第47話 残った影響



 マリア王女との婚約が発表されて、アラタがアンナに搾り取られていた時、同じ謁見の間に居た者の一部が、とある貴族の屋敷に人目を避けて集まり、会合を開いていた。


「――――さて、各々方私の誘いを受けて頂き感謝致す。現在我がドナウは由々しき事態にあると見て良いでしょう」


 集まった面々を前に大仰に挨拶をしたのは、この屋敷の主人である学務長官ルドルフ=デーニッツだ。他の面々も彼の言葉にしきりに頷いている。

 財務長官テオドール=ハインリヒ、法務長官ジークムント=ブルーム、農務長官ラルフ=アイゲル、主人のルドルフを合わせれば実に半数の閣僚が、夜分人目を避けて会っていた。どんな鈍い者でもこの面子を見ればただ事では無いと感じる、押しも押されぬドナウの重鎮達だった。


「それはレオーネ殿の結婚の件についての話でよろしいですか?確かに陛下の判断には思う所が無いとは言いませんが、陛下の決断を覆す事は今更できませんよ」


 機先を制しようとするのはラルフだ。彼はルドルフより10歳ほど年下の為、同じ閣僚でもルドルフを立てるように、半ば義理で今回の会合に参加していた。ただし、あくまでも義理での参加であり、危ういと感じればすぐにでも手を引くつもりだった。


「そう決断を急ぐべきではないですよアイゲル殿。ただまあ、陛下も随分と思い切った手を打ったと、私も驚いています。何せ、宰相のアスマン殿やエーリッヒ殿下にも碌に相談せず一人で勝手に決めてしまったのですから。表向きは兎も角、内心はどう思っているのやら」


 ラルフを宥めようとしたのはテオドールだった。彼はアラタへの敵愾心などは持っていないものの、今回の戦で賠償金を放棄する事を不服に思っていたので、ルドルフの話を聞く気になった。ホランドとの戦争が不可避だったのは理解していても、実際に国庫に穴を空けるほど軍事費に注入していたので、それをどうにか穴埋めしたかったのだが、賠償金を却下されたのを僅かだが根に持っていた。


「貴方達の憤りは私も理解出来る。幾ら陛下がレオーネ殿に価値を見出し、彼を縛り付ける為とは言え、マリア殿下との婚姻はやり過ぎだ。例え王族が他国の平民と結婚してはならないという法が無くとも、慣例を無視するのは頂けない。せめて何代か前に降嫁、あるいは婿入りした貴族の家から王家に養女を迎え入れ、その女と結婚させるのならばまだ反発も少なかっただろうに。私達だけでなく、地方領主も面白くなかろう」


 カリウスの判断を誤りだと口にしたのはジークムントだ。彼は厳格な性格であり何かと杓子定規な言動から、同じ閣僚からもやや敬遠される人格だったが、それ故にアラタへすり寄るような事は無いと見て、ルドルフも声を掛けていた。彼はアラタと特別接点も無い。ドナウの法律はアラタも大きく踏み込めない場所だったので、閣僚の中では一番関係が薄かった。


「ジークムント殿の仰る通りですな。レオーネ殿の有用性は認めますが、だからと言って慣例や伝統を無視し、王家の貴い血を徒に使っていいのものではない。私としてもどうにか陛下の御意志を踏み止まらせたかったのですが困った物です。どうにかこの婚約を破棄出来ないものか」


 ルドルフが悔しそうな声で他の面子に同意を求めるが、残りの三人の反応は鈍い。三人とも既に王が大々的に公表したものを、軽々しく撤回するとは思っていなかった。確かにぽっと出の平民、それもどこの生まれかも分からない異物が、主人と仰ぐ王家に入り込むのは生理的に受け入れ難い。

 実はここに居ない閣僚や軍司令、近衛騎士団長も似たような考えは持っているのだが、それ以上にアラタが居る事でドナウが富む事を理解している事もあり、ルドルフの呼びかけに応じず、アラタとより強固な縁を結ぶ事を選んでいたのだ。

 宰相のアスマンは一番アラタを買っているし、軍司令のツヴァイクと近衛騎士団長のゲルトも特に交流が深く、戦で矢面に立つ事を考慮すれば、配下を命の危険に晒させない為にアラタの知識を必須とみている。

 建務省のヨアヒムはゲルトと仲が良く、今回の戦で得る物もあり、アラタに好意的。外務省のハンスはエーリッヒの結婚相手を選ぶのに掛かりきりで、ルドルフの取り付く島もない。

 謂わば、アラタを中心としてドナウの上層部は半分に別れていると言えた。但し、王家がアラタ側である以上、反アラタ側のほうが分が悪いのだが。



 結局四人は婚約撤回の妙案を出せずに、どうにかしてアラタの足を引っ張る事に考えをシフトしていた。さすがにやり過ぎると今後のホランドとの戦いに悪影響が出るので派手な事は出来ないが、アラタの影響力は可能な限り弱めたかった。

 彼は今後も必要だが、それは彼の悪魔染みた知識だけだ。ホランドがいる間は必要不可欠とは言え、それが終わればほぼ用済みだ。適当に禄を与えて教師でも務めて貰えればそれで良い。まかり間違っても、大きな権限など与える気は無かった。

