斧より大切なもの

だるかれーしらぽん

第1話 泉の女神

 彼女は泉に住み、村人たちからは「泉の女神様」と呼ばれていた。

 彼女に授けられた運命は「清らかな心の持ち主を祝福する」ことだった。

 今、泉のほとりには祝福に値するかもしれない若者が泣き顔で水面を覗き見ていた。

 彼女は見ていた。若者はこの泉の周りに生い茂る木々を使い慣れた斧で朝から晩まで働き通しで伐採していたことを。そして、その疲れのためだろうか、手を滑らせて泉に斧を落としてしまったことも。

 運命の書に書かれた手順に従い、若者が「清らかな心の持ち主」か試すことにした。今彼女の両手には二つの斧が握りしめられている。一つは太陽のごとくきらめく金の斧、もう一つは月のように輝く銀の斧。

 太陽は沈み、あたりを暗闇が包み込もうとしていたが、丁度よく満月が太陽の代わりに上り始めている。彼女は月の光を背に、途方に暮れている若者の前に立ち問いかけた。

 「あなたが落としたのはこの金の斧ですか、それともこちらの銀の斧ですか?」

 突然のことに若者は驚いた。無理もない、目の前に女神が現れたのだ、奇跡のようなことが起きてうろたえない人間はいないだろうと思いつつ、もう一度同じことを問いかけた。

 若者は気を取り直したのか顔から戸惑いの色は消えて、質問の意味を飲み込んだように一度頷いてから質問に答えた。

 「いいえ、どちらも俺の斧ではありません」

 予想した通りの答えに満足した。威厳のある表情は崩さず、心の中で若者にほほえみを返した。この若者が清らかな心の持ち主であることを確信できた。

 「あなたは品性の整った素晴らしい心の持ち主のようですね。それではあなたが落とした斧とともにこの金銀の斧も差し上げましょう」

 「いいえ違うんです。どれもいりません。その斧はもう俺のものではないんです」

 予期せぬ答えが返ってきた。


 彼らがこの想区に来て初めに出会った旅人から、この想区には木こりたちが多く住んでいるというのを聞いた。そこで思いついたのは、木片を分けてもらえるのではないのかという淡い期待だった。

 しかし、この想区に来て半日、木こりどころか人一人にも会えずにいた。

 さすがに歩き疲れたのか銀色の髪の青年──タオがぼやいた。

 「なあお嬢、わざわざもらいに行くまでもなく、箱庭の王国で交換してもらえば良い話じゃねぇのか?」

 「あそこじゃ大きいものは手に入らないでしょう!」

 意地になっているのか、木こりから木片を入手することを初めに提案した少女──レイナは自身の金色の髪をたなびかせながら振り向き、声を荒げて反駁した。確かに箱庭の王国では大きめの木片とは交換してもらえなかったが、時間と体力をすり減らしてまで探し求めることはエクスにも効率が悪く感じられた。

 後ろ髪をアップにまとめた少女──シェインも見かねて説得に加勢した。

 「姉御、お気持ちはわかりますが、このままいくと日が暮れてしまいます。ここは名誉ある撤退を選ぶべきかと」

 「もうここまで来たら誰かもう一度人間に会うまでは帰るわけにはいかないわ!」

青色の髪の少年──エクスは心の中で嘆息した。おそらく今のレイナには何を言っても無駄だろう。

 木こりを生業とする人間が多くいる想区とだけあって、見渡す限りの木立が広がっている。いくら歩いても代わり映えのない森林を見続けていると、同じ場所を歩かされているのではないかと錯覚しそうになるほどだったが、うつむきがちになる顔をふと上げてみると、延々と続く緑の中に青白く光る場所が道の先に見えた。

 「この先に水辺があるみたいだよ。ひとまずそこで休憩しよう!」

 この提案にはレイナも賛成した。

 近づいてみるとそこは泉だった。風が流れ込んでくるのか涼しさを感じられて心地良い。おあつらえ向きにイス代わりになる切り株が人数分見つかった。人影は見えないが、ここに木こりがいたことが最低限それでわかり、レイナもほっとした顔をしていた。

 「木こりはいるみたいだけど、みんなどこへ行ってしまったのかしら? 聞いた話ではどこへ行っても木を切る音があちこちから響いてくるほど木こりで賑わっているらしいのに……」

 「今日は皆さんお休みの日なのかもしれないね」

 「そうなのかしら……いずれにしても人に会って尋ねてみないことには埒が明かないわね」

 あくまでも帰るという選択肢はないらしい。シェインが懸念したようにこのままいくと日が暮れてしまい、悪くするとそのまま野宿という事態も考えられた。レイナを説得する方法を案じているとのどに渇きを覚えたので泉に近寄ってみた。澄んだ色をしている。飲んでも大丈夫そうに見えた。背中に背負っていた剣を下ろし、両手で椀を作るように水をすくい上げようとした。

