第86話 親とはなにか



 ドナウ王国第一王子エーリッヒの結婚式を三日後に控えた王都フィルモアは既にお祭り気分で満たされていた。各国の祝い客が続々と王都入りしており、彼等を相手にしようと商人が血気盛んに呼び込みを掛けていた。それに外国だけではなく、国内貴族のほぼ全てが参列し、それらの護衛や使用人達を含めると、数千人を優に超えていた。さらにはその膨れ上がった人間を相手に商売をしようと近隣の都市から商人や芸能者が駆けつけ、さらなる人口増加に拍車をかけて、熱気を供給し続けているのだ。



 現在のドナウと友好関係にあるユゴス王国は王太子ヴァレリア=ヴィヴィチ=ペトロフが来賓として訪れており、ユゴスがドナウとの外交関係を相当重視している事が窺えた。

 サピンは残念な事に戦時中だという事もあり、外交官が国王の祝いの書簡を携えて来ただけだった。

 そしてそのサピンと現在戦争中のホランド王国は、なんと第一王子バルトロメイ=ホーン=カドルチークを祝い客として送り出していた。つい昨年までドナウとホランドは戦場で命のやり取りをしていたにも関わらず、当のバルトロメイ王子を寄越すとは予想外の人選と言えた。お世辞にも両国は仲が良いとは言い難いが、既に和平は成立し、期限付ではあっても不戦協定が結ばれている以上は客人を断る事は出来ない。もし断れば、ドナウの面子が損なわれる。

 他にも東の小国家や都市国家群がそれぞれに祝い客を寄越しており、新たに台頭したドナウと縁を結ぶために土産物を多数携えて来ている。彼等は主に商業目的の外交関係を構築したいと考えており、前回のアラタとマリアの婚儀によって広まったドナウ製品の定期購買を望んでいた。遠方の品々はその希少性から高く売れる。彼等の一番の目的はドナウ王家との商談なのだ。

 最後に、当事者であるレゴス王家からは、花嫁であるオレーシャ=プラトー=グリエフが、現国王の従兄弟に当たるアンドレイ=レジェンスに伴われて輿入れしてきた。

 今回はオレーシャも前回と違って旅装束など着ず、動きやすさを優先しているものの、きちんとドレスを身に纏い、大人しくしていた。彼女達の逗留先にはレオーネ家の屋敷が割り振られており、婚儀まではそこで過ごす事になる。

 彼女は到着した午前中に義父となるカリウス王に挨拶を済ませ、アラタの屋敷に再び訪れていた。ドナウの婚儀では、王族に嫁ぐ花嫁は婚儀当日まで花婿との接触を避けるしきたりがあり、それまでは城の外で過ごす事になるのだ。




「お久しぶりですオレーシャ殿下。長旅はさぞやお疲れでしょう、城に比べれば見劣りする屋敷ではありますが、婚儀までの三日間は殿下の家と思い御寛ぎくださいませ」


「ご無沙汰しております、アラタ殿。短い間ですがお世話になります。マリアもまた会えて嬉しいです。これからは義姉妹としてよろしくお願いします」


「私こそオレーシャに会えて嬉しいです。どうぞ自分の城のようにゆっくり疲れを癒して下さい。何か要望があれば遠慮なく話して下さい、私達も出来る限りの事はしますので」


 流暢なドナウ語で挨拶を交わすオレーシャに、かつての可笑しな語尾は付いていない。ここ数ヶ月、必死で練習して矯正した努力の証が見て取れた。

 アラタとマリアは屋敷の表でオレーシャ一同を出迎えていた。ただ、一同と言ってもここにいるのは地位の高い人間や、その世話役ばかりだ。曲がりなりにも一国の王女の輿入れである以上、嫁入り道具や多くの土産物を運んできた人足もかなりの数が雇われており、そうした位の低い人間は安宿に纏められていた。

 王の名代のアンドレイを筆頭に、外交団や護衛の近習、そのままドナウに住む侍女や乳母役などがレオーネ邸に逗留するので、現在ここには居ないアンナが彼等の部屋の手配に奔走している。


「レオーネ殿、そしてマリア殿下、お久しぶりです。以前顔を拝見した時はお二人の婚儀の時でしたな。大勢で押し掛ける事になり申したが、ほんの一時だと思い許されよ」


「いえいえ、ドナウにとっては皆様は等しく大事な客人でございますレジェンス殿。どうか御身を狭くなさらないで頂きたい」


「ははは、そう言って頂けると私も助かりますぞ。何せ私は人より図体が大きい故、狭い場所はどうにも苦手でしてな」


 そう言ってアンドレイは張り出した胸筋を誇示するように胸を張って、よく通る声で笑う。本人の言葉通り、2メートル近い巨体では窮屈な思いはしたくないだろう。如何にも武人といった風体は、それなりに恵まれた体格のアラタより二回りは分厚く、そして大きく見える。

