第57話 一仕事終えた後は

 階層ごとに小都市が収まるほど巨大な塔バベルの天辺に位置するのが、グランディア最大のビジネス街がある浮遊島ロコモス。巨塔の根本に位置し、最も低い位置にあって空港やターミナルビルがあるのが浮遊島リザ。そして、その浮遊島リザから連絡橋でつながっている出島のような浮遊島がグリスィナ。


 布設後ランダムに設定されていた出現地点を再設定した【転位罠トランスポーター】を利用し、ランス、小飛竜スピア小地竜パイクが、魔王城・城館跡最寄りの電話ボックスの前から移動した先は、浮遊島ロコモスの外縁部。


 そこはもう落下防止用の柵の外側で、そこから視線を上げると他の浮遊島が視界に入ってくるが、視線を下げると1メートルと離れていない断崖から先にはもう空しかない。


「…………」


 フードの中から出たスピアと抱っこされていたパイクは地面に降り、浮遊島の端ギリギリに伏せるようにして、ここからでは見えないグリスィナを見ようと首を伸ばしている。


 そして、額に装着している〔万里眼鏡マルチスコープ〕のプレートを下ろしているランスは、涼やかな風にロングコートの裾を揺らし――〝来い〟と念じた。


 召喚に応じて出現し、右の掌中に納まったのは、硝子ガラスのように透明な投槍。


 細長い紡錘形で長さ1メートル程のそれは、以前買取りを拒否されたため手元に残す事になった、銀槍と同じ時に入手した投槍の神器。


「行くぞ」

「きゅいっ」

「がうっ」


 ランスは断崖から空へ躊躇なく身を投げ、スピアとパイクが間髪入れずに続く。


 落ちて、落ちて、落ちて…………真っ逆さまに自由落下し、しばらく正面に見えていたのは断崖絶壁の岩肌だけだったが、フッ、とそれが消えて視界が開けると、巨塔バベルとリザとグリスィナが目に飛び込んできた。


 翼があるスピアは言うまでもなく、スカイダイビングは既に熟練の域にあるランスとパイクは、〝踏空〟や【重力操作】を使う事なく、手足を広げて風を受け、体勢を安定させつつ巨塔へ向かって空中を移動し、グリスィナの上空へ。


 リザにある空港に到着した観光客の目から隠そうとするかのように、巨塔の陰に存在するグリスィナには、中で本格的な整備や補給を行なう格納施設ハンガーや飛行船の組立工場、個人や保安官事務所が所有する飛行船の係留施設があり、雑多な印象が貧民窟スラムを彷彿とさせる街が存在する。


 ランスが落ちて行ってめざしているのは、その街の中でも寂れた一画にある、元商店だったと思しき古びた建物。


 〔万里眼鏡〕の【遠視】と【透視】を重複発動させているランスは、その目でリノンと同級生達の姿を捉えており、スピアとパイクが感知した敵性の生体反応を【精神感応】で教えてくれる。


「…………」


 師匠が言っていた。〝敵の速やかな殲滅――それこそが平和を維持し、無辜むこの民の安全を守る最善の方法だ〟と。


 傷付ける者がいるから、傷付けられる者がいる。


 傷付ける者がいなくなれば、傷付けられる者がそれ以上増える事はない。


 幼かった自分にも理解できたほど至極単純な理屈。


 故に、リノンと同級生達を救助するのではなく、リノン達に危害を加える者達を排除する。


 少年達のほうはあまり重要ではないと考えているのか、閉じ込めている同じ敷地内にある倉庫には頑丈な錠前が付いているからか、そちらには見張りもいない。だが、リノン達が監禁されている建物の隅の部屋の前には、椅子に座っている見張りの姿があり、交代の時間なのか一人がそちらへ向かって移動中。


 リノンと同級生達が巻き込まれてしまわないよう攻撃範囲を絞るとその二人は範囲外になってしまうが、致し方ない。


 ランスは、右手で投槍を振りかぶり、


にわかに降り注げ、――〔慈悲なき赫灼たる雷雨パルジャニヤ〕」


 真名を唱えて秘められた力を解放し、渾身の力で投擲した――その直後、細長い紡錘形の投槍が木っ端微塵に砕け散り、その破片一つ一つ全てが本来の形状を取り戻し、雷撃を帯びた数十本のガラスのように透明な投槍が驟雨しゅううのように古びた建物へ降り注ぐ。


