第35話 読めない一手




「済まない、もう一度正確に報告してくれ。私の耳にはドナウの指定した場所には、建物はおろか軍の影も形も見当たらなかったと聞こえたんだが」


「はっ、バルトロメイ殿下の御耳は確かです。我々偵察部隊がドナウが地図で指定した場所一帯を捜索しましたが、人っ子一人見当たりませんでした。念の為、少しドナウ側の集落に旅人を装って聞き込みをしてみましたが、軍団が通ってなどいないと返答を受けました」


 偵察部隊も目当ての物が見つからず、かなり困惑した様子で偵察結果を総司令であるバルトロメイ王子に報告すると、彼は何かを考えながら押し黙ってしまった。周囲の護衛や将軍を初めとした指揮官達にも同様に困惑している者もいたが、半数以上は『どうせ逃げ出したんだろう』と嘲りを込めた笑いで周囲に同意を求めていた。



 彼等ホランド軍は、ドナウ王国から受けた挑戦状に従い本国の王都を出立し、既に二十日が過ぎようとしていた。彼等の言う本国とは二十年前から攻め落として併合した新たな領土ではなく、ホランドが古来から所有する故地だ。

 その王都から丁度一ヵ月で指定された決戦の地であるドナウ王国の東側の国境に着くのだが、先遣隊の偵察部隊からは、予想された砦や陣地など影も形も無かったという報告しか上がらなかった。

 周りの者の言う通り、恐れをなして逃げ出したと受け取る事も出来るのだが、自信満々に挑戦状を投げつけておいて、逃げ出すなど同じ武人の端くれとして納得しづらい。



 王都を出立する前日に受けた報告と同様であり、一ヵ月前になっても何も無かった事から、簡単な陣地しか構築していないと予想して、大型の攻城兵器は置いてきたのだが、これでは小型の攻城兵器すら必要なかったのかも知れない。

 バルトロメイは総司令である己の権限で、軍の足を遅くするこの荷物を減らしてきており、予想された行軍速度より若干速い速度で行進できたため、兵からは足手まといがいなくなって助かったと感謝された。

 ホランド軍は足の早い騎兵と弓を主体とする軽装歩兵が主力であり、西方随一の行軍速度を誇るのだが、その足が原因で大型で鈍足の攻城兵器と足並みを揃えるのが困難なのだ。

 勿論四万を超える大軍勢の胃袋を満たす為に、輜重隊に兵糧を運ばせているが、今回は現地調達をある程度見込んでの行軍なので、足取りは軽かった。現地調達と言っても実の所略奪行為であって、本国を出てからは進路上にある併合した旧三国の都市や村から軍勢をちらつかせて、食糧や女を徴収しただけだ。

 長い行軍でイラついている兵士達も、この略奪である程度鬱憤を晴らしており、バルトロメイの命令にも忠実に従ってくれている。実はバルトロメイは軍からの人気は高くない。弟のユリウス=カトル=カドルチークの方が、戦の才があり兵の人気も高いのだ。バルトロメイは戦下手ではないが、凡人でしか無く、弟の方に人気が偏るのは仕方のない事だと本人も思っている。

 その為、兵士達がバルトロメイの命令を聞いてくれるか将軍たちは不安視していたが、特別失敗もせず、街では好きにさせてくれているので、皆喜んで従っていた。



 自軍の懸念は解消されたのだが、今度は敵国の動きが不可解であり、どうにも読めない事が不気味さを強めている。本当に戦いを恐れて逃げたのなら、一万を超える兵士がどこに逃げたと言うのだろう。あるいは将軍たちと話し合った折りに出ていた、軍勢を分けて海路で兵を運び、王都を強襲する計画ではないかという予想が俄かに現実味を帯びてきたことになる。

 それならそれで本国には備えとして、兵の半数が残っているので心配はない。それどころか、常勝の王たるドミニク王が弟のユリウスと共に残っているので、のこのこやって来たドナウ軍を皆殺しにしてくれるだろう。その点についてはまったく心配していない。

 現時点では答えが得られない以上、実際に指定された場所に赴いて、誰も来なければそのままドナウの王都を攻め落としてしまう事も選択に入れれば良いとバルトロメイは判断し、さらに斥候を放ち情報を持ち帰る事を命じると、予定通り行軍を続ける事を配下に命じた。


「そう気に病みますな、どのような小細工をしたところで四万を超える我らの軍勢を、弱小でしかない一万のドナウ軍が如何こう出来る訳がありません。精々、意地を通して戦場で散るか、城を枕に並べて討ち死にするだけのこと。殿下は軍の主将なのですから、もっと泰然としていて下され」


 将軍の中でも年配の者にやんわりと諭され、それもそうかと納得し、助言通りに難しい顔を止めて自信に満ちた姿を作り上げていた。内心ではまだ疑念が張れていないが、景気の悪い顔をしていると兵の士気に関わると、父から教わっているので、こうして虚勢を張っているのだ。せめて偉大な父の名に恥じぬよう振る舞って、この遠征を成功させる、それがバルトロメイの偽りなき心だった。

 両軍の激突まであと十日。



        □□□□□□□□□



 ホランドのバルトロメイ王子に一抹の不安を与えているドナウ王国軍が同時刻に何をしているかと言えば、十日後にまで迫った来るべき決戦の最終調整に奔走していた。

 イカダを用いた川下りを三日後に備え、物資の点検や砦建造の手順を何度も確認し、万全の状態で決戦に備えるつもりなのだ。移動前日は全軍休養を命じられているので、実質的なタイムリミットはあと二日であり、既に演習は終わらせてある。もう泣いても笑っても数日でこの世とのお別れが待っているかもしれないと言うのに、彼等はひたすらに明るかった。

