第4話

 方針が決まり2人が最初にしたことは、放置してきた昼飯に戻ることだった。何をするにも腹ごしらえは重要だ。 

 匡直はジュースの残りだけだったようで、数秒で飲み終わるとさっさとゴミをまとめて立ち上がった。

 体を伸ばし、その場で軽く跳躍を始めた、と恭は思った。が、その体は次の瞬間、遥か高く跳ね上がった。

 この目で見たものが、こうも疑わしいと感じたのは初めてだった、さっきの比ではない。地面を圧縮して着地し次はどうしようかと思案気な匡直に、我に返って恭は怒鳴った。

「やめろって」

 無視して匡直はまたしても高く跳躍した。

 女性も既に去り幸い人目は無かったが動画にでも撮られたら拙い。

「爪」

「―爪⁉」

 こちらの制止に驚くでもなく、匡直は恭の左手を指した。

「…いや、何も変化ないけど―」

「常人離れ動作を止める力は無い、か?でも感覚としては有りに近かった…動作の途中ならどうだ…」

 わざとか、と気づく。今のは高度の身体力を使うのを゛制止゛する、強い言葉でのだ。

「動作途中での制止も試したいが、難しいだろうな」

 こちらを見た匡直に恭は素直に感嘆した。

「―試したこと無いかも」

 動作を止める命令など多分したことがない。

 木は単純な一動作しか出来ないから改めて命令で動作を止める間などないだろうが、木に関してまだ試してないことがあったとは自分自身驚きだった、ある意味発見だ。

 の使い方をしたのは小4の頃だったが、小手品のようなそれに落胆し早々に使うことにも飽きていたが、意外とまだやれることがあるかもしれない―。

「必要ないとは思うが、一応制止も練習しとけよ」

「しとけって…どうやって」

「知るか。取り敢えず一生懸命お願いしろ」

 相変わらずどっちがしゅだか分からない。が何にしろここで彫爪崩しなどやれたものではない。

 匡直も当然考えていた。

「まずは人目につかず、思い切り体を動かせる場所を探さないとな、いくら田舎でも昼間は無理か?」

「ムリ、つーかやめて」

 恭らの住む町は低い山々と少ない平地、中心地辺りでも時に田畑が点在する風景が、長閑なという言葉のしっくりくる田舎だ。

 大きな不便を感じない程度には賑わいがあると思うが、そんなとこなので人目という点ではこの広場のように、日中だろうと人気ひとけのない場所はいくらでもある。

「探せばあるだろうけど、その身体能力じゃ問題あり過ぎだっての」

 言いつつ恭は自分の端末で地図アプリを開こうとポケットに手を突っ込もうとしたが、1本だけ長い人差し指の彫爪が生地に掛かって手を入れ損ねる。邪魔だと携帯爪切りを出して切っていくと切り離された爪の破片が端から霧散した。

「本当にのか…」

 傍に来た匡直が見入る。文字通り彫爪は体から離れると消滅する。

「木の中の爪片もこれで消える」

「なんで分かる」

「叩いたら違う」

 事実そうなのだが、自分以外には説明してもかなり分かりづらい。説明が難しいと言うと匡直も深く突っ込もうとはしなかった。

「―で、痛みは?」

「…無かった」

 サラリと聞かれ、焦った。左の爪がで、右は平気とは限らないことに今更ながら気づいてゾッとした。

 ほぼ拘束具の長い爪から解放され恭は無事スマホを取り出すと、取り敢えず自宅中心に見てみた。

 公園、市民競技場、統廃合で使われてない小学校―、夜間は無人であろう候補地を探すのは容易い。

 だが、あの跳躍力や脚力を使うには周囲に目隠しでもないと拙い。

(神社、寺―、は止めとくか)

 理由という理由もないが、彫爪を使うのに夢中になっていた小学の一時期さえ、人目も少なく木も多い筈のこの2カ所に恭は近づかなかった。忌避感でもないが、どうしても足が向かない。

 一緒にスマホを覗き込んでいた匡直が横から指を出して画面を広げた。 拡大された地図の中央に『鳳凰ほうおう特別養護老人ホーム』、とあった。

「なんかスゲー名前な…」

 どこかで看板を見た覚えはあるが、興味がなくて風景の一部になっていたのだろう。改めて見ると高齢者施設の名前としては中々に仰々しい。

「山の途中にあって、施設の建物から離れた場所に第2駐車場がある。外灯もあるし、施設の大半は平屋で、駐車場は見えなかったと思う。周りは木だらけだから目隠し代わりにもになる」

