第95話 素っ気ない態度をとっていた理由

 時は、夜。都市部ではまだ人々が寝静まるには早く、街には煌々こうこう照明あかりともり、職場からの帰りに酒場へ寄って一杯飲んでやっている頃。


 場所は、大森海の奥。猿人の集落の一つ――ナダイスキバナでの事。


 高層ビル群のように大木が乱立する大森海の奥には、隙間すきまがない程に重なった枝葉にさえぎられて月や星の明かりが届かない。ゆえに、日が暮れると、村の外は夜よりもなお暗い闇につつまれる。


 だから、と言って、ランス、小白飛竜スピア小地竜パイク小天竜フラメア小飛竜ピルム、それに、ニーナと小鳳凰竜キースは、村人達にまっていくようすすめてもらったのだが、仕事の途中だから、と感謝しつつもおいとまするむねを伝え、ならばせめて食事だけでも、秘蔵の酒をお出ししますから、とさそってもらったのだが、


「しごとちゅうっ のまないっ」


 パイクもまた依頼を達成した後しごとあとの最高の一杯のために我慢し、きっぱりことわった。


 ランス達は、知己の猿人シハーブ達に見送られながら村を後にし――


「これからどうするんですか?」


 ベルトで装着する飛行眼鏡ゴーグル型の霊装――〔多目的眼鏡タクティカルゴーグル〕を掛けているニーナが、【暗視】の能力で薄ぼんやりと見えている先輩の背中に向かって問うと、ひたいに装着している〔万里眼鏡マルチスコープ〕のプレートを下ろしているランスは、振り返る事も歩みを止める事もなく、平然と答えた。


「大森海で所在が確認されている5箇所の麻薬密造所を制圧する」


 当初の予定では、先に頭をつぶしてから――首都リルルカへおもむ麻薬関連企業連合カルテルのマルバハル共和国における拠点を制圧し主要な構成員を確保してから、密造所を制圧し、原料を栽培している畑を焼きはらう予定だった。


 しかし、期せずシハーブに助けを求められ、より緊急を要すると判断し、逆方向のナダイスキバナへ。


 それにともなって予定を変更するむねは、すでに、書類上今回の依頼人という事になっている《トレイター保安官事務所》にも伝えてある。


 そして、事務所もねる《トレイター保安官事務所》が所有する飛行船――シャーロット号と合流するのは、明朝みょうちょう


 つまり、先輩はそれまでに広大な大森海に点在する5箇所の麻薬密造所を制圧するつもりなんだ、と理解した上で、ニーナは、


「邪魔にならないようひかえているので、使えそうな時は使って下さい」


 同行するむねを伝え、ランスは、


「…………」


 歓迎も拒絶もせず、ただ一言。


「――行こう」

「きゅいっ」「がうっ」「くりゅっ」「みゃっ」

『はいっ』


 月や星の光が届かない漆黒の闇の中を、常人なら全力疾走でもついて行けない速度で駆け出すランス達。


 そのまま星空が見える場所まで移動すると、体長10メートルほどの翼竜に形態変化したスピアと、【弱体化】をゆるめて同じぐらいの大きさになった鳳凰竜キースの背に乗って、高層ビルのような大木よりも更に高くまで舞い上がり、おろかであわれな犯罪者達の拠点を目指し、静かな夜空を流星のごとく飛翔した。




 『アルカイク』とは、レムリディア大陸原産の背の低い木の事。


 そして、違法薬物は多々あれど、今、最も問題視されている麻薬ドラッグの原料であり、生の葉は『フレッシュ』、乾燥させたものは『ドライ』と呼ばれており、葉にふくまれる鎮痛・催眠成分等を抽出したものは『ハピネス』、木から分泌ぶんぴつされる樹脂を粉末にしたものは『スマイル』と呼ばれている。


 だが、森の中に入れば普通に生えているし、実のところ、生の葉っぱフレッシュの売買は、違法ではない。


 それは何故かというと、獣人、特に部族の戦士達は、古来より、なまの葉をそのまま、または、発酵させた数枚の葉を重ねてまるめ子供の親指ほどの大きさにしたものを、口に入れてガムか噛煙草かみたばこのようにクチャクチャ噛む、という方法で常用してきたからだ。


 アルカイクの葉には、使用すると気分が穏やかになる『ダウナー系』に分類される麻薬と同じ成分がふくまれている。


 それを使用するとどうなるのか?


