第19話 チェス
「チェスしないか?」
休憩時間になった途端、チェスタトンがチェス盤を持ってそう提案をした。
私は無言で頷くが、正直に言ってしまうとチェスタトンは非常にチェスが弱かった。
これまで、主に休憩時間に百回以上は対戦しているが、彼が私に勝ったことは一度も無い。
私が特別強いのではないのかと考えたチェスタトンは、部署内でチェス大会を開いた。チェスのルールを知っている、私とチェスタトン、シェイクスピア、カミュの四人による総当たり戦だった。
対戦の結果、私が一位、シェイクスピアが二位、カミュが三位で、チェスタトンは最下位となった。
そしてチェスタトンの勝利数は零回だった。
さすがにこの結果に衝撃を受けて、チェスタトンはしばらく私にチェスの誘いをしなくなっていた。
しかし、口には出さなかったがその間はチェスのことをずっと考えていて、まさか自分は誰にも勝てないのではないかという妄念に囚われるようになっていった。
とうとう彼は、禁じ手を繰り出した。それは、チェスのルールを全く知らない自分の妻と対戦することだった。
まだルールを全て把握していない妻に、細かいことは戦いながら覚えればいいからと説得して、教えながらチェスを指していった。
「最初は俺の方がリードしていて、これなら勝てる! と思ったんだけどな……」
後にその対戦を、チェスタトンはそう振り返る。
結果、彼は初心者に負けた。その最後の一手を導いたのは、他でもなく彼自身だった。
「えーと、これは、どこに置けるかな?」
「ああ、それはこっちに置けるよ。それで、これで……チェックメイト……」
彼は親切心で妻の次の手を教え、それにより負けた。
チェスタトンの妻は自分が勝ったことに気付かず、しばらくは「え? 私、勝ったの?」と繰り返していたらしい。
「俺、絶対にチェスに勝てない呪いにかかっているのかもしれない……」
食堂室でそう話したチェスタトンは、分かりやすく項垂れていた。
流石に呪いというのは大袈裟だろうと私は冷ややかな目で彼を見ていたが、折角の機会だったので今まで気になっていた疑問を彼に言ってみた。
「そもそも何故、チェスにそれほど執着するのか?」
「いや、なんか自分の苗字の一部になっているゲームだから、どうしても気になって」
「では、チェスだけが不得意かどうかは分からないということか」
「……」
その瞬間、私は目から鱗が落ちる顔を初めて見た。
この会話の翌日、チェスタトンは世界各国の様々な盤上ゲームを持ち込んできた。
部長であるシェイクスピアは、「ここは遊び場にする気か!」と息を荒げていたが、チェスタトンはしっかりと節度を守り、休憩時間にこれらを広げていた。
チェッカー、将棋、囲碁、オセロ、蛇と梯子、マンカラ、ユンノリ、ダイヤモンドゲーム、プルック等々、ルールを知らないものも確認し合いながら、二人以上のゲームは部署内の者も巻き込み、我々はひたすら盤を挟んで戦った。
戦績は、私や誰かが勝ち越すこともあれば、チェスタトンが勝ち越すこともあり、どちらかが零勝のまま終わるということはなかった。
「ならば、ますます訳が分かんないな。チェスだけ異様に弱いなんて」
持ち込まれた盤上ゲームですべて対戦し終わった後、チェスタトンは真剣な表情で腕を組んで唸っていた。
私はもう、この話題は終わりでいいのではないかと思っていたが、もう少し付き合うことにして、チェスタトンにまた一つ尋ねてみた。
「チェスを知ったきっかけは何だったんだ?」
「確か、ガキの頃になんかの本で見たんだよな。それで興味を持って」
「一番最初に対戦したのは?」
「俺の親父だった。ルールを教えてもらいながら指した」
「その時の勝敗はどうだった?」
「俺が勝ったよ」
私は彼のなんでもないような一言に、目を丸くした。
「勝ったのか」
「お前、俺が一度も勝ったことないと思ってるのか? ……あれはわざと親父が負けたんだよ」
私をぎろりと睨んだチェスタトンだったが、何か引っかかったらしく、記憶を探るように上の方を見ていた。
「その割には、悔しそうにしていたけど」
「その後、父親と対戦したことは?」
「無かった。忙しいとか何とか言われて」
「確か、お前には兄もいたな。兄とチェスをしたことは?」
「いや、ない」
首を振った後、チェスタトンは黙り込んだ。
手持ち無沙汰に、中身が殆どないコーヒーカップのスプーンをくるくる回している。
「……親父と兄貴がチェスをしたがらないのは、俺よりも弱いからなのか?」
「その可能性はあるな」
私が肯定すると、チェスタトンはにやりと人の悪い笑みを浮かべた。
「丁度、三日後に実家に行く予定があるから、その時に確かめてみよう。その時に、チェスタトン家の秘密が明らかになる!」
何故か大きく拳を握るチェスタトンを見て、何やら壮大な話になってしまったと他人事のように考えていた。
▱
「――という感じで、俺は親父と兄貴に勝った」
休憩中の食堂室の話から四日後、チェスタトンはチェスを指す合間に、意気揚々と帰省の顛末を話してくれた。
私はチェス盤を見ながら答える。
「成程。仮説は合っていたということか」
「それだけじゃない。俺はさらに実験を重ねた」
「ほう」
「一番目の息子と俺の対戦では、息子が勝った。一番目の息子と二番目の息子とでは、二番目の息子が勝った。そして、二番目の息子と一番下の娘とでは、娘が勝った。この法則性が分かるか?」
「つまり、代を重ねて、年が若い方からチェスの腕が上がっているということか」
「その通り!」
チェスタトンは私を指差して叫んだ。
そして、頬杖をついてにやにやと笑いながら、私を眺める。
「俺の孫の孫の孫の孫の孫の代は、お前に勝てる腕前になっているのだろうな」
「それは楽しみだな」
私はただ頷いて、自身のポーンを彼のキングの横に置いた。
「チェックメイト」
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