第52話 なりたて母娘と三賢人
それは、名誉市民の証である懐中時計サイズの羅針盤を頼りに、ランスと
出迎えてくれた、人間と見分けがつかないクラシックなメイド服姿の精巧な自動人形――シャルロッテに案内されて、ランス、
「ランス・ゴッドスピード殿! ――どうか私と結婚を前提にお付き合いして下さいッ!!」
顔を紅潮させ、決然とした面持ちでズンズン近付いてきたエレナに突如そう申し込まれた。
「…………?」
ランスは束の間、未知の言語で話しかけられたかのように何を言われたのか理解できず、
「けっこん?」
「おつきあい~?」
自分の足元で顔を見合わせて、何それ? と言わんばかりに首を傾げている幼竜達の声が聞こえ、それでようやく言葉の内容を理解した。
それに対するランスの答えは、
「お断りします」
だが、どうやらその返事を想定していたらしい。エレナは、そうか、と動揺する事もなく受け止めると、
「では、まずはお友達から――」
「――はいはいちょっとこっち来てお話ししようねぇ~」
「んなッ!? 何をするッ! 私は今大切な話をしている最中――」
「――ごめんねランス君。不審者に
ティファニアとレヴェッカが有無を言わさず左右からエレナの両腕を
そして、ランス、スピア、パイクとシャルロッテをよそに、可能な限り距離をとった女性陣は解放されたエレナを中心に集まって、
「おいおいどうしたドラゴンマニア。まさかの発情期か?」
「茶化すな。私は真剣に考えた上で交際を申し込んでいるんだ」
エレナの真剣な表情を見て、ティファニアは、マジか……、と愕然とし、
「今まで人間の男に興味を示した事なんて一度もなかったドラゴンマニアが、いったいどういう心境の変化だよ」
「それだけ、ランス・ゴッドスピードという男性が魅力的だという事だ」
ティファニアは、自分が知っている幼馴染のものとは思えないその台詞を脳が理解する事を拒絶して
「魅力的な男性って……何を根拠に? 今までろくに話した事もないんじゃないの?」
レヴェッカが後を引き継ぐように訊くと、
「何を言っているんですか? スピアちゃんとパイク君が、異なる竜の眷属である事など全く気にしていないのは見れば分かりますし、あの
エレナは、それだけで十分だと言わんばかりだが、シャリアは、レヴェッカ達の顔を見てその説明では不十分だと判断し、
「私達、
それに、と言って振り返り、シャルロッテに抱き上げられてもおとなしく抱っこされているパイクと、ランスの肩の上に乗っているスピアを見てから、
「幼い竜の精神は契約者の影響を強く受けます。『
なるほど、と頷くレヴェッカ。その説明で、ランスの魅力について話していたのにスピアとパイクが出てきた理由は分かった。
「それで、貴方達がスピアちゃんとパイク君から見て取ったランス君の人物像は?」
「人柄は素直で温厚、誠実で仲間思い。硬派と言うより女性にあまり興味がない。異種族に偏見を持たず、争いを好まない。それでいて、強靭な精神と肉体を兼ね備えている。
「ちょっと待って。
「
「でも、
「ランス君が英雄……あぁ~、でもそうよね。
でも、と言ってレヴェッカは苦笑し、
「ランス君っていうと、スピアちゃんのお腹を撫でて落ち着かせてたり、気持ちいいところを指先で掻いて後ろ足をパタパタさせてたり、うつ伏せでふみふみされてるような印象のほうが強くて、なんかそんな感じしないのよね」
