26

 そのまま二人は会話もなく街道を進んだ。途中で待機していた後続隊と合流することもなく、ヴァレッドはティアナを抱えたまま城を目指す。途中でティアナは大丈夫だから下ろして欲しいと何度も言ったのだが、ヴァレッドがその言葉に耳を貸すことはなかった。そしてとうとう城に到着してしまい、結局、部屋の前までティアナはヴァレッドに抱えられたまま帰ってきてしまったのである。

 部屋の扉の前に下ろされたティアナはヴァレッドの服を掴んだまま不安げに彼を見上げた。ヴァレッドはまだどこか怒っているような難しい表情をしている。

「こんなところまで、ありがとうございます」

 ティアナがそう言いながら頭を下げると、ヴァレッドは短く「あぁ」と返事をしただけだった。そして、自分の服を掴んでいたティアナの手をそっとはずした。その瞬間、ヴァレッドの眉間に再び皺が寄る。そして今まで以上に低い声を廊下に響かせた。

「なんだこれは?」

「これ? あぁ、ロープを切る時に切ってしまって……」

 すっかり血の乾いた手のひらを眺めた後、ティアナははっとしたように顔を上げてヴァレッドの衣服を調べ始める。

「もしかして、私の血が付いてしまいましたか? すみません! 考えが至らず、しがみついてしまってっ! こんなにお高そうな外套なのですから、血でも付いたら大変ですわ!」

「服はどうでも良いっ!」

 服を調べる手をはねのけて、ヴァレッドは怪我した方の手首をむんずと捕まえた。そして、その傷口をしっかり確かめる。

「痛かっただろう? 怪我をしているなら、もっと早くに言ってくれ。今から侍女を呼んでこようと思っていたが、医者も呼んでおく。それと、髪も整えた方が良いな……。明日専門の者を城に呼ぼう」

 その労るような声にティアナは思わず首を振った。

「そんなっ! もう皆様お仕事の時間ではないですし、このぐらいはかすり傷ですわ。治療は明日で大丈夫です。それに、ヴァレッド様は侍女の方とお話しされるのは嫌なのでは? それなら、自分で……」

「なんで君はいつもそうなんだっ!」

「――――っ!」

 ヴァレッドは怒声と同時にティアナの背後にある扉を殴りつけた。ティアナはそのヴァレッドの声と形相にすくみ上がる。そして、彼は叩きつけるようにこう続けた。

「どうして、君はいつも自分が二の次なんだっ! 俺のことなど気にするなっ! 医者にも侍女にも今は甘えておけっ! 君は仮にも“女”だろう!? どうしてもう少し図々しく出来ないんだっ! 俺がどれだけ心配して……っ!」

 そのままぐっとヴァレッドは息を詰める。扉を殴りつけていた手を退けると、放心状態になってしまっていたティアナから距離をとった。

「ヴァレッド様、心配をおかけしまして……」

「もう君の顔なんて見たくないっ」

 その言葉に、ティアナは肩を跳ね上げた。そして、息を止めたままヴァレッドを見つめる。ヴァレッドはそんなティアナの視線から逃れるように顔を背け、踵を返した。

「しばらく声を掛けてくるな」

「……はい」

 去っていくヴァレッドの後ろ姿を眺めながら、ティアナは肩を落とした。視界が霞み、鼻の奥がツンと痛む。

「嫌われてしまいましたね」

 そう一人ごちると共にティアナは自室に戻っていった。


◆◇◆


「なんであんな事言ったんですか?」

 その咎めるような声はレオポールの物だった。医者と侍女をティアナの部屋に向かわせた後、ヴァレッドは自分の後をつけるように物陰に潜んでいたレオポールを見つけたのだ。物陰から出てきたレオポールの機嫌はすこぶる悪い。

「何の話だ?」

「ティアナ様に『しばらく声を掛けてくるな』っておっしゃってたじゃないですか。アレのことです」

「……どこから見ていた?」

 ヴァレッドが自室に入りながら不機嫌そうな声を出す。レオポールはそれに付き従いながら、当然のごとく部屋に自分も入り、後ろ手で扉を閉めた。

「『どうして、君はいつも自分が二の次なんだっ』辺りからですかね。怒鳴り声がして、駆けつけてみればあの状態で……。私が割り入る間もなく貴方がティアナ様をボコボコに言い負かしました」

