エピローグ

 …………。

「……さん! ヘレネさん!」

 誰かに揺り動かされている。姉に朝起こされるとき、ヘレネは決まってそれを振り払う。いつものように腕を払い──

 めりっ。

「うごお!?」

 こぶしに鈍い感触。思わずヘレネは飛び起きた。

「あ、あなたはわたくしに何か恨みでもあるわけでして!?」

 ありまくります。

 鼻を押さえて詰め寄るレイコにヘレネはそう思ったが、とりあえず黙っておくことにした。

「あー、やれやれ。一時はどうなるかと思ったよ」

 続いて現れたのは、濃いめの美貌の悪人コロン。あちこちすすけてはいるが、無事のようだ。

 ヘレネはあたりを見回し、空を見上げギョッとした。

 元々半壊していた魔王宮殿だが、それがさらに傾いてしまっている。空はどんよりと暗く、ゆがんだ太陽が二つある。

「い、いったいなにが……!?」

「忘れちまったのかい? あんた、女神に変身してあの五人と戦ってたんだよ」

 なんじゃそりゃ。とツッコミたかったが、そういう雰囲気ではない。

 周囲には、何人か人が倒れている。

 カニさんのポーズで仰向けに倒れたアスタリスク、お尻を突き出してうつぶせに突っ伏したチルダなど、ことごとく失神中のようだが、全員生きてはいるようだった。

「ほら、ヘレネさん。これを」

 しかめっ面のレイコが、ヘレネに布地の固まりを手渡した。広げてみると、ヘレネが着ていた服だった。

 そうだ。男どもの精神一致のために脱いだんだっけ。男たちが目を覚ます前にと、ヘレネはあわてて着込む。

「さあヘレネさん、そのエリクサーを早く!」

「え?」

 いつの間にやら、ヘレネの手にはエリクサーの入った小瓶が握られていた。

「わたくし、それを奪い取ろうともとい、ひとまずレイン様に飲ませなければと思ったのですけど、バケモノじみた握力でなにがなんでも手放さないので、起こして差し上げましたことよ」

 恩着せがましいレイコのセリフは無視。ヘレネはレインの倒れた姿を確認し、小走りに駆け寄る。

 血は止まっているようだが、レインはぐったりとしていた。上体を起こし、小瓶の口を開ける。

「気を失っているところに注ぎ込んで、こぼしちゃわないかな?」

 量的に、一回分しかない。これをしくじったら万事休すだ。

 ぱあっと明るい表情で、レイコが声を張り上げた。

「そうなるとやはり口移しですわね!」

「やめんかあっ!」

 口をタコにしてレインに迫るレイコを、襟首つかんでヘレネは力一杯引っ張る。

「あなた、このままではレイン様が死んでしまいますことよ! 生き返らせるに美女の口づけが必要なのは物理的に当然の展開!」

「あんたそもそもエリクサーを含んでないでしょうが!」

「あのー」

 ずざざあっ! 申し訳なさそうに手を挙げるレインに、どたばた劇中のレイコ&ヘレネは驚いて飛び退いた。

「あ、あんた目ぇ覚ましてたの!?」

「うん。ていうか、最初から死んでなかったし」

 レインは怪我ひとつしていなかった。カーナの必死の様に、彼女の言うとおりに死んだふりをしていたのだという。

「そ、それじゃあまさかあの台詞……」

「うん、聞いてた。僕もヘレネが好きだよ」

 あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙! 頭を抱えてしゃがみ込む。顔から火が噴き出してはいないかと、ヘレネはほおをさすった。かなりの熱を帯びているようだった。

 泣きそうに、レイコがレインに詰め寄った。

「そ、それではわたくしのことは嫌いだと?」

「ううん、レイコさんも嫌いじゃないよ」

「オッケー! ならまだまだ逆転の可能性はあるということですわね!」

 ゆがんだ太陽を見上げ、ガッツポーズを決めるレイコ。

「あ、あんたには節操っつーもんがないんかい! レインも中途半端な態度をするんじゃないわよ!」

「んまあ、レイン様を悪く言うのは私が許しませんことよ!」

「なによ!?」

「やりまして!?」

 またしても、ぎゃーぎゃー騒ぎ出す二人の少女。

「ありがとう──」

 そこへ、上空から女性の声が響き渡った。

 見上げると、カーナを始め五神精が、ゆがんだ黒太陽──いや、異界への扉の周囲に勢揃いしていた。アルマフレアの民族衣装に身を包み、人間形態に姿を戻していた。

 その表情はとても穏やかで、つい先ほどまで死闘を演じていた相手とは思えない。

「ありがとう、ヘレネちゃん。約束通り、エリクサーはあなたの物よ」

 はっとして気づいた。うっかりレインに飲ませかけていたが、エリクサーはまだヘレネの手元にあった。

 これで、これで元の体質に戻れるのね!

