第85話 アンナの割と忙しい一日



 ドナウ王国王都には『白の館』と呼ばれる大きな屋敷がある。元は王家の所有していた別邸だったが、長らく使われていなかったのを改装工事により外壁を白く塗った事から、その名が王都の住民の中で広まったのだ。太陽の光を反射する白の美しさから、その名が付き、街の新しいシンボルになりつつある。その屋敷には昨年結婚したマリア王女夫妻が住んでおり、数多くの使用人や護衛の騎士も常駐している。

 不思議な事にその屋敷にはもう一人、とある女性が住んでいた。その女性はマリア王女の伴侶であるアラタ=レオーネの側室なのだが、普通は正室と側室が一緒に暮らす事はない。西方の常識では正室は夫と一緒に住み、側室は別の家屋を与えられてそこで生活するのだ。地方では屋敷の敷地内の離れを与えられて、そこで生活する事もあるが、基本的に女同士が顔を合わせないように配慮するのが常識とされている。

 だが、この屋敷では正室と側室が一緒に暮らしており、あまつさえ同じ部屋で寝起きすらしているのだ。これはドナウの常識からすれば異常な事である。夫であるアラタ=レオーネが非常識な存在なのは周知の事実になりつつあるが、その妻であるマリアはこの国のれっきとした王族なのだ。普通なら周りがそれを咎めるのだが、不思議とそういった動きは無かった。

 彼女の父親であるカリウス王がその事を耳にしても、『仲が良いなら問題無かろう。本人達の好きにさせてやれ』と理解を示す言葉を残している。国王の言葉である以上、保守的な考えの者は納得できないが、これ以上は追及も出来ない。実害が無い以上は放置するしかなく、屋敷の使用人も妙な嗜好の主人達だと訝しんでも止めなかった。



 三人が寝起きしている寝室のベッドは巨大で、大人が優に五人は寝ることが出来る広さだ。この大きさならば三人が寝ても相当余裕がある。その夜明け前の暗い寝室のベッドに、モゾモゾと蠢く物体があった。

 冬用の分厚い寝具を捲り現れたのは、一切の癖が無い鮮やかな赤毛を腰まで伸ばし、雪のように白い柔肌を一切隠しもせずに見せつける妙齢の美女だった。寝起き特有の気怠そうな仕草が色気を醸し出し、数多の男が放って置かない扇情さを身に纏っていた。


「んーもう朝ですか。ふわー、早く起きないと」


 大きな欠伸をしながら惜しげもなく、たわわな乳房を揺らす。その白い肌にはいくつもの赤い斑点が残っており、勘の良い人間なら情事の残り香だと見当が付いただろう。

 その女性がベッドの不自然なふくらみに手を当てて、ゆさゆさと動かすと、そのふくらみも手の動きに合わせて小刻みに震える。


「おきてくださーい、もう朝ですよー。朝ですって、――起きないと唇を塞ぎますよ。――――仕方がありません、実力行使です」


 そう言って女性はシーツを勢いよく剥ぎ取り、裸体を晒した相手の唇を強引に塞いでしまった。それに加えて、相手の口の中に自分の舌を捩じ込んで、これでもかと蹂躙し始める。

 流石にそれには寝ていた人間もすぐに眠気が吹き飛び意識を覚醒させるが、そんな事は知った事かと赤毛の女性は蹂躙を止めない。 数十秒ほど強引な口付けが続いたが、女性が満足したので唇を離すと、相手が恨めしそうに睨んだが、どこ吹く風だった。


「おはようございます、マリア様。目覚めの口づけはどうですか?」


「おはよう、アンナ。おかげですっかり目が覚めたわ、ありがとう」


 襲われた女性―――マリアは口では礼を言っているが、内心は結構怒っている。だが、アンナはそんな抗議は意に介さず、飄々とした調子を崩す事は無い。


「では、使用人に着替えを用意させますので、しばらくお待ちください。私は朝食の支度の様子を見てきます」


 そう言って簡単な身支度だけ整えてアンナは寝室を出て行った。


「うー、今日もまたアンナに良いようにされた。くやしい―」


 残されたマリアは一人寝室で悔しがった。本来の屋敷の主人であるアラタはここ数日不在だった。



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 身支度を済ませたマリアは先に食堂で待っていたアンナとテーブルに着き、朝食を食べ始める。寝室での乱痴気騒ぎを忘れたわけではないが、前夜の情事の延長だと割り切って棚上げしていた。


