第80話 這い寄り迫る智と武の化け物

 時は、とうに午前零時を回った深夜。


 場所は、小浮遊島群オルタンシアの一角、とある小会場。


 圧し固められた土の地面の中央に、ドンと一つ正方形の舞台が、ぐるりと四方を囲む壁の向こう、2階に相当する高さの最前列から階段状に観客席が存在し、今はオルタンシアにある全施設がそうであるように、全ての照明器具がともされており、特に舞台上は昼間のように煌々こうこうと照らし出されている。


 体長10メートル程の翼竜スピアが舞い降りたのは、そんな屋外型の試合会場で、ランスは、その背中から舞台の中央へ降り立った。


「〝控えろ〟」


 そうめいじて、両手に装着されていた神器、指先から肘までを覆う神秘的な黄金の甲拳ガントレット――〔射殺す眼光ブリューナク〕を送還したランスは、スピアがすり寄せてきた大きな頭を全身で受け止めるようにしつつでながら、


「パイクと〔ユナイテッド〕の所へ行かないなら、ちゃんと隠れてるんだぞ」


 紋章を介した【精神感応】は、言葉を介さず想いや作戦をそのまま伝える事ができる。それを改めて便利だと思いながら、口でもそう言い聞かせた。


 そんなごしゅじんにもう一度頭をすり寄せてから、きゅいっ、と頷いたスピアは、きびすを返して舞台上から地面へ飛び降りる。着地するまでの一瞬で小飛竜へと形態変化し、そのまま壁にある選手の入退場口から、控室などがある舞台裏バックヤードへ。


 ランスは、その小さな後ろ姿が奥へ消えるまで見送ってから、額に装着している〔万里眼鏡マルチスコープ〕のプレートを、カシャンッ、と鉄兜の目庇まびさしのように下ろし――


「〝来い〟」


 その命にしたがって召喚に応じ、眼前に出現したのは、一本の漆黒の槍。


 全長は2メートル半ば、巨大な黒曜石から削り出したかのように穂先から石突まで一体形成で、装飾の類は一切なく一見シンプルだが、それがその存在そのものの艶やかさや美しさを際立たせている。


「…………」


 余人にはそうと分からないほどわずかな逡巡しゅんじゅんの後、ランスは、穂先が上を向いて宙に浮いているその漆黒の槍を、ガシッ、と力強くつかみ取り、


「管理者、――状況を」


 即座に応えた姿なき天空城の管理者が、ランスの周囲に無数の仮想画面ウィンドウを投影する。


 そこに映し出されたのは、小浮遊島群オルタンシアを埋め尽くさんとするキマイラやケルベロスなどの怪物モンスター共や、デルピュネ、ケートゥスといった怪人共と、それにあらがう人々。


 そして、今なお怪物共を吐き出し続けている大円形闘技場の北門と、その舞台中央で自らの子を召喚し続けている〝怪物の母〟――女怪エキドナ。


 ランスは、その全てを〔万里眼鏡マルチスコープ〕の【全方位視野】で同時に観つつ、


「管理者、オルタンシアに存在する全ての照明を同時に消す事は可能か?」

〔可能です〕

「準備を」

〔完了〕〔ご指示を〕


 管理者に待機を命じつつ、ランスは、両手で漆黒の槍を捧げ持ち――


の身はの身とい遂げるにあたう光か、答えたまえ――」


 漆黒の槍の向きを上下に反転させて穂先を地面に――そこにある自分の影に向け、


「――〔いと麗しき影スカーサハ〕」


 保持していた手を離す。


 すると、落下した漆黒の影槍スカーサハは、まるで水中へ没するかのように、ランスの影の中へ沈み込むように消え――


「――実行」


 管理者への命令は即座に実行され、オルタンシアに存在する全ての施設の照明が消えた。


 その直前まで全てが点灯していたため、法呪・練法の【照明】を使用していた者はなく、火炎系の術で倒され燃えている怪物の死体が点在していたりはしたが、オルタンシアが惑星ほしの影の中で闇に包まれた――直後、


「――――」


 神器〔いと麗しき影スカーサハ〕の力を行使した担い手の殺意が、ランスの想定を遥かに上回るという膨大なかずの漆黒の槍と化して影からほぼ同時に飛び出し、怪物と怪人共を打ち、穿うがち、つらぬとおして串刺くしざしにした。




