第147話 強欲なパイの奪い合い



 レオーネ家の朝食は慌ただしい。家主夫婦とその息子の四人に、居候の男女四人が一斉に食事を摂るのだ。会話も相応に弾むし、幼いラケルは食事をしていてもあまり落ち着かない。

 本日の朝食は具だくさんの炊き込みご飯だ。具は季節の野菜や干し貝の戻し、砕いた豆も入っており、魚醤で煮込んで味付けされている。ドナウは基本的に麦を主食とするが、サピンは米の栽培も盛んな為、三人娘に合わせて時々食事には米を出すようにアラタは命じていた。特に王都エルドラのある南サピンでは、米を中心とした食文化を形成しているので、三人は食べ慣れた米を喜んで食べている。

 西方で流通している米はほぼ全て長粒種の粘りが弱い。その為、蒸すか煮込むのが調理の主流だ。あるいは屑米を粥にして食べたり、さらに粉に挽いてから練って団子にするか引き延ばしてライスペーパーとして料理に使用する調理法もそれなりに普及していた。

 他にもアラタが米を使ったお菓子を試しに作ってみんなに振る舞うと、三人以外にもマリアとアンナもこぞってまた食べたいとアラタにねだった。米をヤギの乳と砂糖で煮込んだライスプティングや潰して平たくした米を豆を絞って取り出した油で揚げるオコゲ、他にも希少なもち米を使って作る餅なども好まれた。だが、あまりにも食べ過ぎていたのを見かねたアラタが、一言『太るぞ』と呟くとマリア、アンナ、ロベルタの手が止まってしまい、クロエとラケルはそんな三人を不思議そうに眺めながら、気にせずお菓子を食べていた。

 女性陣の繊細な心情はさておき、一番最初に食事を食べ終えたアラタは息子のオイゲンをあやして他の面々の食事が終わるのを待っている。この屋敷の中で一番食べるのが早いのはアラタだ。これは軍時代の常に敵襲に備えて可能な限り手早く食事を摂取する技術をそのまま使用していたので、家の中では誰よりも早い。と言っても全員との会話は疎かにしないし、作法を乱す事は無いのだが。

 横に控えていたアンナの従姉妹の乳母ヒルデが自分の仕事を取られてしまって手持ち無沙汰にしている。最初は当主に子守りをさせるのに難色を示していたが、アラタの方から『貴重な時間を息子との触れ合いに使いたい』とお願いされてしまったので、内心では変わった人だと思いながらも子煩悩さに好感を抱いていた。


「随分オイゲンも重くなったなあ。お母さんのお乳を沢山飲んでるか?最近はあちこち動き回るからヒルデも目を離さないように大変だろう?」


「いえ、赤子は元よりそういうものですから苦になりません。私の子供もオイゲン様ぐらいの時は同じようにじっとしていませんので慣れていますの。寧ろ元気なご様子ですのでほっとしています」


 髪の色は違うが、アンナに似た乳母は朗らかにオイゲンの毎日の様子を語る。まだ一人で立ち上がる事も出来ないが、目を離すとすぐにあちこちにハイハイして動き回るので、却ってその元気さから病気にならないだろうと喜ばれた。


「ラケルもオイゲンちゃんのこといつもみてるよ。きのうはおしめをかえてあげたの。えらいでしょ?」


「おお、そうだな。ラケルは弟の事をいつでも見てくれる偉いお姉ちゃんだぞ」


 アラタに褒められたラケルはえへん、と自慢げに小さな胸を大きく張る。オイゲンが生まれてからラケルはずっと構い続けており、傍から見れば本当の姉のように接している。それはラケルへの情操教育としては歓迎すべき事柄だが、これから先ちゃんと弟離れ出来るのか周囲は結構心配している。

 そうした不安はあっても笑顔の絶えないやり取りを毎日のように続けるレオーネ家はドナウでどこよりも幸せな家だった。



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 そんな華やかな朝食とはまるでかけ離れた男臭い部屋で仕事をしなければならないアラタは職務とは言え気の滅入る思いだった。


「何か不満そうだなレオーネ殿。文句があるなら遠慮なく話してくれていいんだぞ」


 いまいち気分が乗らないアラタの顔を見たジークムント=ブルームがいつも通り気難しそうな顔で釘を刺してくる。彼はマンフレート=ザルツブルグのようにアラタが憎い訳では無く、人生の先達として職務中はそのようなネガティブな顔をするなと忠告しているだけだ。


「これは失礼、大した事ではないので以後気を付けます」


 実際本当に大した事は考えていなかったので、素早く意識を切り替えて仕事の事だけを考える。言葉通り、雰囲気が変わったのを肌で感じたジークムントはそれ以上の追及はしなかった。



 暫くするとカリウスが部屋に入って来た。王が上座に座ったのを合図にルーカスが会議の開催を宣言する。本日の議題は昨日王城にやって来たユゴスからの使者が持ち込んだドナウへの参戦依頼についてだ。

