乙女のこころいき

秋保千代子

可愛いではダメ

 学業成就ではなくて安産祈願のおまもりを買ってきたので、「こいつ、字をまともに読めてないわ」と天を仰いだ。

 そして、「わたしは絶対、正しい知識を子どもに伝える教師になる」と、菜々子ななこは固く決意した。



「そういうわけだから、ごめんなさい」

「いや、全然話が通じてないんだけど、菜々子さん?」

 正面には、立襟の学ランを着こんだ男子。名は確か、コガサトシ…… いや、ヒトシだったかタカシだったか。思い出せない。

 少年から青年に移る途中の、生意気さと精悍さを備えた顔だちと長身は、凛々しいと女学校では大変な評判だが、菜々子にとってはそれがどうしたという思いだ。ただ、甘いマスクなだけの、軽い男。

「僕はあなたに、男女としての交際を申し込んでいるんです」

 ほら今も。なんてふざけたことを言っているのだろう。

「都一の女子師範学校で一番の才媛と名高いあなたと、皇都高等学校に通う僕。決して釣り合わないってことはないと思うんだけど」

「そういう問題ではございませんのよ」

 校門を行き交う生徒たちの視線が痛い。レンガ造りの校舎の中から先生方がじっと見守ってきていると思うと、胸が痛い。

 なので、 溜め息を吐いて、一歩踏み出す。

「まもなく授業なの。道を開けてくださる?」



「そうして、また罪なき男を一人、涙にくれさせたと」

「だって、男女交際云々より、授業のほうが今のわたしには大事だわ」

「向こうは、自分の授業を放り出して来ていたんでしょうに。少しはお相手して差し上げなさいよ」

「厭よ」

 女学院と通りを挟んで反対にある茶店。窓の外では、黄色の銀杏の葉が風とダンスしている。西洋渡りのモダンで揃えた店内は、放課後の今、セーラー服の女学生たちで溢れている。その隅っこの席で。

「そうして男をフってばかり。進級してから何人目ですの、菜々子さん?」

「六人目だと思いますわ、馨子かおるこさん」

 やはりセーラー服の二人は陣取り、にやにやと笑いあっていた。

「一ヵ月1人ペースか。やるわね」

 馨子は珈琲のカップをするりと持ち上げ、その中に溜め息を吐き出す。

「わたくしも告白されてみたいわ」

「やだ。馨子だって何人もフってるじゃない」

「菜々子ほどではないわ。それにちゃんと理由があるのよ。わたくしより背が高くて学に秀でていなきゃ厭なの」

 ふふっと笑う馨子は、菜々子より――同じ年頃の少女たちより、背が高い。

 都の公家の出身で、幼いころから薙刀と弓道を嗜んでいたからか、その身体はしなやかに鍛えられており、同性の目から見ても惚れ惚れとしてしまうほど。それでいて、日に灼けていない、真っ白ですべらかな肌だというのだから、本当に羨ましい。花のようなかんばせは憂い顔だって様になる。

 今だってほら、少し眉を寄せて珈琲を飲む姿は、一枚のキャンパス画に描かれた麗しの乙女そのままだ。

「学問のほうは高等学校に通っている男なら簡単に条件を充たしてくれるんだけど、他が…… 皆様、軟弱でいらっしゃるんだもの」

 言っていることは、全然かわいくない。菜々子も吹きだして、首を傾げる。

「身長と腕っぷしが大事なら、いっそ軍人さんから探してみたら?」

「お父様はそのおつもりみたいで、公家で士官している方の釣書つりがきをたくさん持ってきてくださるんだけど。完璧な出会いってないわ」

 この一瞬だけ寂しそうな瞳をした馨子に、菜々子も眉を下げる。

「完璧かぁ。そうね、無いわね」

 頷いて、目をつむる。



――おーい、見ろよ! コイツまた菜々子の影に隠れてんぞ!

――弱虫ー! 泣き虫ー!

 背がバカでかいだけの馬鹿、というのが、一つ年下の幼馴染の少年に対する、生まれ育った里での評価だ。小学校の時分は、子ども同士のいじめによく巻き込まれていた。

 子どもで五月蠅うるさい奴は、菜々子が殴って黙らせていた。

 のんびりとした子ども時代、男の子に混ざって川岸を走り回っていた菜々子だけど、殴り返されることはなかった。学校ではお行儀よく、勉強を完璧にこなしていた彼女は先生のお気に入りで、先生を恐れる子達からしたら手が出せない相手だったし。そもそも菜々子自身の腕っぷしが強いから、皆、手も足も出ないのだ。