 小浮遊島群オルタンシアから光が失われていたのは、突如とつじょ全ての照明が消えてからほんの数秒。


 その間に響き渡ったのは、ドズゥンッ、という地響きにた重層的な轟音と、幾つも、幾つも、幾つも……幾つも重なった怪人、怪物の悲鳴、絶叫、慟哭どうこく……身の毛がよだつ断末魔。


 唐突に訪れた何も見通せない夜の闇の中で、それを耳で聞き、空気の振動をはだで感じて、ある者は警戒を最大限に高め、ある者はパニックにおちいりかけ、ある者は躰を強張らせて動けなり…………程なくしてそんな人々全員が、また唐突に点灯して視界を一瞬白く染め上げた照明の下で目をつぶり、腕でひさしを作って目をかばい、いったい何が起こったのかと困惑し…………目が明るさに順応すると、怪物とまだ遭遇していなかった者達は、ただただ戸惑って情報を求め、遭遇して交戦中だった者達は、一変してしまった周囲の様相に言葉を失った。


 まさに、死屍累々。


 全ての怪物共のことごとくが、全身を滅多刺めったざしにされて息絶え地に伏しており、できたての死骸にある無数の刺し傷から体液があふれ出し、血溜まりが徐々に広がって行く。時期に、数万体の怪物から流れ出た体液で、侵攻ルート上の小浮遊島や連絡橋は、肉塊が浮かぶ血の池や血の河と化すだろう。


「……い、いったい、何が……?」

「…………静かになったな……」

「……お、終わった、のか?」


 何が何だか訳が分からない。だが、怪物共は全て地に伏して動かず、周囲は寒気を覚えるほど静まり返っている――そんな状況に置かれた人々は、目の前の地獄のような光景から周囲の仲間へ視線を移し、顔を見合わせて声をかけ合う。


 しかし、この時、まだ全てが終わった訳ではなかった。


 闇のときを越えて生き残った敵、――その数2体。


 1体は、エキドナの子にして最高傑作と称される魔王候補、アガノキュテス。


 もう1体は、最古の魔女にして最強の怪人、竜の力すら取り込んだ〝怪物の母〟、エキドナ。


 全身を滅多刺しされた兄弟姉妹シャイターンたちコアをも貫かれて灰と化し散っていく中、アガノキュテスは、その全身甲冑のような生体装甲が全ての影槍を弾いて逸らし、あるいは受け止めて無傷。


 女怪エキドナは、その体内に核と呼べる器官が存在せず、どの個体よりも多くの影槍でその身をつらぬかれながら、痛痒つうようを感じた様子もなく愉快そうに笑ったまま。引き抜かれた漆黒の槍が影の中へ沈むように引き戻された直後から、超常の自己再生能力で傷がふさがり始め、ものの数秒で完治してしまった。


 そして、このごく短時間にこれだけの大量虐殺を成したランスは、会場の舞台中央でたたずんだまま。一歩も動かず、力の抜けた両腕をだらんと躰の両脇にらし、穂先を上にして自分の影から浮かび上がってきた槍を手に取ろうともせず――


「――ガハッ」


 粘性の高い血のかたまりを吐き出した。


 他にも、鼻血は言うにおよばず、下ろしている〔万里眼鏡〕のプレートの下からあふれ出た血涙が二筋、頬を伝ってあご先からしたたり落ち、両方の耳の穴からもゆっくり首筋へと流れ落ちて行き、全身から噴き出した汗にすら血が混じっている。


 それは、影槍――神器〔いと麗しき影スカーサハ〕の力を行使した代償。


 手でつかんでいれば、腕だけで済む。だが、霊的には、ただの『物体が光をさえぎった事で光源とは反対側にできる暗い部分』ではなく、自分の一部、または自分そのもの。


 そんな影に、力を解放した神器を同化させればどうなるか?


