02

「心配だ……」

 そう零したのはヴァレッドだった。

 彼は執務室で書類にペンを走らせながら眉間を窪ませている。アメジスト色の瞳は不機嫌に細められていて、踵は小刻みに床を打っていた。

 同じ部屋で書類を整理していたレオポールはそのヴァレッドの様子に小首を傾げる。

「どうかしたのですか? 何か心配事でも?」

「いや、何でもない……」

 そう言葉を濁し、ヴァレッドは手元にあった書類を慣れた手つきで木箱に投げ入れた。そしてまた、書類の山の一番上から自分の手元に書類を引っ張ってくる。

「『何でもない』じゃないですよ。先ほど見られていた書類に何か気になる点でもありましたか? それとも、その前の書類に……」

「気にするな、口が滑っただけだ」

 そう言った口でヴァレッドは一つため息をついた。視線は書類に落としているが、頭の中では何か別ことを考えているのだろう。心ここにあらずの様子にレオポールは片眉を上げた。

「もしかして、もしかしなくとも、ティアナ様のことですか?」

「っ!」

 その瞬間にヴァレッドの肩が跳ねる。鼻筋にも皺を寄せて、まるで信じられないものを見るような目線をレオポールに向けた。その目は『何故わかったんだ?』と言っているようだった。

「わかりますよ。貴方がそんなに思い悩むことといったら、奥方様のことか領地のことだけでしょう? 領地のことなら私に真っ先に相談すると思いますので、消去法です」

「……俺は別にティアナのことを心配してるとは言ってない……」

「でも、ティアナ様のことなのでしょう?」

 澄ました顔でそう言ってのけると、ヴァレッドの息が詰まった。

「違いますか?」

「ちが……わない……」

 敗北感丸出しのヴァレッドがギリリと歯を鳴らしながらレオポールを睨みつける。レオポールはその視線をさらりといなすと、呆れたような視線を彼に向けた。

「言っておくが、別に俺はティアナのことを心配しているわけじゃないからな! 彼女の体調が悪いと……その……料理長の機嫌が悪くなるからだ! 俺自身は彼女の体調が悪かろうが……」

「本心は?」

「心配に決まっているだろう!」

 反射的にそう言って、ヴァレッドは思わず口元を片手で覆った。視線を彷徨わせているのは羞恥からだろう。

「女嫌いの貴方が、よくそこまでっ! よほどティアナ様のことが好きと……」

「そんなわけないだろうがっ! あんなんだが彼女だって女だ。どんな裏の顔があるかわかったもんじゃないっ! 他の女に比べたら多少はマシなのかもしれないが、俺は女のことを信用しないと決めている。ましてや、好意なんてものを向けるわけがないだろうっ!」

「……で、本心は?」

「ぐっ……」

 まるで口から出かけた音を飲み込むようにヴァレッドが息を飲む。そして、一呼吸置いて「さっきの言葉が本心だ」と唸るような声で言った。

 レオポールは少し感心したように頷く。

「貴方も本当に往生際が悪いと言いますか……、ほんっと、頑固ですよねー。……で、ティアナ様の何が心配だと言うんですか?」

「……最近、体調が悪そうじゃないか? 顔色が悪いというか……終始眠そうというか……」

 朝食の席でヴァレッドに見つからないように欠伸をかみ殺していたティアナの姿が脳裏に浮かぶ。彼女は隠しきれていると思っているようだが、目の前に座るヴァレッドにはすべてお見通しであった。

「あぁ、本当によく見てますねー。あれは単なる夜更かしのしすぎでしょう? 私の思惑以上にのめり込んでくださって、嬉しい限りです」

「お前の思惑?」

 ヴァレッドの怪訝な声に、レオポールはしまったという顔をした。ティアナに恋愛小説を読ませて、恋愛に興味を持ってもらおうという計画は、ヴァレッドには秘密にしていたのだ。

「ティアナ様は最近小説にはまっておられるようですよ? それを夜中に読んでいるので寝不足なのだとカロルさんから聞きました」

 にっこりと笑ってそう言えば、ヴァレッドは眉を顰めながらも身を引く。そして、幾分か穏やかになった声色で「そうか」と呟いた。

「寝不足なのは問題だが、そういうことなら心配はいらないな。……それにしても小説か……」

「あぁ、そう言えばヴァレッド様も昔はよく冒険譚など読んでいましたね」

「あの女と屋敷にいたとき、教養は最低限つけておかないと思ったのか、本はいくら読んでも怒られなかったからな。読書が趣味になったのはそれからだな」

 悲しむわけでもないが、懐かしんでいるわけでもない声で、ヴァレッドは亡き母との過去を話す。

 ヴァレッドとしてはもう吹っ切っていることなので、なんてことも無い話なのだが、レオポールは少しだけ苦そうな顔をした。しかし、それも一瞬の表情で、すぐに元の飄々とした表情に戻る。

「ティアナ様が読んでらっしゃるのは恋愛小説ですが、見たところ物語全般がお好きなようなので話が合うかもしれませんね」

「そうか」

 少しだけ上がった声のトーンにレオポールは眉を上げた。少しだけ目を見張ると、ふっと表情を緩ませる。

「今日はもう切り上げましょうか? 今日の分の仕事は終わっているわけですし、今日は半休としましょう。良い機会ですし、ヴァレッド様はリフレッシュに薔薇園でも散歩してきたらいかがですか?」

「……何を企んでいる……?」

 昼を過ぎたこの時間帯、薔薇園に行けば確実にティアナと出くわすだろう。

 ヴァレッドはレオポールを怪訝な顔で睨みつけた。一方のレオポールはにっこり笑顔だ。

「何も企んでなんかいませんよ? 私はヴァレッド様にリフレッシュ方法を提案しただけです。決めるのはご自身ですよ? ……ただ、もし、万が一にでも私の提案を呑んでくださるなら、薔薇園に居られるティアナ様に、ドームの方に移るよう伝えてくださいませんか? 今日はとても日差しが強いので、寝不足のティアナ様はあのままでは倒れてしまうかもしれませんから……」

「…………」

 暗に、行かなければティアナは倒れるかもしれないと言われて、ヴァレッドは口をへの字に曲げた。しかし、それ以上何も言うこと無く、席から立ち上がり身支度を始める。

 そして、そのままため息を一つついて、彼は部屋を後にした。

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