「詳しいな」

 行ったことがあるにしても、やけに細かく知っている。

「去年、施設の納涼祭でボランティアした時、職員に聞いた。この時くらいしか有効利用されてない駐車場で、一度利用者が深夜に゛散歩゛に出たことがあって、以来常夜灯が設置されるようになった―」

 半分棒読みで匡直は説明した。゛岸崎の記憶゛を語るとこうなるのかもしれない。

「ここからなら普通に自転車を漕いでも2、30分てとこだ。行って体を動かしてくる。そうだ、山中なら別に昼間でも構わないか―」

「ちょっと待て、一人で行く気か⁉」

「普通に漕ぐって言ったろ、人目に付くようなとこでさっきのようなことはしない。岸崎にとって不利益だしな」

 自分が匡直の軽挙を危ぶんだと思ったのだろうが違う。

「あのさ、あくまで木の話だけど、有効範囲があるんだよ。木から離れすぎると力が効かなくなる。正確には言えないけど根元から多分、数メートルか、数十メートルか…」

「何だその雑さは」

 匡直が呆れるのも無理はない。

「木によって違い過ぎるんだよ、高さとか、幹の太さとか、種類も関係あるみたいで、はっきりした法則は摑めてない。離れすぎるとそもそも命令が伝わってるかどうか視認できないって問題もあるし、あまり確かめられる機会がない部分だったし」

 この点について、目を細くした匡直がどう思ったかは不明だが、

「試してみよう」

 とだけ言って、スマホを服から取り出した。

「持ってたのか」

 どうしたか気になっていたが、ちゃんと拾っていたのだ。

「通話しながら距離を取っていく」

「―ああ、爪の有効範囲外に出たら匡直に、―しくは俺に何か変化が起きるかもってことか、でもどんな」

「それについてはおおよその予想はつく。俺はこの位置から動かない、移動はそっちがしてくれ」

(お前の次は゛そっち゛かよ)

 呼称のこだわりは最早意味不明だが、こちらが動け、には相応の意味があると思っていい筈だ。恭は頷いてLINE(の無料通話)でいいかと聞くと、匡直は自分のスマホを差し出した。

「…」

 スマホは電話、くらいで記憶が滞っているのだろう…。

 恭は匡直に操作させてリストに自分を追加し、通話の仕方を教えた。

「あ、岸崎に無断じゃん」

 岸崎のLINEの゛友だち゛に、勝手に自分を追加してしまってよかったのか。今更ながら思ったが、匡直は黙々と操作の再確認を行ってから言った。

「通話の間、爪の事教えろよ、詳しく話せって忘れてないよな」

「ないけど、役に立ちそうなことあるかな―」

 通話中の会話に困る心配は免れそうだが。

 着信が入る。

『広場を出たらどっちに行く』

『どっちでも』

『じゃあ俺ん家に向かってくわ』

 まだ気になるのか、匡直は体の半分をフェンスにくっつけて溝の中を見始めた。

 恭はこっちを向く半身に片手を上げて合図をし、歩き始めた―。


『どっちから聞く?力の由来か、竹はダメとか地面に生えてる木じゃないと爪刺さらないとかの他の細かい条件か―』

『それは当然―』

 言いかけて、匡直は気を変えた。

『いや、先に由来が聞きたい。面白そうだ』

 全て合理的にという訳でもないらしい。

『って言っても昔話みたいなもんだから、話半分に聞けよ』 

 断りを入れてから恭は話し出した。


『この力っていうのは、祖父の出生地と関係があって―』

 祖父の生家は、恭自身は行ったことがないが、山間さんかんにある集落の端に位置する辺りにあった。昔はその先の山中を進むと崖で、隣村に行くのにかなりの遠回りが必要だったそうだ。

 端には十数軒が固まってあり、昔ある時急に、そこに住む人達の間に身体の一部に異変が現れる人が続出した。

 といっても、見た目より主に性質に変化が生じるもので、恭のように手足の爪の伸びが異常に早かったり、睫毛が一日置きに生え変わったり、良い香りの呼気を出せたり、といった類のものだった。

『ある時急に、か、原因は?』

『山中の秘密の場所にあった湧水と、傍にあった木じゃないかって言われてる』

 木の根皮には薬効があり、傍の湧水のせいか、他の同じ木に比べて特別によく効いた。ただ限りのあるものだから、祖父の生家と近辺の人間だけに密かに伝わっていた。他に原因は思い当たらないらしい。

