第4話 フィレンツェでの宴席
星空をじっと見つめていたシャルルが、ようやく口を開いた。
「わかりました」
「シャルルは、人の頼みや期待は、応えることにしています」
いつもの柔らかな笑みを浮かべている。
聖職者たちに、安堵の表情が広がった。
ここで、シャルルを宴席に連れて行かなければ、フィレンツェやミラノの宗教界や、今後の経済界からの献金の額にも悪影響が出ると思い、内心は、冷や冷やしていたのである。
しかし、シャルルの次の一言は、聖職者たちに、新たな不安を与えることになった。
「是非、このハルドゥーンの集団の皆様も宴席に加えていただきたい」
「ミラノからここまで、野盗にも襲われず、無事に到着できたのは、この人たちに護られていたからなのですから・・・」
シャルルは、相変わらず柔らかな笑みを浮かべている。
この一言には、聖職者たちだけではなく、ハルドゥーンもまた困惑の色を隠せない。
「ジプシーの身分で、一般市民、街の有力者ましては聖職者の方々と、同席するなど、ありえないことで・・・」
ハルドゥーンがシャルルの耳元でささやく。
「大丈夫、これに問題があれば、主なる神が応えるはず」
しかし、シャルルは、何も気にする様子もない。
ハルドゥーンは少し腕組みをして考え込んでいた。
「わかりました」
「迷惑はお掛けしません」
ハルドゥーンは、しばし考えた後、シャルルにウィンクをした。
そして少し厳しい表情となる。
聖職者たちに歩み寄り、何ごとか、話し込んでいるようだ。
「大丈夫、ハルドゥーンにお任せ・・・」
メリエムはシャルルの横に立ち、うれしそうな顔をしている。
しばらくして、笑顔をたたえたハルドゥーンと聖職者たちがシャルルの前に立った。
「では、参りましょう、お待ちかねの場所に・・・」
ハルドゥーンがシャルルに声をかける。
「うん、ありがとう」
シャルルはメリエムと腕を組み、宴席へと向かうことになった。
不思議なのは、聖職者たちのハルドゥーンたちに対する態度の変化である。
ハルドゥーンと話をする前と、今とでは話し方から含めて、かなりの違いである。
ハルドゥーンのつまらない世間話にも、ひとつひとつ、怖れるかのような緊張感を持って、対応をしているのである。
「ハルドゥーン・・・得意のハッタリかお金を包んだのかな・・・」
「純朴な聖職者をたぶらかすなんて、赤子の手をひねるようなものだろうし」
メリエムが、ボソッとつぶやく。
「いや、そうとも言えないよ・・・」
「ハルドゥーンが、最初聖職者たちと、話し込んでいるとき、少し聞こえてきた」
「旧約の話かな・・ヨブとか言っていたけれど・・・」
「ハッタリと見えて、そうではない、ハルドゥーンの神学の知識もかなり深いと思っている」
「おそらく、宴席で何か、勝負をするつもりだと思う」
「神学知識と、ジプシー自慢の商売や音楽や踊りをアピールできる」
「これは、彼にも晴れ舞台なのかもしれない」
シャルルは、うれしそうな顔をしている。
宴席は、広壮豪華としか表現のしようのない屋敷の中に設けられていた。
既に荒廃が始まっているフィレンツェの市街地とは、全く無関係の、古代ローマ帝国全盛時を思わせるような、きらびやかさである。
ハルドゥーンたちの一行は、まったく咎められることもなく、屋敷に迎え入れられた。
フィレンツェの司教は、柔和な顔をしていた。
シャルルと並んで立つメリエムにも、微笑んでいる。
何故かハルドゥーンには、少し頭を下げた。
司教は、大きく両腕を広げ、シャルルを抱きしめる。
「ようこそ、この将来有望な若者を、このフィレンツェへ迎え入れることが出来た」
「これも、主なる神の偉大なお導きであります・・・」
「ありがとうございます」
「私も、このフィレンツェには、かねてから訪れたいと願っておりました」
「これも、司教様のおっしゃる通り、神のお導きと心が震える思いであります」
シャルルも、できる限りの誠意をもって、司教に応えた。
司教は宴席のかなり多数の聖職者たちや、フィレンツェの有力者たちに、シャルルを紹介し、宴会が始まった。
横たわって食事を取る古代ローマからのスタイルである。
豪華としか言いようのない、料理が運ばれてくる。
ハーブとはちみつのドレッシングをかけたアーティーチョークのドレッシングサラダ。
甘味にはちみつを使っている。
グリーンアスパラガスに溶き卵を混ぜて焼いた料理。
オリーブのソースをかけたステーキ。
仔羊のロースト。
月桂樹の葉の上で焼いたチーズケーキ・・・・
「ローマ帝国全盛時には、私有財産から公共に奉仕するということが美徳であり、名誉であると考えられていたものです」
「自分が公共に奉仕する・・結果として、ローマの国力が強くなるということが、最終的に、わが身の安全や、快適な生活をもたらすのですから・・」
「今や、こちらのローマ帝国がほぼ消滅状態であって、いまや奉仕する対象もない」
「ますます富は一握りの上層階級に集まり、それが教会に流れていく」
ハルドゥーンが、耳元でささやく。
シャルルは宴席の中を、メリエムを伴い、歩いている。
聖職者たちや、フィレンツェの有力な経済人、実家の取引先にも、声をかけた。
シャルルの柔らかな笑顔と話しぶり、メリエムの美貌は、声をかけられる人たちに、何か癒しでもあたえているのか、いつのまにか宴席全体が、笑い声に包まれている。
「このような宴席は、珍しい」
「いつも、何か裏の魂胆を持って、駆け引きの応酬だらけで・・・」
「心から楽しめるということはない」
「あの二人の笑顔を見ているだけで、何か幸せになる」
宴席から、口々に声があがる。
「おそらく・・・シャルル様にも、メリエムにも、何の魂胆もなく、駆け引きも無いからだろう」
「何もないということは、実は、かけがえもないほど、豊かなことだと思う」
ハルドゥーンは隣に座る、フィレンツェの司教に声をかける。
「はい・・・」
フィレンツェの司教は、少し緊張した声でハルドゥーンに応える。
「ハルドゥーン様・・それで・・・」
司教は声を低くした。
声は震えている。
「何、あの話か・・・」
ハルドゥーンは、鋭い目で司教を見つめる。
「いや、少し待て・・・」
ハルドゥーンは司教を、制した。
「宴会だろう・・・音楽と踊りは任せてくれ・・・」
ハルドゥーンは両手を叩いた。
少しして、ハルドゥーンの集団の一行の音楽と踊りが始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます