月が出ていた。

 夜半になり、ドーデンの町は寝静まっている。

 町をとりまく城壁の南門。そこは町全体を城と考えると、正面入り口といってよく、もっとも警備が厳重で、門も頑丈に作られている。

 かーん、かーん……!

 鐘の音が聞こえ、門を警備する兵士たちの交替を知らせている。門を守る兵士たちにあらたな兵が近寄ってきた。ドーデンの町の兵士には珍しく、すっぽりと顔を面おおいで隠している。

「交替か?」

 新参の兵士はうなずいた。それを見て、守備兵は眉をひそめた。

「だれだ、お前。トラスクじゃないな?」

 相手は無言である。その雰囲気に危険なものを感じとった守備兵は武器をかまえた。

「名前を言え! そして合言葉を!」

 その兵士はゆらり、と身動きをした。はっ、と守備兵はかまえた武器をふりあげた。

 さっ、と相手はなにか細い筒のようなものを口に押し当てた。

 ひゅっ、とかすかな音がする。

 瞬間、守備兵の首筋にちいさな針が突き刺さっていた。吹き矢らしい。

「あ……あ……!」

 首筋に手を押し当てた兵士は小刻みに震えだした。見る見るその顔色が紫色に変わっていく。

 ぶくぶくと口から大量の泡がふきだした。

 げぼ! 兵士は泡と共に鮮血を吐血していた。

 かく、と兵士は白目を剥き倒れ掛かった。その身体を吹き矢を使った兵士はそっとかかえ、ゆっくりと地面に横たえた。終始、無言のままその惨劇はおこなわれた。

 兵士はそれまで被っていた面おおいをはずす。

 月明かりにその顔が照らされた。

 ジャギーであった。

 素早く周囲を見回すと、ジャギーはかたく閉ざされている門に近寄った。

 門は内側からがっちりと閂をかけられ、閉められている。ジャギーは閂のそばにあるハンドルに手をかけ、ちからをこめて廻し始めた。

 じりじりと閂がもちあがる。内部の歯車で、ひとりでも操作できるようになっているのだ。ギズモ教授の発明であった。

 かたん、とついに閂がはずれた。

 ジャギーは扉に両手を押し当て、開きはじめた。

 

 王宮のベッドで、ドーデン王はうなされていた。

 夢を見ていたのである。

 いつも同じ夢だった。

 暗い闇の中、その闇よりさらに濃く、まがまがしいものが立ちはだかっているのが判る。

 ああ、魔王だ……じぶんはいま、魔王と顔をあわせている。

 夢の中で王はいつも同じことを思う。魔王は王になにか語りだす。その内容は戦慄するもので、王は耳を塞ぎたくなる。が、身動きひとつできない。

 魔王は王を責める。その言葉は王の肺腑をえぐり、苦痛さえあたえている。

 やめてくれ! 余になんの罪があるのだ?

 くくくくく……!

 魔王が笑っている。

 その笑い顔を、王はのぞきこんだ。

 いったい、魔王はどんな顔をしているのか?

 魔王がゆっくりと王に向かって顔を動かした。王はその顔を間近に見るはめになった。

 そこに見たものは……。

 王は絶叫した。

 

 汗まみれになってドーデン王は目を覚ました。

 あたりは暗い。夜明けまでまだありそうである。喉が渇いていたので、王はベッド・サイドの水差しを手探りで見つけ、コップに注ぐのももどかしく、直接口にあてて飲み干した。

 べっとりと汗が顔全体にひろがっている。その汗をぬぐい、王は首をかしげた。

 いったい、夢の中で自分は何を見たのか?

 なにか怖ろしいものであったことは確かだ。魔王の顔をのぞきこんだその時、王は悲鳴をあげていたのである。

 だが何を見たのか、すっかり忘れている。

 いつもこうだ。ドーデン王はシーツを握りしめた。どうして憶えていられないのだろう。

 その時、どこか遠くから悲鳴が聞こえてくる。

 さらに大人数があわてて駆け回るどたどたという足音。なにか騒ぎがおきている。

 なんだろう?

