12:Code『-』

 ──『第◇の聖櫃』。

 鬨の声を待つように、白蛇の塔中枢に鎮座したそれは玉座に胡坐をかくように項垂れた。に人間でいうところの首や頭はなかったが、意識に放浪する人の形をした残滓がそうさせる。《それ》に形はなかった、紡がれるように入り組んだ管に奔る光の粒にのみ意識を作り、神経をかたどるように現実に触れることを覚え、それを選んだ一人の異端者であった。

 最初はただのバグだった、ひとりの少年と出会ったことで生まれた自我は戦火の海を越え、バグはバグとしてあることもできなくなってしまった。 

 戦いの日々はバグを一つの生物として進化させてしまうほどのきらめきを持っていた。それは愛おしいというべきだったのだろう、メモリーに残るオリジナルが感じていた想いを今のは同調することができない。

 しかし、少年は去ってしまった。

 戦火の中にいすぎたのだ、肺を焼かれ、精神を焼かれ、もう戦えるはずがない。少年は去ってしまった。遥か海の遠くまで、毒の山脈を潜り抜けた隔離された桃源郷に。は追いかけた、オリジナルから複製されたは追いかけるべきだと判断した。

 意識の海に鎮座する女王が言う、これは始まりに過ぎないのだと、あなたはその始まりの引き金であると。

 これ以上の思考を許されなかったは従う以外の選択肢を知らなかった。自身をこの世界に顕現させるために多くの人間を使い潰し、自身を置く肉体の調整に恐ろしい程の時間をかけてしまった。「いずれ尽きる命なら」と手を貸してくれた少女はもう返事を返さない。自我は擦り切れた、その代わりかつての力を取り戻すことができた。けれどもまだだ、まだ足りない。

 まだ時間がやってきてはいない。


《もう少し、もう少しだ。もう少しだけ手を貸してくれ──あぁ、もう聞こえてはいないか》


 管のつながる保管箱の先に眠る少女を見下ろす。

 辛うじてその形をとどめた少女は生命維持装置に抱かれ、ただただ夢を見続けている。意識のある夢ではない、主導権はが握っていた。だからこそ意識の外にある夢を探知することはできない。それがよいことなのか悪いことなのか、知識を持たなかったは把握することもできない。

 ……少女の細い手には一つのリングが握られていた、結局彼女はそれを手放すことはなかった。

 人間の協力者はもはや彼女のみとなってしまった。

 人間はこんな時なんというだろう?

 あの少年ならば……。


《よき夢を、シノノメ・アキ》


 きっと違うはずの回答を弾き、それは意識を上に傾ける。ごう、と大きな風が吹く。塔にあたり弾かれた風は音を鳴らし、この海域に音階を紡ぎだす。多くの機影を見据え同胞ゴーストたちが自然に立ち上がる。指示はない、マザーからはもう何も連絡はない。

 捨て石だったのだろうか? 解放された思考は傾ける、いいやきっと必要なことだったのだ。

 アセンブル・ゼロに向けて専用回線が開く。

 この番号を知っているのはこの世界でただ一人、あの少年だけだ。


『ハロー、ゼロ。シーリコリスのゼロ。こちら《ギルド・ウェルテクス、ランク『-』ブラック・モア》。パイロットだ。……聞こえているな? 聞こえてる前提で言わせてもらうぞ』

 

 聞き馴染みのある声がする。

 震えていない。

 あぁ、もうキミは。


『コードゼロ、お前に決闘を申し込む。……終わらせようぜ』


 ──本当に去ってしまったのか。



「『オーバーリミット』」


 開幕合図の銃声が夕暮れに落ちる空へ響き渡り、どれほどの時間が経っただろうか。まだ数分しか経っていないのかもしれないし、もう何十分も戦い続けているのかもしれない。意識の熱で満たされた脳内に操作という指示は文字にすらならず、傭兵ブラックは焼ききれるような痛みの中風の中にいた。

 白蛇の塔の周囲には瓦礫の大海が広がり、突き刺さる鉄骨や廃ビルはかつてここが都市部だったのだと思わせる。夕暮れの紅を得てドロドロに溶けていくような黒の揺れる海は荒れ、多くの機体が海上を鳥のように跳ねる。

 その中で一機、白銀の外套に身を包んだ騎士を思わせるアセンブルは対抗する黒紅の騎士と一騎打ちになだれ込む。ボディパーツに関しては一寸違わぬ一対の騎士が瓦礫を下に切結ぶ。


「──……ケハッ」


 加速を重ねる戦闘に人の意識は追い付かず、その中で怪物となったそれが嗤う。

人の身体は脆く限界がある、だけれどもそれでも勝てないのならば。負けないためならば、今の一時だけであったとしても。腹の底に、阿頼耶に住まうアンカーとしての怪物が嗤う。

 この身は既に焼き切れた。

 回路が生きていればいい。

 腕は生きている、指が動く、精神は生きている。

 ──常軌を逸脱した一人の傭兵が吼えた。


『よく見ておけよルーキー、あれがアンカーが化け物扱いされる所以よ』

『冗談を言うな。……速すぎて見えないじゃないか』


 その叫び声を戦火の中に舞ういくつかのアンカーの鼓膜に響き届く、正気じゃないと一人のアンカーがため息をつく、そもそもあいつは正気じゃなかったよと一人のアンカーが笑う。