「アンナの今日の予定は?」


「私は午前中は屋敷に居ますが、午後からは孤児院で事務処理があります。マリア様は、今日もお城で結婚式の打ち合わせですね?」


 結婚式と言えば二人も昨年アラタと挙げたが、今回はマリアの兄であるエーリッヒの結婚式だ。彼の結婚式の日付は既に一ヵ月を切っており、今城の中はその準備に追われててんてこ舞いの修羅場になっていた。マリアもその準備に駆り出されており、ここしばらくは頻繁に城に出入りしていた。マリアの式の時も城は慌ただしかったが、今回はその時の比では無い。何せエーリッヒはドナウ王国の次期国王である。そして娶る相手はレゴス王国の王女なのだ。一国の威信をかけた一大行事に失敗は許されない以上、準備は万全を期しておきたいと誰しも思いたいだろう。


「お兄様の結婚式ですもの。絶対に失敗は許されません。アラタもそう思っているから、ソルペトラで作っている砂糖と石鹸をありったけ持ち帰ろうとしているわ。どちらもこの国の威信を示す物ですもの。多ければ多い程この国の底知れなさを演出出来ます」


 アラタが代官をしているソルペトラは、現状ドナウで最も製糖と石鹸造りの経験を積んでおり、上質な製品を作れる。その村の製品を引き取る為に彼は王都を離れていた。製品を引き取るだけなら他の人間に任せても良いのだが、貧民が主体となった開拓村であるソルペトラを見下す者は意外と多い。そんな人間を送って大事な時期にトラブルになると困ると判断したアラタは、仕方なく自分で引き取る事を選択したのだ。

 そのあおりを一番受けたのが、アラタが責任者である諜報部の面々だった。まだまだ若い部署である諜報部は半分アラタで構成されているような物で、大黒柱が抜けてしまい構成員の負担が激増していた。これが平時ならどうにか回せるが、各国から続々と祝い客がやって来ている状況で、それら全てから情報を抜き取る段取りをしようものなら、殺人的な忙しさを強いられるのだ。アンナの兄、ヴィルヘルムもその憐れな一人で、毎日山のように積まれる書類と格闘していた。


「そうですね、特に砂糖はまだドナウでしか出回っていない珍品ですから、お客様もきっと驚かれますね。でもあれは美味しすぎて太ってしまいます。マリア様も最近食べ過ぎではないですか?昨日気づきましたが、腰回りが少し太くなっていましたよ」


「え?そうだったの?――――確かに最近はよくお腹が空いて間食してるわ。うう、折角のお兄様の晴れ舞台にドレスが着れないのは困るわね。しばらく食事を減らそうかしら」


 どの国、どの時代であろうとも女性の美しさを求める欲望は果てる事が無いのだろう。だが口では食事を控えようと言っても、結局いつも通り朝食を平らげたマリアは自己嫌悪で頭を抱えた。



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 朝食を終えたアンナは城へ向かうマリアを見送ってから、屋敷の使用人に今日の予定を確認させる。アラタとマリアが居ない場合、アンナがこの屋敷の最上位者になるのだ。使用人を統括するのは使用人長や家令の仕事になるが、最終報告だけは家長が果たさねばならない。こういう場合、夫であるアラタの親族などが代役を務めるが、天涯孤独であるアラタにはそんな人間は居ない事もあり、側室のアンナが代役を務めていた。

 家令は元々領地無しの中堅貴族の一族出身の財務官僚だったが、アラタが家令を探していた所、宰相から推薦された内の一人だった彼を、有能さとそれ以上に誠実な性格を買い採用した。

 彼の報告に特別変更点は無い。飛び入り来客の予定も無く、今日は予定通り午後から孤児院での仕事があるだけだった。



 報告を聞き終えたアンナに時間が出来る訳では無い。使用人の監督は家令に任せるが、彼女にも仕事はある。今度のエーリッヒの結婚式に出席する祝い客の受け入れ準備があるのだ。ドナウの王都は数万の人間が暮らす大都市であり、宿泊設備も相応に整っているものの、祝い客全てを受け入れるほどの容量は無い。特に、今回の結婚式は次期国王の王子の結婚なのだ。前回以上の格式の祝い客がやって来る。しかも花嫁は他国の王女、護衛を含めれば数は自分達の結婚式の時の数倍と見て良い。その為、一部の貴族の屋敷に分散させて客を受け入れる体勢を整えている最中なのだ。その中にこの屋敷も当然含まれており、王都の貴族邸宅の中で最大の大きさを持つ屋敷にはオレーシャ王女を含めたレゴス王国の一行が逗留する予定である。その受け入れの段取りを、アンナはアラタの代わりにしていた。

