第175話 国を担う覚悟




 アンナが無事に出産を終えておよそ半月。ドナウは何事も無く時を刻んでいた。各地で麦の収穫が行われ、どこもかしこも収穫祭が執り行われた。一年の苦労を祭りで労い、来年の活力へと繋げるためだ。

 さらに今年は大国ホランドを討ち果たし、長年の脅威を完全に取り除いたのも手伝って、どこもかしこも一際派手な祭りを催している。

 中でもサピンに従軍した地方軍徴用兵は村の英雄として、どこでも引っ張りだこになっている。王家から祝い金を賜るか、ホランド軍から接収した体格の良い脚竜を村へと持ち帰り、領主からも二年間の税の軽減を約束されている。ここまで村へと貢献した独身男を村の娘が放っておくはずが無かった。男達はその中から一番の娘を選び嫁に貰う。命懸けで戦った兵士への正当な報酬だった。

 収穫が終われば今度は王家主催の竜レースの選抜となる。昨年の収穫後と今年の年始のレースは戦で延期されたが、それも終わり、かなり急なスケジュールだったものの、振り落としの為の予選が各地で行われている。

 今年はかなり多くの参加者が居て、レース関係者は悲鳴を上げている。それもこれも戦利品としてホランド産の脚竜が大量に地方に持ち込まれて、それに乗った『にわか騎乗者』が大量に参加を希望したからで、毎日そんな即席騎手を相手に選抜を行わなければならない。

 彼等の犠牲によって無事に地方予選は終了し、七月に王都周辺の刈り終えた麦畑でエーリッヒ王子主催の第三回竜レースが開催される事となる。

 そう、王子主催のレースだ。このレースにドナウ王カリウスは観覧しない。レースのある日は恐らくカリウスはドナウに居ないので、代行としてエーリッヒがレースを取り仕切る。

 カリウスは今、ホランドへと旅立っている。戦う為ではない。今後の西方の枠組みを作る、その総仕上げの為の行幸だ。

 ユゴスとレゴスがホランド全土を占領して、かつての王都であるカドリアで正式にホランド滅亡と、その領土配分を王達が認め合う。一種のデモンストレーションの為にカリウスは旅立った。

 さらに新リトニア王リドヴォルフ=ラインラント、新プラニア王シャルル=フィリップとその息子セシルも独立国の王としてドナウ以外の二国の王に認めてもらう為に共に旅に出ている。同じくレゴスが支援した新たなサピン王もその場で独立を宣言するだろう。

 全ては西方を荒し尽したホランドの後始末の為に各国が奔走する羽目になる。新しい仕事の為の政治ショーだった。

 その間の政務は全てエーリッヒとカールが代行する。エーリッヒは元からだが、カールはサピン統治の為の練習に近い。どんなに遅くても今年中には下賜されるサピンへ下向し、領主として政務にあたらなければならない。はっきり言って無茶にも程があるが、他に適任者も居ないので、詰め込み作業的に知識と手法を学ばなければならなかった。不幸中の幸いだったのが、本人にやる気がある事と、以前から国政に興味を持って自発的に勉強をしており、基礎の基礎ぐらいは修めていた事ぐらいだろう。それでも15歳の少年には色々と荷が重く、多くの大人の助けを必要とした。

 毎日朝から晩まで統治のイロハを叩きこまれ続けるカールは疲労の色が濃いものの、本人はやる気を失う事無く取り組んでいる。毎晩婚約者のロベルタが寝物語にサピンの知識をカールに語り、彼を支えていた。この情事が活力となって、少年は毎日未来の為に知識を溜め込み続けた。誰に教えられたか分からないが、ロベルタの見事な男性操縦術である。

 もう一人の王子であるエーリッヒは普段から国政に携わっており、国王の代行も過去に何度か経験もあって、そつなくこなしているが、単純に仕事が増えて息子や嫁との触れ合いの時間が減ってイライラしている。しかし妻子の前ではそんな素振りを見せる事無く、良き父、良き夫の姿を見せて、政務で疲れた心身を癒している。