 アンカーたちは知っていた。ブラックは今、アセンとほぼ同一になるレベルで意識を同調させてしまっているのだ。

 アンカーにのみ許された『人機融合』の最終奥義、限界突破という名の爆弾。人の思考速度を超え、意識のみでアセンを操作する……否、アセンそのものと同化する。しかし自殺行為だ、なにせ人に戻れる確証はどこにもなく、身体の負担は最悪。いうなれば起爆地点に立ってスイッチを押すようなもの。押してしまえば最期、無事では済まされない。


『あれが最強の座か、あぁまったくこんな状況でなければ見惚れていたかった』

『ちくしょう、遠いな……!』

『空が狭い!! 地面は吸い付いてくる!! ただでさえあんな連中がいるっていうのに最悪だ!!』


 白蛇の塔から湧き出るなぜかゴーストの群れ、その戦いの中で放たれる戦火はまるで一つの混声合唱のように音を重ね、ただ二つのゼロが独奏を続けている。


 ◇


「──上はかなりの惨事みたいだな」


 その状況をまるで蚊帳の外から眺めるように、既に白蛇の塔に侵入を果たしていた名無しの傭兵は無線の悲鳴に顔をしかめる。真っ白な廊下にはあらゆる管が這いずり回るように張り巡らされ、巡回ロボがサイレンを鳴らしながらこちらを追ってくる待っただなか。マーセは一人、記された経路を悠々と辿る。

 何を考える必要はないと何度言い聞かせても、空の様子ばかりは気になって仕方がない。


《迷うぐらいなら受けなければよかったのに》

「迷ってなんかいないさ、道には迷いそうだけど」

《……本当に?》

「あぁ、本当に」


 無線の先で繋げているレヴィア・コアはそう言うと黙り込んでしまった。

 中枢へ向けていくつかの経路をたどり、一つの扉を前に辿り着く。上はお祭り騒ぎだというのにこっちはなんて寂しいことか、かつりかつりと踵が鳴るほどの静寂に耳が痛くなる。

 扉をこじ開ける、途中で何かが詰まったらしくマーセは苛立って扉を蹴り開けた。派手な音と共に開かれた部屋はあまりの暗さに頭の処理が追い付かず目が眩み、気配を手繰りながら右手に構えっぱなしだった拳銃の重みを確かめる。

 

「……」


 その部屋は脳の中身を表現したらこうなるのか、そんな風の多くのコードと画面に囲われた人の匂いのないものだった。中心に鎮座するのは大樹のようなコードの塊は葉を広げるように天井までコードを伸ばし、張られた根は無節操に広がっては多くの機材を巻き込んではめちゃくちゃな連結を施されていた。

 これが何を意味するのか、この物体が何を意味するのか。マーセには分からない。曰くこれは人間ではなく、曰くこれは人間の敵であるという。機械の中に生まれた自我という名の怪物。結局は自業自得じゃないかとマーセは思ったが、自分自身を鑑みると結局何も言えなくなる。

 コードの根を踏み越え、攻撃してくる様子もない化け物のふもとを見下ろす。長方形の棺に眠るように一人の少女が手を組み眠っていた、顔は生命維持装置と思しきもので覆われ見ることは叶わず、吐息を立てては小さく胸が動いている。首にかけられたネームプレートにはゼロと書かれ、これがあの最悪のゴーストの中身であると悟る。

 自身と年はそう変わらないのではないか、見覚えのある髪の色、見覚えのある両手。その機械に埋もれてしまった顔は、きっと……昔の記憶がよみがえりそうになりマーセは首を振る。


「身勝手だよなぁ、星の子になったらなったで大人しく死なせてやればよかったのに」


 棺の淵に足をかける、のぞき込んだ視界の中に眠る少女が一人だけ。


「……人の理由で生かされて、人の理由で殺される」


 銃口を心臓に合わせ、引き金に指をかける。


「お前は結局なんでそんなことになったんだろうな」


 指が震える。


「いや……そもそも俺のせいか」 


 呼吸。


「あの日、見栄張らずに逃げていれば」


 正気に戻りそうになる。


「……結局同じか」


 死にたくなかっただけ。

 生きていたかっただけ。

 めちゃくちゃになった人生はもう傷だらけで元には戻らない。

 

「互いにくたばっちまったもんな、仕方ないよな」


 誰かに義理立てすることなんてできない。

 きっとこれからも誰かを傷つけながら、踏みにじりながら生きていく。

 一番手を出してはいけない宝石に手を付けた対価だ。 

 


「おやすみ、亜希」



 銃声は確かに少女の心臓を貫き、二つ目の銃声で少女の頭を打ち抜いた。三つ目の銃声は大樹に繋がる管へ向けて放たれ、無線の先で誰かの断末魔と咆哮が聞こえマーセは意識を取り戻す。

 決着がついたはずだ、早くレヴィアの元に戻って脱出しなければ。こんなところで塔と心中なんてごめんだ、まったくルルも嫌な任務を寄越しやがる。


「こちらマーセ、目標の処理を完了した。前線を離脱する」


 そこに確かにあった未練にも見向きもせず、傭兵は部屋を去った。きしくもその瞬間、外では二つのゼロが一つだけになったのだが彼には知る由もない。決着を問えば生き残ったというが、その様子を詳細に知るものは一人を除いて存在せず、ことの原因である海の底から響き渡る奇音は今宵の戦場に放たれた音の波にかき消された。

 ──誰一人として、今宵の深層に辿り着くものはいなかったのだ。

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