――お蔭様で、村の中では嫁の貰い手がないって親に嘆かれちゃったもんね。


 先生に勧められるまま、進学を決意したのが二年半前。

 その伝手で居候の世話をしてくれるといってくれた呉服屋に挨拶に行ったのが二年前。

 しっかりと学を修め教師になろうと決意したのは、入学直前。決意を伝えると、泣き虫の幼馴染は神社でお守りを買ってきてくれた。

 いつでも懐に入れてあるそれを、着物の上からそっと抑える。


――元気にしてるかなぁ。



 やがて、空になってしまったカップを置き、立ち上がる。

「では、また明日」

「ごきげんよう」

 友達同士の気楽なそれから、ちょっとおめかしした口調に変えてから、店の外へ。

 そこには人だかりができていた。

「何かしら」

 輪の中心には、彼女らと同じセーラー服を着た少女と、学ラン姿の男。

 良く耳を澄ますと、揉めているのが――少年が少女を責めているのが分かった。

 来ると言ったじゃないか、こんなつもりじゃなかった、などなど。

「ちょっと。無理やり連れていくことはないのではないかしら」

 ずいずいと人をかき分け、馨子が進み出る。それに菜々子も続く。

 そして。

「あら」

 と菜々子は声を上げた。

「げ…… 菜々子さん」

 視線のあった少年――コガ何某が呻く。。

「わたしに振られるなり、別の方に手をお出しなの?」

 同時に、馨子もくすくすと笑い声を立てた。

「四月には、わたくしにお声をおかけになってましたよね」

「か、馨子さん!?」

 相手は顔を真っ赤に染める。

 馨子は憤然と前に出て胸を張る。

「一人と定めて想い続けられない男はお断りよ」

 きっと相手を睨みつけておいてから。

「お二人とも、行きましょう。相手にすることないわ!」

 菜々子ともう一人の少女の肩を抱いて歩き出そうとする。

「この……っ!」

 拳を振りかぶって、彼は突っ込んできた。

「あら厭ね」

「暴力反対ですわ」

 菜々子は、その懐にするりと潜り込んで、立襟が外れていた前身頃を掴んで。

「せいやぁ!」

 一度背に乗せてから、地面に振り落とした。

 ずどんと石畳の上に背中から落ちて、ぐえと呻いて。彼は白目を剥いてしまった。

「あらやだ、情けない」

 馨子が吹き出す。菜々子は肩を竦める。

「これ、何をしている!」

「あ、お巡りさ~ん! こっちで~す!」

「これが変態で~す」

 伸びた男の袖を掴んでぶんぶん振ると、周囲からどっと声が上がった。



 翌日。

 褒めていいのか貶していいのか分からない、と学校長は頭を抱えていた。

 二人で殊勝に頭を下げた。

 可哀想に、コガ何某は、親にも教師にも「脆弱!」と責められているらしい。



「自業自得よね」

 放課後、また茶店に陣取って、馨子が笑う。

 周囲の同じ学校の生徒たちの視線が苦しい。なんだろう、あの、眩しいものを見るような視線は。

「菜々子さんったら、男だけでなく、女の子のお心も掴んでおいでのようよ」

「冗談はやめて……」

 卓に突っ伏す。馨子のしなやかな手が長い髪の先を梳いてくれた。

「早く、お一人を決めればいいのよ。そうしたら、言い寄ってくる男なんかいなくなるわ」

「他に有効な防御策はないかしら?」

「あら。男女交際をしたくないから断っているの?」

「そういうわけでもなくて……」

 うう、と呻いて、じっとりと馨子を見上げる。

「仕方ないじゃない。わたしより強くなってくれなくちゃ、恋人になんかなれないわ」

「……あら、まあ」

 と、馨子が目を丸くした。

「もう思い定めている方がいらっしゃったのね。初耳だわ」

「だって、初めて言ったもん」

「そう」

 柔らかく細められた瞳が苦しい。ごん、ともう一度額を打ち付けて、菜々子は溜め息をついた。



 漢字もまともに読めない、二桁の足し算でさえ間違うことがあるくらいだけど、根が優しい。

 自分をなじってくる男の子たちの気持ちも、世話を焼きたがる女の子たちの気持ちも理解できてしまって、だから泣いていてばかりだったのが彼だ。

 そんな彼が菜々子は好きだし、彼も菜々子が好きだし、それで全然良かったはずなのに。


「菜々子が先生になったらさ。オレ、牛を追っかけて畑を耕しているだけじゃ駄目だよね」

 里を出る前の晩、そう言って泣き笑いの顔をしていた。

 綿のつぎはぎだらけの作務衣を着て、部屋の隅っこで、しゅんと項垂れていた。

「誰よりも菜々子が認めてくれない」

 それに何も言い返せなかった。

 愛しくて愛しくて仕方がない彼。だけど。だからこそ。可愛い可愛いと頭を撫でる、弟分のままでいてほしくなくなってしまった。

 菜々子だって乙女だ、強い男性に守られてみたいのだ。

 そんな我儘さえも、菜々子がはっきりと自覚するよりも早く、察してしまっていた彼は。

「だから、オレも、頑張るから」

 そう言った。言い切った。

「頑張って、どうなるの?」

「強くなるの」

 へへっと鼻の頭を掻く彼を、初めて、両腕で抱きしめて、抱きしめ返された。


 菜々子が進学した一年後、彼は陸軍への入隊を決めた。それはきっと、強くなるという目標のために。

 ならば、菜々子も黙って待つしかない。

 二人が笑って恋人と名乗れる日を。



「贅沢、ではないわよね」

 顔を上げて呟くと、馨子が首を傾げた。

「何が?」

「恋人に完璧な条件を求めるのは」

「そんなことないわ。妥協しないのが、乙女の心意気というものよ」

 視線を合わせ、笑う。

「お互い、悩みが深いわね」

「わたしは、彼が強くなるのを待つしかないのよ」

「わたくしは、条件を完璧に充たした方との出会いを探すわ」

「絶対に叶えなくちゃね」

 きゅっと唇の端を上げて頷きあって。決意を新たに。


 ―― ねぇ、颯太。信じているよ。

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