 そして、ランスは自由落下から一転、〝踏空〟と〝瞬動〟の合わせ技で加速しての全力降下パワーダイブで投槍の群れに追い付いて――




 その時、リノンは、自分も怖いのを必死に押し隠し、見知らぬ男達に拉致監禁されている恐怖で涙する二人の友達に声をかけて励ましていた。


 両手首を後ろで、両足首を揃えて、梱包用の細縄で縛られた不自由な状態で躰を起こし、


「あきらめないで! 大丈夫! きっとランスさんが助けにきてくれるか――」


 ――ズガァアァンッ! とランスが一本の槍のように屋根を貫き、天井を突き破って屋内へ突入した際の轟音がリノンの言葉尻ことばじりを掻き消した。


 練法【落下速度制御】で慣性を打ち消しつつ空中で急制動。〝流纏オーラ〟でドリルのような円錐形に霊力を纏った状態で屋根を蹴り破った後、軽く曲げていた膝を伸ばして着地した瞬間に掻き消えたかと思えば、その姿はドアの前から横へ一歩ずれた位置に。その時には既に〝来い〟と召喚した銀槍を構えた状態で――ドヅンッ、と響いた打突音は一度、壁に開いたあなは二つ。轟音に驚いて咄嗟に椅子から立ち上がった成人男性の胸と喉の高さに一つずつ。


 更にそこから横へ滑るように移動して刺突を放ち、ドヅッ、と壁を貫いた槍を引き戻すのではなく、瞬間的に超加速して前進し、躰を槍のほうへ砲弾のような速さで寄せ――ドゴォオォンッ、と〝靠撃たいあたり〟で壁をぶち破った勢いそのままに開いた大孔おおあなの向こう側へ消えた。


『…………』


 あ、ではなく『助けにきてくれるから』の、ら、と言う間の出来事に、泣いていた子は黙り、開いた口がふさがらず、まさに度肝を抜かれたといった感じで目を丸くし、身動みじろぎせず壁に開いた大穴を見続けるリノン、シュノー、アイリーン。


 あれだけ大きな音が響いたというのに、自分達を拉致した男達が騒ぐ様子はなく、不気味なほど静まり返っていて遠くの喧騒がかすかに聞こえ…………少女達がこれまでにないほど自分の心音を大きく感じていると、


「リノンっ」


 可愛い声が響いた。


 それで天井に開いた穴を見上げると、そこから顔を覗かせていたのは、


「スピアちゃん! それにパイクくんも!」


 幼竜達は、ぴょんっ、と屋根の穴から飛び降りて屋内へ。スピアは背の翼で滑空して、パイクは猫のように高さをものともせず着地し、爪で次々に手足を縛っていた縄を切断して少女達を解放する。


「スピアちゃんとパイクくんがいるってことは……さっきのって、やっぱりランスさんなんだよね?」

「きゅいきゅい」

「も~ だいじょ~ぶ」


 それを聞いて、リノンは、ほっ、と安堵の息をついて躰の力を抜いたが、涙を拭ったシュノーとアイリーンはまだ助かったという実感が得られないらしく、不安そうな表情で左右からそれぞれリノンの手を取って身を寄せ……


「あれ? なんだか…いい……香り………が…………」


 水に濡れた犬猫がするように、スピアがブルブルブルっと躰を震わせた直後から漂い始めた花の香りを嗅いだ途端、少女達の目の焦点があやしくなり…………ふっ、と力が抜けて眠りに落ちた。


 年経て怪物モンスター化した植物が竜の姿をとった擬竜樹プラントドラゴンを食らって獲得した能力の一つ、耐性のないものを眠りにいざなう妖花の香りで少女達を眠らせたスピアは、【念動力】で三人の躰を支えてふわりと持ち上げ、パイクと共にごしゅじんが開けたあなから通路へ出て、途中、凄まじい貫通力を物語る天井だけではなく床にも開いている無数の穴を越えて、テッテッテッテッ、と軽い足取りで屋内を進む。


 その頃、ランスはというと、隠されていた地下への階段を下り、秘密基地の様相を呈する地下室にいた。


(これは……)


 地下室のほぼ中央には大きなテーブルがあり、その上には地図が広げられている。どうやらどこかの迷宮区のものらしく、数枚重ねられていて、一番上のものに書き込まれた丸印や矢印などから察するに、どうやらここを受け取り場所に指定して対象を呼び出し、始末して魔王の遺産を奪取する計画を立て、現在それを成功させるために動いているようだ。