 例えば、森の中で狩りをしていた二つの部族の戦士達が遭遇してしまった時。


 未使用なら、自分達の縄張りに踏み込まれたと激昂して血みどろの殺し合いに発展しかねない場面でも、使用していれば、闘争本能がおさえられるため、お互いに退しりぞいて戦いをけるようになる。


 例えば、道を歩いている時。


 路肩にいた見知らぬ誰かと目が合っただけで、なにガンつけてんだアァッ!? と殴りかかるような乱暴者が、ただの偶然だと気にしなくなったり、気さくに挨拶あいさつしたりするようになる。


 例えば、おたがいの不注意で肩がぶつかってしまった時。


 その瞬間にキレてナイフやつめで相手をしてえぐるようなイカレ野郎でも、次はただじゃ置かねぇぞ、と恫喝どうかつするにとどめたり、相手に謝れたなら、お互いに気を付けようぜ、と笑って許したりするようになる。


 そのような作用に加えて、依存性が軽いため、フレッシュは合法とされているのだ。


 ただ、獣人以外の種族、人間ヒューマンを始めとした人種にとって、生の葉っぱや噛煙草は苦過にがすぎてえられたものではない。ゆえに、他の危険な麻薬をやるぐらいならアルカイクにしろ、という意図で、乾燥させた葉を細かくきざんだものを紙で巻いて煙草たばこにしたり、パイプを使ったりして煙を吸引するという方法で使用するドライも、合法としている国は幾つもある。


 その一方で、エゼアルシルトやグランディアなど過半数の国々では、軽いドラッグに慣れるとよりいい気分ハイになる事ができるドラッグを求めるようになり、作用や依存性が強く禁断症状も激しいハピネスや、完全に人としての機能が破壊され、歩く事はおろか立つ事もできなくなってへらへらと笑っているかのように緩んだ表情のまま、まともに意思の疎通コミュニケーションが取れなくなってしまうスマイルのような、非常に危険な麻薬ハードドラッグの常用者になるきっかけになる、その入り口であるとして、『ゲートウェイドラッグ』と呼び、使用する事はもちろん、栽培する事や所持する事も固く禁じている。


 獣人達は、そんなアルカイクの葉を、自生している木から採取するのであって、栽培する事はほとんどない。あったとしても、都会暮らしで近場に採取できる場所がない獣人が、自分で使う分を植木鉢で育てる程度。薬草類や山菜などと同じように、取り尽くして木をらしてしまいでもしない限り、自生しているものだけで十分な量が確保できる。


 もしそれでもりないとしたら、それは、鎮痛・催眠成分等を抽出して小型容器アンプル1本分を作るのに大量の葉が必要になるハピネスや、樹液を採取するため葉ではなく多くの木が必要になるスマイルをあつかっているから。


 つまり、森や林の中で、アルカイクの木ばかりが集まっている場所があれば、そこは、密造業者の麻薬畑という事になる。


 ランス達は、既にそんな場所を5箇所見付けており、今、夜陰にまぎれ、その一つの様子をうかがっていた。


「…………」


 殺傷許可のない犯人は、可能な限り逮捕して裁判を受けさせ罪をつぐなわせなければならない。


 額に装着した〔万里眼鏡マルチスコープ〕のプレートを下ろし、片膝を地面についた低い姿勢でうかがい、槍ではなく短棍を、森の中で拾った40センチほどの木の棒を両手に一本ずつ保持しているランスが、状況を開始――しようとしたその時、


「ごしゅじん ごしゅじん」


 ごしゅじん達をろしてからまた小飛竜に形態変化しているスピアが、前足で、ランスのコートのそでを、ちょんちょんっ、と引っ張った。


 〔万里眼鏡〕に備わっている【全方位視野】の能力で、スピアだけでなく、パイク、フラメア、ピルム、小鳳凰竜キースまで一緒に自分を見上げている姿が見えている。それでも、呼びかけに反応してランスが顔をそちらに向けると、