 そんな中、アラタはと言えば、忙しい職務の合間に友人のウォラフと昼食を摂っている。ただ、今日はさらに二人同じ卓に就いていた。

 諜報部のヴィルヘルムと農務省のロラン=ガイスト。二人は共にウォラフとアラタに関わりがある。ヴィルヘルムは言うに及ばず、アラタの義兄弟。ロランは妹がヴィルヘルムに嫁ぎ、彼自身はウォラフの従姉妹を嫁にした。

 この四名は血の繋がりは無くとも一応の親族となる。ドナウの未来を担う若手四人は稀にだが今日のように一緒に食事をする事があった。あまり四人が一緒にならないのはロランには外回りの仕事が多く、あまり王都に居ないのが主な理由である。


「陛下は今どのあたりに居るのでしょうか?」


「出立したのが二十日前だから、アルニアの西側に居ると思うよ。行幸中は各地の視察と慰撫を兼ねているから、歩みは結構遅いね」


 ロランがウォラフに話しかける。二人は父親同士が友人なので幼少から交流があり仲が良い。歳も三歳ほどウォラフが上で、ロランは彼を兄のように見ていた。

 チーズを咀嚼し終わったアラタがそこに捕捉を入れる。


「道中は安全だから大丈夫だろう。ホランド軍は跡形も無いし、現地の人間は皆ドナウ贔屓。ホランドに入ってからはちょっと危険かもしれないが、護衛は近衛騎士団の半分。彼等に喧嘩を売る気概のある集団はもう無い」


「ですね。ホランドにはユゴスとレゴスの軍も駐留している。はねっ返りはとうに居なくなっているか、頭の良い奴等は何もせずに頭を下げるでしょう。

 それより、ユゴスとレゴスは本当にドナウの今の占領地を認めるかどうかの方が私には気になりますね。一応事前交渉でほぼ決まっていますが、領土の広さから土壇場で反故にしないとは言い切れませんよ」


 アラタが道中の安全を主張し、果実酒を飲み終えた横のヴィルヘルムも同意するが、外交畑の彼にとっては治安より、その後の二国との最終協議の方がきになるのだろう。ユゴスもレゴスも国王以下貴族は道理の通った人間も多いが、中には欲をかいて要らぬ仕事を増やす輩はどこでも一定数居る。世の中絶対とは言えない事の方が多い。


「その辺りは君の上司の外務長官殿に期待しよう。ここ最近働き詰めなのは申し訳ないと思うけど」


「それを言ったらこれからは、ここにいる全員が扱き使われる身分だからな。のほほんと過ごせる時間はもう終わってるぞ」


 外務長官のハンスがここ一年全く休まず働き詰めなのを燻製肉を呑み込んだウォラフが気の毒そうに言うが、アラタからすればドナウ貴族全員がこれから領地より休みを願うほど働かされると指摘した。

 しかしそれを聞いてヴィルヘルムとロランはやる気を見せる。二人とも向上心旺盛な性格であり、家庭を持ったからには少しでも偉くなって稼ぎを良くしたいと日頃から考えていた。


「とはいえ人も予算も有限だ。やりたい事は数多くあるがまず最初に手を付けるのはリトニアの農地の整備になる。あそこは西方一の大穀倉地帯。今まではホランドの農業への無理解で灌漑設備の整備も碌にしていないから、まずは水路の復旧だろう。喜べロラン、君が目標としていた水路整備の練習と勉強が出来るぞ」


 アラタがロランに励ましの言葉を贈ると彼は緊張しながらも意気込む。農務官僚と建務官僚は今ドナウ官僚の中で一番忙しいが、その分予算は多く割り振られているのと、多くを学べる環境と実績を積む機会を与えられたので、ロランのような若手官僚には今が一番のチャンスと言えた。ただ、その為に新妻と離れ離れになるのは少し辛いと愚痴る。


「そう言えばカルラちゃん妊娠したんだって?折角子供も出来たのに離れ離れになるのは辛いね。ヴィルヘルム君のところも出来たって聞いたけど」


 カルラと言うのはロランの妻でウォラフの従姉妹である。

 子供の話題に触れると、二人は気恥ずかしそうにしながらその通りだと答え、干しイカのスープを飲んでいたアラタに礼を言う。二人は以前アラタが開いた妊活教室に参加して、その後しばらくして妊娠した事を感謝していた。