 一通り挨拶を済ませた一同をアラタは使用人に命じて各々の部屋へと案内させ、すぐさま昼餉の準備の進捗状況を聞いておく。あと一時間もすれば昼時だ。ドナウで最初の食事に手違いがあってはならない。



 結論を先に述べるなら、レゴスの客人の歓待は成功に終わった。屋敷の料理人はアラタから直接料理の指導を受けた者であり、西方の未発達な調理法から隔絶した料理の数々を伝授されているのだ。例えば焼くという調理法一つとっても、ただ薪や炭で焼くだけの肉や魚より、フランベ、あるいはムニエルといった調理法を駆使すればまるで別物になる。この屋敷に一時逗留していたオレーシャは兎も角、初めて口にした者や、マリアとの結婚式の二日目の夕餉に一度だけ食べただけの他の面子には、当たり前のように供される料理の美味さに感嘆の吐息を吐き、言葉を失ってしまった。



 誰もが屋敷の食事に満足し、賓客用の応接室でアラタ、マリア、オレーシャ、アンドレイの四人は食後のお茶を和やかな雰囲気で飲んでいる。アンナがその場に居ないのは、彼女があくまで側室でしかないからだ。屋敷の中では同格に扱われても、公式の場では序列を無視するわけにはいかず、外部の客人がいる以上は、ここも公的な場所と言える。その為、アンナが席を共にするのは失礼に当たるのだ。オレーシャはその事を残念がっているが、それ以外の場所で顔を合わせれば、以前と同じように親し気に話す事も出来るので、ある程度納得していた。


「変わらぬお屋敷で安心しました。ですが、マリアは以前より食欲が増しているように見えましたが、何か心境の変化でもあったのですか?」


「ええ、お恥ずかしい事ですが、ここ最近いつもお腹が空いてしまって。食べても食べても物足りなさを感じてしまうんです。特別体調が悪いとは思えないのですが」


 オレーシャが指摘した通り、ここ一月マリアの食欲はかなり増えていた。本人も止めようと思っても、ついつい食べ物に手が出てしまい、腰回りの肉が増えて婚儀用のドレスを手直しする羽目になっていた。


「ははは、それは何よりの健康の証ではないですか。病に侵されていれば、食欲すら湧かないものですぞ。私の個人的の私見では、女性とは多少肉付が良い方が健康的に見えますぞ。最近の娘はどうにも痩せがちに見えてしまって、心配になるのですよ」


 若干冗談めかして場を和ませようとしたアンドレイに連れられて、他の三人は苦笑いをする。流石に年長者であり、場の機微をよく見ている。


「意外と身ごもっているのかも知れませんな。私の妻も妊娠した時は妙に食欲が増えて困った様子でしたから。まあ、食べ過ぎて吐き戻していたので、マリア殿下にそういった事が無ければ違うかもしれませんが」


 妊娠を口にしたアンドレイもまさかそんな都合の良い事は無いだろうと思いつつも、慶事続きのドナウへのリップサービスで、めでたい事を冗談めかして口にする。

 だが、当のマリアとその夫はビシりと、動きを止めてしまう。特にアラタは微動だにせず、マリアを凝視したまま硬直した。


(――おいドーラ、マリアが妊娠しているか今すぐ調べろ)


(調べるまでもありません。レオーネ大尉の奥方はおよそ一月前から妊娠が確認されています。大尉がソルペトラに向かう直前に受精を確認していました)


 管制人格の言葉に一瞬激昂しかけるが、よく考えればドーラは道具でしかない。言われてもいない事をするはずがないのだ。もし自分が、マリアが妊娠したらすぐさま報告しろとあらかじめ命じておけば、ドーラもその通り動いただろう。だいぶ前に身体の弱いアンナが妊娠した時はすぐに報告しろと命令していたが、マリアについては命じていない。これは自身のミスだと、道具に当たりそうになったアラタは己を恥じた。


(―――ご苦労だった。引き続きマリア、そしてアンナの身体チェックして報告を行うように)


(了解しました。これから大変ですが頑張ってください、お父さん)


 最後の言葉は反則だろうと、人間臭くなった人工知能に憤慨しつつ、感謝を述べた。


「マリア、今すぐに常駐してるデーニッツ殿の診察を受けろ。申し訳ありません、オレーシャ殿下、アンドレイ殿、妻が一時席を外しますのでご容赦頂きたい」


 有無を言わさぬアラタの強い口調に、ただただマリアは頷き、そのまま応接室から退室する。屋敷には花嫁に万が一の事が有ってはならないと、城から典医が派遣されていた。学務長官ルドルフ=デーニッツの末の息子、治療の神術の使い手ヘルマンが婚儀まで屋敷に滞在しているので、彼にマリアを診てもらうつもりだ。