「するっ おてつだいっ」

「まかせて~」

「やるー」

「がんばるのっ!」

「なるとおもう いいれんしゅう」


 幼竜達が口々にそううったえてきた。


「…………」


 一考するランス。


 当初の計画では、幼竜達に索敵と警戒をまかせ、自分一人で制圧するつもりだった。しかし、【精神感応】で伝えられたスピア達が立てた作戦案プランを検討し……


「その作戦でいこう」


 密造業者は現地人、つまり、総じて人種より耐久力が高い獣人。ならば大丈夫だろう――そう判断してランスがうなずくと、幼竜達は相手に気付かれないよう大きな声は出さずに喜び、顔を見合わせて気合を入れる。


 そして、幼竜達は、状況を開始した。


 星空のもと、散開し、気配をひそめたまま麻薬畑をけ回り、歩哨や見回りなど、外側から密造所に向かって犯罪者達を片っ端から【念動力】でとらえていき…………ものの数分で制圧が完了した。


 念のためにランスも待機していたのだが、結局、その必要はなく、


「……なんか、悪夢ゆめに見そうです」


 見上げ、怖気おぞけに震えながら言うニーナの視線の先には、明かりが必要ないくらい意外なほど明るい月や星の光をさえぎる無数の人影。


 それは、まるで見えない巨人の手でつかまれているかのように、【念動力】で捕獲され、身動きどころか口を開く事もできず、指先・爪先までピンと伸ばした直立きをつけの姿勢で空中に浮かんでいる密造業者達の姿。その様子は、絞首刑くびつりしょされた後も見せしめにさらされている罪人達の亡骸の列にも見える。


 実情を知らずに月明かりのもとで浮かび上がるこの光景を目にしたなら、確かに、しばらくの間、悪夢にうなされそうだ。


 もっとも、それは、その光景を観た者だけではない。突然、目に見えない恐ろしい力に身動きを封じられた彼らは、心の底からおびえ切っている。間違いなくこの経験が心的外傷トラウマとなって夜毎よごとに彼らをさいなむ事だろう。


 ――それはさておき。


 密造所、と言っても、建物は高床式の平屋で、はしらは太い丸太を使っているものの、四方の壁すらないあばら家。そこで行なっているのは、採集した葉を日陰干ひかげぼしして乾燥したものをふくろに詰めるだけなので、雨漏あまもりしない屋根と濡れないゆかがあればそれで良いのだろう。


 そんなあばら家で、ニーナは、先輩ランスに教わりながら一緒に、麻薬密造の現行犯で逮捕した犯人達、その全員を丈夫じょうぶな縄で拘束し、


『やったったぁ――~っ!』


 幼竜達は、声をそろえて右前足を天に突き上げる。


 ちなみに、『やったった』とは、舌足らずな幼竜達が自分達で考え出した『やりとげた』や『やってやった』『やったー』などの意味が含まれる最近お気に入りの造語。


 そして、ランス達は休む間もなく、次の密造所へ向かって人知れず夜の闇を駆け抜けた。




 ――時は流れ。


 場所は、大森海の東側、広大な平原からつながる入口と奥の間の丘陵地帯、その上空。


 夜が明けて青さを取り戻した空に、一隻いっせきの飛行船が浮かんでいる。


 それは、シャーロット号。


 《トレイター保安官事務所》が所有する飛行船――という事になっている、長い楕円形の気嚢きのうの下に船がられたレトロな飛行船を彷彿ほうふつとさせる潜空艇。


「本当にここでってんの? ランス達との合流地点ポイント


 その甲板には、現在、5名の姿があり、吹き抜けて行く高空の涼しい風に長い髪をそよがせつつ心地好さそうに目を細めているフィーリアの横で、手摺てすりから身を乗り出したティファニアが、そう言いつつはるしたの森――緑でおおわれた盆地へ向けた目をすがめてランス達の姿を探し、


「合ってる。だから、高度を下げおろして」


 小型通信用霊装をスマートフォンスマホのように耳元に寄せていたレヴェッカが、ティファニアに答えるともなく、となりたたずむ人の姿で投影されたこの潜空艇ふねの意思――ゆったりとした古風な装束を身にまとっているシャーロットに言うと、