「…………」


 ランスはふと思いつき、管理者に、この地下室に出入りした者達を知る方法はあるか、と尋ねてみる。すると、顔の前に一枚の仮想画面ウィンドウが表示された。そこには、この地下室と自分が映っていて……


(これは……時間をさかのぼっているのか……)


 映像が3倍速くらいで早戻しされ、自分が後ろ歩きで出て行った後、しばらく無人が続き…………やがて複数の男達が後ろ歩きで戻ってきた。


 それから、ランスは映像を送ったり戻したりして全員の顔を覚え、その後、この男達の居場所を探し出せ、と管理者に命じる。すると、リノンの居場所を探させた時と同様、即座に探知したとの報告が。


 兵は拙速を尊ぶ。必要な情報が手に入った以上、早速動きたいところだが、依頼人にできる限り急ぐように言われている。故に、今はリノンを連れて戻らなければならない。


 ランスは、万が一敵がここへ戻ってきた場合に備え、全員の遺体と武器類、その地図、束ねられた書類、迷宮区攻略のために用意されたと思しき道具、呪物、使途不明の装置……などなど、更には【空識覚】で発見した隠し金庫の中身や家具類、無事なものから1階の床を貫通して地下にまで至った投槍に貫かれて壊れているものに至るまで、全て〔収納品目録インベントリー〕に収納して屋内を空にしてから、裏口を出た所でスピア、パイクと合流した。


 そして、銀槍の一突きで錠前を破壊し、【念動力】でリノン達を受け取り、スピアに少年達も眠らせてもらう。


 これは、色々と訊きたがるであろうリノン達との質疑応答や、これから見るものについての口止めなどに掛かる時間をはぶくため。


 ランスは、〔収納品目録〕から取り出した〔汎用特殊大型自動二輪車ユナイテッド〕に幼竜達と共に乗車し、少年少女六人を【念動力場サイコフィールド】で包み込んで浮かすと、天空城の管理者に命じて布設させた【転位罠】の出現地点をミューエンバーグ邸付近で人目に付かない場所へ再設定させ、敵のアジトを後にした。




 今まで空位だった天空城の主の座に自分が就いた――この事が知られれば大騒ぎになる事は目に見えている。


 故に、ランスは黙っている事にした。


 直接ミューエンバーグ邸に転位しなかったのもそのためで、特別な事など何もなかったかのようにしれっと〔ユナイテッド〕を走らせて戻る。


 物陰から出入りを監視していた敵2名を速やかに排除して門扉を通過すると、ミューエンバーグ邸は騒然となった。それはもちろん、戻ったのがランスと幼竜達だけではなく、誘拐されたはずのリノンとその友人達の姿まであったからだ。


「ランス君、ちょっと良い?」


 健やかな寝息を立てている少年少女達をその両親や使用人達に任せたところで呼ばれ、振り返る。するとそこにはレヴェッカの姿が。他には、ティファニア、フィーリア、クオレ――《トレイター保安官事務所》の面々に加えて、総合管理局務めの保安官エリザベートと、その腹心、保安官代理のリアとブレアの姿まである。


「まだ終わっていません。電話ではできない話と訊きたい事があるとの事でしたが、後にしてもらえますか?」


 ランスが、自分を呼び出した依頼人レヴェッカにそう許可を求めると、


「それって、リノン達の救出を優先して犯人はまだ野放しって事? それとも、リノン達を拉致監禁していた連中とは別のグループが存在するって事?」

「後者です」

「って事は、拉致監禁グループはもう?」

「殲滅しました」


 その答えに、レヴェッカの隣で話を聞いていたエリザベートは頭痛を堪えるかのように目許を押さえた。


 一方のレヴェッカは、予想の範囲内だったようでして気にする様子もなく、


「そう言うって事は、当然別のグループが存在するっていう根拠があるのよね?」

「リノン達が拉致監禁されていた敵のアジトで発見しました」


 隠すと決めたので、管理者が見せてくれた映像の事は話せない。


 そこで、ランスは自分にしか見えない〔収納品目録インベントリー〕の仮想操作画面ウィンドウを操作し、あの地下室にあったテーブルと数枚の地図、その他、束ねられた書類などをまとめて取り出した。