「けど、たぶんそれを飲んでも体質は治らないわよ」

 高揚しかかっていた気分が一気にどん底に落とされた。

「な、なんで?」

 にっこりと、カーナは言った。

「それこそがあなたの魅力カリスマだからよ。しいて言えば生まれつきのもので、それで正常。だから治りませーん」

 乙女チックに笑顔で言われても困る。

「あ、あたしの今までの苦労は!?」

 目の前にちゃぶ台があればひっくり返したい気分だった。これまでの数々の苦労はいったい何だったってえの!?

「さて、そろそろお別れね」

「え、なんで?」

 カーナたちは異界への扉を感慨深げに見上げていた。

 この戦いで作られた、魔王降臨のための扉。

 しかし、魔王が来る気配はなかった。

 ヘレネにとっては一安心だが、彼女たちにとっては悲しいことだろう。

「無理に開けた扉だから、すぐに閉じるわ。母さんがこちらに来ないということは、来たくないか、もしくはこれない理由があるということ。だから、あたし達の方から行かなきゃ」

 治療院等、カーナにはたくさん世話になったし、今となっては女神達にも親しみを感じる。いきなりお別れでは名残惜しい。

 しかし、彼女たちの母に会いたいという気持ちをヘレネはよく理解していた。だから、笑顔で送ることにした。

「また、逢えるよね?」

 カーナも笑顔で答えた。治療師のときと同じ笑顔だ。

「ええ、あなたが望むのなら。それじゃあ、またね!」

「ふん、またな」

「またなの!」

「なー!」

「にー!」

 五人それぞれの最後の挨拶。

 女神たちは扉の中へ消えていき、扉そのものも縮小していく。

 扉は消え、太陽はひとつに戻る。

 数秒間のダイアモンドリング。空の明るさが取り戻されていく。皆既日食も終わりを告げたようだ。


         *


 巨大な重力は時空をゆがめ、ブラックホールと呼ばれる重力の落とし穴になる。しかしそれで終わりではない。ワームホールと呼ばれる時空のトンネルを通って、別の宇宙につながっているのだ。

 ワームホールの中では普通の物質は重力で引きちぎられて存在できない。五神精は、ヘレネとの戦いで見せた光の固まりになって、ワームホール内を進んでいた。

「結局さあ、あのヘレネって小娘、何者だったんだい?」

 赤い光、ターナがあきれたように聞いた。

 あの戦いでわかったこと。とりあえずヘレネは自分たちの理解の外側にいることだけだった。

 しれっとした調子でカーナが答えた。

「わからいわ」

「わかならいって……」

「だから、それも含めて母さんに会いに行くのよ。あたしにはわからなくても、母さんならわかるかもしれない」

「問題先送りだねえ。まあいいけどね」

 肩をすくめ(今はエネルギーの固まりなので肩は無いが)、ターナはため息をついた。

「けど、彼女の魔法が暴走する理由は説明できるわよ」

 ヘレネの魔法が暴走する理由。

 細いホースに滝のような水圧をかけたらどうなるか? まともに水を出すことはできまい。

 同様に、低レベルの魔法をとんでもない魔力で放とうとしたらどうなるだろうか?

