第13話 アラタ=レオーネの価値




 城の中庭には花壇や噴水がある。景観の良さから城で働く人間の休憩に使われる事が多いが、今日は不思議と誰も近づく者がおらず、閑散としている。いや、二人だけだが中庭に座り込んで何かの作業をしている。

 アラタとその従者ヨハンは、先日鍛冶工房で作ってもらった蒸留器に火を入れて、作業をしている。それだけならば大した事はないのだが、周囲は妙な臭いが立ち込めており、それが人を遠ざける要因なのかもしれない。


「しかし、今日は見事に人が来ませんね。『黒水』の臭いが酷いのと、注意がみんなに知れ渡っているからでしょうが」


「その方が都合が良い。失敗したら、この中庭ぐらい簡単に火の海になる。人は少ない方が作業もやりやすい」


「黒水からその、ナフサですか?その特別な油はそんなに危険なんですか?この黒水、建築材料の接着や水避けには適していますけど、それぐらいしか使い道無いって聞いたんですけど」


「引火条件が普通の油と違っていてな、恐ろしく危険なんだ。まあ危険だからこそ、兵器の材料には適していると言えるんだが。それより済まんな、お前にも危険な仕事をさせてしまって」


「僕はレオーネ様の召使ですから。むしろ貴方が、誰かに命令して離れてた方が良いと思うんですが」


 幾ら誰も知らない作業でも死ぬ危険がある作業を、主人にさせるのは召使いとして抵抗がある。彼が平民だと聞いているが、国王から直々に顧問役に据えられている事を考えると、失ってはいけない人材なのは、学の無い自分にも分る事だ。


「温度管理を正確にしないと混じり物が増えるし、下手な扱いすると分溜した油が引火して吹っ飛んでしまうんだ。そうなったら蒸留器も壊れる。また作ってもらうとなると時間が掛かる。それは困るんだよ、だから直接俺が作業するんだ」


 閣僚達を集めてのプレゼンは延期できない。何よりここで火事騒ぎをおこしたら折角今まで築いた信用が、油と共に吹っ飛んでしまう。


「だから特注でポットと冷却槽を繋げるパイプを可能な限り離しているんだ。揮発したナフサが火で引火するのを避けている。本来ならボイラー部分を水蒸気で温める方式にしておきたかったが、今回は時間が無かった」


「揮発ってどういう意味です?」


「火で温めなくても勝手に蒸発するって事だ。けど周りに漂っているから、裸火で火が付く可能性がある。だから薪を使わず、木炭を使ってる。これならそう簡単に引火しない」


 それでも、引火の危険は始終付き纏うのがこの作業の危険な所なのだ。静電気一つでナフサは簡単に引火してしまう。正直戦場以外で、これほど命の危険を感じたのは初めてだ。



 二人はおっかなびっくり原油の分溜を進めて、一日掛けて樽一杯分ナフサを確保し厳重に保管しておく。揮発する石油燃料に木の樽は甚だ不適切だが、他に入れ物が無いので仕方が無い。ガラス製品もあるが耐久性に欠けあまり大きな容器は作れない以上、他に選択肢が無い。

 保管場所は人の近寄らない礼拝堂が選ばれた。いまだにV-3Eが占領しており、それを天幕で隠している。警護役の騎士は引き上げているが、時々巡回はしているとか。人気と火の気のない場所という事で、引火物の保管にはそれなりに適している。

 この日は樽を礼拝堂に保管し、作業を終えた。明日も引き続き危険な作業があり、早めに休息を取る事にした。



 次の日、午前中に閣僚の一人と会談を済ませた後に、昨日と同じようにアラタとヨハンの二人は中庭で作業をしている。今度は蒸留器は使わず、鍋で何かを煮込んでいる。

 昨日の原油に比べれば不快な匂いではないが、やはり今日も人は居ない。まだ危険な作業をしていると触れ回っているからだ。


「今日は危険の少ない作業だから楽にしていいぞ」


「それは分かります。何せ今煮込んでいるのは豚の脂ですから。これも兵器の材料になるんですか?」


「そうだ。昨日のナフサに混ぜて、粘り気を出すためだ。俺の故郷で600年ほど前に生まれたナパームという兵器でな、水で消えない上に大量の毒をまき散らす炎を生む。殺し方があまりに残虐過ぎて、使用禁止になった物だ」