 一同は驚いていたが、それ以上に気になるものを発見したようで、


「これって……まさかッ! 『虚実の迷宮』の地図ッ!?」


 その迷宮区の事を知らないらしいクオレを除き、レヴェッカを始め、テーブルを囲んだ保安官達がまじまじと覗き込む。


「電話ではできない話と訊きたい事があるとの事でしたが、後にしてもらえますか?」


 ランスが重ねて許可を求めると、その地図のほうが気になるらしいレヴェッカは、それどころではないといった様子で、


「分かった。――ちょっとこれ見て」


 ランスのほうではなく、綺麗に重ねてあったのをずらしてテーブル一杯に広げた地図を注視しながら気のない返事をし、地図上のある一点を指差した。


「このしるしの場所って……まさかっ!?」

「『迷賊の牙城』ッ!?」


 保安官達は興奮を隠しきれない様子で、


「これは大手柄よランス君! ――あれ? ランス君?」


 レヴェッカが振り返った時、そこにいたはずの少年の姿はなく――聞こえてきた高出力精霊エンジンのいななきに、はっ、と振り向けば、降りずに待っていた幼竜達と共にランスを乗せた〔ユナイテッド〕が走り去るところだった。




 それは、テロリスト集団『魔王軍』の遺産回収班が、きたるべき日に備えて、また継承戦を有利に進めるために、『迷わずの迷路』の攻略を急げと責付せっつかれていたある日の事。


 その発端は〝草〟からの報告だった。


 〝草〟とは、現地に定住して一般人として暮らす、諜報員スパイの一種。その仕事は、毎日読む新聞や職場で同僚とした会話などの中から組織にとって重要な情報を収集し、それを報告する。破壊工作や関係者以外立ち入り禁止の重要な施設へ潜入したりといった事は一切しないため特殊な訓練を受けておらず、故に、スパイであるという事実を除けば完全に一般人。


 だからこそ、ランス・ゴッドスピードや経験豊富な保安官、または特殊工作員であっても、一般人の中にいる一般人をスパイと見抜くのはまず不可能。


 そんな〝草〟の一人から、魔王候補であるランス・ゴッドスピードが『迷わずの迷路』に挑むらしい、との報せが入り、別の〝草〟から、入った、との連絡があり、指示されて出口へ急行し待ち構えていた構成員から、ガキ共だけで魔王候補とドラゴンの姿はない、との報告がきて、そのガキ共を拉致しろさらえ、という指示が出た。


 多くの犠牲を払って得たのは、自分達に『迷わずの迷路』の攻略は不可能だ、という結論だけ。それからは意図的に噂を広めて腕利きの宝探しトレジャーハンターを集め、横取りするために攻略の成功を祈る日々を過ごし、ついに訪れた千載一遇のチャンス。


 奴が成功し生きて出てきたあかつきには、人質に取ったガキ共を交渉材料に、可能な限りの情報を引き出した上で、奴が保有する魔王の遺産を、あわよくばその命をも頂戴する。


 奴が失敗して『迷わずの迷路』で死んだとしてもそれはそれで構わない。何故なら、それは魔王候補じゃまものが一人減るという事だからであり、その場合は、奴が保有するものの代わりに、総合管理局で保管されている魔王軍が擁立していた魔王候補の一人――奴に敗れた〝制竜者ドラゴンスレイヤー〟ソンベルスと、組んで行動する事が多かった〝殺人を司るもの〟グラーシャラボラスが所持していた魔王の遺産を要求する。


 計画は、ガキ共をさらってきてから立てられ、これからどれだけ準備できるかで成功する確率が変わる、だから急げ、と仕事を割り振られて行動を促され…………


「な、なんで……? どうしてこうなった……?」


 人質交換の場所として選ばれたのは、迷宮区の一つ――通称『虚実の迷宮』。


 足を踏み入れた瞬間に方向感覚を狂わされ、視覚だけではなく、足音の反響や、肌で感じ髪を揺らす風の流れなど、五感をあざむく完璧な幻影に惑わされるが故の通称で、通路や階段は狭く入り組んでいて、手摺のない細い空中回廊や立体交差などもあり、全迷宮区中もっとも構造が複雑だと言われている。


 出口へは、ただ道なりに進むだけでは永遠に辿り着けず、少なくない数の幻の壁をすり抜け、奈落に臆さず透明な階段や通路を渡らなければならない。しかし、『迷わずの迷路』とは違って構造そのものが変化する事はないため、時間をかけて調査すれば攻略する事ができる。