「了解、降下します」


 そんな穏やかな返事の直後、船体が徐々に高度を下げ始めた。


 ちなみに、竜飼師協会へ出向中の竜騎士2名――エレナとシャリアは、森の中にもうけた野営地で契約竜パートナーと共に待機中。


 更に余談になるが、《トレイター保安官事務所》の主力の一人、白獅子の獣人女性であるクオレは、生まれがオートラクシア帝国の寒い地方であるがゆえに、寒さには強いが熱さには滅法めっぽう弱く、頑張ってはみたものの、マルバハル共和国の常夏の気候に順応する事がどうしてもできず、すぐばててしまうため、現在、空調エアコンいている船内で、申し訳なさそうに掃除などの雑務に従事している。


 盆地を形成するおかの一つに向かって降下して行くシャーロット号。


 その高度が地上から300メートル程になった時、木の上に出てきた幼竜達の姿を見付けたティファニアが歓声を上げ――そのまま手摺てすりを越えて飛び降りた。


 飛行船は、木々が密集している場所には着陸できない。ゆえに、元々そうするつもりではあったのだが、レヴェッカは、同じくその様子を見ていたフィーリアと、法呪で視力を増幅していたとはいえこの距離でよく小さな幼竜達を見付けたものだと思わず呆れ顔を見合わせて苦笑してから、シャーロットに高度を維持するよう伝え、


「行くわよッ! 腹くくりなさいッ!」


 甲板にいる唯一の男性に向かってそう言い放つと、二人そろって高空に身をおどらせた。ティファニア同様、【浮遊】の法呪を行使して地上へ降りて行く。


 そして、男性恐怖症のフィーリアに気を使って距離をとり、逆側の手摺に寄り掛かって天を仰いでしたをみないようにしていた保安官養成学校の実習生――エルネストは、学校で習得したものの校外では使う機会がなかった【落下速度制御】の発動準備を念入りに行ってから、所長の命令に従って腹をくくり、手摺を飛び越えた。


 その様子を確認した途端とたん、逃げ出す幼竜達。


 それをティファニアが追い、少しおくれてレヴェッカとフィーリアが、更に遅れてエルネストが続き…………そうして地面に降りてから、四人は、幼竜達の姿があった木が、実は、上からだとそう見えるよう偽装された四方の壁がない高床式の粗末な建物、その屋根だったのだという事に気が付いた。


 しかも、上からでは枝葉のかげになっていて見えなかったが、平均よりやや大きな一戸いっこ建て程のあばら家の外側には、100名以上の屈強な獣人達の姿が。それも、犬系、猫系、さる系、くま系……様々な異種族の姿があり、その全員が、牢屋などない戦地で全ての持ち物を没収されて何も隠し持てず仲間とコミュニケーションがとれない状態で拘束・監視されている捕虜のごとく、下着姿で両手首を後ろ手にしばられ、目隠しをされ、犬系のように鼻と口が出ている者達は口輪くちわのようにふうじられ、猿系のように比較的顔が平らな者達は猿轡さるぐつわまされた上で、地面に直接ひざまずかされている。


「ここが密造所で、彼らが密売人?」


 そんな彼らを一瞥いちべつした後、レヴェッカが、軒下にいたランスとニーナに簡単な挨拶あいさつをしてからがそう確認すると、元少年兵ランスは、はい、と肯定し、


「確認されていた他4箇所からの移送も完了しています」


 つまり、昨夜の内に確保した犯罪者は、これで全て。


 その他に、製造された麻薬と製造途中だった物――乾燥した葉っぱと生乾きの葉っぱとつぼめられていた樹液――を全て〔収納品目録インベントリー〕で回収した事や、他の密造所とそこで栽培されていたアルカイク、更に、この盆地をかこむように点在していたここ以外の7棟は全て焼却処分した事などを報告した。


「ここが最後、一番大きな栽培場です」


 先輩の言葉を引き継ぐように言って、丘の上の密造所から盆地のほうへ目を向けるニーナ。


 レヴェッカ、フィーリア、兄弟にーちゃの後を追いかけていただけで積極的に逃げていた訳ではなかったためあっさり捕まったピルムを抱っこしているティファニア、少し距離を置いてエルネストが、その横に並んで、緑の盆地の何所どこがそうなのか見回して……