『…それならその根皮を分けて貰ったそとの人間にも異変が出るんじゃないか?』

『飲み方が特殊だったらしいのと、根から採れる薬の量が少なくて外まで行き渡ることが無かったか、その近辺の風土が関わっていて、例えば薬の保存環境にそれが影響して、何か共通の変質をもたらしたんじゃないかっていう説もある』

 これは白師ぱくしの説だ。

 いま話しているのは去年、白師と母が話していたのを聞いた時のものだ。途中から加わったので、なぜそんな話題になったのかは不明だが、小学生の時、祖父から聞いたものはもっと昔話染みていたので、わりとはっきりした由来があったんだなと思ったものだ。

『あくまで仮説だけど。戦前にはもう木も水も枯れてたみたいだから、薬自体じいちゃんも見たことないって言うし―』

 ただ、身体の一部に起こる異変には、現れる箇所に共通性はないものの遺伝性があり、その後も子や孫に時折その特徴を持つ者が出続けた。

『お前の爪は祖父の血筋からってわけか』

『そういうこと。でも祖父に特徴は無い』

『じゃあその両親か、更に遡るか―』

『俺が聞いたのは祖父の一番上の兄。抜いた歯が発光する』

 祖父は小さい頃一度だけそれを見たことがあるという。

『歯か…お前と同じ力があるのか?』

『何かしら力は宿ってたらしいけど、詳しくは家族にも話さなかったって』

『亡くなったんだな』

『ああいや、ちょうど俺の力が分かって話を聞いてみようかって頃、倒れて、会話が困難な状態になったらしくてさ、だから会ったことがない』

 2本の爪の伸びが顕著に早くなったのは保育園児の頃で、祖父はそれについてはもっと以前にこの長兄に相談してたみたいだが、あまり騒がないように、とだけ言われたようだ。祖父とこの兄とは親子ほど年が離れている。

『他にはいないのか?』

『祖父方の親戚筋に聞けば何か分かるかもしれないけど、過疎でいまあの辺誰も住んでないらしくて…ただ戦中から戦後にかけて、そういう人達が一気に減って以降は殆ど聞かなくなった、とは聞いたけど』

『…いきなりきな臭い話になったな』

 何が引っ掛かったのか、匡直の声が低くなった。

『そりゃ戦死とかあったろうし、女の人より男の方が異変率高かったみたいだから、あと差別を恐れて一家で秘匿ってのもあったってさ』

『とは言っても周辺に噂くらい広まるだろ?いくら山奥でも、それ程の変事があれば騒ぎにならないわけ無い』

 確かに、ある程度は゛公然の秘密゛ではあったらしい。

『頭のいい人がいて―、』

 敏腕家がいた、という言い方をしたのは母だ。

『役立つ力も多かったから、力を提供する代わりに口止めしたり、その人が目立たないよう有力者に話を付けたり』

 ゛こう゛も作って勝手に商売したり秘密をばらしたりすることも防いだ。講というのはこの場合゛組合゛のようなものだ。

『力には色々と種類があるんだな?』

 確認するように匡直は聞いた。

『うん―』

 異変部には何かしら普通の人には無い力が宿っていた。何かのきっかけで、それが分かった。 

 但し、同じ部位に同様の異変があったとしても力も同じとは限らず、むしろ同じことが出来る者はいない、というくらい多様だったから、異変部にどんな力があるかは、皆それぞれに見つけねばならなかった。

 だから能力者のみの講もあり、そこでは主に情報交換をしていたようだ。

『そういや1個だけ聞いた』

 証拠が無いから確かめようもないのだが、それは何かの原因で正気を失った人を正常に戻すものだという。村の中でも特に強力な力で、隠しても遠方まで噂は広まり、身内を治してほしいと家宝や全財産を持って頼みに来る人もいた―。

 そういえばその辺りの話を白師と母がしている時に自分は帰って来て、深く考えずに『それ認知症の人とかも治せそうだよね』と口を挟むと、2人して真面目な顔でこっちを振り向いたので、余計なことでも言ったかと焦った。