 一応城から結婚式を取り仕切る宰相の部下が手伝ってくれているが、最終的な確認は家主の許可もいる事から誰かがやらなければいけない。必然的に残ったアンナが取り仕切る事になるわけだ。



 客人の食事や部屋のシーツ、照明の油といった消耗品の備蓄に、屋敷の住人と風呂などがかち合わない様に調整するといった細かい気配りも必要で、とにかく客人に粗相があってはならない事から神経がすり減ってしまいそうな毎日なのだ。その所為か随分とストレスを溜めてしまい、ここ数日夫のいない寂しさとが相まってマリアとアンナは気晴らしに女同士でまぐわっていた。これが他の人間とだったら不義密通と誹られても言い訳は出来ないが、二人が毎日のようにアラタと三人で夜伽をしている事が知れ渡っている事から、その範疇に収まると強弁出来なくも無い。以前から夫を挟んでお互い毎日のように肌を重ねているのだから今更躊躇などしないし、アラタも自身が居ない時に寂しい思いをさせていると、負い目を感じていたので止めたりはしなかった。

 ある程度、性に対して寛容な西方だから同性愛も許されるし、女を二人纏めて抱く男が居ても許されるが、流石に正室と側室が情事に耽るなど酒場の笑い話の範疇であり、屋敷の使用人以外誰も信じていなかったのは不幸中の幸いなのかも知れない。



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 午前中の時間を打ち合わせに費やし、簡単な昼食を摂った後は予定通り下町の孤児院へ向かう。途中、街の様子を観察していると、やはりエーリッヒの婚儀が迫っているのでいつも以上に活気に溢れ、至る所で住民が噂話をしていた。昨年の自身の時も似たような物だったし、ホランドとの戦いに勝利した時もこんな感じだったなあと、感慨深く思い出していた。

 ここの所、慶事続きのドナウは精神的余裕を持っており、購買意欲が増大していると聞く。夫の話では戦争などの不安があると、国民は何かと貯蓄に回していざという時に備えようとするので、物の買い控えが増えるらしい。特に生活用品以外の娯楽品や、衣服などは敬遠される傾向にあり、経済活動の鈍化が国家運営に悪影響を与えるのだという。


「経済とは血の巡りであり、貨幣は血液。循環せず一か所に留まれば、その部分から腐り落ちる。それを避ける為には街道を整備し、人と物の流れを活発化させる必要がある」


 だから平和にして嗜好品や娯楽用品をどんどん作って金を使わせるのが国を富ませる一番良い方法だと語っていた。この考えは海運交易国家のドナウの国家方針と合致しており、夫に失礼とは思ったが軍人より商人に向いているとアンナは感じた。

 そんな事をぼんやりと考えていると、孤児院の目の前に着いており、気持ちを切り替え、竜車から降りる。



 孤児院は元々倉庫だった建物を安く買い取って改装した物だ。人が住むには適していると言えないが予算が限られていたこともあり、ある程度妥協している。それでも貧民、それも昨日まで孤児だった子から見れば、屋根の付いた場所で安心して眠れるというのは、この上ない贅沢らしい。それを聞いて、アンナとマリアは罪悪感から涙が溢れてしまい、今まで自分達がどれほど幸福な存在なのかと世の不条理を嘆いた。


「アンナ様、こんにちは!今日は授業をしに来たの?」


 孤児の一人がアンナに気づいて近寄って来る。同じように外で遊んでいた孤児が、わらわらとアンナの傍にやって来て挨拶をする。


「みんな、こんにちは。ごめんさなさい、今日はお仕事に来たの。あなたたちはここに慣れた?」


 孤児たちは元気よく返事をして、そんな彼等をアンナは慈しむように頭を撫でた。どこの生まれであろうと、どの国の血を引いていた所で子供は変わらないのだ。外国人だからと言って差別してはいけない―――アンナはかつて己がドナウ人以外の孤児を切り捨てていた事を恥じており、彼等を幸福にしてあげたかった。

 特に孤児の中にはホランド人との混血の子が何人もいる。祖国を併合され、日常的に暴行を加えられた女性が身ごもり、周りの目に耐えられずドナウまで流れて来たが、そこで親を失った孤児なのだ。彼等は自らの血と境遇を憎み、呪っていた。そして拠り所を求めて彷徨っており、辿り着いた場所がここなのだ。ここには寝る場所も、食べ物のある。そして、愛を注いでくれる人も居る。何より、自らを必要としてくれる人が居るのだ。