 彼等は決して自棄っぱちになったのではない。ホランドの兵と同様、自らの勝利を確信しているのだ。最初に街道の普請をしろと上官から言われた時は耳を疑い、実際につるはしを振るう破目になった時は軍を辞めようかという者も居たが、他に職があるわけでもないので、そのまま黙って従っていた。

 兵士の大半は農民の次男三男で、土地を継げなかった者達で、職人の様に特別技能がある訳でも無く、商人の様に者の売り買いが達者ではない。実家に居ても家畜部屋住みの厄介者だ。しかし、軍ならば少なくとも飢えて死ぬ事は無いのだ。


「鎧着て土を掘るだけで、実家と変わらねえ」


 などと農民出の兵士達は笑い合った。



 それが変化したのは半年後で、周囲に名にも無い川沿いの辺境に連れてこられて、また街道の整備かと予想していたが、今度は砦を作れと命じられた。

 こんな辺鄙な所の砦なんぞ誰に使うんだと呆れたが、ホランドとの戦で使うために演習で建てろと言われて、さらに全てを二日で終わらせろと無理難題を押し付けられた。

 ホランドが上官以上の無理難題を押し付けて来て、王家がそれに切れて喧嘩を売る予定だそうだ。これはその喧嘩の為の準備だという。ホランドの胸糞悪さは小さいころから何度も聞かされており、滅ぼされた三つの国と同じ目に遭うと聞かされれば、黙ってはいられない。

 何よりドナウが無くなったら兵士として雇ってもらえなくなるのだ。ホランドの兵隊は全てホランド人で、他の国の人間は入る事も出来ない。そうなったら兵士の大半は飯の種を失うのだ。自分の食い扶持は自分で稼げ、そう言われたら頷くしかない。

 最初はそれでみんな息巻いていたが、段々と単調な作業に嫌気がさして、空気が悪くなっていた。元より何の取り得の無い体力自慢の集団だ。これで街でもあれば気晴らしに酒場に行ったり、売春宿で女を抱くのだが、こんな田舎であまつさえ外部と接触を断たれては、不満は溜まる一方だった。



 こうなると仲間内で酒を飲んで殴り合うか、野郎同士で腰を振る奴が出てくるものだが、王都からやって来た黒髪の貴族の若造が見た事も無い料理を炊事兵に作らせて、兵に食わせていた。

 毎日一品だけだが、風変りでも美味い料理が食べれる事から、少しばかり不満は収まったし、その若造が休みの兵士に教えたラグビーやらサッカーは熱中する者も多かった。取り決めが簡単で分かりやすく、道具も大して要らないとなれば、暇を持て余した奴らが飛びつくのに対して時間も掛からなかった。

 ガキの遊びだと取り合わない奴もいるには居たが、他にやる事も無いのでと参加する者も多く、最初は馬鹿にしていた奴らも、結局は最後は参加して楽しんでいやがった。それを茶化してやると、殴り合いが始まってしまったが、それはそれで鬱憤も晴れたのだが。そうなると作業にも身が入り、段々と作業時間が短くなって、いつの間にか目標時間に近づきつつあった。



 そうして厳しい冬をひたすら作業に費やしていると、春になる頃にはとうとう全部の部隊が目標時間内に、作業を終わらせる事が出来て、特別に祝杯が振る舞われた。

 こうなればホランドの騎兵なんぞ役立たずのカカシでしか無く、投石器を使って油を満載した樽を投げつけてやれば、どうする事も出来ずに焼肉の出来上がりという訳だ。

 既にホランドには喧嘩を売っており、このまま東の国境までイカダで川下りだ。調子に乗っていやがるホランドの糞野郎共の泣き叫ぶ姿が目に浮かぶってもんだ。



 あの黒髪の若造はアラタ=レオーネとかいう名で、外国人らしいが何がどうなったのか王の相談役をやったり、近衛騎士や軍の士官の教官やったり、役人の教師もしているとか。いつも威張っている軍の貴族士官がペコペコしているのを見ると気分が良い。あれだけ博識で騎士に戦いを教えられるのに、平民で孤児だって言うのも本当かどうか怪しいもんだが、わざわざ平民を名乗る貴族なんていやしないから、案外本当なのかもしれない。

 他にも『実は滅ぼされた三国の王家の生き残りが復讐の為にドナウに近寄っているんだ』なんて尤もらしい噂も聞くが、こんだけ有能なら国が滅ぼされる前にホランドを滅ぼしてるだろ、って返されてそれもそうかと納得していた。それ以外にも『王様が神術で遠くの国から助けを呼んだんだ』って口にしていたが、そんな神術は建国物語ぐらいでしか聞いた事ないので、多分違うだろう。あれだって嘘か本当か分からないぐらい昔に書かれた昔話だ。

 そんなわけで本当の事なんて分かりもしないが、あの若造が有能なのは兵士一万人全員が知っているので、安心して命を預けられるってもんだ。

 泣いても笑っても、あと十日だ。やるだけやった後はホランドの腐れ野郎どもの死体の山を見ながら酒を浴びるように飲もうなどと、仲間達で笑い合い、兵士達は戦いに備えるのだった。



 それが叶うかは神ならぬ身には知る由も無かった。


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