第89話 ニーナの報告書

 媛巫女リーネ小聖母竜グリューネと小老賢竜達に別れをしまれながら竜宮を後にしたランスと幼竜達が、〔汎用特殊大型自動二輪車ユナイテッド〕に乗って移動し、途中、道路わきにあった電話ボックスに寄ってから三賢人の隠れ家へ向かっていた頃。


 非常識な先輩竜飼師ランス・ゴッドスピードの指導を受けて、しっかり常識から脱線してしまった後輩竜飼師――ニーナ・ヴォルテールは、竜飼師協会本部の一室で、相棒の小鳳凰竜キースと共に、延々えんえんと待たされていた。


 道中は一緒だったエレナとシャリア――竜飼師協会に出向している元竜飼師の竜騎士達とは本部に到着した所で別れ、彼女達が電話で一報を入れていたため、待ち構えていた協会職員の案内で今いる応接室へ。部屋へ入るなり催促さいそくされて自分の雑記帳とは別に用意した報告書を職員に手渡し、待つよう言い渡されてそれきり。何の音沙汰もない。


 それで、ひまを持てあまして退屈していたり、いつまで待たせるんだと苛々イライラしていたりするのかというと、そうでもなかった。


「ふふふっ」


 ソファーに浅く腰掛け、スケッチブックと鉛筆を手にしているニーナが見詰めているのは、テーブルの上で寝ているキース。仰向あおむけになって翼手を左右へ広げ、両脚を天井に向けて伸ばしているという普通の鳥ではありえない寝方をしている相棒が、ときおり、ピクピクピクッ、と脚を震わせるのを見ては、ぷっ、と小さく吹き出し、楽しげにその姿をえがいていく。


 ちなみに、ランスは、その報告書の存在を知っている。それは、先輩に隠し事をすべきではないと考えたニーナが、みずから、自分が会長に何を期待されているのかを打ち明けたから。もっとも、受けた依頼は『後輩竜飼師への指導』。ゆえに、はなから余計な事を教えるつもりはなく、また、他人と関わる以上、情報の流出は避けられないと覚悟の上なので、ニーナが何を報告しようと問題はない。


 様々な角度から見た姿をスケッチし、笑い出してしまいそうになるのをこらえつつ、尻尾のほうから見てⅤ字に二本の脚が立っている様子を描くニーナ。その絵がもうすぐ完成するという時、唐突に、パチッ、と目を開けたキースが腹筋運動をするかのように身体を起こして立ち上がった。


 それを見て、近付いてくる気配を感じ取ったのだと察したニーナは、手早くスケッチブックと鉛筆をショルダーバッグにしまう。その数秒後、応接室のドアがノックされた。


 迎えに来た職員に案内されたのは、数ある会議室の一つ。


 幹部クラスが重要な案件について話し合う大会議室ではなく、比較的小さな部屋で、ここまでの案内を務めた職員がドアをノックすると、中から、どうぞ、という声が聞こえてきた。


 ドアを開けた職員に中へ入るよううながされたニーナは、この規模の会議室なら、温厚な会長と神経質そうな副会長、あとは他に数名いるかいないかといったところだろうと予想しつつ、肩の上の相棒と共に入室する。


 すると、事実その通りだった――が、


「…………~ッ!?」


 コの字型に配置された長テーブルに向かって席に着いているのは、竜飼師協会の会長と副会長、あと数名――聖竜騎士団の軍将と参謀長、クリオヴォイス学院の学院長と教頭、竜飼師科や竜騎士科の学部長……竜族に関わる組織のトップが勢揃せいぞろいしていた。




「席に着いて」


 協会本部に到着するまで一緒だったエレナの祖父――竜飼師協会のトップであるモーリス・オールドフィールド会長にうながされて、肩の上すぐそばにいてくれる相棒の存在を頼もしく思いつつ、お歴々れきれきから適度に距離を置いてポツンとおかれている椅子に座るニーナ。


「だいぶ待たせてしまったね。申し訳ない」


 そんな謝罪の後、報告書を読ませてもらったよ、と言葉をかさね、背凭せもたれのある椅子に浅く腰掛けて背筋を伸ばしガチガチに緊張している少女をリラックスさせようとするモーリス会長だったが、副会長は、それを聞かされている多忙たぼうな他の組織のトップ達のほうを気にして、ゴホンッ、と咳払せきばらいし本題に入るよううながした。


 そして、始まったのは、質疑応答。


 大急ぎで複製コピーしたものが配付されたらしく、お歴々それぞれの前にはニーナが提出した報告書がある。応接室で長々と待たされていたのは、それに目を通した上で何らかの協議が行われていたからだろう。


