第59話 家を造ろう

 それは、ご老公のご厚意で昼食をご馳走になった後の事。


 丸太造りの小屋ログハウス――『ローランのダイニングキッチン』を出たランス、小飛竜スピア小地竜パイク、それに表に停めていた〔汎用特殊大型自動二輪車ユナイテッド〕も自走して、共に隣接する家庭菜園の脇を通り過ぎ、背の高い樹木が林立する森の中へ。


 それは、媛巫女ひめみこに会ってみるかという話が終わった後、作業の続きをすると言っておきなと共にログハウスから出て行く際、ご隠居に、他に予定がなければ……、と頼まれた手伝いを二つ返事で引き受けたから。


「ルガンじ~ちゃんっ」

「むっ、来たか」


 その姿を見付けた幼竜達が先に元気よく駆けて行き、作業台の上から加工済みの板を退かして樹に立てかけた翁が、別の木材に伸ばした手を止めて振り向いた。


 その時、ランスがそちらへ向かって歩み寄りながら見ていたのは、翁と幼竜達がいる場所から数メートル進んだ先の樹上。


 ご隠居に頼まれた手伝い。それは、以前、自分で建てて住むのが老後の夢だと語っていた、木の上の家ツリーハウスの建設。


 まっすぐに伸びた複数の木々を支柱として利用するタイプのツリーハウスで、既に丸太が金属のボルトと太い縄で固定されてしっかりとした基礎が築かれており、全体の4分の1ほど張られている床板の上にご隠居の姿がある。


 その高さはおよそ4メートル。通常、そこまで家屋の建材を運び上げるには、起重機か、巻き上げ機と縄や滑車が必要なところだが、ご隠居も〔収納品目録インベントリー〕を持っているらしい。今やっているように、材木を収納し、取り出す際にしかるべき場所に出現させるという方法を使えば、老人一人でも易々と大量の材木を運び上げる事ができる。


「もうすみは入っとる。その通りに切りゃ良い」


 地面に敷かれた大きなシートの上には木材が積み上げられており、そこから今1枚取って丸鋸型魔導工具が取り付けられている作業台へ移した翁の指示に、はい、と応えるランス。


ノコ鎖鋸型魔導工具チェーンソーがそっちに――」

「――いえ、自前の道具を使います」


 おそらく、ご隠居が下で作業する際に使っていると思しき台を借り、その上に木材を移動させたランスが太腿のユーティリティポーチから取り出したのは、七つ道具の一つ――〔丸鋸刃サーキュラーソー〕。


 それは、霊力を注ぎ込む事で大きくなり、抜き出すと元の大きさに戻る特殊な呪化合金製で、取り付ける本体はなくその円形の刃のみ。


 ほう、と興味ありげにこちらの様子をうかがっている翁の前で、ランスは〔丸鋸刃〕に霊力を注ぎ込んで適当な大きさにすると、【念動力】で浮かせ、更に高速で回転させる。それを精確に操り、電動丸鋸と遜色そんしょくのないスピードと機械のような正確さで引かれた黒い線に沿って切断した。


 その様子をまばたきせもせず瞳をきらめかせて観ていた幼竜達は、板が綺麗に分断された瞬間からぴょんぴょん跳ねたりその場でくるんっと回ったり、テンションが高い。


 実を言うと、三賢人に相談した後の予定がなかった訳ではない。しかし、それを変更して二つ返事で手伝いを引き受けたのには、大きく二つの理由がある。


 一つは、その予定というのが、天空城の宝物庫へ行く事だったから。


 その存在を知ってから、スピアとパイクは見に行きたがっているのだが、正直なところ、ランスは近付きたくもない。


 それは、宝物庫には神器や宝具が納められている可能性があり、だとすると、長きにわたり死蔵されていた事で使われる事にえていると予想できる。つまり、踏み込んだ瞬間、それらに担い手として認めらとりつかれてしまうかもしれないからだ。