 力の逆流は全身におよぶ。しかも、躰の内側から。


「――フンッ、……はぁ……はぁ……、…………かっ、――プッ」


 そんなダメージの受け方をしたのは初めてで、だからこそ抵抗の仕方が分からず、今はただただ激痛に耐えながら気力で意識をつなぎ止めるランス。


 力の抜けた両腕をだらりと垂らして指先からポタポタ血をしたたらせたまま、鼻から勢いよく呼気を出す事で鼻腔びくうを詰まらせていた血を飛ばして無理やり鼻で呼吸できるようにすると、口内では唾液の分泌を促すために舌先で頬の内側の唾液腺を刺激し、そうやってしばらくモゴモゴしてから唾液と共にまだのどに絡まっていた血を吐き出した。


 全身の経絡系に負ったダメージのせいで〝活勁〟のみならず捷勁法をろくに使う事ができず、ゆえあって幼竜達に【竜の祝福ドラゴン・ブレス】で回復してもらう訳にはいかない。


 そして、猶予は、あとわずか。


 だからこそ、そうやって、でき得る限りの方法で状態の回復につとめていたその時、


(――〝ご主人様〟)


 脳裏に響いたのは、城館地下の私室で周囲に無数の仮想画面ウィンドウを投影し、天空城の監視システムで現在の状況をうかがっている〔宿りしものミスティルテイン〕の分身体――人化しているミスティの思念こえ


(〝増援の召喚阻止に成功しました〟〝エキドナは大円形闘技場から移動中〟)


 言われずとも、仮想画面を投影したままなので、その動向は把握している。〔いと麗しき影〕の同化を解除したのもそれを確認したからで、


(〝高確率でご主人様の下へ向かっています〟)


 猶予がわずかなのは、それ故。


 問題は、どうして自分の位置ここが分かったのか?


 飛行型の怪物は先に始末し、地上型もまだこの会場には到達していない。ここへ降りる際も姿を目撃されてはいないはず。


 なので、幼竜達と【感覚共有】するように、エキドナがモンスターの視覚を介して発見したとは考え辛い。


 索敵系または遠視系の術が使用されたなら、監視している管理者やミスティが感知しているはず。よって、それもない。


(〝〔いと麗しき影スカーサハ〕の攻撃を受けながら、影を介して位置を逆探知したものと思われます〟)


 ミスティがそう言うならそうなのだろう。仮に違ったとしても、相手は最古の魔女。その気になればこちらの位置を探知する方法など他に幾らでもあるに違いない。


 だからこそ、肝心なのは、こちらの様子が向こうに見えているか、いないか。


 被害が及ぶ可能性があるにもかかわらず選手村に近いこの場所を選んだのも、大円形闘技場からこちらへ向かってくるエキドナの視線が、あいだに存在する複数の浮遊島にさえぎられて通らないから。


 もしミスティの推測通り、位置を把握しただけなら、まだ勝ち目は残っている。


(〝ご主人様〟〝僭越せんえつながら――〟)

(――ミスティ)


 周囲に投影されていた仮想画面を全て消し、どうやら撤退をうながそうとしたらしいミスティの思念ことばさえぎったランスは、目的達成をさまたげる最大の障害を排除するため、ミスティと管理者にそれぞれ指示を出し、紋章を介した【精神感応】で、パイクと、改めてスピアにも手出しはせず隠れているよう言い含める。


 そして――




「ふふふふ……」


 喜んでいるようでもあり、怒りを押し隠しているようでもあり、楽しんでいるようでもあり、悲しみから目を逸らそうとしているようでもある――そんな不気味な笑い声を漏らしながら、長大な影か空中で身をくねらせるようにして飛翔する。


 その全長は、およそ50メートル。下半身は、鮮やかな緑のうろこに包まれ、極彩色の羽でいろどられ鋭い鉤爪を備える一対の翼手を有する〝翼ある蛇〟と呼ばれる竜種ドラゴンまるだしよりも淫靡いんびで煽情的な装束と黄金の装身具を身に付けている上半身は、巨人族のように大きく、肌は紅潮しているかのような薔薇バラ色で、左右3対、計6本の腕を備え、頭部には牙をく蛇の頭部を意匠化した黄金の兜をかぶり、背に流れる長く癖のない艶やかな髪はオーロラのように絶えず色を変え続けている。


 そんな女怪エキドナが、小浮遊島群オルタンシアで最も高い位置にある浮遊島、その中央にある大円形闘技場を覆っていた多重結界を解除して飛び立ってから、まるでスケルトン――動く骸骨モンスターではなく、極めて単純な構造のソリで雪を固めて造られたコースを高速で滑走する競技――のように、空中を滑るがごとく降下して目的地を視界に捉えるまで、100秒はかからなかっただろう。