「…………まさか、この盆地全体がッ!?」


 ニーナがそれに肯定を返すと、《トレイター保安官事務所》の面々は愕然がくぜんとした表情で、視線を緑で覆われた盆地のほうへ戻し、


「思い切った事をしやがる」


 ティファニアが、忌々いまいましそうにつぶやいた。


 大森海の入口寄りとは言え、周囲に部族の集落はなく、ゆえに人が足を踏み入れる事はない。そして、上空からても一見いっけんしただけでは周囲の森との違いはわからず、違法薬物の原料をこうも堂々と、かつ大々的に栽培しているなどと普通は誰も考えない。


 まさに、取り締まる側の意表をくやり方だった。




 かせげるから、とさそわれ、実際に給料が良かったから、違法薬物密造の片棒をかつがされていると知りつつも日々めいじられるまま働き続け、その挙句あげく、昨夜、突如とつじょ自分の内側から骨がきしむ音が聞こえてくるほど圧倒的な力で自由を奪われ、しばられ、何の説明もないまま長時間拘束され続けて心身共に疲弊し切っている獣人達。


 その視界をうばっていた目隠しが唐突に外された。


 数度まばたきして昼の明るさに目を慣らすと、周囲には自分と同じように拘束されている同胞達の姿があり、正面には、手に持った二つ折りのパスケース――上半分のバストアップ写真付きの身分証と下半分の中央で光る金色に煌く五芒星ほあんかんバッジ――をかかげている人間ヒューマンの女が立っていて、


「私は――」


 何かを言いかけたその時――


 ――ゴォオオオオオオオオオオォッッッ!!!!!!


 その背後、晴れ渡った青い空と、自分達が育ててきた緑のアルカイク畑が、巨大な3頭のドラゴン――白い翼竜と地竜、そして、伝説の不死鳥のごとく炎を纏っているかのように色鮮やかな鳳凰竜の【竜の吐息ドラゴンブレス】によって紅蓮に染まった。


 【竜の吐息】の熱量といきおいはすさまじく、ドラゴンに近い場所は一瞬にして焦土しょうどと化し、盆地はたけ全体の約9割、この密造所あばらやがある丘の斜面を除いた場所が炎に包まれるまでにかかった時間は、まさにあっと言う間。


 更に、ドラゴンがブレスを吐くのをやめても火の手はおとろえず、丘を越えて盆地の外にまで広がり――


「ちょっとランス君ッ!? どうするのこの大規模森林火災ッ!?」


 レヴェッカが、あせるあまり格好を付けようとしていた事も忘れて訊くと、


「間もなく消えます」


 あばら家の軒下のきしたにいるランスは、平然とそう答え、続けてレヴェッカ達に屋根の下に入るようすすめた。


 そう言っているそばからゴロゴロと雷鳴が響き渡り、見上げれば、いつの間にか晴れ渡っていたはずの空は重苦しい暗雲におおわれていて――ピカッ、とかみなりが光った瞬間、雲の中に浮かび上がったのは、長くうねる一つの巨大な影。


 そして、盆地の上空だけを覆う暗雲から、ポツリ、ポツリ、と雨が降り始めたと思ったのも束の間、この地方では珍しくない、バケツをひっくり返したかのように、ドザァアアアァッ!! といっきに降り注ぐ集中豪雨によってまたたく間に消火された。


 それから程なくして空が元の青さを取り戻すと、見る間にき消えた暗雲の中から姿を現したのは、体長約40メートル、首も、胴体も、尻尾も細長く、そのシルエットゆえにおまけのように見えてしまうがしっかりとした四肢を備え、空にっても羽ばたく翼はない、お腹側は雲のように真っ白だが背中側は聖母竜グリューネ彷彿ほうふつとさせる鮮やかな緑の毛で覆われた天竜。