 この迷宮区を完全に網羅した地図を持つのは、最奥部に築かれた悪の巣窟――『牙城』の主のみ。友誼ゆうぎの証として受け取ったり、大金を出して購入したり、その地図の写しの一部ですら持っている者は少なく、徹底的に調査を妨害しているため総合管理局ですら『虚実の迷宮』の全容を把握できてはいない。


 魔王軍が持っている地図の写しも、全体の五割に届かないが、その範囲には、牙城までの道順と、槍を得物とする奴を嵌めるのに適した狭い通路や階段がもっとも入り組んだ場所が含まれている。


 天都堕しグランディア・フォール後の一斉摘発の生き残り組、それ以降に送り込まれた追加組を総動員し、更に牙城で金に糸目を付けず兵隊むほうものたちを集め、まともに槍を振れない、ドラゴンは元の大きさに戻れない、狭い通路に追い込み挟み撃ちにして物量で押し潰す――はずだった。それなのに……


「……みんな……どこに行っちまったんだ……~ッ!?」


 ガキ共のおもりを押し付けられた班と連絡が取れなくなり、確認しに行った連中と連絡が取れなくなり、奴が攻略できたかどうかを確認するため人質の家に張り付かせた監視と連絡が取れなくなり、電話で要求を伝えた交渉役と連絡が取れなくなり……忽然と仲間が次々に消え、生きているのか死んでいるのかすら分からない。


 それがランス・ゴッドスピードの仕業しわざだというなら、おそらく殺されているだろう。しかし、それはあり得ない。


 何故なら、自分達に攻略は不可能だと結論付けたあの『迷わずの迷路』を、こんな短時間で攻略できるはずがないからだ。仮にもしできたとしても、逆算した移動時間が短過ぎる。【空間転位】が使えるなら可能かもしれないが、奴は法呪士ではなく、練法を多少使うようだが、そもそも練法には転位系の術が存在しない。


 ヤバイ。ヤバ過ぎる。


 状況が理解できない。自分達の身に何が起きているのか分からない――そんな未知への恐怖は、悪党、外道、無法者達すら震え上がらせ、金で集めた兵隊達はとっくの昔に逃げ散り、もう『虚実の迷宮』内の作戦領域に留まっているのは、命令違反と敵前逃亡の罰が恐ろし過ぎて、そうしたくてもできない魔王軍の構成員のみ。


『おいッ! 誰でも良いッ! 応答しろッ!』


 電波や霊波が掻き消されてしまう迷宮区で使用可能な通信用魔導具――亜空間を介して電線でつながっている通称〔糸電話〕から聞こえてくる声までどんどん減って行き……


「そっちはあと何人残ってるッ!?  ……おいどうしたッ!? 応答しろッ! おいッ! お――」


 ――ドヅッ、と響いた打突音は一度。開いた穴は二つ。胸のほうは心臓と肺をまとめて穿うがっており、喉のほうは延髄まで貫いている。


「…~……~~ッ!?」


 両腕から力が抜け、汗ばみ震える両手から、魔弾を装填した拳銃と応答する声がなくなった〔糸電話〕の受話器を取り落とす。


 そんな彼が最期に見たもの。


 それは、壁の中へ――幻影の壁の中へ引き戻されてその向こう側へ消えた、薄っすらと虹色の光沢を帯びた銀色の槍の穂先だった。




 今回の件で、スピアとパイクが学んだ事。


 それは、相手の立場になって考え、敵を『知らない』という事がどれほど恐ろしいか、そして、ごしゅじんの後について回って、敵に『知られていない』という事がどれほど有利か、という事だった。


 おそらく敵は、『虚実の迷宮』なら有利に戦えると考えたのだろう。


 しかし、固有練法【空識覚】の存在を知るのは亡き師匠と幼竜達だけで、この【空識覚】は五感とは異なるため幻覚に惑わされる事がなく、召喚と送還が自在であるために持ち運びも、刺突つきを多用し滅多に振る事がないため通路や階段の狭さも苦にならず、幼竜達ドラゴンの超感覚は迷宮区内であっても敵の生体反応を逃さず捕捉し、天空城の管理者というこれ以上を望むべくもないナビゲーターが存在した上で、敵の準備が整う前に仕掛ける事ができた。