 王は緊張した。

 瞬間、かれはベッドから飛び起き、燭台をつかむと蝋燭に火を灯した。ギズモ教授の工夫した火付け道具で、細い木製の枝の先に薬品が塗ってあり、それをやすりの紙に押しつけると火がつくというものである。教授はそれをマッチと呼んでいた。

 明るくなった室内で王は身支度をととのえた。こんなときは召し使いが着付けをするのだが、王は何事も自分でやるのが主義である。あっという間にいつものような威儀を正した姿になると、王権の象徴である黄金作りの剣を腰につるす。

 そのとき、ドアを叩く音がした。

 はいれ、と言う間もなく衛士がひとり転げるように入ってきた。衛士は王が立っているのを見ると、あわてて膝まづき頭を垂れた。

「一大事でございます!」

「なにごとじゃ? 申してみよ」

 はっ、と衛士はもう一度頭をさげると驚くべき内容を話しだした。

「町の外壁のうち、南門がやぶられ、魔物が大挙して侵入しております。町は大混乱で、魔物の跳梁で、被害者が多数出ております!」

「なんだと!」

 王は怒号した。

 大股に歩くと、窓にかけられたカーテンを開く。戸を開くと、ドーデンの町並みが眼下にひろがった。闇に目を凝らした王は眉をひそめた。

 あちこちに火の手があがっている。風にのって、かすかな悲鳴が聞こえてくる。

 ぎゅっと窓枠を王は握りしめた。

 くるりとふりむき、いまだ膝まづいている衛士に叫んだ。

「城の兵士全員を非常呼集せよ!」

 衛士は顔を上げた。王はいらだったように叫んだ。

「早く!」

 さっと立ち上がった衛士はあわてて部屋を退出した。

 入れ替わりに、ミリィが姿をあらわした。薄い、夜着を身につけそのうえからローブを羽織って胸元で襟を合わせている。その顔は蒼白だった。

「王さま……魔物が町を襲っていると報せがありました」

 ドーデン王はうん、とうなずき笑顔を見せた。

「心配するでないぞ。これから兵を集め、町を守るために出陣するつもりじゃ! そちはこの城におるがよい。魔物は余がくいとめるゆえ、安心して休むがよい」

 ミリィは黙って立っている。王は眉をよせた。

「いかがいたした? なにを心配しておる?」

 彼女はゆっくりとかぶりをふる。

「わかりません。なにか不安なのです。よくないことがおきそうで……」

 王はミリィに近づき、肩に手をおいた。

「このドーデンの町は、いままで何度も魔物の攻撃に耐えてきた。今回もまたわれらの勝利におわるであろう。さあ、休みなさい。起きていては身体に毒だ」

 はい……と、ミリィは素直にうなずき、じぶんの部屋へと帰っていった。

 それを見送ったドーデン王はくるりと背を向け、窓から町へと視線をうつした。

 町を見下ろす王は唇を噛みしめた。

 

 宿屋でパックもまた夢を見ていた。

 夢の中で、パックはあの屋敷にいた。いまはドーデンの町の大学になっている、あの建物である。どうやらギズモ教授の研究室に立っているらしい。夢の中でパックはあたりを見回している。なにかを探しているらしい。

 ふとパックの目が書棚にとまった。

 近づいて、一冊の本を抜き出す。

 まっくろな革表紙の、魔法の本だ。

 パックの手が本を開く。見慣れない文字がびっしりと書かれ、読むことは出来ない。しかし夢の中でのパックは、その文字をらくらくと読み解いている。

 パックの指がすばやく本のページを繰る。

 何ページか読み進んだところでパックの手が止まる。

 そこには一枚の挿絵があった。

 魔王の絵であった。

 怖ろしげな魔王の姿に、パックの目は引き付けられていた。

 獣のような下半身に、角の生えた邪悪さをひめた顔。

 と、魔王の顔がぐいと動いて見つめているパックの目とあった。

 魔王はパックを絵から見つめ返し、にやりと笑った!