 現在ホランドのユゴス侵攻は停滞を余儀なくされている。四万五千の兵の内、二万を失いあまつさえユリウス王子が戦死した事で、ホランド内は大混乱に陥っている。さらにドナウとは国境で一触即発の交渉を続けており、バルトロメイは動けない。止めとばかりにホランド南部では正体不明の武装勢力が略奪を繰り返しては海へと消えて行く。外から見ればホランドはガタガタ、もう一押しすれば容易に倒れるのではと思うのは仕方が無かった。

 それ故、ユゴスはこの機を逃さず、一気に攻めかかろうとドナウ、そして不倶戴天のレゴスへと共闘を持ち掛けて来た。


「―――以上が外務省からの報告です。これは補足ですが、使者の様子を見るに、ユゴス王は是が非でもドナウに参戦してもらいたいとは考えてはいないようです」


 もとよりドナウは先立って援軍五百を送っているので既に支援は十分。だからこそユゴス王からの要請は比較的緩いものだ。しかし、体制の整っていないホランドに今すぐに襲い掛かれば容易く滅ぼせるのではと甘い誘惑に駆られるのも事実だった。

 しかしそこで直轄軍司令のオリバーが閣僚達に待ったを掛ける。


「直轄軍は今しばらく時間を頂きたい。新兵装の転換訓練、特に火砲部隊は十全な練度とは言えませんので、せめて来年までは訓練が必要です」


「諜報部からももう少し準備に時間を掛けておきたいのですが。プラニア、リトニアの現地住民への工作はおよそ整っていますが、まだサピンとアルニアは手付かずです。最低でも二国は半分程度で良いので工作を待って下さい」


 オリバーに続き、アラタも準備不足を理由に待ったを掛ける。アラタは兎も角、実際に矢面に立つ軍部が反対したことで、閣僚達からは少し様子を見て、参戦を少し待った方が良いのではと思い直した。実の所、今すぐにホランドに攻めかかる必要性はドナウには無い。ならもう少し準備に力を割いて、より戦力を整えた方が損失も少ないのではと考える。以前からユゴスには、ホランドとの不戦協定が切れてから参戦すると前もって伝えてあるので、ここで断っても不義理には当たらない。それどころか秘密裏に援軍まで派遣しているのだから、義理分以上の働きはしていると言える。

 だが、ユゴスの頼みを突っぱねるのも先方の機嫌を損ねるので、多少は妥協しておいた方が今後の外交への良い取引材料になると打算も働く。ここですかさず近衛騎士団長のゲルトがオリバーに質問を投げかける。


「では、来年にはある程度兵の練度も満足のいく形になるわけですねツヴァイク司令」


「あと一年待ってもらえば火砲隊千人が揃うが、半年なら最低五百、上手く行っても六百が限界ですな。特に火薬の扱いはナパームと同等以上に難しいので、あまり下手な者を実戦投入して、要らぬ損失を増やしたくありませんので」


「では私も今すぐは戦わない方が良いと判断いたします。『兵は拙速を尊ぶ』と言いますが、準備不足が行き過ぎた場合こちらが負けかねません。ある程度時間を掛けてでも兵を鍛えて、半年後に持ち越すべきです」


 ゲルトはオリバーから軍の現状を聞き、まだ早いと結論付けて今すぐの挙兵を反対する。同じ武門として練度不足の危険性を理解している故の意見だった。

 三人の戦闘技能者が反対に回った事で会議の流れはほぼ決まった。ユゴスの要請は一部断るが、参戦を早める方向である程度ユゴスに配慮する形となった。それを聞いたオリバーは最悪は免れたがまた現場の兵や士官達に無理をさせて、不満が溜まって文句言われると困り顔だった。

 取り敢えずユゴスへの返答は決定したものの、まだまだ議題は山積みである。



 次の議題はホランドを打倒した後の占領地の配分をどうするかだ。現在西方で力を持つ国はドナウ、ユゴス、レゴスの三国。その三国でホランド、アルニア、リトニア、プラニア、サピンの四ヵ国分をどうやって統治するのか。ドナウの思惑はリトニア、プラニアはドナウと直接国境が接しているので、確実に勢力下に組み込まねばならない。ついでにサピンやアルニアも組み込めば最良だが、それを行うと今度はユゴスとレゴスから妬まれるか、国力を上げすぎて危険視されかねない。

 ただ、実際問題ユゴスとレゴスの間にはホランドが挟まっているので統治するには遠いのだ。ホランドを完全に滅ぼしてユゴスかレゴスが領土を併合すればアルニアに接続出来るものの、それでも二国で二国分しか領土が手に入らない。ドナウ一国で最低二国、さらにサピンも手に入れるとなると、余程優位な交渉材料が無ければユゴスもレゴスも納得しない。一応リトやロベルタのように元王族を王に建ててから、ドナウ人と婚姻して併合するなり間接統治するなり考えているが、実質ドナウの領土になるので他国は感情的に面白くないだろう。