 伝説に語られるドラゴンと、気持ちよさそうに雨を浴びていた他3頭が、そろってあばら家へ向かって移動を始め――


『…………』


 一部始終をの当たりにした獣人達は、ずぶ濡れになってもなお茫然自失したまま。


 その一方で、


「なんで3頭にやらせたんだ? 誰か1頭でも十分ぎるくらいだろ」


 呆れ果てたような顔で問うエルネストに対し、


「やりたい、と申し出てくれたから。1頭で十分でも、3頭でやってはならない理由がなかった」


 そう淡々と答えるランス。


「あれ? でも……」

「ピルムちゃんは、お兄ちゃん達と一緒に行かなくてよかったの?」


 振り返ったフィーリアとティファニアの視線の先には、ごしゅじんのすぐ近く、高い床の上でお座りしている【弱体化】したままのピルムの姿が。


 それは、盆地が焦土と化す少し前の事。


 ティファニアは、その直前まで抱っこしていたのだが、パイクが駆け出し、スピア、フラメア、キースが空へ舞い上がったのを見て、ピルムも一緒に行くのだろうと思い、自主的に地面に降ろかいほうした。


 それなのに、結局、ピルムはそこにいる。


 二人の声をきっかけに、レヴェッカ、エルネスト、ニーナの視線も小飛竜に向けられ……


「みゃうっ!?」


 戸惑い、狼狽えオロオロワタワタするピルム。


 その物問ものといたげな視線は自然な流れで契約竜から竜飼師パートナーのほうへ向けられ、それを察したランスは、ピルムを抱き上げてその頭を優しく撫でながら、


「ピルムは、見学です」

「どうしてピルムちゃんだけ?」

【弱体化】した状態このままではできる事がないからです」


 それを聞いて、フィーリアは不思議そうに小首をかしげ、


「どうしてスピアちゃん達みたいに、本来の姿に戻らないんですか?」

「恐れているからです」

「恐れている? 本来の姿に戻る事を?」


 何故、と理由を知らぬ誰もが疑問を覚えた直後、はっ、と思い出したのは、ピルムが、滅魔竜の眷属だという事。


 それが原因だとするなら、これ以上訊かないほうが良いのかもしれない。でも……


 知りたいという欲求と訊くべきではないかもしれないという自制心、その葛藤に各々おのおのが苦しんでいると、そこへ、ちょうど【弱体化】しちいさくなったスピア、パイク、フラメアが戻って来て、


『――ニーナのせいっ!』


 そう声をそろえた。


「え? えぇッ? わ、私ですかッ!?」


 まだ茫然自失としたままの獣人達とランスを除く全員の視線を浴びて、激しく狼狽うろたえるニーナ。


 必死に記憶を探っても思い当たるふしがないらしく、自分に向けられる非難の目に対して、泣きそうになりながら首を横に振るばかり。


 それで、ティファニアが、スピア達にどういう事かたずねると、


「きゅーきゅきゅうぅ」

「がぁあう がう」

「くりゅお くりゅ くくりゅ」


 そうなると当然のごとく通訳を求められ、ランスは、何とはなしに抱っこしているピルムを撫でながら、しばし思案して要点をまとめ、


「【弱体化】を発現させて初めて実行した時にニーナが発した、〝本来の姿おおきいときはあんなに怖いのに、【弱体化】しちっちゃくなったらどうしてこんなに可愛いの〟という言葉が原因で、ピルムは本来の姿に戻るのを恐れるようになりました。それは、人の目におのれの姿は恐ろしく映るのだという事を知り、竜族ドラゴンは同属間で知識が共有され親から子へ引き継がれるがゆえに、知識として知っている他の滅魔竜の眷属のように怖がられたり戦ったりしたくない、と思ったからです」


 それを聞いたニーナは、


「私、そんな事…………言った…かも……、でも……」


 遠い目をしてブツブツ言い、キースは、申し訳なさそうにうつむいて目をつむる。


 その一方で、非難の目を向けていた者達も、初めてピルムに出会った時にかわいいかわいいとキャーキャー騒いだ事を思い出したのだろう。確かにそれが原因なのかもしれないが、悪いとは言えない、少なくとも悪気があって言ったのではなく思わず口をついて出たのだろうと想像できる内容に、気まずそうな顔をした――が、


「ねぇ、ニーナ。ちょっとこっち来て」


 ティファニア、フィーリア、レヴェッカが、ニーナをつれてランス達から距離を取り、


「ピルムちゃんの本来の姿って、そんなに……その……アレなの?」


 あちらを気にしつつもひそひそ声をひそめて訊く。


 どうしても気になるらしい。


 それに対して、ニーナは、今それを聞くんですか、と言わんばかりの非難の表情を浮かべ、しかし、三人の圧力に押されて視線を彷徨さまよわせながら……


「あぁ~……、なんて言うか……、その……えぇ~と……」と必死に言葉を選び「うちのキースもですけど、スピア先輩とかフラメアちゃんとか、パイク先輩も、何となく分かりますよね? 小さくなっている時の姿しか知らなくても」