『この人達の為に生きよう』


 幼いながらも彼等には命を賭ける覚悟が備わっていた。だからこそ学問も礼儀作法も必死になって身に付け、役に立つために己を磨き続けているのだ。



 孤児たちと別れたアンナは建物の中の一室へと入る。そこでは何人かが書類とソロバンを使い格闘していた。どうやら孤児院の職員室のようだ。職員たちとそこそこに挨拶を済ませて、アンナは仕事に取り掛かる。

 仕事と言っても大した事はない。職員たちの作成した書類に目を通して、不備が無ければ判を押すぐらいだ。予算の管理や備品の調達はここの職員が行っているし、子供達の世話役も別の人間の担当だ。元々この孤児院の総責任者は名目上マリア王女であり、アンナはその代行だ。勿論それ以外にも、直接孤児に教鞭を取る事が有ったり、孤児とふれ合い愛情を注ぐ事もある。

 この孤児院の本当の目的は諜報部の手足になる密偵を育てる事にあるので、実際の管理人は諜報部なのだが、愛情を持って孤児と接する事を禁止されている訳では無い。むしろ率先して愛してやれば、忠誠心を養うことが出来る―――そんなアラタの悪辣さをアンナは嫌がっているが、実利が無ければ大半の人は動かない事も知っているので、少しでも孤児達には打算のない愛を注いであげたいと、時間を見つけては様子を見に来ていた。


『依存し独占する事は愛ではない、互いに与え、与えられる事が愛なのだ』


 孤児達と触れ合う事でアンナはそう確信していた。以前のようにアラタに執着する事が減り、精神的余裕も幾らか生まれていた。今のアンナの心には確かな母性愛が育まれていたのだ。尤もそれ以上に情事も好んでいたわけだが。



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 幾ら書類に目を通すだけとはいえ、その数は随分と多いし、不備を見つけるにも神経を使う。全ての書類に目を通した時には既に夕刻になっていた。下町のそこかしこで煮炊きするための煙が立ち上り、この孤児院でも美味しそうな臭いが漂ってきた。


「子供達はちゃんと食事を食べていますよね?」


「はい、最初はありったけ口に入れるような行儀の悪い子も沢山居ましたが、今はみんな教えられた作法を守って食べてくれます。アンナ様も見ておきますか?」


「そうですね、もしよろしければ見学させてもらいます」


 この孤児院に食堂は無い。正確には食堂と勉強を教える教室と兼用なのだ。限られた空間を有効利用するにはこうした知恵も必要であり、子供達は一日の半分はこの場所で過ごしている事になる。

 食事の給仕は子供達がある程度自分達で担当している。食事自体はここの世話役が作っているが、食器を並べたり、パンを配るのは子供達が自分でしている。単なる労働では無く、こうした役割を担わせる事で自立心や責任感を養う事が出来るとアラタが導入した制度だ。

 きびきびとした動きで配膳をしている子供を満足そうに眺めていたアンナに気づいた子供が話しかけていた。


「アンナ様、お仕事終わったの?」


「ええ、今日はもう終わりよ。あなた達はこれからごはんみたいだけど、量は足りてる?」


「うん!いつも三回食べてるからお腹いっぱいだよ!」


 満面の笑みを浮かべて食事に不満など無いとまくし立てる子供を宥めて、他の子にも同様に聞き回るが、その誰もが何の心配も無く食事を食べる事が出来て嬉しそうだった。

 孤児の中にはアンナに一緒に食べようと誘う子もおり、少し困ったものの一緒に食べる事にした。夫のアラタもソルペトラの開拓民と一緒に同じ物を食べて連帯感を育てた事を聞いていたので、アンナもそれに倣うことにした。

 傍に居た世話役は戸惑ったが、本人が望んでいるので黙って食器を一人分追加して、席を設けてくれた。配膳役の子が嬉しそうにアンナの皿にたっぷりとスープを注ぐ。具はイモと野菜で、魚醤で味付けをしている。それと主食のパンが置かれる。このパンはアンナが普段食べている白パンでは無い。平民がよく食べる黒パンだが、一つだけ違うのが麦に豆を混ぜて焼き上げている事だ。

 これはアラタが貧者の食べ物と敬遠される豆をどうにか普及させたいと考えた物で、粉に挽いた豆と小麦粉を混ぜて焼いたものだ。アンナもその試作品を食べたことがあったが、普段食べているパンと味は違っても、不味いとは思わないし、夫の話では白パンよりもずっと栄養価が高いので健康に良いとの事だ。