『で、どうなんだ?』

『大昔の話だし、認知症になる前に寿命を迎える人の方が多かったろうから、出来たとしても需要は余りなかったんじゃないかってさ』

 今なら素晴らしい力だと持て囃されるだろうが。

『…証拠が無いっていうのは?』

『えっと、能力者の講では仲間以外には、たとえ親族でも力の秘密は話さない。どんな人がどんな力を持っていたかとかも、口伝えのみで文書には残さないって決められてて、掟破りは強く罰されたとかあったらしくて―』

『うわそれヤベーな』

 瞬時に違和感を感じた。そのくらい唐突だった。


『話させたのは俺だけど、マジによかった?』

 この気遣いは無い。絶対無い。

『えっと…岸崎、だよな?』

『そうじゃん?あ、話変わるけどコンビニサンキュな、後で金返すから』

 よかった、金は返して貰えそうだ―、

『覚えてるのか⁉』

『へ?何が』

『コンビニのこと―』

 若干ムッとした声が返ってくる。

『…逆に忘れてる方が怖くね?それ、』

『そうだけど…』

 これ以上進む必要はないから止まり、この状況をどうしたものかと逡巡して有効範囲内に戻ればいいのかと気づく。

 直ぐに踵を返し、恭は元来た道を早足で戻り始めたのだが、岸崎の様子は変わらない。

『なんかさ、噓みたいな話だけど゛彫爪゛だっけ、あれ見ちゃうとな、もうすぐ学校だし早めに崩せるといいよな、俺も出来るだけ協力すっからさ』

(あっちも移動してるんじゃないだろうな⁉ いや、―変だ)

 恭は足を止めかけた。

『…俺より、岸崎の中の爪片の方が心配だろ―』

『?なんだそりゃ』

『いやだからさ、俺の爪が岸崎の腕に刺さったろ、そんで岸崎の中に爪の欠片が残ったから彫爪が出来ちゃったんだし、―覚えてるよな?』

『…いや、イミ分かんねーけど…』

 記憶がおかしい。

 爪が自分に刺さったことが゛無かったこと゛になってないか―?

のことは…』

『俺がどーかした?』

『いや、そうじゃなく―…』


(『己を支配させるとか、考えただけで虫酸が走るような事、本人にさせられるわけない』)

(『それについては凡その予想はつく』) 

 

(そういうことか―) 

 匡直の言葉を思い出す。

 岸崎の免疫系は、゛岸崎゛の記憶まで改竄してるらしい。

 理解すると同時に違和感も頭をもたげた。

 嫌は嫌だろうが、岸崎なら話せばある程度は納得して協力してくれそうなのに、と思ったのだ。意識しないまま、ずっと感じていたことかもしれない。

 メンタル保護のためだと匡直は言っていたが、多少、過保護な気もするのだ。何より岸崎こそ当事者で、事実を知る権利は一番にある。

 恭は立ち止まった。

 どう反応が返るかはともかく、話してみよう。―話すべきだ。

『あのさ岸崎、聞いてもらいたいことがあるんだけど―』

『改まってんなー、…―でも無駄だろうな』

 ちょうど旧道広場が見えてきたところだった。岸崎―匡直が広場の端に立っていた。


「こうなんの分かってたら教えろって」

 恭は通話を切って駆け寄り文句を言った。

「゛凡その予想゛は゛分かってた゛のとは違う。担当外のことまでは分からない。…岸崎の認識はお前の爪崩しに親切で協力する、か、」

「―匡直に岸崎の記憶はあっても、その逆はないんだよな。あったら意味ないんだろうけど」

 でもやはり言っておきたかった。

「でも当事者の岸崎本人が何も知らないっていうのはどうよ?って感じじゃね?フェアじゃないっていうか―」

 即座に匡直が打ち返してきた。

「お前が悪い」

「は?」

「ただの爪なら、万一皮膚に埋まってもメスを入れれば済む話だ。だのにその爪―、いいか?すべての元凶はその゛爪゛だ。たかが爪のくせに常識から大きく外れてるせいで、対処も変則的、場当り的にならざるを得なかった。俺はその中で最善と思われる方法を取っている。予測困難な中で、第一に、己が己である根源的部分を最高レベルで守って何が悪い?フェアだのなんだの、そんなことに構ってられる余裕は無いんだ。全ては爪だ、爪が悪い、お前が悪い」