 そして、――ついに〝怪物の母〟と槍使いの竜飼師が直接対峙した。


 エキドナが舞い降りたのは、舞台の四方を囲む観客席の最上段、その後ろの壁の上。長い蛇のような竜の体は、会場の外へ放り出されてズルズルとうねり、大円形闘技場で目視した時には無手だったが、今は、本来の大きさサイズから自分が使うのにちょうど良いサイズへと巨大化させた武器防具を装備しており、右の3本には、禍々しい長柄の大鎌、重厚な長方形の大盾、一見なんの変哲もない両手持ちの長剣バスタードソードを、左の3本には、金属製の環と楔が両端に取り付けられた羂索なわ、神秘的な曇りのない鏡のような円形盾、無駄な装飾が排された全長約5メートル半の突撃槍だけは本来の大きさのまま刺突剣のように保持している。


 それに対して、額に装着している〔万里眼鏡〕のプレートを鉄兜の目庇のように下ろしているランスは、一本の漆黒の槍を相変わらずの中段に構え、そこからきっさきを上げてエキドナへ向けている――が、


「あら? あらあらあら」


 既に血塗れで、もう瀕死ひんし。そんな少年の姿をの当たりにしたエキドナは、困ったような、失望したような、面白がるような……真意がはっきりとしない声音でそんな呟きを漏らしながら、ベキッ、バキバキッ、と観客席を圧壊させつつ、舞台へ向かってずるずるとい進み――観客席から試合場へ下りる直前でピタリと止まった。


「私の可愛い坊や達の目を通して見た〔ブリューナク〕。それに、その〔スカーサハ〕。どちらも、が、配下に使わせるより、敵に奪われて使用される事を恐れ封印する事を選んだ神器」


 だから、と言ってエキドナは笑い――


「分かっているのよ。の機能を使えるって事は、ね」


 その双眸そうぼうが――さんざんもてあそんでから喰らって取り込んだ竜族ドラゴンの森羅万象を見抜く瞳が、あやしい光を放った直後、ランスの周囲に布設され隠蔽されていた魔法陣トラップ、その全てが熱のない炎を上げて燃え上がり、焼き尽くされるようにして消え去った。


 エキドナは、その光景をうっとりと眺めた後、妖しい光が消えた目をランスに向け、その場からやや身を乗り出すようにしてしげしげと観察し……


あわれな子。それに、とてもおろか……」


 口ではそんな事を呟きつつも、その瞳には瀕死の少年をいつくしむような色がある。


「貴方の体内霊力オドには属性いろがない。だからこそ、属性が異なる二つ以上の神器を使う事ができる、できてしまう」


 通常、属性【火】の神器・宝具は、適性属性が【火】の者を担い手に選ぶ。適性が【風】や【土】など他の属性の者を選ぶ事はない。


 ランスが、属性の異なる複数の神器・宝具の担い手として認められてしまったのは、卓越した槍の使い手であった事に加えて、適性属性がない、つまり、無属性だったからこそ。


 そして、それ故に――


「私が知る限り、貴方だけよ。ブリューナクスカーサハ、対極の力の反発で肉体が破壊される痛みを味わった人なんて」


 そう言うエキドナが見ているのは、腫れ上がってコートのそでがピチピチに張り詰めている両腕であり、茹でボイルしたソーセージのようにパンパンになっている変色して血に塗れた無残な両手であり、ブルブルと震え続けて静止する事のない、そんな両手で構えられている漆黒の槍のきっさき


「逆流した〔射殺す眼光ブリューナク〕の力が抜ける前に〔いと麗しき影スカーサハ〕を使えばどうなるか、知らなかった訳ではない。――そうでしょう?」

「…………」

「それでも使った。強きをくじき弱きを助ける、そのための力があったから。我が身可愛さに使わないという選択肢はなかったのよね?」


 エキドナは、無言で無反応なランスを眺めながら、本当に愚か……、と呟くように言いつつも微笑み、でも、と続けて、


「その愚かさは、今では伝説として語り継がれているいにしえの勇者英傑も持ち合わせていたものよ」


 微笑みを満面の笑みに変えて、ベロリ、と、まるで珍味を前にした品のない美食家のように舌なめずりする女怪。


 それから、物騒な得物を手にしたまま器用に上半身をくねらせてしなを作ると、観客席と試合場を隔てる壁を越えて、ずるり、と地面に降り、


「――貴方は殺さない」


 ずるり、と這い進み、


「本当は、殺したくて堪らない。だって、貴方は、私の可愛い子供達を、たくさん、たくさん、たくさん……たくさん殺したんですもの」


 ずるり、と距離を詰め、


「だから、何千回、何万回殺しても殺し足りない。でも、殺さない。――どうしてだか分かる?」


 また、ずるり、と石橋を叩いて渡るかのように少しずつ、


「それはね、――子を失った悲しみは、子を得た喜びでしかいやせないから」


 ずるり、ずるり、と話しながら舞台のほうへ、その中央にいるランスのほうへ這い寄って行き、


「子を殺されたら、殺した人と子を作る――ずっとそうしてきたの。私に敵意や殺意を向け、罵詈雑言や侮蔑侮辱の言葉を浴びせてきた人を、捕まえて、閉じ込めて、たくさん、たくさん、愛して、愛して、愛して、愛して……」