「私は構いませんよアラタ殿。もし、マリアに子供が出来たのならこんなに喜ばしい事は無いです。きっと良い子が生まれますよ」


「オレーシャの言う通りですぞ。こんな良い事でしたら、礼法など放っても誰も咎めたりはしませんぞ。ですが、こんな愉快な事はここ数年経験していませんな。いやあ、良いものを見せてもらいました」


 客を残して退席するのは礼を失する行為だったものの、二人は快く許してくれた。オレーシャにとっては義理の甥や姪が出来たかもしれないし、アンドレイも、目の前でこんな愉快な催しを見せてくれた二人には賛辞を送りたかった。



 暫くすると、マリアが戻ってきており、かなり戸惑いつつも冷静さは保っていた。


「退席して申し訳ありません。その……典医殿の診断では、確実な事は言えないものの妊娠の兆候が見られると仰っていました」


 その言葉を聞いたオレーシャが自らの事のように喜び、それに続きアンドレイが年長者らしく落ち着いた様子で祝辞を述べる。だが、当の夫であるアラタだけは難しい顔をしたまま考え込んでいた。

 不思議に思ったマリアが不安そうにアラタを見る。視線に気づいたアラタが、かぶりを振って口を開く。


「どうしたら父親になれるのかを考えていたんだ。何度か話したけど、俺は幼い頃に両親を亡くして、家庭という物を知らない。親というのがどんな物なのか良く分からないんだ。夫婦なら男女の関係の延長と、ある程度理解出来る。兄弟ならば孤児院で似たような境遇の仲間がいた。けど、俺には親だけは分からない。だから、どうすれば父親になれるかをずっと考えていたんだ」


 だから、子供がいらないとか、嬉しくないと思っていないと、マリアを安心させようとするが、これほど戸惑いを見せる夫は初めてだという事もあり、マリアは不安でしかなかった。

 オレーシャも若く、他人の家庭という事もあり、容易に踏み込める問題では無いと及び腰になっており、二人を不安そうに見つめていたが、良い考えは何も浮かばなかった。

 しかし、ここでもう一人、応接室には頼りになりそうな男がおり、彼は咳払いをして注目を集める。


「差出がましい物言いですがレオーネ殿、貴方の考えは的外れですな。親と言うのはなろうとしてなる物ではない。そのように不安になるのは私も経験がありますが、その経験者から言わせれば、どれだけ考えた所で答えは出ませんぞ。そんな事に思いを巡らせるより、不安そうな妻を、そして生まれてくる子を抱き留めてあげなさい。男に出来る事はその程度しかない。いや、これは私の父にも同じ事を言われまして、その受け売りなのですよ」


 経験者、そして三人の親と同世代のアンドレイに諭され、幾分落ち着きを取り戻したアラタは、彼の言う通り不安そうにしていた愛する妻を、優しく抱きしめた。抱きしめられたマリアは、夫のぬくもりを受けとり、不安さがかき消され落ち着きを取り戻す。感動的な光景を目の当たりにしたオレーシャは、思わず涙を流してしまい、品のない鼻のすすり方をしていたが、誰もそれを気に留めず、汚い騒音を生み出していた。

 対してアンドレイは、従兄弟に良い土産話が出来たと満足していたが、もう一つ思考を巡らせていた。


(単に強者を貶める愉悦を追求するだけの男かと思っていたが、案外常人らしい感情も持ち合わせているのだな。公人としてはどれほど悪辣な手段も意に介さないが、私人としての家庭を愛する感性も同居している。老獪さと若者らしい甘さを持ち合わせるか……なかなか面白いじゃないか)


 アラタに抱いた評価を幾らか修正し、これが今後ドナウにとってどういった形になって現れるのかを想像し、愉悦を感じていた。



 その後、早々にお茶会を切り上げたアラタとマリアはすぐさま登城して父であるカリウスに報告しに行った。婚儀の準備に追われて余裕の無い王は、何かあったのかと面倒事が増えそうなのを嫌がったが、娘の口から子供が出来たかもしれないと聞き、大音量の奇声を挙げて、周囲の使用人や護衛を仰天させたが、構わず両手を天に掲げて始祖フィルモに感謝の意を示した。

 この話はすぐに城どころか王都中に噂として広まり、さらなる歓喜の渦を生み出す事になるのだった。



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