「俺はそこまで大きな事はしていないさ。参加した人が全員子供に恵まれたわけじゃないんだ。身籠ったのは二人の、そして君達の奥さんの頑張りだろう。まあ、救われる人間が居る一方で、救われなかった人が居るのは良い気分じゃないな」


 アラタの伝えた知識を元に、不妊に悩む夫婦はひたすら子を授かるのを願って毎日努力していたが、若い夫婦を除き、参加者で妊娠できたのは四割程度。後は未だに効果が表れていない。喜びに溢れ、アラタに感謝を述べに来る夫婦が居る一方で、効果の無い夫婦は絶望的な状況に追いやられていた。彼等からの逆恨みこそなかったが、あまり気持ちの良いものではない。アラタは少し気分が沈む。


「医者だって全ての人間を救えるわけじゃないんだから、あまり気にしてはいけないよ。君は全力を尽くして多くの人に祝福を与えたんだ。そこは誇って良いと思うよ」


「気を使ってもらって済まない。そう言えばウォラフの所の二人目はどうなんだ?確か名前はニーナちゃんだったな」


「勿論毎日可愛いよ。トーマスもお兄ちゃんになったから毎日、妹を護るんだって剣の修行に熱心だ。妻は将来美人になるから、今から化粧道具を揃えたいとか、花嫁衣裳をどうしようとか母と一緒になって楽しんでいるよ。父は婚約者を探そうとしているけど、速過ぎるって私が止めているぐらいさ」


 今年の初めに産まれた長女が可愛くて仕方が無いのか、ウォラフはデレデレと顔を崩して如何に娘が可愛いかを三人に語る。生まれてから三ヶ月以上会えなかった不満を解消するかのように構い倒す姿は完全な馬鹿親である。

 その姿にアラタは苦笑するが、本人も生まれたばかりのアドリアスとイリスを可愛がっているのだからウォラフを笑えない。誰しも子供は可愛いものだ。


「いい加減婚約者の申し出を断るの面倒なんだがなあ。オイゲンは元より産まれたばかりのアドリアスやイリスの伴侶にと言って同じぐらいの赤子を紹介されても困るんだが」


「それは貴族なら仕方のない事さ。何と言っても君は王女殿下の伴侶かつ近い内に大領主になるんだ。親族になって美味しい思いをしたいと思う貴族は幾らでも居るよ。噂じゃ君がザルツブルグ家の後釜に座るんじゃないかって話が飛び交ってるんだ。歓心を得ようと必死になる輩は思った以上に多いよ」


 ドナウ中に塩を供給していた王家ゆかりのザルツブルグ家所領預かりの沙汰は国中に激震が走る大事だった。如何に勅命を無視し、総司令官のカール王子の命令を聞かなかったからと言って、親族でさえ厳罰に処すカリウスの果断さは、王家に不満を持つ貴族の反抗心をへし折る結果となった。

 そして一時的に主人の居なくなった領地を誰が管理するのか、それがここ最近の貴族達の大きな関心だった。その第一候補に挙がっているのがエーリッヒ、次点でアラタだった。


「そういう話があるのは知っているが俺は違うぞ。あくまでザルツブルグ領は王家預かりであって、俺に渡される領地は別にある」


 建前上は王家の管理下に置かれるのだから、私有財産になる領地とは違うとアラタは関与を否定した。

 そこに鹿肉のサラミをパンに挟んで食べていたロランが食べ終わってから、ザルツブルグ領で気になる事があると切り出す。


「ザルツブルグ家で思い出しましたが、あの家は本当にマウザーの地に行く気があるのでしょうか?もう六月の半ばで、期日まで二月も無いですが、農務省内でも建務省にいる父の話でも開拓に必要な資材や農具の類を用意しているという話を全然聞かないですよ」


「それは諜報部でも噂になっている。普通なら開拓地に地形や水源を調査する人間を送ってもいいのに、碌に人を寄越さず、拠点となる仮の館の建築すらしていないとな。陛下の御命令を聞く気が無いと専らの噂だ」