 レゴスにもロベルタ達と同様、エルドラ陥落前に多数のサピン貴族が逃れおり、レゴスが彼等を担ぎ上げてサピン統治を主張する可能性は高い。そうなったら今度はドナウとレゴスの関係が揺れる。レゴスもドナウと同様、アーロン王直系の男児は確保していない。傍流や女児がどれだけ居ても、直系の男児でなければ統治の確固たる正当性は主張出来ない。だからこそお互いに譲る理由が見つからず、サピンを巡って争いかねない。折角王族同士で婚姻して仲良くなったのに他人の為に仲違いしたくなどないが、一国分の領土が目の前に転がっていれば、飛びつきたくなるのは誰しも同じだ。

 全員があーだこーだと話しては悩んでいると、ジークムントがまだ確定では無いと前置きをして意見を述べる。


「昨年からユゴスとレゴスを交えて国家間の戦時協定のすり合わせを続けているが、二国ともこちらの制定した法をある程度認める意思を示している。その中の領土の主張権でも、武力を以って奪い取った土地は、相手国が降伏なり滅亡するまで実効支配していればそのまま領土として認める旨に同意している。

 この法を主張すれば表向きはドナウがどれだけ領土を併合しても二国は文句は言わんだろう。内心ではどう思っているのか知らんがね」


「問題はそこでしょうな。国同士の取り決めを破りはしないが、国の利益を損なう行動は、誰しも面白くないでしょう。仮に納得させるなら相応の代償ないし目に見える功績が必須となります。それこそ我が国単独で残るホランド軍五万を壊滅させれば、ユゴスもレゴスも納得せざるを得ません」


 ジークムントの法的解釈にハンス=フランツが同意しつつ、ちらりとオリバーの顔を見る。それを皮切りに閣僚達全員の視線が直轄軍司令へと集まる。全員何が言いたいのかはオリバーもおのずと分かる。

 二年前にホランド軍四万五千を相手取って僅かな損失で半壊させた実績がある以上、もう一度同じ事も出来るだろう?そう視線が語っていた。

 胃がキリキリと痛みを訴えたオリバーは頼みの綱を盗み見ると、目が合ったアラタは、普段色々無茶を聞いてもらっているのだから、こういう時に助けてあげようと発言の許可をルーカスに求める。


「現状の戦力でも五万のホランド軍を打倒する事は可能ですが、問題はホランドがひと固まりで決戦に付き合ってくれるかです。戦は数が多ければ優位になりますが、本土防衛に何割か戦力は残すでしょうし、五万の兵を五分割しつつ全方向からドナウを縦横無尽に蹂躙する可能性もありますので、どうにかして一纏めで行動してもらうように誘導せねばなりません」


 ただし、前回の様に簡単に釣り出せませんよ。とアラタが締め括ると、全員が難しい、あるいは落胆した顔を見せる。こういう時アラタなら簡単に冴えた意見をすぐに出してくれると期待していたが、今回は彼でも梃子摺りそうだとホランドの厄介さを改めて認識していた。実際に一万の兵が五ヵ所から同時に略奪焼き討ちを行ったら、どう考えてもドナウ一国では対処のしようが無いので、アラタの危惧は真剣に検討せねばならなかった。

 それに今回は今も戦っているユゴスの存在もある。先にホランドがそちらに向かうと、こちらの予定が狂う。可能な限り相手の行動を読んで軍を動かさねばならない寡兵のドナウにとってそれは困るのだ。さらにレゴスも勝ち戦に加わろうと、機を見て参戦する可能性もあるのでより今後の情勢が読み切れなくなる。戦力的には充実しているが、主導権を握り切れていないのがアラタはどうしても不安だった。

 しかしその顔は不安とは正反対にどう見ても口元を吊り上げて笑っているようにしか見えない。不利な状況程勝った時が愉快で仕方の無いロクデナシの本性が顔を出していたが、関わり合いになりたくないので全員見ない振りをしていた。


「その前に早急にユゴスとレゴスとも意思疎通を密にして、可能な限り二国の腹の内を知っておきましょう。しかる後、意思統一を図らねば各個撃破の的にしかなりません。ホランドとの戦は私の方で策を練りますので、閣僚の方々は利益のすり合わせをお願いします。あと、今回はどう考えても地方領主軍も戦に動員しないと手が足りませんので、陛下は内々に全ての地方領主に年内の兵動員を掛けてください」


「わかった、すぐに手配しておこう。アラタもしっかり策を練るのだぞ。そなたの知恵がドナウ勝利の要となると余は思っておる」


 カリウスからの激励にアラタは不敵な笑みを讃えて了承する。閣僚達は王に対して気安いと感じたが、二人は義理とは言え親子なのだから、敢えて苦言を呈するほどではないかとこの場は黙っていた。

 結果、この会議ではホランドへの有効手段は出てこなかったが、当面はユゴス、レゴスとの連携を重視する方針で固まり、外務省が主軸になって動く事が決定した。戦後のパイの奪い合いはどの国でも重要、だからこそあらかじめ話し合いで決着を着けておかねば次の戦の火種となる。友好国同士の戦など誰も望まない未来だ。


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