「いやでも、これ事故……、うん」

 有無を言わせず、息も切らさず捲し立てた匡直に恭は呆気にとられる。なぜかは不明だが逆鱗並に触れてはいけない話題だったか…。

「きっ、岸崎から匡直に戻ったのって…」

 いささか強引に話を変える。不満を言うだけ言って気が納まったのか、切り替えが早いのか、匡直はスルリとそれに乗った。

「突然意識が切れて、覚醒したのはお前の姿が視界に入ったから、だと思う」

「彫爪を見て、とかじゃなさそうだったけど」

「距離的にそうだろ、―どこまで行った?」

 地図アプリ上での距離は約300メートル。結構あるか、゛匡直゛と話してたのは4,5分くらいだった筈だ。

「300メートルか…、その距離外に出ると俺は落ちる。の力、支配の影響が及ばなくなるということだろう。そうなると身体能力も本来のものに戻ってるだろうな」

「…俺の姿見て戻ったんだよな、距離関係なく俺が視界から消えたら―」

「ない。俺はお前が視界から消えてもとして話してたろ」

 そうだった。

の影響範囲は爪主から約300メートル四方。その範囲外に出ればたとえお前が視界に入ってようと、影響外となる。反対に、範囲内に入ったとしても、爪主であるお前をこちらが視認しなければ、力の影響下にはおかれない―」

 理由わけはともかくとして、恭自身も何らかのスイッチ役を担っているようだ。

 恭は頷いた。

「そんじゃ俺も一緒に行くからな、『鳳凰 特別養護老人ホーム』第2駐車場。決行はやっぱ今晩だよな―」

「父親は単身赴任中で、母親は1週間そっちに行ってる。大学生の姉はバイトその他で2日に一遍会えばいい方だ。深夜だろうが外出に支障はない」

「飯は―」 

 まさかずっと弁当とかかと驚いて尋ねると、大丈夫だと匡直は言った。

「姉が作って置いていく。母親に小遣いを貰って」

 小遣いを貰う代わりに食事作りを任されたのか。

「で、そっちはどうだ」

「俺は…」

 理由を話せば止められはしないだろうが、心配など掛けたくないし、端から言う気は毛頭ない。だから深夜に家を出るとなれば、黙って行くしかないのだが―。

「ちょっと考えさせてくれ。こっそり出る方法を考えないと」

 玄関も裏口も開閉音が大きかったり、鍵がスムーズに掛からない。ガチャガチャ言わせるうちに気づかれかねない。母一人になるから窓も駄目だ。

「決まったら連絡をくれ。岸崎でも通じる筈だ。但し余計な事は言うなよ、どうせ理解はしないだろうが」

「匡直はどうすんの?」

「一旦帰る。爪片はそのままでも直のコントロール下からの影響は避けられる。身体への負担は最小限にしときたい」

「そうか?じゃ早目に連絡入れるな」


 自転車に乗り、一応スローペースで匡直は帰って行った。

 家まで自転車を取りに戻る途中、対木への細かな条件の話をした後、思い出して小学のとき祖父の盆栽に爪を刺し、葉を全て落としてしまった事を話した。

「お前の娯楽のために木は立ってるんじゃない」

 祖父と同じことを言う。

「盆栽がそもそも娯楽だろ、でも反省はしたし、以降はやってない」

 祖父は『冬に葉を落とす木もあるが、木の成長にとって葉は欠かせないものだ。だから恭が面白いからといって、今つけている葉を全て落としてしまったら、木は弱ってしまうし、枯れてしまうかもしれない。もし木に心があれば、どう思うだろうな』と言った。

 祖父は木を無闇に傷つけてはいけないと諭したつもりだったろうが、子どもだった恭は『木にも心が』という言葉に発奮した。

 一方通行な゛命令゛だけでなく、何か返信がないかと幾度も試行錯誤した。

「ムダだったけど」

「―でもお前の゛命令コトバ゛は解すよな、イコール心があるわけじゃなかったとしても」

「そういや、そうな」

 匡直は静かに溜息を吐いた。

「…お前は、もう少し自分の力を理解しようと努めるべきかもな」

「いや散々やったって、殆ど小学生の時だけど」

 小学生なりに、結構打ち込んだ筈だ。

「理解を深めることと、単純に事実を知ることとは違う」 

 それがいつどこで役に立つかは疑問だが。

「まあ、そのうちな―」

 恭は笑った。

 

 別れ際、気づいた。

「―そういえば足どうだった?」

 岸崎に戻った時、捻った足はどうなっていたのか。

「…気づかなかった、後で聞いとけよ」

 治ったままであるようにと恭は願った。迷惑を掛けたせめてもの罪滅ぼしだ。

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