローマ兵の間には、30メートル程の距離しかない。

ヴァレンティウスは、輿に乗ったまま、満面の笑顔である。

位置は、先程と変わっていない。

ただ、満面の笑顔が、かなり赤くなっている。

左手には酒瓶、右手にグラスを持ち、笑顔のまま、成り行きを見つめている。



「お前たち・・・」

アエティウスは、静かにローマ軍団に声をかけた。

静かな声ではあるが、ズシリとした迫力がある。

軍団兵も、じっとアエティウスを見つめる。

「皇帝の命か・・・それならば致し方ないが」

「この俺に少し時間を与えてはくれないか」

ローマの猛将アエティウスにしては、丁重な話しぶりでもある。

ローマ軍団も、つい先程までは、アエティウスの部下であった。

軍団の眼には動揺が走る。


「ここで、混乱を起こすべきではないのだ」

「これほど多くの市民に囲まれていること」

「何よりも、アウグストゥス様の霊廟の前、このローマの聖地において」

「平和と安定の礎となった、神聖なるアウグストゥスもお嘆きになる」

「そして、この、シャルルの身体については、アエティウスに任せてもらいたい」

「そのための、準備の時間が欲しいのだ」

アエティウスは、静かに淡々と語り続ける。


「そして、後ろにいるハルドゥーンやアッティラの戦闘力については、残念ながら現在のお前たちのそれを、完全に上回っている」

「少なくとも、お前たちに剣を向けられた以上、このアエティウスはお前たちの指揮は取らんぞ」

「それでも、この俺に加えて、お前たちは、東ローマの猛将ハルドゥーン軍団とアッティラ大王の軍団に勝てると思っているのか?」

アエティウスの眼が厳しく光った。


「この状態で、戦闘が一旦起これば、ヴァレンティウスの命も無い、全く保証できない」

「当然、お前たちもな」

アエティウスの厳しい言葉に、軍団兵の眼には、怯えが走っている。

既に、ハルドゥーンの軍団も、アッティラの軍団は剣や、弓を西ローマの軍そしてヴァレンティウスめがけて構えている。


アエティウスは間髪入れず、続けた。

「俺の言うことの真実は、お前たち自身が、承知であろう」


軍団兵の膝が、ガクガクと震えだした。


「それに、お前たちが相手にするのは、このおれと眼の前のハルドゥーンとアッティラの軍団だけではない」

膝をガクガクと震わせたローマ軍団に、更に追い打ちがかかる。


「よく、左右、後ろを見るがよい。」

アエティウスの声は大きく響き渡る。


西ローマ軍団近衛兵全員の身体が硬直した。

いつの間にか、取り囲んだ群衆の前に、いつの間に加勢されたのか、東ローマの正規の軍装に身を包んだ数百人を超える軍団や、フン族の大軍が西ローマ帝国皇帝ヴァレンティウス、元老院議員そして西ローマの軍団近衛兵を取り囲んでいるのである。


「戦争の実務を多少なりとも積んだ人間あるならば・・・これで敗北を悟るのであるが・・・」

しかし、アエティウスは、やや呆れ顔になった。

視線の先には、西ローマ皇帝ヴァレンティウス。

相変わらず、酒瓶とグラスを振り回して、笑い転げている。

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