「起きろ、パック!」

 ドアが開かれ、タルカスが部屋に足音高く踏み込んで叫んだ。パックは驚いてベッドからはね起きた。床で寝ていたヘロヘロも目をさまし、ぷるぷると全身を震わせた。

「どうしたの?」

「外を見てみろ」

 言われてパックは床に立つと、窓のそばに近寄った。ヘロヘロもパックの肩に這い登り、一緒にのぞきこむ。

 宿屋の前の道路に、深夜に関わらず人があふれている。みな寝起きなのか、着ているものもパジャマで、おたがい不安そうな顔を見合わせていた。

 轟っ……。

 音を立て、向かいの家の裏手で火の手があがる。あかあかと燃え上がった炎に、人々の顔がオレンジ色に染まった。群衆のなかに悲鳴があがった。わらわらと足取りが乱れ、一方向に逃げ出した。その方向を見たパックは、あっと叫んだ。

 魔物だった。

 道路をふさぐように、無数の魔物がひしめいて群衆に襲い掛かっている。獣のような四足で移動するもの、あるいは触手をずるずると引きずるもの、這うもの怖ろしげな姿かたちをした魔物が、牙や爪をつかって手当たり次第に攻撃を開始している。

「パック、タルカス! 魔物が……」

 叫びながらファングが部屋に入ってくる。すでにパックはいつもの装備に着替え、剣を手にしていた。パックはファングにふりむき、うなずいた。

「行こう、タルカス。ファング」

 ヘロヘロは床で震えている。

「ど、どうしよう……魔物だって? ぼ、ぼくなんかが出ていったって、役にはたたないし……」

 ちらちらと戦いの用意をかためているパックを見る。パックはヘロヘロを見て首をふる。

「ヘロヘロ、お前はここにいろよ。大丈夫、ここにいれば安心だ」

 そう言うとパックはファングとタルカスとともに部屋から通路に出た。それを見るヘロヘロはふたたびぷるぷると震えた。

「ええい! どうにでもなれ!」

 そう叫ぶと、ヘロヘロはぴょんと飛び上がってパックの腰の物入れにとびこんだ。

 ファングは弓矢を手に、タルカスも長剣を握りしめた。三人そろって宿屋前の道路に飛び出した。道路は逃げ惑う群衆でごったがえしている。みな、目が吊りあがり、われさきに逃げようと必死になっている。

 どけどけ、という声が背中から聞こえてくる。ふりかえると、城の兵士たちだった。全員完全武装で、盾を手に魔物に立ち向かうべく行軍してくる。行軍してくる兵士たちの真ん中に、なんとドーデン王が馬に乗って槍を手にしていた。王は宿屋の前で見上げているパックに気づき、にこりとほほ笑んだ。

「やあ! パックか! 安心しろ。われわれが魔物を退治するつもりだ」

 タルカスは叫んだ。

「王さま! われらも加勢いたす」

 ドーデン王はうなずいた。

「それは心強い。よろしく頼むぞ」

 おう、とタルカスは喚いた。その顔は戦いの喜びに輝いている。

 ファングが一歩前に進み出た。

「王さま、どうして魔物が町に?」

 王は眉をひそめた。

「わからん。報告によると町の南門が破られたというが……あの門はこの町の正門にあたる。魔物ごときが攻撃して破られるようなやわな造りではないのだが」

 王の言葉に兵士の一人が声をあげた。

「王さま、なんでも門の裏側からだれかが開けたらしいということです」

 兵士の言葉に王は目を見開いた。

「なんと、それでは町の人間のなかに裏切り者がいるということではないか?」

 王と兵士の会話にファングは青ざめた。その表情を見て王はなにか言いかけたが、その時魔物が一斉に兵士たちへ向かって突進してきた。さっと王は槍を持ち上げ、叫んだ。

「ものども、かかれーいっ!」

 わあああ! と兵士たちは喚声を上げ、足並みを揃えて魔物へと立ち向かう。タルカス、パックもまた兵士たちのなかに飛び込み、武器を抜き放った。

 ファングだけひとり取り残された。ぼうぜんとたたずみ、戦いを見守っている。

 と、はっと顔をあげつぶやく。

「大変……ミリィが……!」

 パック! と、叫ぶ。しかしその声は戦いの騒音にまぎれとどかない。

 ファングは走り出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る