 6本の腕で、三つの武器、2枚の盾、一つの道具を油断なく構え、


「泣き叫ぶ声や絶望の表情、枯れた声でささやく、もうできない、許してくれ、殺してくれ……そんな哀願と、する事しか考えられなくなって無我夢中で求めてくるようになってからのあえぎ声や愛の言葉が、この胸にぽっかりと穴が開いたような喪失感を埋めて、束の間、子を失った悲しみを忘れさせてくれる」


 むせ返るような色香を振り撒きながら、


「貴方の子を産むわ。だから、私を抱いて、はらませて」


 怖気がはしるほどの情欲をあらわに、


「今日から毎日、何回でもさせてあげる。何度でもしてあげる」


 絶対に勝てない、逃げられない、そう絶望せざるを得ない圧倒的威圧感プレッシャーほとばしらせながら、


「たくさんたくさんうばったのだから、たくさんたくさん与えて頂戴ちょうだい


 爛々らんらんと輝く爬虫類のような瞳で獲物ランスを見詰めつつ、


「絶対に殺したりしないし、逃がさない。これからはずっと一緒よ。ずっと、ずっと、いつまでも、いつまでも、いつまでも……」


 膝立ちでにじり寄るように接近し――


「…………?」


 不意に、ピタッ、と動きを止めた。


 そこは、舞台に上がる直前。エキドナの得物の中で最も攻撃範囲リーチが広い突撃槍――全長約5メートル半、細長く鋭利な四角錐状で先端から傘状鍔バンプレートまでが約4メートル、柄は、重心がある鍔元から水平に構えた時にバランスを取るための錘である拳大こぶしサイズだが重い柄頭の正八面体を含めて約1メートル半――でなら、既に舞台上のランスを一挙動で突き殺せる、そんな距離。


 ここまで、愛を囁くように、恐怖をあおるように、正気をぐように、噛んで含めるが如く言葉を重ねていたエキドナが、口をつぐみ、怪訝けげんそうに眉根を寄せる。


 それは――


「…………」


 このおよんでなお、ランスが無言、無表情、無反応を保っていたから。


 並の男は言うに及ばず、どんなに豪胆な勇者英傑であっても、女怪が己に向ける愛情、憎悪、悪意、情欲、妄執、狂気……それら全てを一緒くたにして煮詰めて発酵させたような情動のほとばしりにさらされたなら、平静ではいられない。


 そして、恐怖、嫌悪、忌避……そんな感情をどれほど上手く押し隠そうとも、海千山千の魔女であり竜族ドラゴンの超感覚を備える怪人でもあるエキドナは、いとも容易たやすく見抜き、感情を嗅覚で嗅ぎ当てる。


 だが、ランスは、腰を抜かして失禁するでもなく、死んだほうがましだとみずから命を絶とうとするでもない。冷静さを欠き喊声かんせいを上げて突貫するでもなく、覚悟を固めて悲壮感を漂わせるでもない。


 目許は〔万里眼鏡〕のプレートで隠れていて見えないが、顔の下半分から感情の変化はうかがえず、重傷の両腕で保持している影槍が震え、血交じりの汗をいている事を除けば、中段に構えたまま身動ぎもしない。呼吸を乱さぬよう意識的に繰り返される呼気と吸気は、心を落ち着けるためというより激痛を緩和させるためのもので、両腕を除けば、躰が緊張で強張っているという事もない。


 エキドナには、そんなランスの心理がまるで理解できず――


「…………ッ!」


 不意に脳裏をよぎったのは、〝剣聖〟を始め、過去に自分の思い通りにできなかったほんの一握り――真の達人たちの顔。


 この段にいたってようやく、エキドナは、目の前の少年の実力を見誤みあやまっていた事に気が付いた。

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