30

 ティアナは、昨日買ったばかりの万年筆の箱を抱えて朝から庭園の方にいた。その顔は快晴の空とは裏腹に、どこか晴れない。

「これ、どうしましょうか。もし、受け取ってもらえなかったら落ち込んでしまいますね」

 箱を見下ろしながらティアナはそう零す。

 今までのヴァレッドの態度を考えれば、受け取ってもらえないということはないと思う。しかし、ヴァレッドはああ見えて義理堅い人間だ。大事にしたいと思える人がティアナの他に出来たのなら、その彼女のことを思って受け取らないと言うことは十分に考えられた。

 ティアナは自分の手の中にある箱を見下ろして、小さく息を吐いた。

「おかしいですわね。レオポール様との時はこんな気持ちにならなかったのに……」

 そんな時、ティアナの耳朶に聞き覚えのある声が届く。

「こんにちは、ティアナさんー。またまた偶然だねぇ」

「ジスさん!」

 ティアナが顔を上げると、そこにはへらりと笑うジルがいた。相変わらず赤い外套にサングラスと、異様な格好である。この人が巷で噂の人気小説家とは誰も思うまい。

 ジスは庭園に置かれてる円卓の上で何かを書いているようだった。隣にある積みあげられた紙の束はそこら辺の石で飛ばないようにと押さえている。ティアナはジスに近づきその紙を覗き見た。

「何をしてらっしゃるのですか?」

「んー。執筆かな? そろそろちゃんと【魔法使いと異国の姫君】シリーズも続きを書かないとって思ってねぇ。あと、新作の案もいくつか。色々あって最近書けなかったんだけど、その問題もなんとかなりそうな雰囲気だからさぁ。ま、これは俺の希望的観測も入っているんだけど!」

 そう言ってにっこりと笑うジルに、ティアナは先ほどまでの憂いていた顔を取り払って喜んだ。

「まぁまぁまぁ! 本当ですか!? あれから二人がどうなるのか、私もとても楽しみにしていましたの! あぁ! 早く本にならないかしら! 完成はまだ先ですか!?」

「そうだねぇ、もう少しかかるかも。……ティアナさんは本当に【魔法使いと異国の姫君】シリーズ好きだねぇ」

 ほくほくとした笑みを浮かべながらジスがそう言うと、ティアナは胸の前で手を組み、頬を染めながら一つ頷いた。

「はい! とっても大好きです! 新作の方も楽しみにしていますね! 新作はどんなお話の予定なんですか!? もし良かったら触りだけでもお話しいただけたら嬉しいのですが!」

「それが、アイディアが纏まらなくてねぇ。色々書いてボツにしてるうちにインクが切れちゃって……」

 手に持っている万年筆を振りながらジスはそう苦笑いを浮かべる。ティアナは彼の持っている万年筆に目を留めると、あっ、と声を上げた。

「それは、もしかしてエルサさんのところの万年筆では!?」

「そうそう!! ここの万年筆使いやすくてねぇ。愛用してるんだよ。欠点としてはとても書きやすいから色々書いちゃって、インクがすぐになくなることかな? 本当はもう一本買っておきたいところなんだけど、あそこの商品、質が良いから高いでしょ? だから二の足踏んじゃってー」

 まるで大事なものを扱うようにジスはその万年筆を撫でる。その万年筆はティアナが持っているものと同じように、先端に宝石が誂えてあった。その宝石の色は濃い黄色。なんの石なのかティアナには判断は出来なかったが、その輝きからいって、安物というわけではなさそうだった。

「それなら、これを使いませんか?」

 ティアナはそう言って先ほどまでヴァレッドに渡そうとしていた箱を差し出す。その箱をみて、ジスは目を瞬かせた。

「それって、エルサさんのところのかな?」

「はい」

 そう返事をしてティアナはリボンを解いて箱を開けた。

「もし良かったら、なのですが……」

「……それはありがたいけど……。でもこれ、あの旦那さんに贈ろうとしたものじゃないの?」

 ジスはティアナの万年筆を手に取ると、その横に掘ってある小さな文字を指さした。そんな目聡い彼にティアナは苦笑いを浮かべる。

「そうなんですが、実は受け取ってもらえるか自信がなくて、どうしようかと思っていたんです。ジスさんの作品はとても応援していますし、これも大切に使っていただけそうなので、良かったら……」

「うーん」

 箱に万年筆を戻すと、ジスは少し考え込むように唸った。そして顔を上げる。

「やっぱりこれは貰えないかなぁ。貰ったら、君の旦那さんに殺されちゃいそうだもん」

「そんなことはないと思いますが……」

「そんなことあるって! それに、これはティアナさんが一生懸命に彼のことを想って選んだってものだってわかるからさ。俺にはちょっと荷が重いかなぁ」

 へらりとにこやかな顔を浮かべてジスは箱のリボンをもう一度結び直してくれる。そして、ティアナの手に箱を戻すとまるで勇気づけるように一つ頷いてくれた。

「なんでそんな風に思ってるかはわからないけどさ。一度ちゃんと渡してみたらいいんじゃないかなぁ? 恋愛小説家から言わせてもらえば、君たちは実にいい夫婦だと思うよ! それこそ、ジェロとエミリーヌのようにね!」

 【魔法使いと異国の姫君】シリーズの二人の名前を出されて、ティアナは少しだけ嬉しそうに笑った。そして、箱を見つめながら小さく頷く。

「そうですわね。私ちゃんと渡してきますわ」

「そうそう! その意気! それにしてもティアナさんは旦那さんのことが大好きなんだねぇ。なんだっけ? ヴァレッドさん? その人にプレゼントを渡すのに、こんなに臆病になっちゃうんだから」

 ティアナはその言葉に頬を桃色に染めた。そしていつもの元気な笑顔に戻る。

「はい! もちろんですわ! ヴァレッド様はとても素敵な方で、優しくて、尊敬しています!」

「そっか」

「ジスさん、ありがとうございます! 私少し勇気が出てきましたわ!」

 ティアナはいつもの笑顔を取り戻すと、箱を握る手に少し力を込めた。そして、まるで決意を込めるかのように一つ頷いた。

「大丈夫、きっと喜んでくれる。……これは、勇気が出るお守りだよ」

「え?」

 そう言って、ジスはティアナの胸元に淡い緑色のブローチを付けた。真ん中の緑色の宝石を強調したようなデザインのブローチで、それなりに大きい。中心の宝石はなんの宝石かわからないが、キラキラと光り輝いている。

「これは?」

「貰い物でねぇ。でも、きっと君たちをいい方向へ導いてくれるはずだよ。悲しくなってしまうから、いらないなんて言わないでよ」

 ティアナの遠慮を見越した言葉に、ティアナはふっと笑みを零す。

「ありがとうございます。このお礼はいつか」

「お礼は良いよ。じゃぁ、その決意が揺らがないうちに渡してきたら良い」

「はい!」

 そう元気よく返事をして、ティアナは踵を返した。そして、庭園に通じている廊下に上がる。

「まずは、ヴァレッド様を探さないといけませんね! さて、どちらに行きましょうか」

 帰ってきているかどうかも定かでないヴァレッドを探そうと、ティアナは廊下で左右を確かめる。しかし、意外にも早く、もっと言うなら探す必要などなく、ヴァレッドは見つかった。彼は庭園に面した廊下と建物の間にまるで身を隠すようにして立っていた。その不機嫌そうな瞳はじっとティアナの方を見つめている。

 ティアナはそんな不機嫌そうな彼の様子を不思議に思いながらも、ヴァレッドの元へと駆け寄っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る