老女

 ことり……ことり……と階段を下りて来るのは、ひとりの老女である。どのくらいの年令なのか、おそろしく年寄りであることは確かだ。真っ白な髪の毛、曲がった腰。おぼつかない足取りで、用心深く一歩一歩、降りてくる。手には燭台をかざしていた。蝋燭の炎が歩くたびにゆらめき、奇妙な影をつくった。

「ノックはしたんだが……」

 タルカスはあいまいに肩をすくめた。

「ここはわたしの一人暮らしの館です。使用人もいまはおらず、お客さまがいらっしゃっても、お出迎えすることもできません」

 老女の言葉はやや聞き取りにくかったが、その内容ははっきりとしていた。

 じろり、と老女は瞼をあげた。うす青い瞳が瞼のしたから覗いている。

 彼女の視線がパックにとまった。

 老女の口がぽかんと開かれた。

「あなた……あなたは……!」

 震える指先でパックを指し示す。

 がたん、と老女の手から燭台が床に落ちた。蝋燭の炎が、落ちた拍子に消える。

 おっ、とタルカスは手を伸ばした。

 老女はかくん、と首をあおむけ倒れ掛かってきた。その目がくるりと白目になっていた。

「いけねえ! 気絶してるぜ」

 タルカスは老女をかかえあげた。そのまま老女がやってきた階段の上を見上げた。

「ともかく、どこかの部屋へ……ベッドがあるとこならどこでもいい! パック、お前先に立って探せ!」

 うん、とパックはうなずき、たたたっ、と階段を駆け上がった。

 ばた、ばたんとドアを次々と開け、中を見ていく。

「タルカスさん! この部屋にベッドがある!」

 よしきたっ、とタルカスは老女をかかえたまま階段を駆け上がった。部屋の中に老女を運び入れると、パックの見つけたベッドに横たえた。ぼう然としているパックをよそに、タルカスは甲斐甲斐しいところを見せ、どこからか洗面器を見つけてくると、それに水を汲んで老女の寝そべるベッドの脇に小机を持ってきてタオルを絞った。その絞ったタオルを、老女の額に乗せてやる。その間、老女の胸元をくつろげ、窓を開いて風通しをよくする。

 やがて老女は気がつき、目を開けた。

 視線がさまよい、パックの顔にとまった。

 老女はにっこりと笑った。

「パック……」

 彼女の呼びかけに、パックとタルカスは驚いた。

「婆さん、あんたこいつの名前を知っているのかね?」

 え、と老女は目を見開いた。

「でも……あ、あの、その方もパックと仰るのですか?」

 パックはうなずいた。

「そうですか……あまりに似ていたのでつい……懐かしい方の名前を呼んでしまいました」

 タルカスは用心深く尋ねた。

「婆さん、あんたの名前は?」

「わたしの名前はミリィといいます」

 タルカスとパックは顔を見合わせた。

 

「パックはわたしの娘時分の執事でした」

 執事……? 不思議そうな顔になるパックに、ミリィと名乗った老女は説明した。

「召し使いだったのですわ。それでも、わたしはパックを召し使いとは思っていませんでした。友達と思っていたのです。あの絵は、わたしの思い出のため、絵描きに描かせたものです」

 部屋にはあたたかなお茶の香りがただよっていた。タルカスは老女に茶器のありかを聞き出し、さっさと立ち働いてお茶の用意をしていたのである。おれは若いころ、なんでもやったからな、とタルカスは笑った。

 ベッドに仰向けに寝そべる老女は、楽しげな顔つきになっていた。

「あんたと、そのパックってやつの間になにがあったんだね?」

 タルカスの言葉に、老女は黙り込んだ。

 沈黙が続き、ふたたび彼女は口を開いた。

「わたしはいつか、パックを愛していたのです。パックもまた、わたしを愛しました。しかしそれは許されない恋でした。召し使いとその主人の娘の恋など、だれも許してはくれませんでした。パックはわたしに言いました。家を出て、自分と一緒に暮らそう。わたしをなんとしても守るから、と。しかしわたしはパックの言葉にためらっていたのです。家を出ると言うことは、両親を捨てると言うことです。あのころのわたしには、とてもそんな勇気はなかったのです」

 老女は目を閉じた。その瞼から、ひとすじ涙が頬にこぼれた。

「許してパック……あたしはあなたを裏切った!」

 彼女は薄く目を開け、パックを見上げた。

「ああパック、あなたまたわたしのところへ還ってくれたのね……わたしのところへ……」

 ふっ、と老女の息が穏やかになった。

 すう──と彼女の動きがとまる。その顔は楽しげに微笑を浮かべていた。

「眠ったんだね……」

 パックがつぶやくと、タルカスはいいや、と首をふった。手を伸ばし、老女の鼻のところへあてる。

「死んだよ。夢を見たままな」


 夕方になり雨が上がり、ふたりは老女を館の庭に埋めた。木の板をさがし、それに彼女の名前を刻んで墓標とした。

 タルカスとパックは館の中を探した。館の女主人、ミリィの若いころの姿をうつした絵かなにかないかと思ったのである。しかしそのたぐいのものは一枚も見つからなかった。

 ふたりは館に一晩とまり、翌朝ふたたび旅に出た。

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