「言い負かしていない。しばらく距離を置きたくなったからそう言っただけだ」

「貴方にとってはそうかも知れませんが、普通アレは離別の言葉ですよ。どうするんですか? ティアナ様が勘違いして故郷に帰られたら……」

 レオポールのその言葉にヴァレッドの蟀谷こめかみがぴくりと反応する。そして全てを吐き出すように息を吐いた後、髪をがしがしとかきむしった。

「今はそれより結果を報告してくれ」

「貴方のその仕事に逃げる癖、何とかなりませんか?」

「うるさい。報告しろ」

「はいはい」

 仕方がないと言うように、レオポールは報告をはじめる。その内容は結果だけで言うなら上々だった。やはり教会の奥で育てられていたのはカンナビスだったらしい。

 教会にあの神父達が住み着いたのは約一年前から。ヴァレッド達が昨年、薬物の売り子を一斉摘発をした直後、この街に流れて来た者達らしい。人数は十三人。彼らは教会にある子供達が使っていたのとは別の宿舎に住み着き、孤児になった子供達を集めてカンナビスを育てさせていたのだ。教会を使って孤児院を装ったのは、カンナビスを育てる人件費が浮く上に、周りからも怪しまれることがないと思ったからだろう。

「十三人全員、一人も逃がすことなく捕まえました。今は地下牢に閉じこめています。子供達も街の孤児院で引き取ってもらえる運びとなりました。人数も人数ですし、問題の大きさからいっても、これは王都で国王の審判を仰ぐ方が賢明でしょう。おそらく絡んでこないとはいえ、彼らの住処は教会でしたしね」

 そう言って、レオポールは息を吐く。そして、考え込むように眉を寄せるヴァレッドをじっと眺めた。

「結婚式まであと一週間と少しです。これに間に合わせるため、貴方には明日の早朝、この城を発ってもらわないといけません。罪人達は後からゆっくり兵達にでも運ばせればいいですが、裁判に必要な書類は貴方が直接国王に渡して貰わないといけませんからね」

 薬物が蔓延してしまえば、それは国を揺るがす事態に発展する。なので、薬物に関する事柄は例え小さな案件だろうが国王に一度話を通し、その上で国王の審判を仰ぐのが慣例になっていた。そして、その書状を持って行くのは領主の役割である。何か用事があるなら代理を立てる事もあるが、基本的に領主は国王にお願いする立場なので、無理をしてでも領主が王都に赴くのが礼儀というものだった。

「わかった」

 小さく頷いたヴァレッドにレオポールは怪訝な顔をして数歩詰め寄る。

「……本当に意味がわかっていますか? 貴方が帰られるのは一週間後。それまで貴方はティアナ様と喧嘩別れをしたままになるんですよ?」

「別に喧嘩をしたわけでは……」

「あぁ、そうでしたね。貴方が一方的に言いたいことを言っただけですよね? 嗚呼、おかわいそうなティアナ様!」

 わざと責めるようにそう言えば、ヴァレッドの眉間に深い皺が刻まれる。しかし、自分も悪いと思っているのか、ヴァレッドはそのまま何も言うことなく、一人掛けの椅子に深く腰掛けた。

「俺がいない間、いろいろ頼む」

「はい。それはお任せください。貴方は馬の上でティアナ様にどう謝るか、しっかり考えておいてくださいね」

 その言葉にヴァレッドは何も発しなかった。しかし、その瞳はティアナに言った言葉を、少し後悔しているようにも見える。

「で、最初の質問に戻りますが、なんであんな事言ったんですか?」

「は?」

 その話は終わったのではないのか? そう言いたげな視線をヴァレッドは送るが、それをひらりと躱して、レオポールは有無を言わせぬ笑顔を向けた。

「なんであんな事言ったんですか?」

「……それは……」

 バツが悪そうにヴァレッドが視線を逸らす。しかし、レオポールの笑顔は到底逃げられるようなものではなかった。まるで、じりじりと崖に追いやられている気分になってくる。

 レオポールはヴァレッドににこやかな顔を向けながら、小さく首をかしげた。

「それは?」

「それは……。これ以上ティアナと一緒にいて、今日みたいなことが再びあったら、俺はまた冷静じゃなくなってしまうかもしれない。それが怖かったんだ……」

 尻すぼみになった言葉にレオポールは目を剥く。そして、短い沈黙の後に吹き出した。腹を抱えながら笑い出したレオポールの姿に、ヴァレッドは鼻筋を窪ませながら苦々しい表情をした。

「冷静じゃなくなるのが怖いから遠ざけたかったって、貴方はっ! 思春期の男子ですか! ホントもう、ティアナ様は愛されてますねぇー」

「愛していないっ! ティアナのことは好きでも何でもないっ! 何度言ったらわかるんだっ! 彼女と結婚するのはただ都合がいいからだ。別に彼女じゃなくても、この城から逃げ出さずに、俺の言うことを聞いてくれる女性なら、俺は誰でもっ……」

 怒りからか、羞恥からか、顔を真っ赤にさせてヴァレッドが反論するのを、レオポールはどうどうと宥める。

「まぁまぁ、わかりましたから。もう諦めて認めたらどうですか?」

「わかってないだろうがっ! 人の話を聞け、この妄想癖男がっ!」

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