第145話 託された想い



 夜半、鞄を持ったロベルタは灯りを持った使用人に先導され、アラタの書斎への道を歩く。屋敷の主とは毎日顔を付き合わせているが、余人に聞かれたくない話をしたかったので、いつも家主が寝る前に書斎で仕事をしている時間を見計らって面会を願い出た。

 普通ならば非礼と言われて拒否される時間だったが、アラタは特に気にする事なく頼みを聞いてくれた。若い娘が妻子の居る男の部屋に夜分遅くに訪れるなど、これから何かしますと周囲に吹聴するようなものだが、ことアラタ=レオーネに限ってそのような事にはならないと確信していた。政治に関わらない小娘では怪物の腹の内など微塵も読み取れないが、彼の相手の身分を問わない誠実さと妻達への愛の深さはこの国では誰でも知る所なので、その点は信頼している。



 『怪物』――――アラタ=レオーネを称するならその一言が最もふさわしいとロベルタは疑っていない。この世の物とは思えぬ知識を有し、極めて異質な価値観で動く異邦人。故国サピンに居た頃に噂は耳にしていたが、やはり噂は当てにならないとつくづく思う。

 曰く、血も涙もない外道。火を自在に操り万の兵を焼き払う化生。国王を惑わし王女を生贄に差し出させた邪悪。孤児を育ててから喰らう食人鬼。根も葉もない物もあれば、単に誇張されただけの話、あるいはその逆で噂の方が大人しい話もあった。以前、興味本位でサピンで聞いた噂を彼本人に語ると、苦笑いを浮かべながら『予想より本質を突いた噂だな。やはり人の口は完全に馬鹿にした物じゃないな』と感心していた。およそ噂とは良い物より悪しき様の方が記憶に残るし歪めて伝わりやすいのだが、それを特に否定せず却って愉快に思っていた。普通ならそこまで悪く言われたら怒るだろうが彼はそうならなかった。


『多少悪意が入っているが噂はそこまで外れていない。

 俺はこの西方でも指折りの外道で邪悪だ。その邪悪を繋ぎ止める為にドナウ王はマリアを差し出した。まあマリアの事は元々嫌いではなかったから受け入れたよ。

 火の本質と原理を熟知していれば自在に操れるのも否定しない。まあ知っていれば誰でも出来るが。

 孤児を育てるのも食べはしないが将来役に立ってもらうから、助けているに過ぎない。それは慈悲では無く打算の産物だ』


 己を邪悪と言い切り、自らの功績を知識さえあれば誰でも出来ると言ってのける、面子と誇りを何よりも尊ぶ貴族とは決して交わらない価値観。それを恥じる事も無く、当然のように受け入れながらも微塵も卑屈さを持たない精神。しかし、噂のように情の欠片も無い外道とは思えない。寧ろ自分達三人を打算抜きで慈しみ、暖かく迎え入れて、今はもういない家族のように包み込んでくれた。


「だからこそと思う、私は彼が怖い」


「は?何か仰いましたか?」


「―――何でもありません。お気になさらずに」


 うっかり口に出てしまい慌てて、しかし何でもないように取り繕い、使用人を誤魔化す。使用人は怪訝そうな顔をしながらも、わざわざ追及して心証を悪くするほどでは無いと、そのまま流した。どうせ自分の仕事は案内だけだ。それ以上に首を突っ込む理由は無い。



 書斎の扉を叩くと、家主の返事が聞こえる。入室の許可を貰ったので、使用人の仕事はここまで。あとは用があるのはロベルタだ。彼女はある種の恐怖を感じつつ書斎に足を踏み入れる。

 部屋は書斎と言うが、書籍が占める割合はそれほど大きくない。元々この屋敷で生活し始めたのが二年程度の短い期間もあって、現在の持ち主が揃えた分だけだ。ただ、二年以内と考えるとかなり多い。半分は妻の一人のアンナが実家から持ち込んだ私物も入っているからだろう。もう半分は目の前の主人が作った仕事関係の書類ばかりだ。

 ロベルタが入って来たので筆を休めているが、つい先ほどまで書き続けていたのだろう。インクを乾かすために数枚の書面を宙づりにしてある。海獣の油の照明があっても夜中は暗いので書面はよく見えないが食材の名がちらほら散見する。料理の作り方でも記してあるのだろうか。