「ひえっ、そんなに危険な兵器を使うんですか?」


 普段から目にする豚の脂と防水用の黒水から、そんな恐ろしい兵器が造れると聞いて恐怖を覚え震える。本来はナフサとパーム油だが、粘りが出れば構わないので入手しやすい豚の脂を使っている。



 十分温まって液状化した脂を、今度は粘りが出ない程度に冷ましておく。熱を充分冷ましたら、保管しておいたナフサの樽に流し込み、事前に水で濡らして静電気を除去しておいた木の棒でかき回す。

 ゆっくりとかき回すと、上手くナフサと脂が混ざり合い一つの液体になる。


「よし、これで完成。後は四日後を待つだけだ。ご苦労だったな、ヨハン」


「とんでもありません、殆どレオーネ様が作業していたではないですか。僕は雑用していただけです」



 ヨハンの言う通り、危険な作業はアラタが殆ど担当していたが、それでも命の危険を伴う作業に付き合わせた以上は労いの言葉を掛けておきたかった。

 貴族には平民を見下し、粗雑に扱う者も多い。無論手厚く保護する者も多いが、大抵の貴族は彼ら平民を下に見る。基本的に身分の差は覆し難く、対等の人間と見る者はいない。

 そういう意味ではヨハンにとってアラタは有り難い主人と言える。仕事は多いが、無理難題を押し付けるわけではない。上下関係は当然あるが、階級や役職上の違いと捉えており、幾らか緩い部分がある。馴れ合いはないが、付き合いやすい。それがアラタの評価だった。



 二人は礼拝堂に樽を戻した帰り道に呼び止められる。呼び止めた相手は中年の老人で、豪華な装飾の貴族服を身に纏う、この国の閣僚の一人だ。


「ご苦労ですな顧問殿、何やら妙な物を作っていると城の者が噂をしていますぞ」


「ああ、学務長官のデーニッツ殿でしたか。見苦しい成りで申し訳ありません。作業中だったもので」


「なに、構いませぬ。私も実験や薬の調合をしては、度々汚しておりましての。立ち話も何ですから、近くで茶でも飲みませぬか?貴殿の話に耳を傾けたいのですよ」


「デーニッツ殿のお誘いとあらば断るわけにはまいりません。ご一緒いたします」



 そう言うと、学務長官のルドルフ=デーニッツは近くの空いている部屋に入って、アラタに座るように促す。一緒に居たヨハンにお茶を頼んで、しばらく二人で雑談をする。

 雑談の内容はアラタが作っているナフサの事が主な話の話題だ。極めて危険な油だと城の人間に注意していたので、当然デーニッツの耳にも入っている。彼はドナウ王国の学術機関の長でもあり、現国王のカリウス王の教師でもあった。まさしく彼はドナウ一の頭脳を持っていると言っても過言ではない。

 その知識人が持ち得ない知識を有する人間が現れたら、その人物はどう行動するだろう?嫉妬して排除する、あるいは喜んで教えを乞う、はたまた知識の交換をするかか。


「それにしてもレオーネ殿の博識ぶりには、驚かされますな。私も長い間、学者として碌を得ておりますが、自らの無知を突き付けられる思いです。貴殿の国では皆同じような知識を有しているのですかな?」


「そうですね、誰でも手に入る知識ばかりです。本人に学ぶ気さえあれば誰でも知り得る事柄でしかありません。学ぶ機会は万人に与えられています。後はそれを選ぶ選択を個々に委ねているだけです」


「それは素晴らしい国ですな。私のような学徒にとって知識とは垂涎物です。もし出来るなら、生涯を学ぶ事に費やしたいと思うほどなのですよ」


 何となく芝居がかった物言いだが、本心なのだろうと推測する。この手の人間の知識欲は、アラタの想像を絶するものだと聞く。

 ヨハンがお茶を持ってきて、二人の前に置く。お互いに茶を飲むと、一息つく。先に口を開いたのはデーニッツだった。


「ところでレオーネ殿はこのドナウ王国で何が足りないと思いですか?いや、貴殿にとってはあらゆるものが足りないと考えているでしょうが、現状でもっとも必要な事は何でしょう?」


