第52話 エンプレス

【概要:女皇マイア登場。ライドーvsロリュー軍兵士】


ロリュー・ケイヤ北部にフシという小山がある。

かつてラーマ大陸を平定した太祖ケイが崩御されたとされる場所。

そこにライドーはいた。

そして着物を着た少女も。


着物の少女の名はマイア・P・ルルナイエ。

この国の女皇である。


フシは御所から続く裏山。

そこへ一人で抜け出してきていた彼女を探し当てたのだ。


ライドーは木の上部をジッと見つめている少女に声をかけた。

しかし返答はない。


やはりという表情を浮かべるライドー。

少し変わっているという話を捜索時に聞いてはいたが

この着くずれた服装と投げ捨てられた帯を見るに

コミュニケーションを取る事も難しそうだった。


ライドーは近くに落ちていた彼女の帯を拾い

乱れた服装も直した。


そしてライドーは回り込んで少女が見つめる木の上部を見た。

そこには二匹の虫がいた。


一匹はカブトムシ。もう一匹はクワガタ。

二匹で木の蜜を飲んでいる。


少女はカブト虫を指差してこういった。


「…オス」


「うむ、まあ雄だな」


ライドーは頷いて同意した。

カブト虫の雄雌の判断は容易である。

立派な角が生えている方が雄だ。


そして少女は隣のクワガタを指差しこういった。


「…メス」


「いや、それは雄だ」


「カブトムシ」


「いや、クワガタだ」


そこで少女は固まりライドーを見つめた。

表情には驚愕の色が見て取れる。


恐らくクワガタという虫を知らず

クワガタの雄をカブトムシの雌と勘違いしていたのだろう。

たしかに角こそ違うが雰囲気はよく似ているし、当の本人たちも

まれに間違えて乗っかることがあるらしい。


多少のコミュニケーションを取れることに安堵した

ライドーは彼女が靴を履いていないことに気付く。

どうしたのか聞くと"よくわからない"との返答が来た。


ライドーは頭を抱える。

彼女をこのまま裸足で下山させるわけにもいかず、

しかし荒れた山道ゆえおぶるのも危険が伴う。

自分の靴もサイズが合わないだろう。

せめて、もう一人いれば

その者におぶらせて、ライドーがフォローするということも

できたのだろうが…


そこでライドーは捜索前に女官長に持たされた

携帯電話のことを思い出した。

旧世界の通信装置である。

パレナではまだ普及していないものであった。


ライドーは電話を取り出すべく懐に手をやった。

その時、視界に人影が写る。


軍服を着たロリューの兵士である。

今回の女皇の探索に携わったのは、女官長初め、お付の者数名と

パレナから派遣されてきた戦士団の者数名のみ。


軍人には一切、女皇が失踪した件は話してはいない。

さらには、この山は霊山である。


基本的に皇室関係者以外は立ち入りを禁じられている。

バザムの軍ならその禁忌は侵さないだろう。


ということは、つまりこの兵士は今だ街で交戦中の

ギー配下の兵である可能性が高かった。

そしてスラリと刀を抜いたことでそれはほぼ確定する。


兵士は抜刀して踊りかかってきた。

ライドーにではない。マイア女皇に対してだ。


前王派の者にとっては女皇という存在は

ロリューを統治する上で邪魔な存在でしかなく、

ゆえに、全王フバームは皇室関係者の大粛清を行なっていた。

そして奇跡的の残った一粒種の女性がこのマイア女皇である。


追い込まれたギー軍、および前王派の者たちにしてみれば

彼女の暗殺こそが唯一の勝機である。


彼女の存在が辛うじてバラバラだった

天皇派の軍閥たちを纏めていたからだ。

彼女がいなくなれば彼らはただの烏合の衆と成り果てる。


兵士は裂ぱくの気合を持って斬りかかって来た。

彼がここに来たのはただの偵察のためであり、

暗殺ではない。


しかし、目の前に自軍の勝利の行方を左右する標的がいるのだ。

ここでいかないという選択肢などなかった。


ライドーは、兵士の動きから

かなりの腕前を持つ剣士であると看破した。

そして自分の技量では彼の剣技に対抗できないとも。


身をていして女皇を守ることもできるだろう。

しかし、それだけでは死体が一つ増えるだけだ。


ゆえにライドーはわざと女皇への道を開けた。

動揺させるためだ。


警護対象を無防備にするという無謀。

だからこそ相手は疑心に陥る。

さらには、どく前に地面を弄って何かを仕掛けたような

素振りも見せるというあざとさ。


だが兵士は罠などないと看破し、

ライドーの横を通り過ぎようとする。

しかし当然ライドーへの警戒を緩めない。


視界が途切れた瞬間に絶対に仕掛けてくると

予期していた。


ライドーは兵士の予想通り、持っていた棍を

兵士に向かって投げた。


予期していたのだから当然かわせる。

兵士は棍の軌道を完全に見切り、少し身をかがめ

それをやりすごす。


追撃はなかった。

ライドーの位置を目の端で確認しそう判断する。


後は、目の前の女皇という標的を斬るだけ。

これでこの戦争も終わるだろう。


ギーを王とした新たな治世。

ロリューは輝かしい歴史の幕を開けるのだ。

何とすばらしいことか。


兵士は恍惚の表情を浮かべ勝利を確信した。

そして何かに足を取られ転倒する。


足を見る兵士。

そこには複数のロープの先端に球状のおもりを取り付けた

狩猟用アイテム"ボーラ"が巻き付いていたのだ。


ライドーが投げたものであった。

女皇への道を開けたのも、棍を投げたのも

すべてはこれを決めるための布石。

そして心理トリック。


リカード・ファルコ著『アンリライアブルマインド』

人の脳が作り出す危うい精神を多角的見地から纏めた学術書である。

その中でも、人は見たいものだけを見る、の項目が興味深い。


脳はけっしてすべてのものを把握しているわけではない。

むしろ把握しないことで理解を単純化する機能を有しているのだ。

そしてそれは刻一刻と変化する状況に瞬時に対応するために必要な機能。


しかし疑心に陥った者は注意深くそして広くモノを見ようとし

その機能を自ら停止させてしまう。


禅僧や各種競技者が至る究極の集中状態"ゾーン"に達することなく

注意力が逆に散漫になってしまうのだ。


看破が看破とならず、無いと断じた足元への罠にまで気を使う精神状態。

そこに絶妙に分かりにくい攻撃の気配を後ろから臭わせられれば飛びつかないわけがない。


そして軽々に答えを出してしまう。

これが相手の本命の攻撃だと。


あとは時間差で放たれた二撃目のボーラ。

たしかにトリックプレーではあるがライドーにだけ注視していれば

予測もできたし、かわすこともできたであろう。


だが先刻の心理トリックと視線が切れたことも相まって

劇的なまでに決まったのである。


これがライドーである。

今でこそ、ナザレ付きの交渉担当官として魔道師会に所属しているが

かつては格上の武術家も奇策で打ち倒す

大物喰いのライドーの異名を持つ戦士団の猛者。

そこそこの手錬れでは相手になるはずもない。


ライドーはつぶての一撃で兵士を昏倒させると

男の靴を見てこういった。


「よし!こいつのサイズなら、ちょうどよさそうだな」


靴を剥ぎ、女皇にはかせるライドー。

その時、南風が山林を吹きぬけた。


パレナ、ロリューともに不吉の象徴。

死を呼ぶ瘴気をまとった風。


ライドーはその風に吹かれながら

今回の護送任務はたやすくは済むまいな、と予感していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る