 だがそれも、よりにもよって主君たるカリウスの独断によってルドルフの考えは瓦壊した。仮にも王女の伴侶を閑職になど追い込めるはずが無い。無能なら、名目上の職だけ与えて、次世代の婚姻用の子作りに励んでもらうだけだが、あの男は無能とは対極にいる。

 何かしら不祥事でもあれば追い落とせるのにと呟くと、テオドールが策を思いついたと、自慢げに自らの策を披露する。


「あの男は頭が良くとも自由になる手足が無い。先日発足した諜報部の人員は我々の中からそれぞれ出す事が決まっている。今は人選の最中ですが、その中にあの男の不利になる情報を探らせてみましょう。幾ら有能でも、実動員が居なければ大した事は出来ますまい。上手くいけば解任させる事も可能かもしれませんぞ」


 その策に残りの三人は僅かに考え込み、現状では一番現実的かとテオドールの意見を採用した。あの男が異様に禁欲的なのは知っているが、それでも人間には違いない。何かしらボロを出してくれる事を気長に待つ事にした。

 彼等の悪巧みが実を結ぶかは分からないが、アラタもまた悪巧みをしているのだ。両者が互いに悪意を持って動くとなれば、その明暗を分けるのは、どちらがより悪意に満ちているかだ。そういう意味ではアラタはドナウでは比類なき悪意の塊と言えただろう。何故なら彼の悪意こそが、ホランド三万の兵士を焼き払ったのだから。



         □□□□□□□□□



 国の重鎮たちがこっそりと良からぬ動きを見せている頃、アラタが王女と婚約したことから、別の場所でも大きな動きが見られた。彼等は貴族の屋敷に集まっている訳では無く、街の酒場を貸し切り盛大に騒いでいた。


「ふはははは!!飲め飲め!今回の賭けは全て払い戻しだー!元は全てお前達の賭け金だ。飲まないと損だぞー!!」


「「「「おおー!!!」」」」


 酒場で杯を天に掲げ、盛大に騒いでいたのは、近衛騎士団の面々だった。彼等は全てアラタが、誰を落とすかを掛けの対象にしていた騎士達で、アンナを落とすと賭けた騎士とマリアを落とすと思っていた騎士、大穴でエリィに掛けた者もいたが、今回の婚約騒動でその賭けがお流れになってしまい、払戻すよりは盛大に飲んで使ってしまえと、胴元をしていた騎士団副長のライナー=スタインの提案で、どんちゃん騒ぎをしていた。

 アンナに掛けていた騎士は配当が流れて少し面白くなかったものの、どうせあぶく銭だし、負けた奴からたかられると予想していたので、結果は一緒かと割り切って飲んでいたし、マリアやエリィに掛けていた騎士も、負けていたがどうせ勝った奴にたかるのだから、同じ事だと思ってどんちゃん騒ぎを楽しんでいた。

 こうした宴会は過去にも何度も行われ、賭けの勝者の懐を空にしていた。騎士からすれば小銭に拘って団内をギクシャクさせるより、気前よく振る舞って、団結を強くした方が何倍も良い金の使い方だと知っているのだ。



 騎士達の酒の肴はやはりアラタの話題だ。戦術教官として接する事の多かった彼には好意的な騎士が多い。そして武人として、その強さを認めていた。


「いやあ驚いたなー。最初はアンナ嬢だったのに、あの場で姫様との婚約を発表するとは。幾ら陛下でも、あれは喧嘩売ってると私は思ったぞ」


「だよなー。レオーネ教官、無茶苦茶怒ってたぞ。アンナ嬢もスゲー怖かったし。しかも誰にも相談してないなんて、陛下はどうしたんだろうな?普通なら宰相閣下ぐらいには相談するだろうし」


 隣り合った騎士の二人が謁見の間での一幕を思い出しつつ、本音を漏らしていた。二人は謁見の間で警護をしていたので、その時の様子を間近で目撃していた。

 いつもは冷静沈着なアラタが、感情を隠しもせずにカリウス王に怒りを向けていたのだ。初めてアラタの剥き出しの感情を見た騎士は、余程アンナの事を大事に思っていたのかと、却って好感を抱いた。

 やはり碌に人間味の感じられないアラタの事を、城の人間はどこかで不気味に感じていたのだろう。そこに惚れた女の為なら王にも牙を剥く気概を見せられたなら、男なら色々と感じ入る物があるのだ。



 となれば次に興味を引くのはマリアのほうだ。王族なので、どのような結婚相手でも不満を持たない様に教育を受けているだろうが、当人はアラタの事をどう見ているのか。嫌ってはいないのは謁見の間での発言から分かっているが、夫婦になるのはまた別問題なのだ。良い家庭を築けるかどうか――――ゴシップ好きは女の専売だが、賭け事となれば男の領分だ。

 酒も入っている事もあり、今度の騎士団内の賭けの対象を決めると、スタインから提案があった。幾つかの候補には、マリアとアンナ、どちらが先に懐妊するか、生まれる子供の性別はどちらか。他にもエーリッヒの結婚相手はユゴスとレゴス、どちらの出身になるかなど、今後のドナウの動きを賭けの対象にする騎士達の馬鹿騒ぎは深夜にまで及び、翌日は大半の騎士達が二日酔いでフラフラになりながらも職務を全うする姿が、城のあちらこちらで見られるのだった。



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