「足りない物ですか?まあデーニッツ殿の言うようにあらゆるモノが不足しているとは思いますが、一つ挙げるとすれば……」


 目の前の人物が学者である以上、学術的な質問をしているのは理解できる。だが、その学術で優先順位を付ける事は非常に難しい。学術や技術は一つだけが突出して優れていても使いにくいだけだ。文明の高さとは複合的な技術体系で成り立つ事が前提だからだ。



 しばらく考え込んでいたが、このまま黙っているのも相手に失礼なので、答えなければいけない。


「強いて言えば研究機関や教育機関が足りないと言えます。より高度な学術を研究して、多数の人間に教えを広める事が国家を富ませる行為だと愚考します。この国では学者は個別に研究を行い、自らの研究成果を自らの子や生徒にだけ教えて秘匿してしまいます。それでは不慮の事態が起きた時に、折角の研究成果が失伝してしまいます。それを防ぐために、一定の成果が上がった時に報告義務を設けて、ある程度他者と共有する必要があります。

 また、現在教育を受ける場合、各貴族の家が個別に教師を雇い教えていますが、教え方に偏りがあり、国家にとって不都合な事を教える者も、それなりにいるでしょう。それを防ぐためには、幼少の頃から同程度の教育を纏まった数の子息達に施すのが、効率が良いと思います」


「ほう、面白い考え方ですな。ですが問題もありますぞ。貴殿の言う通り学者は研究成果を秘匿します。何故かお分かりで?」


「はい、それが彼らの生活の糧になるからです。希少だからこそ価値があり、万人に知られてはその価値が落ちて、自らの価値も下げてしまう。ある程度の保身の為には止むおえない事ですが、国全体からすれば損失と言えます。それを防ぐには、国が研究成果を買い取って、研究資金として多額の援助を申し出てはいかがでしょう?研究機関は、国家に属しますから、その組織の長は必然的に学務長官が座る事になります」


 研究機関の長を学務長官が務めると聞き、デーニッツはニヤリと笑う。この御仁は知識欲が貪欲だ。三度の飯と同じぐらい知識を集めるのに関心があるとアラタは見ている。それと同時に保守的な性格で、自らの地位を脅かす者を排除する程度には保身に長けている。


「なかなか興味深い発想ですな。確かに製薬の技法や医術は秘伝のものであり、生徒や子に教えなければ失われる可能性がある。それは学問における損失であるのは否定致しません。それを国が買い取ってしまえば、好きに出来ると言うもの魅力的ですな。ただ、それを気軽に手放すかは、その研究者次第ですが」


「その場合は研究成果に応じた額を用意するしかありません。あるいは向こう百年、子や孫の税を免除するなど優遇処置を与えれば、転がる人間はそれなりに居るでしょう。子孫の生活の為に技術を秘匿するならば、同等の物を与えれば良いのです」


「成程、それは道理ですな。あるいは名誉を与えるのも良いかもしれませんぞ。王が認めた賢者、知識人ともなればこぞって教えを乞う者が集うでしょう。そうなれば名誉欲を掻き立てられた者が、自らの成果を提供するでしょう」


 デーニッツは乗り気になる。彼も知識には貪欲であり、今まで秘匿されてきた学術成果が自らの元にやって来ると知れば、率先して知識の収集に走るだろう。それを政治利用する可能性もあるが、それはこの国の都合なのでアラタにはそこまで面倒見切れない。

 貴族相応に保身は心得ているので色々後ろ暗い事もするだろうが、人である以上清廉潔白過ぎても困るのはアラタも子供ではないので理解している。


「他にも国が教育に一枚噛むことでおかしな思想、特に王家に反乱を起す思想を排除するのに役立つでしょう。この国の歴史を学びましたが、何度か地方貴族に反乱を起されています。それを未然に防ぐためには、王都や主要都市に学校を用意し、そこで貴族の子息を一括して教育してはいかがでしょう?貴族同士の連帯感も生まれますし、地方貴族の子息の身柄を握る事は、反乱防止にも役立ちます」