 栄養学の未発達である西方では、美味い物=健康的と思われており、貴族のように美酒美食に耽ると早死にしやすい。しかし根付いた常識や習慣は簡単に覆るものでも無く、豆を王族に食わせるなど不敬罪に問われてもおかしくないドナウでは中々理解を得られないと、以前嘆いていたのをアンナは知っていた。

 それ以外にも豆を搾って油を取り出す製法や、煮詰めて乳を作る方法など複数の利用法を見せられては、貧者の食べ物などと低く見るのは間違いだとも思っていた。

 こうして孤児達も豆パンを美味しいと言って残さず食べ、貴族である自分も美味しいと感じているのだから、もっと広めたいという夫の考えは間違っていないのだ。



 食事を終えて、辺りはすっかり暗くなってしまったが、アンナの心は晴れやかだ。帰り際に孤児達が総出で見送りをしてくれたのが嬉しく、彼等の為にも頑張りたいという気持ちが心に湧いてくる。

 屋敷に戻ったアンナは使用人に既に食事を済ませた事を謝罪する。折角作って待ってて貰っていたのだからお詫びの一つでも言っておかねばならない。ただ、使用人は特に気にした様子も無く、貴族には急な食事の誘いなど日常的なので、その程度いちいち気にするほどではないのだ。

 使用人にマリアの事を聞くと、まだ帰って来ていないらしく、手持ち無沙汰からエリィを呼んで一緒にお茶を飲んでいた。彼女はアラタと旅に同行しておらず、そのまま諜報部で雑用をしているが、子供なので余り遅くまで仕事をさせる訳にはいかず、先に帰らせていた。


「ヴィルヘルム様、死にそうな顔をしながら仕事してましたよ。最近、仕事して帰ったら寝るだけだって他の人たちとぼやいてました」


「兄様も大変ね。アラタ様に対抗意識持ってるみたいだから、張り合っているのでしょう。身体を壊さないか心配ね。でも私が何か言った所で聞くような人じゃないし、何か差し入れでも考えましょう」


 家庭に入っても肉親の事は良く分かってるようで、兄の性格を熟知しているアンナは負けず嫌いの兄には何を言っても聞いてくれないと知っているので、疲れの取れそうな食べ物でも差し入れしようかと考えていた。

 ただし心の中では兄を心配はしていても、夫にはまず勝てないだろうと冷淡に判断を下し、さっさと要らぬ意地など放り出してしまえばいいのにと、兄よりアラタを優先させている辺り、アンナも良い性格をしている。

 エリィにとってはヴィルヘルムはただの部員であり、数多くいる諜報部の一員としか見ておらず割とどうでも良く、彼女にとって諜報部はアラタ以外は誰でも同じだった。



 そうして二人でお茶を飲んでいると、城からマリアが戻って来た。随分疲れた様子で、二人が座っていたテーブルに乱暴に座る。エリィは気を利かせて席を立ち、新しいカップにお茶を注いでマリアの前に差し出す。

 マリアはそれに一言礼を言って口を付け、ほっと一息つく。最近はずっとこんな調子で、毎日疲れた様子だった。兄の婚礼の義を無事に済ませてあげたいと意気込んでも、やはり慣れない事は疲れるのだ。


「お疲れの様ですし、湯浴み支度をさせますね。そうだ!私も一緒に入りますから、綺麗にしてさしあげますね」


「―――そうね。今朝は不覚を取ってるから、やり返さないと私も気が済まないわ。受けて立つわ」


 なに言ってんのこの二人、そうエリィは理解不能な生き物を見るような眼で見ていたが、そんな外野の視線など気にも留めない二人はニヤニヤと非常に楽しそうに笑っていた。女同士で乳繰り合って何が楽しいのか綺麗な心を持つエリィにはさっぱりわからない。


「でも良いんですか?そんなに仲が良いと、アラタ様が帰って来たら、疎外感を感じるんじゃないですか?」


「あら、仕事にかまけてちょくちょく私達を放って置いているのはアラタの方です。なら、それぐらいは多めに見てくれますよ」


 随分と都合の良い事を二人揃って口にするが、ここでエリィが茶目っ気を出してナパームを投下した。


「なら寂しそうなアラタ様は私が取っても良いですよね?」


「「それはだめ!!!!」」


 寸分違わずエリィの提案を足蹴にし、あまりおかしな事をすると折檻する、とエリィを脅すが、当の本人は軽い冗談ですとアラタへの愛情を否定した。エリィにとってアラタは恩人であっても恋愛対象ではないのだ。彼女にとってアラタは年の離れた兄か、父親のように見ているからだ。


 女三人寄れば姦しいとはこの事である。



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