 そういう嫌な予感に限ってよく当たる。


 そして、もう一つは、こんなふうに幼竜達が喜ぶと分かっていたから。


 元あるものを傷付け、壊す。それなのに別の新しいものができ上がる――つまり、材料を加工して物を作る、という行為に対して、幼竜達は非常に強い興味を示す。見ているだけでも楽しいらしく、一つの作業が終わっただけでこのはしゃぎようで、完成するとものすごく喜ぶ。


 それ故に、メルカ市の孤児院での屋根の修理からそういった傾向の雑用依頼をよく受けるようになり、山篭りの際の拠点作りはスピアとパイクにとって楽しみの一つで、警報装置を兼ねて罠をよく作った。


 ――何はともあれ。


「するっ おてつだいっ」

「がんばる~っ」


 スピアとパイクは二人の指示に従って【念動力】で木材を移動させ、ランスと翁はせっせとそれを加工し続けた。




 翁のお手伝いの後は、ご隠居のお手伝い。


 ご隠居は、空中に何の支えもなく浮かび上下に移動する魔導昇降機ゴンドラを下ろすと言ってくれたが、栗鼠リス並みに木登りが得意な幼竜達はあっと言う間に樹を駆け上がり、ランスは軽くジャンプして基礎に手を掛けるとそのまま軽々とよじ登った。


「それじゃあ、私が板を置いて行くから、どんどんくぎで板を留めてくれるかい?」

「分かりました」

「きゅいきゅいっ」

「がうがうっ」


 そう言ってランスがご隠居から受け取ったのは、ボール紙製の箱に入った釘のみ。


金鎚かなづちも持っているのかい?」

「いいえ。必要ありません」


 どういう事かと様子を窺うご隠居の前で、片膝立ちになったランスは、左手でボール紙の箱を持ち、右手でその中から取り出した釘を人差し指と中指で挟み、釘の頭に親指を当て、そのまま、ズヌッ、とまるで発泡スチロールに打ち込むかのように易々と木の床板に半分ほど突き刺した。


 それだけでもう驚きと呆れが半々といった様子のご隠居だったが、唖然とさせられたのはその後。


 ランスは、その半分ほど出ている釘をしっかり打ち込む事なく、そのまま移動しつつ次々と釘を半分だけ突き刺して行く。そして、その後を追うように、


「きゅっ」


 まずはスピアが、


「がうっ」


 次はパイクが、その次はスピアが……といった具合に、一本ずつ交互に片前足でしっかり打ち込んで行く。


 楽し気な様子といい、上から叩くその仕草は、飼い主が操るネコジャラシを捕まえようとする猫のようだが、肉球に霊力を集中させて強化しているので威力はハンマーの一撃と大差ない。


 視覚と【空識覚】で見定めた最適な場所に黙々と釘を突き立てて行くランス。可愛い仕草で、ゴスッ、と打ち込んだ後、テシテシ触れて出っ張っていない事を確認し、満足気に頷いてから次へ。一度として失敗する事なく確実に打ち込んで行く幼竜達。


 その仕事は早く、それでいて正確で、はっ、と我に返ったご隠居は、慌てず急いで打ち付ける板を配置して行った。




 森の中は、森の外よりも早く夜が訪れる。


 床ができると支柱にしている樹にえるようにして柱を立て、はりを架け……ご隠居の指示通りに釘を打って留め、あるいはほぞ枘穴ほぞあなに嵌め込んで接合させ、所によっては釘だけではなく縄でしっかりと縛って補強し…………


「ランス君、今日はここまでにしよう」


 【空識覚】があるランスや夜目がく幼竜達と違って、ご隠居と翁はもう照明がないと作業に支障をきたす。そこで、本日の作業は終了という事に。


「いやぁ~、まさかここまで進むとは……」


 既に全体の骨組み――軸組じくぐみが仕上がっていて、まだ下地だけだが屋根も乗っている。そんな本日の成果を振り仰いだご隠居は、もう驚きや呆れを通り越して笑うしかないといった様子で呟いた。