その戦闘力の高さには度肝を抜かれ、何度も驚愕させられた。それなのに何故か、戦っている姿よりも、レヴェッカの言う通り、幼竜達の世話を焼いてきゅいきゅいがうがう纏わり付かれている印象のほうが妙に強く残っている。
同じ思いを共有するティファニア、フィーリア、クオレが顔を見合わせて思わず苦笑し、
「――ちょっと待て」
何かに気付いたらしいティファニアがそう言って一同の注目を集めた。
「それって、
「まぁ、全員とは言わないまでも多いだろうな」
それを聞いたティファニアは、同じ事を聞いていたはずなのに目立った反応のないフィーリアに真剣な表情を向け、
「フィー、ここは焦るところだぞ?」
「え?」
「『え?』じゃねぇよ! 先に目を付けたのはフィーなのに、もたもたしてたせいでライバルが増え――」
「――何言ってるのッ!? それはティファとレヴィが勝手に言ってるだけでしょうッ!?」
「ん? フィーもランスを狙っているのか?」
「だから違いますッ!!」
「大丈夫ですよフィーさん」
そう言って安心させるように微笑みかけたのはシャリアで、
「竜騎士と竜飼師は多夫多妻が認められていますから」
フィーリアが、は? と言ったきり言葉を失う一方、ティファニアは思い出したように、
「あぁ~、そういえば
「違う。ただそれが許されていて珍しくないと言うだけだ」
「そういう結婚をした場合、男性には求めてきた妻達を等しく愛する義務がありますけど、女性には一人だけを愛し、他の夫を拒む権利があるので大丈夫ですよ」
エレナに続いてそう話したシャリアは、長い前髪で隠れて見えないものの、フィーリアが顔を青ざめさせている気配を察して更にフォローする必要を感じ、
「フィーさん。竜騎士と竜飼師の女性の愛情は、
「何を言う。私の両親は今もラブラブだ。
「んな事訊いてねぇよ」
フォローを台無しにされたシャリアは嘆息し、台無しにしたエレナと突っ込みを入れたティファニアは額を突き合わせるようにして睨み合い、精神に負荷がかかり過ぎたのかフィーリアはふらつき、それに気付いたクオレがさりげなく支えた。
そして、職務質問はもう十分だと判断したレヴェッカが、おそらく、当人は全く望んでいないだろうし、気付いてもいないと思われる空前のモテ期の到来について話しておいたほうが良いだろうと考えつつ振り返ると、
「あれ? ランス君達は?」
その姿がない事に気付いて尋ねた。すると、シャルロッテは、行っちゃいました、と出口のほうを指差して、
「ここに来たのは依頼人に到着した事を報せるためで、その目的は果たしたからって」
「何で引き留めないのよッ!?」
「引き留めろって言われてないから」
悪びれる様子もなく言うシャルロッテ。
レヴェッカと、話の途中だったエレナが慌ててキャビンを飛び出して捜したものの、結局、竜飼師と幼竜達の姿を見付ける事はできなかった。
高低差のある大小無数の浮遊島を、浮遊石の粉末を含有する特殊な人造石の構造体――隣り合う浮遊島を繋ぐ連絡橋、上下を繋ぐ塔――で連結した、
現在、ランスと幼竜達は、クルーズ・フォームの〔
建物はまばらで、見渡す限り畑が続いているのどかな景色の中、〔ユナイテッド〕は一本通った信号もない真っ直ぐな道を快調に飛ばし、
「きゅ~―――…」
ごしゅじんの前に乗って
何故ランス達はこんな場所にいるのか?
