11:機械の鯨は七日の星に夢を見るか。

 海には一日に一度、限りなく平穏の一時間がやってくる。

 夜明け前、もっとも全てが暗く視覚がふさがれる時間。この時間だけは厄介者であるゴーストでさえもうなりを上げることができない。なぜ、その一時間だけが平穏になるのか、なぜゴーストは眠りにつくのか、未だその理由は分かっていない。分かってはいないが、今だけはこれからやってくる平穏に感謝でも投げつけてやりたい気分だ。

 ネモはカラドリウスのコックピットの中、その時間だけを待っていた。

 

『神は地上に増えた人間の堕落を経て、これを洪水で滅ぼすと告げた』


 酸素水で満たされた肺と繋がれた脊髄は、依然として情報を行き来させている。カラドはなにか思い出したように何かの物語をつらつらと語り始めていた。


『神と共に歩んだ正しい人ノアは、神に方舟を作れと命じる──方舟はゴフェルの木で作られ、その方舟にはすべての動物のつがいとノアの家族を乗せた』


 ノアの方舟、と呼ばれる物語。確か遺産時代の聖書に書かれていたものだったか。いまでも信仰は残っているとはいえ、ネモはその内容をよく知らなかった。知ろうとしていなかっただけかもしれないが。


『洪水は40日続いた』


 両の手を操縦桿に添える、心臓の音が聞こえるほどに沈黙し頭の中身を少しづつ整理していく。

 もうできていたはずのことだがもう一度、すべて最初からやりなおすように。

 何度も何度も思い返す、ひどく手が震えてとまらないのはきっと自分が未熟だからだ。


レーヴァンを放ったが、とまるところがなく帰ってきた』


 演算は終わった。

 計算は終わった。

 布石は敷き敷かれ、全てはこの引き金を待っている。


『ノアはカラドリウスを放った』


 操縦桿を握りなおす、口で息をする必要はないのだがそうする動作をネモは行った。

 瞳の中の標準が定まりなおす、ぶれはない。すべてをここで上手くいかせる。

やれるのは自分だけ。

 誰にも頼れない、自分だけでなすべきこと。


『カラドリウスは、大地を見つけオリーブの葉をくわえ船に戻った』 

「ランク15、カラドリウス────出撃る」


 さぁ、

 防衛戦を始めよう。


 ◇


 銃声と衝撃がコックピットを揺らす。

 

「流石に、数が多いなっ! これが悪魔ってやつかよ!!」


 真っ直ぐに飛びよる銀色のアセンのような何かに向けて引き金を穿つ。ぼろぼろの機体、それでもそいつは跳び続けていた。さながら弾丸のように。トリビュートの本性がずるりと牙をむく、他でもない傭兵に向けて。


「カラド! 数は!」

『新たに三機、中型! ラハブが加速している、急げ!』 


 悪態をつきながらも引き金は止まらない。

 ──水面に近づいた海は星の光とアセンの光の反射をわずかに受けて、ひどく鈍く月明かりに近いきらめきを見せていた。

 索敵SENTで飛ばしたカメラが中継する海上には、きらきらと綿葉の都市の輝きがいつも通りに流れている。まだ気が付かれている様子はない。ここで食い止めなければいけない。

 カラドリウスを置いていくように上昇を続ける潜水艦ラハブは、随分な速度でその群れに突き進んでいる。

 潜水艦ラハブから多くの何かが射出された、あるはずがない出撃ゲートからは見慣れないアセンたちが解き放たれた魚のように飛び出し。人と、人ならざるものの衝突は未だに戦線を譲る気配はない。


「どこもかしこも敵だらけってか……!」


 どれぐらいの時間この海で戦い続けているのか、ネモにはもう覚えがなかった。

 カラドリウスの持つ凍結弾は残りわずか、装甲もじきに限界が来る。燃料はまだあるとはいえここまで消耗すること自体が異例だ。敵が跳びかかる、生成済みのリーシュを投げつけ絡みつけ、引き寄せ、ばきりとカラドリウスのクローがコックピットを抉り殺す。ボコリ、気泡の花と共に赤く水よりも重い液体がどろりと流れていく。