 それは、幼竜達のパワーがある【念動力】とランスの繊細な制御が可能な【念動力】が合わさり、その威力を遺憾いかんなく発揮した結果。


 支柱にしている樹1本あたりの負担を減らすためだろう。縦に三階建て、というのではなく、横や斜めにずれながらも一つのつながった空間の中に複数のフロアが階段状に存在する、いわゆるスキップフロア住宅で、自然に生えている樹を利用しているためいびつとまでは言わないものの特異な形状をしている。とはいえ、それこそツリーハウスの醍醐味だいごみというものだろう。


 今、ランス、ご隠居、翁がいるのは、地上に一番近いテラスのような場所。屋根はあるが四阿あずまやのように壁はなく、支柱にしている樹の外側に回廊があって落下防止のしっかりとした手すりが取り付けられており、樹の内側の柱には骨董品のようなおもむきのある照明器具ランプが掛けられていて、火の温かなあかりがその場を包み込んでいる。


「ごしゅじんっ おつかれさまっ」

「おつかれさま~」


 ご隠居は、今日の夕食はここで食べる、と宣言し、もう十分頑張ってもらったから、と言って、いつの間にか夕食までご馳走になると決まっていた事に困惑するランスに休んでいるよう伝え、場所の変更をご老公に伝えるためログハウスへ。翁は、暗くなる前に照明を用意していた時点で予想していたらしく、いつの間にか柱の一本に背を預けて腰を下ろし、のんびりパイプで煙草たばこを吸い始めている。


 そして、その煙が漂ってこない位置にある柱を半ば無意識に選んで腰を下ろしたランスが、ぼぉ~っとただ座っているだけのように見えてそのじつわずかな疲労を〝活勁〟で回復していると、楽しくて仕方がないといった様子でツリーハウスの骨組みの間を飛んだり、跳ねたり、登ったり、ぶら下がったり、降りたりしていた幼竜達が戻ってきた。


「お疲れ様」


 片膝を立てて片脚を延ばした姿勢から胡坐あぐらき、作業を近くで見て、お手伝いして……終始しゅうしご機嫌だったスピアとパイクを抱っこし、それぞれを左右の膝の上に乗せてわしゃわしゃモフモフたっぷり撫でる。


 ランスは、しばらくの間、嬉しそうにじゃれついてくる幼竜達をそんな風にかまっていたが、


「ごしゅじん うちつくる?」


 不意にそうスピアに問われて、え? と思わず声を漏らした。


 【精神感応】で伝わってきたイメージ、それは――


「俺達の……家?」


 物心ついた時にはもう軍の施設にいて、兵舎の大部屋で他の子供達と寝起きしていた。師匠に拾ってもらってからは一人部屋に移ったが、当然そこも軍の施設。退役後、メルカ市では未だに《鴛鴦亭》で部屋を借りているし、グランディアではしばらく天空城の主でい続けなければならないので寝起きする場所には困らない、そう思って……


 今まで一度も考えた事がなかった。『自分の家を持つ』などという事を。


「俺達の家、か……」


 ランスがもう一度呟くと、スピアとパイクが覗き込むように顔を寄せてきて、


「こもったやま?」

「じゅかい~?」


 そう、一般の人々は、猛獣、害虫、怪物モンスターを恐れて城壁の内側に住居を構える。だが、自分達にはそれらを退しりぞけるすべがある。必ずしも街中である必要はない。


 そして、修理や簡易的な拠点を築いた事はあるが、ここまでしっかりとした『家』を建てた事はなかった。しかし、今回ご隠居達の手伝いをして多くの事を学び、良い経験ができた。


 つまり、家造りに応用できる技術はある。そのための知識も得た。ならば、あとは『やる』か『やらない』か。だが、スピアとパイクがそれを望んでいる以上、答えは決まっているも同然。