 竜飼師協会の長、モーリス会長の質問は、主に、人と竜の関係について。


 例えば――


報告書ここにはないので確認したいのだが、君も、契約竜パートナーと血の盟約を?」


 キースの以前の姿を知るモーリス会長が、契約者の肩の上で大人しくしている小鳳凰竜を見つつ発した質問に、ニーナは、いいえ、と首を横に振り、


「私程度では到底無理です」


 その答えに、ふむ、と頷いた会長は、血盟紋と【転生】による進化は無関係という事か……、とつぶやきつつ資料にペンで書き込みを加える、といった具合。


 その他には、人が竜と血の盟約を交わすために必要な条件や、現在、竜飼師協会や聖竜騎士団に所属している竜族ドラゴン達が【転生】によって進化する可能性、そして、ニーナが報告書に添付しておいた『対ランス・ゴッドスピード三原則』――


1 絶対に敵対してはならい。

2 依頼の達成をさまたげてはならない。

3 1・2に反してしまった場合、全ての武器を捨てて両手を見えるように上げるな

  ど、で、戦う意思がない事を示す。


 ――周知徹底させるべきだと自信をもって提唱する、最低限これだけ守っていれば、気付いたら躰に風穴が開いていた、などという事態だけは避けられる三つの原則についてなど。


 クリアヴォイス学院の学院長をつとめる女性――『エレクトラ・ソーレンセン』の質問は、主に、竜族に関する知識について。


 キースとフラメアを観察する事で得た聖母竜の眷属に関する質問をした時には、


「私達は、分かった気になっていただけなのですね……」


 沈痛な面持ちで、重々しいため息をつき、それ以外の竜種に関する知識にも興味がきないようで、時間がかぎられているため今はここまでにするとげた後には、是非ぜひとも機会をもうけてじっくり話を聞かせてほしい、と頼んだり、学院で講義を行なってもらう事を真剣に検討したいので貴女の先輩に頼んでほしい、と懇願したりしてニーナをこまらせた。


 そんな彼女がした質問の中で、ニーナにもっとも緊張をいたのは、


滅魔竜ジェノサイドドラゴンの眷属と人の共存が可能だと、貴女も本当にそう思いますか?」


 というもの。


 ピルムの事があるため、可能だと思います、と本心で答え、自分で見た事を、先輩に教えてもらった事を、嘘偽うそいつわりなくかたった。


 だが、あえて報告書には書かず、意図して口をつぐんだ部分がある。


 それは、〝滅魔竜の眷属こそ人と共にるべきだ〟という先輩ランスの言葉。


 端的に言ってしまうと、滅魔竜の眷属が人類を襲うのは、生きるためであり食べるため。生存本能に従って逃げ出す鳥獣や怪物モンスターとは違い、故郷に固執し、城壁の内側こそ唯一絶対の安全地帯と信じ込んで立てこももり逃げ出さない、そんな人類しか上手く捕食する事ができないがゆえおそうのであって、最良は孵化ふかする際だが、幼竜時であっても、十分な食事を与えてさえやれば人類を襲う理由がなくなる。


 ただ、それを妨げる最大の要因が、その身に宿す『破滅のオーラ』とも呼ばれる濃密な魔力。これこそが、鳥獣や怪物だけではなく、人をも遠ざける。


 しかし、その破滅のオーラに対して、恐怖や畏怖の念をいだく事はあっても、不快感や嫌悪感をおぼえない者達がいる。


 それは、同じく魔力を身に宿す者達――魔族。


 そう、魔族なら――ノウハウを学んだ魔族の竜飼師なら、おそらく、滅魔竜の眷属と良好な共生関係をきずく事ができる。


 だが、先輩はこうも言っていた。――〝それが実現する事はまずない〟と。


 何故なら、世界中で眠りにいている、身を潜めている、卵のまま封印されている滅魔竜の眷属を探し出し、最果ての島アーカイレムの魔族の国へ輸送して保護する事を――『魔竜騎士団』と呼ばれる事になるかもしれない戦力が集まる事を、世界中の国々が、そして、どこよりも聖竜騎士団が絶対に許さないからだ。


 グランディア四大大祭の一つ、碧天祭以降、魔族達は、最果ての島から出て世界の一員になろうとする努力を続けている。


 そんなご時世に、魔族と滅魔竜の眷属が共生関係を築けるなどという話をしたら、そのようなきざしがあると報告を受けた瞬間から彼の国に対して経済制裁が始まり、最悪、戦争や、人が勝手に破壊を創造する滅魔竜ジェノサイドドラゴンと呼んでいる竜達を、人の勝手な都合つごうで、根絶せんと動き出してしまうかもしれない。