「確かに地方領主の子を確保しておくのは有効な反乱防止になりますな。地方貴族も多くの貴族と関係を結べるとなれば、彼らにとっても利益になる。さらに我々、学務官僚も影響力を強めることが出来る。損をするのは家庭教師ぐらいですかな?」


「その家庭教師もある程度需要はありますよ。あるいは私塾を開いて自分で教える道もあります。それ以外には、いっそ彼らを下請けとして国が雇う事も考慮すべきかと。首輪を付けるのは、不穏分子の減少に一役買います」


 教育を受けた者は大部分が貴族であり、当然家庭教師も殆どが貴族だ。彼らは仕官出来ず、家も継げない次男三男が多い。職が無く、仕方なく家庭教師に就いている者も多いのだ。

 貴族である以上、平民と混じって仕事は出来ない。必然的に働き口も、限られてくる。教師とは彼ら下級貴族の最後の砦なのだ。それすら奪われたとなれば、不満が暴発しかねない。それを防ぐには、ある程度国が面倒を見なければいけない。


「うーむ、確かに彼らを雇えばおかしな事をしないよう監視出来ますが、負担も相応に増えますな。しかし同じぐらい利が見込める。悩ましいですが、必要経費として考えれば悪くないですな」


「デーニッツ殿、これは茶飲み話の戯言ですので、全てを真に受ける必要はありませんよ。あくまで案であって、強制力も無いのですから。ただ、学や教養がある者が多ければ多い程、学問の発達は早くなる事は事実です。知識人の総数の増加が国家の利益になるのですよ」


 その結果、追う者と追われる者が逆転する事になってもアラタには関係ない。古く弱い者が、強く新しい者に敗れるのは世の常だ。競争を止めた者は敗者にしかならない。勝ち続けるには、走り続けるしかないのだ。


「ははは、それもそうですな。確かに茶飲み話でしかありません。しかし一考に値する話には違いない。レオーネ殿との話は茶飲み話とはいえ、千金の価値がありますな」


 上機嫌に笑うと、薬草茶を飲み干す。実はこのお茶を卸している商人は、このデーニッツの家が経営している商会の者だ。学務官僚には教師、医者、薬師など研究者以外にも別の職を担う者が多い。

 学務長官であるデーニッツの家は代々、学者以外にも医者を多く輩出する家柄で、王室の典医もデーニッツの息子の一人が務めている。


「さて、お茶も飲み終えた事ですからそろそろお暇致します。レオーネ殿は明日の午前中に面会を希望されていましたな。やはりホランドの事で?」


「そうです、ドナウ王国の全ての力を出し切らねば、この難局を乗り越えられませんので」


「我々のような学者集団に何が出来るかは分かりませんが、微力を尽くしますぞ」


「そのお言葉を聞けただけでも、今日は充分です。また明日お会いしましょう」




 それだけ言うと、アラタは礼をし部屋を出て行く。それを見送ったデーニッツは残された部屋で、物思いにふける。


(平民だが弁えているな。用が済めば叩き出す事も考慮していたが、出来るだけ長く使う算段を付けた方が色々と得をするだろう)



 デーニッツにとってアラタは平民でしかない。つまりは自らより下の者だ。王家の顧問役という、分不相応な地位を得ているが、それを苦々しく見ている者はそれなりに多い。今は難事があり余裕が無いが、それが終われば用済みの人材でしか無いと思う者もいる。デーニッツもその一人だが、彼は知識に貪欲だ。アラタの知識を全て吸い取れば、簡単に切り捨てるが、残りの人生全てを掛けても吸収しきれるか分からない。

 目障りな事をせず、利益を示し続ければそれなりの地位を与えてやってもよい。それぐらいの度量はデーニッツにもある。

 どれほど物珍しくともアラタは平民でしかなく、いつまでも同格、あるいはそれに近い地位にいるのは目障り。それが大部分の貴族達の腹の内なのだ。

 何時か来る未来を想像し、デーニッツは笑う。尤も、それが一生来ない事を知らないのだからこそ笑えるのだ。



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