「どっちが良い?」

『どっちもっ!』

「どっちも? ……そう、か……」


 どっちか一方でなければならない理由も、複数あってはならない理由もない。ならば――


「分かった。どっちにも造ろう。――と言っても今すぐじゃない」


 ランスは、すぐさま飛び出そうとした幼竜達を咄嗟とっさに両腕でかかえるように捕まえた。


「まずは、リノンとした約束を果たす」


 約束は守らねばならない。それは譲れない、譲ってはならないものだ。


 幼竜達を解放すると、スピアとパイクは、胡坐を掻くごしゅじん、その左右の膝の上でお座りし、そうだった、と言わんばかりに頷いた。


 ランスは、そんな幼竜達の頭を撫でながらふと思いついて、どんな家を造りたいか訊いてみる。すると、スピアとパイクは目をパチパチさせた後、顔を見合わせて小首を傾げた。


 どうやら、ただ造りたいと思っただけで、そこに住む事、生活する事までは考えていなかったようだ。


 しかし、どうせ造るなら、ちゃんと住めて、快適に生活できたほうが良い。


 そこで、自分達にとって『快適に生活する事ができる家』とはどんなものか考えてみて……


『…………?』


 ランス、スピア、パイクは顔を見合わせて首を傾げた。


 生きては還れないとうたわれるレムリディア大陸の大樹海、その猛獣、害虫、怪物がひしめく奥地で修行を積み、サバイバル生活を満喫し、当然のように生還する自分達にとって、『快適な生活』とはなんだろう? 『住んで快適な家』とはどんなものだろう? そもそも…………自分達に家は必要なのだろうか?


「…………」

「…………」

「…………、やっぱりやめる?」

「きゅうきゅうっ!」

「がおがおっ!」

「分かった分かった」


 全力で首を横に振る幼竜達を苦笑しつつなだめ、もう一度一緒に考えてみる。


 同じような仕草で首をひねり、う~ん、と思案するランス、スピア、パイク。


「フゥ~―――…」


 のんびりパイプで煙草を吸いながら、何とはなしにその様子を横目に眺めていた翁は、そこに、仮面のような無表情ではなく、年相応の少年らしい表情を認めて頬を緩め、落下防止の手すりの向こうにある夜の森のほうを向くと、どこか安堵の息をくように、長くゆっくりと煙を吐き出した。




 やはり、〔収納品目録〕は便利だ。


 ご隠居が、子猫ミーヤを抱いたソフィア、先生、ご老公と共に戻ってきて、魔導昇降機ゴンドラで樹上のテラスへ。


 それから1分もかからなかっただろう。ソフィアがはしゃぎ、先生がそれを見守っている間に、ご老公は〔収納品目録〕から次々と、人数分の椅子、大きな丸テーブル、その上に出来立てホカホカの状態で収納してあった大皿の料理が並べられ、あっという間に夕食の準備が整った。


 ちなみに、この場にミスティの姿はない。ランスは、この機会に紹介しておこうと考え、自分と融合している神器ほんたいを介して天空城の蔵書部屋にいるミスティにこちらへ来るよう呼びかけたのだが、今は行ける状態ではないと断られた。


 そして、ご老公と先生によって料理が小皿に取り分けられ、各人の前に並び、


「それじゃあ、食前酒は――」

「――ビールだ。仕事後の一杯はこれに限る」

「しごとあとっ!?」


 翁の言葉を聞いて、足を【洗浄】してテーブルの上にいるパイクは、ピンッ、と尻尾を立て、


「びーる?」


 同じくテーブルの上にいるスピアも興味を示して瞳をきらめかせる。


「カクテルの用意もしていたんだが……ビールにしようか」


 そんな幼竜達の反応を見てご老公は苦笑し、ランスもそれに頷いた。そして――


「それは、チーズかい?」


 〔収納品目録〕からチーズのかたまりを取り出したランスは、隣の席に座るご隠居に、なぜ今? と問たげな様子で訊かれて、はい、と頷き、


「乳製品にはアルコールの刺激から胃腸の粘膜を保護する効果があるそうです」


 そう答えつつ、塊から一口大に切り取って、あ~ん、と口を開けたスピアとパイクに食べさせる。その後、自分が食べる前に、皆さんもどうですか、と勧めてみた結果、全員に配る事に。