シャーロット号を後にしたランス、スピア、パイクは、〔ユナイテッド〕に乗ってミューエンバーグ邸へ向かった。それはもちろんリノンに会って約束を果たすためであり、何かとお世話になったご隠居に挨拶するためだったのだが、結果から言ってしまうと、どちらにも会えなかった。
リノンは、友人達と共に有志として、この時期に行われるという『グランディア四大大祭』の一つ、『碧天祭』の手伝いに行っていて留守。
『ご隠居』ことアルフォンス・ミューエンバーグは、突如、引退する前から考えていた『引退してから死ぬまでにやりたい10の事』をするためだと言って、家を出て行ってしまったとの事。
表に出て来て対応してくれたのは、ミューエンバーグ邸の一切を取り仕切る家令で、彼からの提案を幼竜達と検討した結果、それを採用し、リノンは実行委員会の手伝いが終わる頃迎えに行く事にして、まずは特別に教えてもらった家族も知らない住所を頼りに隠遁生活を始めたご隠居を訪ねる事にした。
浮遊島の上空は原則として飛行禁止になっている。故に、ミューエンバーグ邸を後にしたランス達は、連絡橋を渡って浮遊島から浮遊島へと移動し……今に至る。
「ここ?」
「うちない~」
〔ユナイテッド〕の
そこから目の届く範囲にご隠居の姿は影も形も見当たらず、道はそこで途切れている。だが、ランスは地面に車輪の痕跡を見付けた。頻繁に使われてはいないらしく草で埋もれかけているが、それを
そして、見えていた雑木林の裏側へ回り込み、道と呼ぶ事に抵抗を覚えるような乗用車が何とか一台通れる程度の舗装されていない崖っぷちを進むと、その先には
まず目に付いたのは、崖から空へ向かって岬のように突き出た部分に建っている一軒の
ランスは、そこにしゃがみ込んで作業をしている人影を発見した。
他に適当な場所がなかったので、〔ユナイテッド〕を駐車したのは、積み上げられている大量の木材の手前。ランスは先に飛び降りた幼竜達に続いて降りながら、もうすっかり慣れた
「やぁ、君達が来るのを待っていたよ」
ランス達に気付いて立ち上がり、そう言いながら迎えたのは、作業着姿で首にタオルを巻いている
「えッ!? ランスさんッ!?」
驚きの声を上げ、その隣でぴょんと跳ねるように立ち上がったのは、白Tシャツとオーバーオールを着て麦藁帽子を被っている一人の少女――クオレの依頼で護衛したあのソフィアだった。
「どうしてランスさんがここにいるんですか? それに、スピアちゃんとパイク君も」
ご隠居への説明も兼ねて経緯を話すランス。
それを聞いて、自分に会いに来てくれたのではないのだと知ったソフィアはちょっとがっかりしたようだったが、
「仕方ないさ。だって、彼は君たち〝
ご隠居はそう言って微笑み、ソフィアは
そして、ソフィアはランスに向かって姿勢を正すと、
「改めまして、『アルヴィス・ウィリアムス』の娘の『ソフィア・ウィリアムス』です! これからまた、よろしくおねがいします!」
そう名乗ってお辞儀した。
内心で、親子? と疑問を覚えていたランスは、そういう事か、と納得するとこちらも姿勢を正し、その両脇で幼竜達もごしゅじんに倣ってスッと背筋を伸ばし、綺麗にお座りして、
「『ランス・ゴッドスピード』です」
「『スピア』ですっ」
「『パイク』で~す」
すると、何故かソフィアは楽しそうに笑い、ご隠居も笑みを浮かべている。
当然の礼儀として名乗ってきた相手に名乗り返しただけなのだが、何かおかしな事をしたのだろうか? と、ランス、スピア、パイクはよく似た仕草で小首を傾げ、それが更に二人の笑みを誘った。
「そろそろ昼食の時間だ。リノンを迎えに行くまで他に何も予定がないのなら、一緒にどうだい? スピア君とパイク君が
そうご隠居に誘われたのは、家庭菜園での収穫を手伝った後の事。
実際に精神攻撃を受けたごしゅじんが全く気にしていないので、スピアとパイクも過去の事は水に流し、ソフィアと仲直りして一緒に畑を回り、いろいろな野菜を収穫した。それが今、ソフィアが抱えている篭の中に入っている。
ランスにとっては森でも、山でも、畑でも、同じただの『食料調達』。だが、スピアとパイクにとっては畑での収穫は新鮮な体験だったらしく、たくさん生っているものの中から食べ頃で一番美味しそうなものを真剣に選んで採る事を楽しんでいた。