 そう言われて、脳内で、本来の姿と小さくなっている姿をそれぞれ並べて比べてみる三人。


 確かに、飛竜や翼竜にころころ形態変化すすがたをかえるスピアであっても、印象がかけ離れているという事はない。成長して大人になった感じというか、そうだと教えられれば納得できる。


「でも、ピルムちゃんは…………その……ギャップが……」

「え? そんなに?」


 レヴェッカ達は、その表情を見て目を丸くし、ニーナは、ランス達のほうを気にしつつも深刻な表情で小さく頷いた。


 そんなふうに女性達が集まってこそこそヒソヒソしている一方で――


「大丈夫なのか? 人なら、そういう精神的な問題は、カウンセリングを受けたり、セラピーに通ったりして克服するんだろうが……」


 エルネストが、ごしゅじんに抱っこされているピルムの首を人差し指でき、猫や犬がそうするように、小首を傾げながら気持ちよさそうに目を細めるのを見てほほゆるめ、それから一転、真剣な表情で訊く。


 対するランスは、いつも通り平然と、だが、そこはかとなく穏やかな表情で、大丈夫、と断言し、


「ピルムは優しいから、自分のためじゃなく、家族や他の誰かのためにそうする必要があると思ったなら、その時は迷わない」


 ピルムの頭をぐりぐり撫でながら、更に、


「だから、そんな時が来るまでは家族に頼れば良い。今はそれができるんだから」


 そう続けた。


 ピルムは潤んだ瞳うるうるおめめでごしゅじんを見上げ、周りに集まっていたスピア達もこくこく頷いている。


 それを見て、エルネストは、無用な心配だったか、と思いつつ頬を弛めた。




 幼竜達が何故ニーナに対して素っ気ない態度を取っていたのかが判明する一幕の後、周囲にモンスターがいない事など安全を十分に確認してから、麻薬の密造に関与していた獣人達を警察署に護送するため、レヴェッカが、通信用霊装でシャーロット号を呼び、幼竜達が、【念動力】で、ギリギリまで高度を下げた飛行船の甲板に彼らをまとめて放り込む。それから、スピアが、麻薬畑の残り1割と最後の密造所あばらやを【竜の吐息】で焼き払い、今度はパイクが、雨で濡れた土を【地形操作アースコントロール】でびせ掛けて消火した。


 大森海での用を済ませた一行は、リムサルエンデ市へ。


 その間の移動中、ランスとニーナ、それに幼竜達は、シャーロット号に搭乗し、レトロな酒場バーのような居住区画キャビンで朝食をいただいた。


 現在、ランス達と《トレイター保安官事務所》によって汚職警官が一掃されたリムサルエンデ警察署には、警察としての機能の正常化が完了して新たな署長が着任するまでの間、その職務を代行するため、本局保安官マーシャルエリザベート・ログレスの部下が駐在ちゅうざいしている。


 レヴェッカは、その男性の保安官代理マーシャル・デピュティが率いるグループに、逮捕した犯罪者達を証拠と共に引き渡した。


 もう麻薬カルテルの関係者だからと解放される事はない。彼らは、法で裁かれ、罪をつぐなう事になる。


 そして――


「私達は大丈夫だけど、ランス君達は?」


 レヴェッカの確認に対して、


「問題ありません」

「だいじょぶっ」

「おなじく~」

「へーきー」

「だいじょぶなのっ」

「私も大丈夫です」

「もんだいなし」


 休めの姿勢で答えるランスと、横にならんでそれにならうスピア達とニーナ&キース。


 レヴェッカは、そんな頼もしい協力者達の姿に笑みを浮かべ、ティファニア、フィーリア、エルネスト――信頼できる所員なかまにも目を向けて、大きく息を吸い込み、《トレイター保安官事務所》の所長として告げた。


紳士淑女の皆様レディース&ジェントルメン、仕事はここからが本番よ。さぁ、――悪漢共に正義の鉄槌を食らわせに行きましょう」

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