「ふむ、美味うまいチーズだ」

「以前、依頼を受けた事がある人物の牧場で作られたものです」


 ちなみに、今度行った時、チーズと共に牛乳も売ってもらえないか訊いてみるつもりだ。


 ――何はともあれ。


 翁は大ジョッキ。ご隠居とご老公は中ジョッキ。ランス、スピア、パイクは、幼竜達が自分のグラスで飲みたがり、はい、と揃って差し出したが、ご隠居と翁の合作だという特性ビールサーバーからその小さなショットグラスに注ぐのは難しく、結局、透明なガラスのコップに注いでもらった。ソフィアと先生は、カクテルにも使うつもりだったという、数種の果物の搾り汁を混ぜて甘みと酸味を整えたフルーツミックスジュース。


 皆で乾杯の声を揃えてグラスを掲げ、


『くぅうぅ~~~~っ』


 ゴクゴク半分ほど飲んでグラスから口を離した幼竜達は、尻尾をふるふる震わせて、


「しゅわしゅわぁ――~っ!!」


 スピアは、ぱっ、と笑みを咲かせて瞳をキラキラ煌めかせ、


「ん~~めぇ~なぁ~~っ」


 パイクは、普段妙にキリッとしていて格好良い目をにっこり弓なりに細めた。


 そんな幼竜達の姿に自然と上がる笑い声。ランスも頬を緩め、味はともかく、清涼感と喉越しがいいシュワシュワビールを飲み干した。


 本日のディナーのメインは、牛を使った肉料理。ワインが合う味付けにしたと語るご老公が取り出したのは、ランスが持ってきた例の1000年物の赤ワイン。


 ご老公いわく、今でこそ十分な数の水精石が確保され、この空に浮かぶ国にも水源地ができ、グランディア全体に十分な量の水が供給されるようになったが、かつては生活に必要とする水が不足していたため、大人だけではなく子供も、保存できる飲料として扱われていたワインを飲んでいた。そんな時代の風習が今も伝統として残っていて、ワインだけは子供でも飲む事が許される。


 そんな訳で、ソフィアも挑戦し、先生の分を一口飲んでみて……盛大に顔をしかめ、大人達の笑いを誘った。


 しかし、ランスはそんなソフィアを笑えない。


 大人達と、自分のグラスにいでもらったスピアとパイクは、料理と一緒に香りを楽しみながら美味うまそうに飲んでいる。しかし、香りがいい、コクがある、味に深みがある、というのはまだ分かるが、どうしてもこの酸っぱくて渋い液体を美味しいとは思えなかった。


 そして、食後。


 和気藹々わきあいあいと美味しい料理の数々を堪能し、空になった皿が片付けられると、ソフィアと先生の前には紅茶とコーヒー、ミルクが入った小ポットがきょうされ、


「我々は、食後酒にこれなどどうだろう?」


 そう言ってご老公が皆に見せたのは、琥珀色の液体が入った1本の酒瓶。それもランスが持ってきたものの中の一つで、


「――『テキーラ』。『アガヴェ』、または、その大きくて厚みのある葉の形が竜の舌のようだ、と『竜舌蘭リュウゼツラン』とも呼ばれる植物から作られた蒸留酒だ」


 その話を聞いて、【洗浄】した自分のグラスを両前足で持っているスピアとパイクは、目をパチパチさせた後、ぺろっ、と舌先を覗かせた。


 実際のアガヴェの葉はそんな可愛らしいものではなく、しかも葉自体は切り落としてしまって使わないらしい。


 ――それはさておき。


 スピアとパイクは自分のグラスにストレートで、


 翁もストレートだが、右手にショットグラス、左手で8分の1にカットしたライムを持ち、親指と人差し指の付け根の間、その窪んだ部分に一つまみ岩塩を乗せ、


 ご隠居は、ストレートのテキーラを入れたワイングラスの他に、もう一つ水を入れたグラス――『チェイサー』を用意し、


 ご老公は、ロック――ロックグラスに球形の大きな氷を入れてテキーラをそそぎ、


 ランスは、自分の膝の上に乗ってきて丸くなっているミーヤを撫でながら、ご隠居達が自分に合った飲み方スタイルを持っている事を知って、これが本当の〝酒飲み〟か、と内心で感心しつつ、とりあえずそのままを味わってみようと考え、味見程度の量を自分のロックグラスにいでもらった。