 既に、野生動物なら数キロ離れていても感じ取って逃げ出してしまう破滅のオーラのせいで恐れられ、み嫌われ、世界から必要とされず爪弾つまはじきにされた結果、人をエサとしてしか見ず、自分を受け入れようとしないこの世の全ての物に対する怒りと憎しみにとらわれてしまった個体は、もうつしかない。


 だが、ピルムという名前をもらった、あの心優しくて人懐っこい竜族ドラゴンを、同じように育つ可能性が十分にあるその同属を、絶滅させていい訳がない。


 それ故に、ニーナが提出した報告書では、空前の竜飼師ランス・ゴッドスピードの教育を受けた竜ならそれが可能である、と結論付けられた上で、滅魔竜の眷属の卵や幼竜を発見した場合はランス・ゴッドスピードに対処を依頼すべき、というむねの意見がえられている。


 だからこそ――


「仮にだが、ランス・ゴッドスピードと聖竜騎士団が敵対し、戦う事になったとしたら、君は、どちらが勝つと思う?」


 聖竜騎士団の長、階級は最高位の『軍将』で、いわゆる団長であるオルテマルト・ロウからそんな質問をされた際、ニーナは、サァ――…、と自分の血の気が引いて行く音を聞いた気がした。


 それは、自分のせいで、尊敬する先輩とピルムを窮地きゅうちに立たせてしまったのだと思ったから。


 邪竜討伐は、竜騎士にとってこれ以上ないほまれ。そして、ランス・ゴッドスピードさえいなくなれば、滅魔竜の眷属は、これまで通り、全種族の仇敵にして生ける災厄であり、スパルトイ、竜騎士、竜飼師にとっての最優先討伐対象のまま。


 戸惑いを隠せないニーナは、ごくっ、と生唾なまつばを飲み込んでから、


「え、えぇ~と……その……そうは……戦いにはならないと思います」


 やや眉間みけんのしわを深くして、それはどういう意味かね? と訊いてきた団長に対して、ニーナは、えぇ~と……、とか、それは……、などと言葉をもらしながら必死に頭の中で考えをまとめ、


「ランス先輩は、何者とも敵対しません。だから、戦いになるとしたら、それは、攻撃を仕掛けてきた聖竜騎士団に対してランス先輩が反撃する、という事になります」


 ニーナは、でも、と続け、


「先輩は、子竜わがこたくされるぐらい聖母竜マザードラゴンに信頼されています。それに、フラメアちゃんからその人となりも伝え聞いています。なので、聖母竜が自分の眷属達に、先輩への攻撃やそれに協力する事を許すとは思えません。竜騎士達が戦おうとしても、騎竜達はしたがわないか、最悪、契約を解除してしまうかも……」


 団長は、話の途中でうつむき、眉間のしわをより深くして瞑目めいもくしてしまった。


 それからは、キースの耳目じもくかいして聖母竜に伝わるのではと懸念し敵対の意思があると思われてしまわないよう注意を払ったのか、ランスや幼竜達の力をはかるような事は訊かず、質問は主に、ニーナやキースが受けた訓練の内容について。


 そして、多忙たぼうなお歴々の次の予定の時間が迫ったため、本日はここまで、という事になり、


「君には是非、今後も、報告と彼とのパイプ役を続けてもらいたい。やってくれるね?」


 これこそ、この場にやって来た時からニーナが待ち望んでいた言葉で――


「まだまだまなびたい事がたくさんあるので、私もそうしたいとねがっています」


 そう了解したと取れる言葉をべた後、ですが、と続け、


「別れ際に指導の終了を言い渡されて、『目的を達成しろ』と言われました。クリアヴォイス学院に入学した目的を……認定試験に合格して資格を取得し、候補生から正式な竜飼師ドラゴンブリーダーになる、という目的を達成しなければ、先輩の許へ戻る事ができません」


 正直なところ、もう認定証そんなものなどどうでも良い。


 しかし、目的を達成したあかしがなければ、戻ったところで相手にしてもらえないだろう事は目に見えている。


 だからこそ――


「私に、認定試験を受けさせて下さいッ! 可能なら今すぐにでもッ!!」


 キースと共になら必ず合格する自信があるニーナは、その自信をくれた先輩達の許へ帰るため、形振り構わず必死にうったえた。

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