 「あっ」

 水面に顔を近づけていた目の端で剣が泉に落ちるのが見えて思わず声が出た。気づかなかったが傾斜があったらしい。慌てて手を伸ばしたが時すでに遅く、剣は泉に飲み込まれるように底の方へと落ちて行ってしまった。意外と深さがあるのか剣の姿が見えない。慌てふためいていると、水に落ちる音で気がついたのか3人が近づいてきていた。

 「まるで子供のような典型的なミスですね新入りさん」

 「もう、世話の焼ける子ね。拾い上げるための枝を探してくるから待ってなさい」

 「そんな必要はねぇぞ。坊主のためだ、俺が潜って取ってきてやるよ」

 3人がエクスを幼子扱いしているのが言葉の端々から察しられたが反論の余地はなく、むしろ目を離した自分を悔やんでいた。

 ふと、さっきより涼しくなったような気がした。そう思われたのは心地よさを感じる程度だった風が強さを増して吹き抜けたからだった。

 「あなたが落としたのはこの剣ですか?」

 風の吹いた方から突然声をかけられて驚いた。しかし、声の主を探してあらぬ方向に顔を巡らし相手を見つけられずにいた。それもそのはずだった、声が聞こえてきたのは泉の中央からだったためだ。

 半信半疑で泉に目を移すと、信じられないことに純白のローブに身を包んだ女性がゆっくりと水の上を歩いてくるのが見えた。潜って取りに行こうと服を脱ぎかけていたタオもそのことに気づいたようだ。

 「おい、どうなってんだ。人が水の上を歩いてんぞ!」

 「おおっ! この世界には空を飛ぶ人間もいるぐらいですから、どんな人がいてもびっくりしたりはしないと思っていましたが、実際に目にすると驚きは隠せないものですね」

 シェインがいつも以上に目を丸くして好奇心を隠せずにいると、レイナがエクスの肩をつついて問いかけてきた。

 「あの人が持っている剣ってエクスのものじゃない?」

 見ると女性の胸元に確かに剣が抱えられていた。しかし、よく見てみるとエクスが持っていたものとは比べものにならないほど豪華な装飾が施されている。

 水上を歩く女性は目をつむっていた。それでもその場の空間がつかめるのかエクスたちの前まで歩いてくると立ち止まって再び先ほどと同じ質問を発した。

 「あなたが落としたのはこの剣ですか?」

 「いや、違……」

 「ありがとよお姉さん! 水浴びする絶好の機会がなくなっちまったが、この坊主の粗相で手を煩わせちまったな!」

 エクスの持っていた剣とは明らかに違っていたので否定しようとしたところをタオが遮ってきた。水の上を歩いていることにはすでに気にしていないのか彼女に陽気な声を投げかけていた。

 タオはあの剣がエクスのものではないことに気づいていない様子で話を進めようとしてしまっている。さすがにそれでは後ろめたい気持ちを覚えてしまって、何とか話に割り込んで違うことを伝えようとした。彼女は黙っていたが、エクスはずっと両目を閉じたままの彼女に不穏な空気を感じ取って謝りの言葉をかけた。

 「すみません! それは僕の剣ではありません。そんなに豪華な飾りはついていないもっと普通の剣です!」

 「えっ、そうなのか?」

 タオはそう言われて確かめるようにまじまじと彼女の持っている剣を見た。

 「僕の剣はまだ沈んだままのようです。僕たちで何とかしますので、わざわざ声をかけていただきありがとうございました」

 そう声をかけると、それまで無表情のようだった彼女が少し笑ったように見えた。

 「その必要はありませんよ」

 言うが早いかこちらのいる泉の岸へ飛び移ってきた。降り立つと同時にエクスの顔をのぞき込むように彼女は顔を近づけてくる。それまで閉じたままだった目は見開かれていてなぜだか気持ちが怯んだ。

 「ようやくあなたのような心の清らかな人間、いうなれば正直者と出会うことができました。今までにも幾人もの人間に同じ試練を与えてきましたが、己の私利私欲に打ち勝ち汚れなき心情そのままに振る舞える人間のなんと少なかったことか! 私の使命は正義の道を歩む者を祝福し、それが正しき行いであることをその者に信じさせることにあります。……ですのでこの剣ともどもお受け取りください」

 早口にまくし立てられるような口上だった。よく見るといつの間にかエクスの剣も両手に握られていた。水の上を歩くことといい、それを含めてまるで手品のようだったが、そんなことよりも彼女の有無を言わせぬ言葉に気圧されていた。