 それが、ヘレネの暴走魔法である。

 ヘレネは魔法使い見習いである。ゆえに、魔力をうまくコントロールできない。

 初級魔法使いなら魔力そのものが小さいのが本来だが、どういうわけかヘレネの魔力は途方もない物だった。

 それゆえの暴走だったわけだが、もしもその魔力に見合った魔法だったらどうか? ヘレネが禁呪しか使えない理由がここにある。

 五神精が強制召喚されたのも、ヘレネの失敗魔法が、彼女たちの属性と重なったためである。

「なー!」

「にー!」

「ヘレネちゃんは、お母様にすごく似ているってヴィーナちゃんとニーナちゃんは言ってるの」

「別に訳さなくてもわかるよ」

 ターナのツッコミを受け流し、カーナはおかしそうにくすくす笑っていた。

「だからあたしたちみんなが彼女に惹かれたのよね。本当に不思議な娘だったわ。

 さあ、そろそろ特異点が近いわよ。これをよけないとあたしたちでも生きてはいられないから注意しなさい」

「ああ、わかってる」

「それじゃあ行きましょう。お母様はもうすぐそこよ!」

 その先には真っ白な光の渦が広がっている。

 母たちの住む世界を目指し、五神精は渦の中へと消えていった。


         *


 アルマフレア世界そのものを揺るがす一大事件は、何とか収束しつつあった。

 レインは無事だったし、気絶していた男どももようやく目を覚ましたようだ。

 見回すと、異常事態に気づいたのか、城からたくさんの兵士も駆けつけているようだった。

 目を覚ました男たちはヘレネを取り囲み、互いの無事を喜び合っていた。

 いや、先ほどのヘレネの戦いっぷりに、妙に盛り上がっているようだ。

「ヘレネ殿のカリスマをもってすれば、六方破砕陣ヘクサ・エクスプロージョン八方破砕陣オクタ・エクスプロージョン、いやいや十方破砕陣デスタ・エクスプロージョンですら可能なのではないか?」

「おおう、そうなれば烈神王テラ・クエイドだろうが月神王セカンド・ルナだろうが、もはや敵ではないな!」

「できるかあああぁぁぁ!」

 たまらず、ヘレネは叫んだ。

 四人の心を一致させるために、ヘレネは一肌ならぬ一衣装を脱いだのだ。これ以上、どんなサービスをしろというのだ?

 ふう。ヘレネはひとつ息をついた。

「結局、体質は治らずじまいか」

 なんだかもうどうでもよくなってきた。カーナの言うとおりこの体質が先天性のものなら、治しようがないわけだし。だましだましつきあっていくしかないのだろう。

「けどさ、もう無理に治す必要なんか無いんじゃないのかい?」

 と、コロンがそう指摘した。

「どういうこと?」

「だってあんたにはもうボーイフレンドがいるわけだろ?」

 にべもないコロンの台詞に、ヘレネはまた顔が熱くなってきた。

 レインにヘレネの体質が効かない理由。最初からヘレネが好きだったからに他ならない。

 ヘレネとレインは相思相愛。つまりヘレネにはボーイフレンドがいるわけで。

「もてるもてないにこだわる必要なんかもう無いんだから、無理に体質を治すこともないわけだな、こりゃ」

 べべん、とリュートでも奏でるようなポーズでコロンはヘレネをちゃかす。

「ヘレネさん! 僕がいることを忘れてはいけない!」

 そこへ、王子ティエンが登場した。崖の上で、多数の親衛隊を従えている。以前に見た根暗なハンサムというイメージはなく、実に生き生きとしていた。彼もヘレネの無事を喜んでいるのだろうか。

「ヘレネさん! この日のために徹夜で練習した僕の愛のパフォーマンスを見てくれ!」

 ちゃっちゃっちゃ♪ と軽快な音楽が流れ、親衛隊が組体操を始めた。サーカス顔負けの見事な演技だ。十数人の人型文字で、アイ・ラブ・ユーを表現しているようだった。

 じゃじゃん! と締めの音に合わせて兵士たちは一列に並び、ヘレネに向かって敬礼した。

 自信満々に、ティエンは言った。

「どうですか! 僕の努力は伝わりましたか!?」

「努力したのはあんたじゃないでしょう!?」

 びしいっ! としたヘレネのツッコミに、ティエンは至福の笑顔を浮かべた。

「そうです! そのツッコミが欲しかったんです! ヘレネさん、やっぱりあなたは僕に必要な女性だ!」

 ティエンは後ろに控えた兵士たちに指令を出す。

「さあ皆の者! 彼女にこのウェディングドレスをお届けして差し上げろ!」

「おおぉぉーーー!」

 ときの声を上げ、兵士たちは次々と崖から滑り降りてきた。

「愛の深さなら俺だって負けないぞ!」

「なんのなんの、愛の大きさなら私が一番だ!」

 アスタリスクにハイフンと、堰を切ったように次々と、変態どもがヘレネに言い寄ってくる。


 そしてヘレネは走り出す。

 変態どものいない世界を目指して。


「やっぱりこんなのイヤあああぁぁぁ! こんな体質絶対治すうううぅぅぅ!」

 取り残されたレイコとコロン、そしてレインは苦笑しながらことの成り行きを見守っている。

「やれやれ。さっきまでのあの神々しさは、いったいどこへ行っちまったのやら」

「けど、あれが一番ヘレネらしいよ」

「そうですわね。ドジでマヌケでツッコミ魔でレベルゼロな魔法使い。それこそがヘレネさんの正体ですわね!」


 ヘレネの憂鬱は終わらない。

 なぜならそれこそが彼女の生き甲斐なのだから。

「そんなわけあるかあああぁぁぁ!」

 謎の叫び声と変態どもを背に、ヘレネの姿は樹海の中へと消えていった。

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ヘレネの憂鬱 -西の遺跡の五神精- 舞沢栄 @sakaemysawa

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