『かんぱ~いっ!』


 スピアとパイクの音頭おんどでもう一度乾杯し、ランスも香りを味わってからグラスを傾ける。


 アルコール度数がおよそ50%と高いだけあって灼熱感を覚えたが、それによって満ち足りて少し重くなっていた胃がすっきりしたような気がする。それに、アルコールは強いものの甘みがある分、ランスにはワインよりよほど飲みやすかった。


「んまいっ!!」

「んま~いっ!!」


 そんなごしゅじんとは違って、スピアは他と比べたりせず、これはこれで美味しい、とご満悦。


 そして、パイクは、食事中に飲んだワインも、このテキーラも美味しい。それは間違いない。だが、やはり仕事後の一杯目は格別だったようだ。




 夕食の席は、地上からおよそ4メートルの樹上。


 ってその事を失念し、足元がふらついて落下しようものなら命を落としかねない。


 そこで、適当なところで場所をログハウスへ移し、その際にランスはおいとまする事にした。


 おやすみなさい、と言い合って別れ、『ローランのダイニングキッチン』を後にしたランスと幼竜達は、運転を任せて自走する〔ユナイテッド〕に乗り、ゆっくり走ってもらって夜風ですずみ、しばしのドライブを楽しんでから、天空城の管理者に命じて布設・再設定させた【転位罠】を利用し、城館地下の蔵書部屋へ。


 食前酒、食事をしながら、そして、食後酒。酒にはあぁいう楽しみ方もあるんだなぁ、などと思いつつ、姿が見えないミスティを捜して1階のフロアから階段で魔導書の類が保管されているフロアへ下り――ほんの数分前までの温かで穏やかな気分が消し飛んだ。


「……ぁ……ぅう……ぁ~……ぁあぁ…………~っ」


 それは、肉塊だった。


 既に人の形はしておらず、歪み、崩れ、ぐずぐずに溶け……一つだけ残っている眼球の濁ったみどりと、まばらに残る繊維状のあおが、元はそれが何であったのかを物語っていておぞましさに拍車をかけ、その全体から滲み出ている腐った血と膿が混ざったような汚汁が床をけがし、吐き気をもよおす酷い臭気と精神まで汚染されそうな濃い瘴気を漂わせている。


 そんなとびっきりたちの悪い悪夢のような物体が、プルプルと震えながらうめき声をあげ、捻じ曲がった細い木の枝のような、元は手であったものを遅々とした動きでランスに向かって伸ばし、じわりじわりと這い寄ってくる。


「…………」


 あのなごやかな夕食の光景は夢か幻で、これがお前に相応しい現実じごくだ、と突きつけられたような気がして言葉もないランス。


 今、スピアとパイクは、全身の毛を逆立てて離れた場所にある書架の陰からこちらの様子を窺っているが……あれほど強く近寄っちゃダメだと引き留められたのも、拒絶や忌避、嫌悪感を露わにするのを見たのも、そして、あれほど怯えている姿を見たのも初めてだった。


 それでも、ランスがそれにこうして接近したのは、


「……ぅうぁ~……ぁあぁ…………~っ」


 自分が何を求められていて、どうすれば良いのか、それが分かったから。


 〝来い〟と念じ、出現した銀槍を手に取り、穂先に勁力を収束させ――その悪夢のような肉塊に突き刺した。


 もうどこが急所か分からないため、まるで槍穂に汚物をまぶすような嫌悪感を堪えてじ込み、更にこじる。すると、おぞましい肉塊は不気味にビクンビクン痙攣けいれんした後、ボフッ、と一瞬にして黒い灰と化してそのまま崩れ去り――


「――すっきりしました」


 その直後、ランスのかたわらに、戦神に仕える巫女の装束を纏う麗しき乙女の姿が出現し、まるで長い間苦しめられていた便秘べんぴが解消されたような事をのたまった。更に続けて、