 半笑いの表情を浮かべながら言われるがままに剣を受け取ると、すると彼女は今度はタオに向き直った。

 「あなたのような不埒な考えの持ち主には罰が必要でしょう……」

 「何……」

 タオが疑問を挟む暇もなく、彼女が手を軽く横に振るとどこからともなく風が吹きすさんできて周囲を包み込んだ。思わず顔を伏せて体を身構えたが、すぐに風は収まった。つむじ風が吹き抜けていったかのようだった。

 「あれっ、タオ兄?」

 シェインの声で気がついたが周囲を見渡してみるとタオがいなくなっていた。

 「上だ上……」

 見上げてみればタオが縄で縛り上げられて枝から逆さづりにされていた。

 「うわっ、どうして吊されているの?」

 「突然風が吹いたと思ったら、気がついたらこうなっていたんだ……」

 レイナはおかしいのか口を手で押さえている。

 「逆さまになった蓑虫みたいね。なかなか似合ってるわよ」

 「タロットカードにこういうのありましたよね」

 「頼むから見てないで下ろしてくれよ……」

 タオの状況を二人が茶化している間も無表情を崩さずにいたローブの女性に気づいてエクスは訊いた。

 「もしかして、あなたがタオにこんなことを?」

 「この人は私を騙して偽りの剣を不当に得ようとしました。これは許されざる愚行です。そのような方には断じて見逃すわけにはいかず、粛正が必要でした」

 「俺は騙そうとしたわけじゃない。ただ坊主の物だと勘違いしていただけだって……」

 彼女は聞く耳を持たないとばかりに目をつむって聞き流している。仕方なくエクスが口を開いた。

 「元はといえば僕が剣を落としたのが悪いんです。タオのことを許してもらえませんか?」

 「……仕方ありませんね。正直者のあなたに免じて許してあげましょう」

 また同じように手を横に振るとタオを縛っていた縄が自然にほどけていった。その結果タオの体は重力に従って落下していき、草の上とはいえしたたかに体を打ち付けられる形となってしまった。本当に許してくれたようには感じられなかった。

 「……そういえば、まだあなたの名前を伺っていませんでしたね」

 「私は名乗るほどの者ではありません。強いて言えば近くの村人たちからは"泉の女神"と呼ばれています」

 「この近くに村があるのね。良かった。これで木こり探しも万事解決ね!」

レイナは泉の女神と名乗った彼女のことよりも違う点に注目していた。しかし、確かに女神に村のことを教えてもらえば目下の問題は解決されるように思われた。

 「木こりを探していらっしゃるのですか? それは丁度よかった」

 木こり探しが丁度よい? そう聞いてその理由を尋ねようとしたときだった。

 「クルアアアアアッ!」

 聞き覚えのある叫び声が響き渡った。確かにそれはエクスたちの敵であるヴィランのものであった。しかしそれは信じがたいことだった。

 「おいお嬢、ここにはカオステラーはいないはずじゃなかったのか!」

 さっき打ち付けた腰をさすりながらタオがレイナに疑問をぶつけた。今聞こえた異形の叫び声は確実にヴィランのものだったが、この想区に来たときレイナからはヴィランを生み出す根源のカオステラーの気配は感じないと伝えられていたのだった。

 「確かにこの想区に来たときには気配を感じなかったわよ! ……一体どういうことなの?」

 そうこうしているうちにどこから現れたのかヴィランたちが集まり始めていた。

 「考えている暇はなさそうだな。いつものように栞を使って追っ払っちまうぞ!」

エクスたちのような自分の運命が定められていない「空白の書」の持ち主は、物語の主人公──ヒーローたちの力を宿した「栞」を使うことでその主人公たちの姿となり戦うことができる。

 エクスは女神が戦いに巻き込まれないように声をかけた。

 「あなたは下がっていてください!」

 しかし、逃げようとする素振りもなく彼女はまた微笑んで見せた。

 「その必要はありませんよ」

 するとまたもやどこから持ち出したのか両手に斧が握られていた。

 まさかとは思ったが尋ねた。

 「……何をするつもりですか?」

 「正義に仇なす者がいれば、その者を罰するのが私の勤めです」

 そう言うと彼女は近くにいたヴィランに向かって斧を薙ぎ払った。するとさっきのタオを巻き上げたような突風と相まって複数のヴィランを巻き込んで吹き飛ばしてしまった。

 エクスは目の前の女神の行いに驚いて動かずに目を瞬かせていたが、タオたちがヒーローに変身──コネクトさせて戦い始めているのに気づいて、急いで自分の空白の書に栞を挟み込みコネクトしていった。

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