 ロランは物資の動きが無いのを不審に思い、ヴィルヘルムは人の動きが無いので、ザルツブルグ家が王家に反抗の意志ありと見ていた。さらにウォラフから騎士の中に妙な動きがあると口にする。


「そのザルツブルグ家にゆかりのある騎士に帰郷命令があったよ。手紙には何も聞かずにすぐに帰って来いとだけ書かれていたんだ。私と副長のスタイン殿とで止めたけど、正直言って穏やかな雰囲気じゃないね」


 王家に対する反乱ではないのか。三人の結論はそこで一致した。

 三人はこの中で一番情報を持っているであろうアラタに視線を向ける。数秒の沈黙の後、アラタは他言はするなと前置きして現在分かっている事を三人に話す。


「マンフレート=ザルツブルグが何を考えているのか知らないが、現状分かっているのは素直に領地を明け渡す気が無いという事だけだ。それと家臣や領民に口を開けば王家を罵倒ばかりしているそうだ。殆ど徴用兵が帰ってこなかったから、それに同調する素振りを見せる領民も幾らか居るらしい。確実とは言えないが、まあ謀反だろうな」


「それを座して見ていると?事前に反乱の芽を潰すような事はしないのですか?」


 ヴィルヘルムがアラタに食って掛かる。彼から見れば反乱の兆しが見えているのに、それを放置している節のあるアラタが何を考えているのか分からない。それが気に食わない。


「まだ証拠が無いからな。ここで兵の動員でもしていれば理由付けになるが、王への不満をぶちまけるだけでは注意勧告が関の山だ。確実な証拠でも無ければ王でも処罰はし辛いし、八月まではまだ時間がある。ただ、仮に反乱に至ってもそこまで困りはしないがな」


「確かに兵力の差を考えれば、二千の直轄軍でも鎮圧に差し向ければ解決するね。向こうは今から兵を募っても、集まるのは素人ばかり。熟練の直轄軍なら簡単に蹴散らせる。むしろこうなる事が分かってて陛下は領地預かりなんて処分を下したのかな?」


 相変わらず聡い男だとアラタは思う。ウォラフの言う通り、カリウスはマンフレートを暴発させてザルツブルグ領を召し上げるつもりだ。その為、わざと彼を焚きつけて独断専行を誘発、衆目の中で叱責の後、到底耐えられない命令を下す。その命令をまともに護るはずも無く、怨みから反乱を起こさせて、それを理由に領地没収。全てウォラフの父、ゲルトの筋書き通りだ。


「―――もう少し頭の良い男なら今後も統治を任せても良かったし、生き残れたんだろうがな。尤もそんな手合いなら最初から上っ面だけ取り繕って、こちらを油断させてから寝首を掻くだろうが、そんな頭も無いんじゃどの道先は知れている」


 王族ならもっと頭を働かせるか、生き汚くなれと罵倒する。アラタからすれば無能なら無能なりに人畜無害を装うか、ひたすらに神輿として担がれていろと言い放ち、破滅する貴族への情けなど微塵も無かった。

 そんな姿をウォラフは相変わらず容赦が無いと苦笑し、ヴィルヘルムはもっと狡猾さと冷徹さを磨かないと義兄弟に追いつけないと、対抗心を燃やす。あまり関わりの無いロランは一切の容赦を見せず、率先して大貴族を処断する姿勢に、アラタも王も絶対に怒らせてはいけない相手だと恐怖を隠すのに必死だった。勿論三人とも今聞いた話を他言しようとは思わなかった。

 短くも濃密な休憩時間はもう終わっていた。



 善人に為政者は務まらない。彼等は簡単に人を切り捨てられずに判断を下せないか、精神を病んでしまう。悪人程自分や属する集団の利益を優先させて打算で人を殺せる。反抗的な貴族を切り捨てられるカリウスを筆頭としたドナウ上層部は間違いなく善人では無いが、同時に無責任ではない。全てはドナウ王国二百万人、そしてこれから国民となる人々の全てを背負う覚悟故の冷徹な取捨選択の結果であった。



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