「私は、呪詛じゅそに対して高い耐性を有しているのですが、流石さすがに10、20と重なるとどうにもなりませんでした」


 そんな事を告白するミスティ。


 例え具現化した分身に意識を移していても、神器〔宿りしものミスティルテイン〕の本体はあくまで担い手ランスと融合しているコア。それ故に、分身があのように滅びても本体には何の影響もなく、本体が無事ならこうして幾らでも分身を具現化する事ができる。


 だからこそ、魔導書に手を出したのだろう。


 そう総称される呪物は、原典、写本にかかわらず、貴重な知識が記されているもの程、強い力を宿すもの程、資格なき者、許可なき者から叡智えいちを守るため、暗号化など序の口で、手にすれば、あるいは目にしただけでも精神が汚染され、存在そのものが変質してしまうようなエグい仕掛けがほどこされている。


「…………そうか」


 どうこたえれば良いのか分からず、どうにかそれだけ絞り出したランス。しかし、どうやらそれはミスティの望んでいた反応ではなかったようだ。


 すこし眉尻を下げ、しばし思案するような間を挟んで、


「ここにある魔導書を網羅もうらし、秘術、禁術、奥義の会得に成功しました」


 姿勢を正し、そう報告してくるミスティ。


 経験や学習による自己進化――それこそ神器〔宿りしもの〕が『万能』を冠する最たる理由。そして、『最優』と自負し、『最強』と自任する、真名によって解放される能力の根幹。


「そうか」


 その報告を受けてランスが頷くと、ミスティはまた眉尻を下げた。


「…………」

「…………」


 しばらく待ってみたが、ミスティに動きはない。故に、ランスはもう用は済んだようだと判断してきびすを返し――ちょんっ、と袖をつままれて引き留められた。


 振り返り、目で問う。すると、ミスティは眉尻を下げたまま、


「……お褒めの言葉を頂けるだろうと期待して、頑張りました」


 ランスは、その告白を聞いてようやく、そういう事か、と理解した。


 他の神器や、宝具と言っても過言ではない〔ユナイテッド〕は、使用される事を望みこそすれ、見返りを求めたりはしない。だが、〔宿りしもの〕は違うらしい。それは、人化する故に生じる人間らしさ、という事なのか……少なくとも、人化した分身には、神器として扱うのではなく、人と同じように接したほうが良いようだ。


 どう言えば良いのかと思案して…………結局、ミスティが望んだ『お褒めの言葉』ではないかもしれないが、ランスが選んだのは、上位の者から下位の者へのねぎらいではなく、


「ありがとう」


 自分のために頑張ってくれた事に対する感謝の言葉で、


「はいっ」


 ミスティは、頬をほんのり桜色に染めて、嬉しそうに微笑んだ。


 それで両者の気が緩んだのを感じ取ったのだろう。幼竜達が、ダッ、と結構な勢いで駆け寄ってきた。


 物も言わず飛び付いてきたスピアを抱きとめて頭や背中を撫で、足にひしとしがみ付いてきたパイクの頭をぐりぐり撫でてから片手ですくうように抱き上げる。すると、どちら甘えるように頭や躰をすり寄せてきた。


 どうやら、だいぶ心配させてしまったらしい。


 確かに、あの呪いと瘴気は、竜族ドラゴンやその加護を受けた自分でも近付く事すら危険な濃度だった。パイクは致し方ないにしても、スピアは、ミスティを上回る耐性とそれらの天敵と言って良い能力を有している。だが、それでも嫌いなものは嫌い、怖いものは怖い。それらに能力の有無は関係ないようだ。


 そして、そこはかとなく幼竜達をうらやましそうに見ているミスティは、そんな危険をおかし、分身とはいえ身を呪いと瘴気におかされてまで秘術、禁術、奥義を会得してくれた。それが自分のためだという事は分かっている。だが…………ランスは、それが無駄になる事を、そんな物騒なものに頼らなければならないような時がこない事を、願わずにはいられなかった。

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