「夜分遅くに申し訳ありません。そして時間を割いて下さった事に感謝致します。ここでしたら人に聞かれずに話が出来ますから」


 書面の内容が気になったが、まずは自分の為に時間を割いてくれた事への感謝を述べる。それをアラタは気にせず、ロベルタに椅子を薦めて、自ら用意してあった茶をカップに注いで歓迎していると態度で示した。

 互いに一口飲んでからロベルタが本題を切り出す。彼はあまり前置きの長い話を好まないのは一緒に居た半年で把握している。


「人伝ですが、六月の末にユゴスに侵攻したユリウス王子が戦死して、ホランド軍四万も半壊したと耳にしました。城では昨日から対策の為の会議が開かれていると聞きましたが」


「昨日の今日で知っているとはな。緘口令は敷いていたはずだが、良い耳を持っている。出所は近衛騎士や官僚じゃないな――――口の軽い使用人あたりがポロっと口を滑らせたか。まあ何の責任も無い職じゃ完全には防げないか」


 溜息を吐いて口の軽い使用人にぼやく。ここで否定しないのはロベルタが事実だと確信しているのと、洩れてもドナウに不利になる情報ではないからだ。だからと言って外に言いふらすのは止めてくれと釘を刺すのは忘れないが。

 参考までにどうやって聞きだしたのかとアラタが聞くと、殿方は分かりやすくて口が軽いと、自分で口を割らせておいてロベルタは呆れを隠さない。もっとも目の前のアラタには通じそうもないだろうが。


「色仕掛けと言うほどではないのだろうが、程々にしておきなさい。元々君はドナウにとって招かれざる客だ。悪評は自分や二人の妹にも帰って来る。それにカールが悲しむんじゃないのか?」


 ラケルとクロエの名を出すとロベルタは気まずそうにして、さらにカールの名を聞くと薄暗がりで見辛いが、はっきりと彼女の頬に朱が差すのをアラタは見逃さなかった。

 好きな男に嫌われるのが嫌なら最初から色仕掛けなどしなければいいのにと思うが、彼女なりに考えた結果の行動だと思って、それ以上の追及はしなかった。それに色仕掛けと言っても肌を見せたり身体を触らせるような事はしていない。精々、上目遣いでお願いした程度のものだろうが、絶世の美女のお願いなら大抵の男はそれだけで墜ちる。自分の資質を理解して有効利用するのは褒めても良いが、やり過ぎると後が怖いので、庇護者として注意だけはしておいた。


「ごほん、話を戻しますが、カリウス陛下や他の方々は今後どのようなおつもりなのでしょう?」


 ロベルタが色々と調べているのを知って隠しても仕方が無いと判断したアラタは、他言するなと念を押した上で会議の内容を教える。


「ホランドの出方次第と言いたいが、国境沿いの襲撃と合わせれば、まあ戦になるな。どの道、不戦協定の切れる来年には戦でホランドに止めを刺すつもりだったが、ユゴスが勝った勢いに乗って参戦を急かされる可能性も考慮して、来年の頭に宣戦布告する段取りも組んでいる。

 所でロベルタは何故ホランドがここまで西方に覇を唱え続けられたか考えた事があるか?二十数年前はドナウやサピンと同程度の国土しかなかったのに、今はその数倍の国土を支配している理由を」


「―――父や祖父は突出した軍事力のお陰だと話していました。農耕を碌にしない蛮夷故に戦う時期を選ばない戦狂いだと」


 相当に偏見と悪意に満ちた評価だが、言葉そのものは間違いでは無い。農耕をしないのも西方では珍しく国土が痩せており農業が出来ない。かと言って豊富な鉱物資源に恵まれておらず、狩りか牧畜ぐらいしか生きる糧が手に入らず、生まれた時より試練に晒されれば、頼りになるのは己の武しかない。

 歯に衣を着せない言い方をすればそうなるが、それを数十年続けて覇権国家に居座っているのだから、それはそれで大したものだとアラタは強さだけはホランドを認めている。だからこそ徹底的に破壊し尽して捻じ伏せ、涙が枯れ果てるまで蹂躙したかった。


「言い方は兎も角、それは正しい分析だ。そして併合した国の住民を残らず農奴や鉱奴に落として食糧生産や鉱物資源の採掘及びその加工を担わせて兵力を維持している。でなければ十万を超える兵力の維持は不可能だ。だからドナウはこれよりホランドが併合した国全てを引き剥がし、兵も悉くすり潰して元の遊牧民の集団に戻ってもらう。勿論、君の祖国サピンもホランドから解放されるだろう」