予定はなく、断る理由もない。そして、訊くまでもないと思うが一応スピアとパイクにどうするか尋ねてみると、案の定。
「たべるっ」
「ごは~んっ」
既にいくつかもぎたてをその場で食べているのだが、調理したものも食べたいらしい。
そんな訳で、ランスはご隠居に感謝の意を表して誘いを受ける事に。
ご隠居は少し〔ユナイテッド〕と話をしたいと言うので、ソフィアを先頭に、スピア、パイク、ランスはあのログハウスへ。
正面から側面へ続いているバーベキューをするのに良さそうなL字型のウッドデッキに上がり、ソフィアは玄関マットで靴の裏の土をよく落としてからドアを開け、ただいま~、と言ってから、両手で篭を抱えたまま背中でドアを押さえて、どうぞ、とランス達を中へ促した。
ログハウス内は、手前側と奥側をだいたい半分に分ける位置に緩く弧を描くカウンターがあり、ダイニング側とキッチン側を行き来する通路はその右端。入口から見た手前のダイニング側よりもやや広い奥のキッチン側は、設備と器具が充実したゆとりある厨房になっていて、ダイニング側のカウンターテーブルには席が四つ。ドアから入ってすぐの右側には手摺と下へ続く階段があり、左側には丸テーブルが一つと椅子が2脚、壁際には棚があって下半分は戸棚、上半分には『VSOP』や『OX』の表記がある高級そうな
そんな屋内にいるのは、人が2名、猫が1匹、そして、妖精が2名。
「おや、お客さんかい? 珍しいね」
そう言ってカウンターの向こうで穏やかな笑みを浮かべたのは、長い髪をうなじのところで束ね、長い袖を肘の上までまくったシャツとスラックスにエプロンを身に着けている
「ご
ソフィアは、その落ち着いた雰囲気や色が抜けて白に近い薄い緑色の髪、目尻のしわなど、注意すれば老いが窺える事から相当なご長寿だと思われるアールヴの男性に採れたての野菜を入れた篭を手渡しながらそう紹介し、
「ランス? てぇと、あれか? アルフォンスが〔ユナイテッド〕を譲ったと言っとった……?」
カウンターの左端の席でウィスキーのボトルを傍らにロックグラスを傾けていた、髪も髭も白い、いかにも頑固な職人といった風貌の骨太で筋肉質な
すると、露出している立派な
「彼らは『家妖精』とも言われるブラウニー族の兄妹で、この家を守ってくれている『ティムエル』と『アナピヤ』。決して害のある存在ではないから、どうか怖がらせないでやっておくれ」
ランスはアールヴの男性の頼みにすぐ了解した旨を返したが、幼竜達はめちゃくちゃ見ている。
家妖精の兄妹は、怯えきっていて腰が抜けたかのように身動きが取れない。しかし、それが不幸中の幸い。スピアとパイクは完全にロックオンしているので、もしティムエルとアナピヤが逃げ出していたら、その瞬間、ちょろちょろ動くものに対して反応せずにはいられない猫のように飛び掛かっていただろう。
しかし、幼竜達の気をどう逸らすかを考える必要はなかった。
「ミャ~っ」
しっかりとした大人の躰に向かいつつある子猫――ミーヤが、一番日当たりのいい窓際に置かれたクッションの上からやってきて、カウンターテーブルの上で一声鳴く。すると、スピアとパイクの視線は引き寄せられるようにそちらへ。
スピアが肩から下りたのでパイクもテーブルの上に下ろすと、挨拶をしているのか、甘えているのか、ミーヤがじゃれ始め、スピアは少し鬱陶しそうにしているが、パイクは妙に悟ったような顔で好きにさせている。
小動物達がたわむれる様子は見る者をほっこりさせ、ミーヤが全く警戒していないのを見たからか、家妖精の兄妹も梁の上からその様子を窺っている。
――何はともあれ。
程なくして、外で〔ユナイテッド〕と話していたご隠居がやってきて、彼ら二人にランスの事を息子夫婦と孫の恩人だと紹介し、昼食に誘った事を告げ、ランスには、アールヴの男性『ローラン・エギンハルドゥス』とドヴェルグの男性『ルガン・バリク』を、趣味人だと紹介した。
そして、ランスは、
「自分で言うのもなんなんだが、我らの腐れ縁を知る者達からは『三賢人』などと呼ばれていてね。何か困った事があれば相談に来になさい。私達はこれからずっと、ここにいるから」
ご隠居にそう言われたランスは、どこか師匠と似た雰囲気を有する三人に向かって、よろしくお願いします、と頭を下げた。
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