 ここまで好条件が揃うと負けるほうが難しい。とはいえ、油断とは優勢の時にこそ生じるもの。だからこそ気を引き締め、戦意を喪失して逃走を選んだ者は見逃し、それ以外は無駄に苦しみを長引かせないようにだけ気を配った。


 この件にかかわった者を殲滅し尽くさなかったのにはもちろん理由わけがある。


 それは、師匠が言っていたからだ。――〝足をすくませるのはいつだって『恐怖』だ〟と。


 二の足を踏ませて思い止まらせるため、それは疑う余地なく下策であると周知徹底させるため、ランス・ゴッドスピードに手を出せばどうなるか、関係のない者を巻き込めばどうなるか、世に知らしめ続けなければならない。


 全員逃げずに向かってきたなら致し方なく殲滅したが、今回は金で雇われた有象無象が逃げ出した。彼らは自らの体面を守るため、戦略的撤退を選択にげだした己の正当性を訴えると共に、味わった恐怖に尾鰭おひれを付けて言い伝えてくれるだろう。


 ちなみに、敵の遺体を全て回収したのは、その一助いちじょとするためではない。仲間内で勝手に処分させないためであり、その死体を何かに利用させないため。


 後日、保安官に引き渡して、死亡の確認と身元の照会をしてもらう。そうすれば、死霊アンデッド化の防止処置は向こうでしてもらえるし、その中に逃走中の犯罪者や容疑者がいた場合、既にこの世にいない者を延々と捜し続けるといった事態を避ける事ができ、更に、他の犯罪者がその死体を身代わりにして死亡したと偽装し新たな身分を手に入れる、といったような行為に利用されるのを防ぐ事ができる。


 ――何はともあれ。


 管理者に命じて布設させ、出現地点を再設定させた【転位罠】で移動した先は、あの魔王城・城館跡の地下にある広大な蔵書部屋。


 何故ここなのかというと、先に食堂や応接間、客室などを指定したのだが、それらはかつて地上部分の城館にあったとの事。見ての通り今はもうない。だからと言って、魔王軍幹部の私室やら研究室やらには何があるか分かったものではない。そこで、既に一通り確認して危険がないと分かっているこの場所を選んだのだった。


「ようやく一仕事終えられたな」


 まだ依頼は達成されていないが、とりあえずそう言っても良いだろう。


 兎にも角にも、グランディアで有数の安全地帯へ移動し、勝利の喜びも戦闘後のたかぶりもなく、ふぅ、と一息つくランス達。そして、銀槍を送還し、〔万里眼鏡〕も外して〔収納品目録〕にしまったランスが言うと、その意味を察した幼竜達が瞳をキラキラきらめかせて尻尾をフリフリする。スピアも楽しみにしていたようだが、明らかにパイクの尻尾の動きのほうが大きくて早い。


 ランスは、スピアを肩に乗せ、パイクを抱っこして、書き物をしながら大判の本を数冊開いたまま並べられるほど大きなデスクへ。


 その上に幼竜達を下ろすと、〔収納品目録〕の仮想画面を思念で操作し、必要なものを取り出していく。


 まずは〔ユナイテッド〕。休んだりのんびりしたりする時など、特に用がなくとも外に出しているのはいつもの事で、次は、パイクの前に翁へのお詫びの品と同じ例のウィスキー、それに一つのロックグラスと二つのショットグラス。それから自分の前に、まな板、調理用ナイフ、チーズの塊、更に夕食がまだなので調理済みの肉の塊、野菜、果物……最後に、人命救助の際、特に雨天や女性を助けた場合に必要になる事が多いためまとめ買いしてストックしてあるマントを1枚手に取った。


「スピア、パイク」

「きゅいきゅいっ」

「がうがうっ」


 確認するとこころよく承諾してくれたので、


「――〔宿りしものミスティルテイン〕」


 済し崩し的にとはいえ新たに加わった仲間、自分と融合している神器に姿を現すよう命じる。


 すると、全裸だと思っていたが故に用意したマントだったが、〔宿りしもの〕は服を着ていた。


「能力解放時以外に真名での呼びかけは好ましくありません。どうかこの姿の時は『ミスティ』とお呼び下さい」


 ランスはそれに頷いてから、


「その服は?」

「戦神に仕える巫女の装束です」


 横は肩幅で縦に長い一枚の上質な布を二つ折りにして頭を通す穴を開けた貫頭衣に、ビスチェのようなもので、乳房を下から支えつつウエストを絞って胸から腰に掛けてのラインを美しく際立たせつつも動きやすそうにまとめ、腰に飾りおびを巻き、頭環、首環、腕環、足環など数点の装身具で飾り、二の腕や太腿などが露出していて煽情的ともいえる姿だが、ミスティが漂わせる静謐せいひつな雰囲気と相俟って、下品になるギリギリのところで清らかさと神秘性が演出されている。