 その後はドナウ、ユゴス、レゴスの三国が直接か間接的に統治に関わる。その統治を効率よく行うには元来の王の血筋や貴族を利用するのが最も反発が少ない。だからこそ傀儡が必要になる。セシルの実家、フィリップ家をドナウが支援するのもその一環だ。

 その方針自体に反対はしない。ホランドが一掃されたと言っても民はその土地に残る。彼等を庇護し導く役目の王が既に居ないのであれば、代わりにドナウが責務を引き継いでもホランドの統治よりは遥かにマシに違いない。それだけホランドの統治はずさんで過酷だった。サピンの民の生活を保障してくれるなら、ドナウが王となってもロベルタは一向に構わない。そしてその為の円滑に統治する手段として自分を利用するなら断りはしない。それはすなわち自らの、または幼い従姉妹の二人に流れる王の血を今後も伝え続けて、サピン統治に用いるという事だ。それは今は亡き祖父マウリシオ=バルレラの遺言そのものだからだ。


「他の国の方々は分かりませんが、サピンの場合は王都陥落前に多数の貴族がレゴスへと逃れてます。その中には私と同様王家の血縁も何人か渡っています。そちらの方をレゴスが旗印にした場合はドナウはどうなさるおつもりで?」


「そのあたりはうちの陛下がレゴスと協議するだろうな。今はホランドが邪魔なのと、他人の都合で自分達が争うのは馬鹿馬鹿しいと互いが思っていれば仲違いせずに交渉で決着がつく。

 それで君は何かドナウに有益な物があると、話を持ち掛けて来たのか。その鞄の中身が今後のサピンに必要な物かい?例えばサピン王家が代々守って来た家宝。相場は王冠や剣だが、あまり重そうな様子じゃないから書類の類か。となれば中身は戦略価値を持つ詳細な地図や、サピンが持つ金属精製の秘伝書あたりが妥当。他にもサピン王家の家系図や南の海の海流図も、見る人間が見れば金銀より遥かに価値があるだろうね

 何よりそれをドナウに差し出す事で非常に協力的だと示し、君達三人がただサピン統治の置物と血を繋げるだけの道具ではないと目に見える形で示す事が出来る」


 ぞわりと肌が粟立つのをロベルタは感じる。この怪物は一体どこをどう見て生きているのか、なぜ祖父より託されたサピンの至宝を見抜いているのか。どれだけ慈悲深くとも他人の心の内を見透かしている相手に恐怖を感じないはずが無い。この半年間ずっと纏わり付いて離れない恐怖が心の奥底から這い出て来るが、どうにか表面上は何事も無いように取り繕い、肯定した後に鞄をアラタに渡す。


「この半年間、私はずっとドナウの方々を観てきました。そして、レオーネ様が最も信頼出来る方だと確信が持てましたので、我が祖父、マウリシオ=バルレラより託された物をお渡しします。どうかこれをドナウのお役立て、そしてサピンをホランドよりお救いください。そして全てが終わった時は、私達に家族を弔わせてほしいのです」


「君の覚悟と想いは受け取った。俺が必ず陛下に渡して、三人の身を生涯保証するように掛け合おう。心配せずに待っていてくれ」


 受け取った鞄の中身を見る事なく、アラタはロベルタの双眸を見据えて快諾した。道半ばとは言え、祖父より託された仕事をやり遂げた安堵からか今まで張り詰めていたものが途切れて涙が流れる。慣れない土地で幼い従姉妹二人を抱えながら、弱音を吐かずに一人奔走してきた時間は無駄ではなかったと、亡くした一族に胸を張って言える。それが何よりも嬉しかった。



 ひとしきり涙を流してすっきりしたロベルタは付き物が落ちたように自然に笑えるようになっていた。まだ十代の少女が背負うには重すぎる物から解放され、歳相応のあどけない笑顔が眩しいとアラタは目を細めて笑みを零す。

 後日、ロベルタの雰囲気の変わり様に屋敷の人間が驚き、前日の夜遅くにアラタに会っていた事が広まると、色々と勘違いしたマリアとアンナがアラタに詰め寄って事の次第を白状させた。それはすぐに誤解だと分かったのだが、ロベルタとの不倫を疑われたアラタは怒るよりも妻達に疑われたのがショックだったのか、数日機嫌が悪く、周囲の人間は珍しい事もあると噂し合った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る