「…………」


 自分で服を用意できるなら何故全裸だったんだ、とか、どうして戦巫女の装束それなんだ、とか思う所がないではないが、まぁいい。ランスは気にしない事にしてマントをしまい、さてミスティの分のグラスをどうしようかと考えた――その時、


「今、用意します」


 ミスティがそう言ってデスクに右掌をつき、スッ、と真上に上げた。


 ただそれだけの動作。魔法陣が現れたり、霊力が使われたりした気配もなかった。そうであるにもかかわらず、上げたミスティの掌とデスクの間には、ランスのものと全く同じロックグラスが存在している。


 ただの手品という事はないだろう。まるで無から有が生じたような、明らかに異常な現象――だが、ランスはとりあえず気にしない事にして、


「乳製品にはアルコールの刺激から胃腸の粘膜を保護する効果があるらしい。スピアとパイクなら大丈夫だろうけど、どうする?」


 そう訊きつつ、自分とミスティ用にチーズの塊から一口大に切り取った。


「たべるっ」

「たべる~」


 ごしゅじんが食べるなら自分達も、というスピアとパイクのために、チーズを塊から切り取って、あ~ん、と口を開けた幼竜達に食べさせ、


「あ~ん」

「…………」


 すぐ隣で口を開けて待っているミスティにどう対処すべきか迷って動きを止め……結局、ミスティにも食べさせてから自分も食べ、二人と二頭で黙ってモグモグした後、グラスに酒をぐ。


 スピアとパイクはストレート。ランスは、《ウィルコックス酒店》で酒の事を教えてくれたリニスの忠告に従い、ストレートは避け、ウィスキーの芳香を最も堪能できる飲み方だという1:1の常温水割りトワイスアップ。ミスティも同じものを望んだ。


 そうして皆のグラスに酒が満たされたところで、ついに――


『――かんぱ~いっ!』


 スピアとパイクが声を揃え、皆で、キンッ、とグラスを合わせた。


 幼竜達は両前足で器用にグラスを傾け、一息にあおるのではなく、ゆっくり半分ほど飲み、味わったところで、


『くぅうぅ~~~~っ』


 グラスから口を離し、尻尾をふるふる震わせる。そして、


「んまいっ!!」


 スピアは、ぱっ、と笑みを咲かせ、


「ん~~めぇ~なぁ~~っ」


 パイクはしみじみと言い、普段妙にキリッとしていて格好良い目をにっこりと弓なりに細めた。


 そんな幼竜達の様子に、我知らずランスも頬を緩め、


「どう? 仕事後の一杯は」


 そう訊いてみる。すると、パイクは自分のグラスを上に掲げて、


「かくべつっ!」


 どうやら、がぶがぶ大量に飲むより、美味しい飲み方を見付けたらしい。


「ごしゅじんは~?」


 パイクに訊かれたランスは、もう一度酒をわずかに含んで飲み込むと、やや眉尻を下げつつ首を横に振り、


「俺が本当に酒を美味しいと思って飲めるようになるのは、もっと先の事になると思う。でも……」


 パイクを撫でて、スピアを撫でて、〔ユナイテッド〕を見て、ミスティを見て、


「……いな、こういうの。それに、スピアとパイクが美味しそうに飲んでいるのを見ると、俺も気分が良い」


 そう言って、尻尾をゆらゆら揺らすご機嫌な幼竜達ともう一度グラスを合わせた。


 結局、その時に飲んだ酒は、ウィスキーのボトル1本。


 それが空になるまで、椅子に座ったランスは食事メインで最初にいだ一杯を飲み切り、スピアとパイクはどれが合うかとさかなをつまみつつ、ふと思い出したようにごしゅじんに甘えじゃれてわしゃわしゃナデナデしてもらいながら酒を堪能し、〔ユナイテッド〕のシートに横向きでちょこんと腰かけたミスティは、ぽぉ~っ、とほんのり頬を朱に染めてチビチビ飲み続けた。

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