 綿葉への距離はかなりあるとはいえできれば一機でも取り残しはしたくはない、無謀な作戦だが此処にいるのはネモ一人だ。

 止めなければいけない、ラハブを、止めなければいけないのだ。だがそれ以上にトリビュートを越えさせてはいけない。焦りが加速していく、思考がうまくかみ合わない。

 その最大の原因は、目の前にあった。


『ネモさん! お願いですやめてください!! どうして!? 一体どうして戦わなければいけないんですか!?』

「イデア……!」


 赤いアセン──イデアの乗る機体がまるで咆哮を放つような勢いで右の拳をストレートに放つ。

 カラドリウスはそれをクイックブーストによって避けきるが、状況は未だ好転してはいない。

 トリビュートをこの海で沈めなければいけない、分かっている。 

 潜水艦ラハブをこの海で沈めなければいけない、分かってる。

 イデアを、ここで。

 分かっていると何度も言っているはずだ……!!


「っ──……!」


 イデアをひきつけたままガレキの山の奥へとカラドリウスは飛ぶ、多くの鉄塊と影が姿を繋げる場所は今にも崩壊しかけていた。カラドリウスはイデアの機体へとリーシュを放つ、避けられる。そう簡単には捉まってくれない。

 赤い風が吹雪く、ひしひしと肌に感じ取ってしまうイデア本人の強さが今はひどく痛々しい。

 開花した花を縫いとめるのは。


『どうして、どうして船長さんを攻撃するんですか! お願いです、止めてください! 私たちはただ──』


 かえりたいだけなのに。


 ガリ、と歯を食いしばり、今までずっと使うのをためらってきた迎撃SENTに他トリビュートの抑え込みを指示する。

 頭蓋の中からがりがりと何かが削れていくような痛みと吐き気、SENTを10機も同時に使えば当然そうなるか。カラドリウスの演算でさえも既にフル稼働、足りない余剰は自分で支払うとアンカーの契約に準じよう。

 一人ですべて抑え込む、やってみせる、やるしかない!

 揺れる精神と鼓動をかみつぶすようにクローを構え、カラドリウスはかの弟子へと突撃する。


  ──私たちはもう止まることができません。


「俺にはあんたの考えがよくわからねぇよ」


  ──ですが、あの子はまだ走り出してもいないのです。


「でも頼まれちまったからなぁ……!」


  ──どうか、イデアをよろしくお願いします。


「よろしくお願いされちまったからなぁ……!!」


 イデアとの切り結びの最中、船長の最後の契約更新を思い出す。切る、穿つ、弾く、細やかな気泡の花はそれだけ彼女が躊躇っていることを思い知らせる。悩んだ、悩んだ、ここまできたら直感にしたがう。時間は、もう残っていない。

 カラドリウスはくるりと反転し宛ら空でも跳ぶように回避を踊る、対するイデアはそれでもなおこちらにまっすぐに突撃してくる。

 そうだ、こっちだけを、此処に来い!


「──顕現こい


 一定のポイントに一瞬でも立ったイデアの機体が大きくひしゃげた音を立てて海中に固まる、蜘蛛の巣のように形成されたリーシュの網は接着点を凍らせ、ただでは獲物を逃がさない強固な罠だ。


『ぁ、が!? 機体が、絡まって……!』


 そう簡単にはここから抜け出すことはできない。

 ここから、「動く」ことは出来ない。

 ラハブの影はここからでは瓦礫の山に塞がれて見えることはない。


「──カラド! 位置は!」

『予測より速く移動している! リミットを外せ! 通常速度では間に合わん!』

「はははっ本日三本目のアンプルだよちくしょう!」


 コックピット内に潜ませている精神を落ち着ける作用のある薬剤の入ったアンプルを首筋へ突き刺す、こうでもしなければSENTの操作やカラドリウスの操縦がおぼつかない、頭の中だけでも無理やりに冷静を気取ってなければやっていられない!

 カラドリウスは瓦礫の山から飛び立ち、潜水艦ラハブを追う。

 いつもは姿勢制御に割いているブースターを今は移動するためだけに傾く、高速の中では少しの動きが命取りだ。本来ならば速度制限というものが存在するのだが、アンカーのいいところは自分が負担を受ければそれを無視できること。

 速さの中でも確実にアセンを動かせる力、アンカーの対価によって得た力。

 ここで使わずいつ使う!


「『オーバーリミット』!!」


 宣言と共に脳内に熱が満ちる、コックピットを揺らす速さと海水を切り裂きながら突き進む圧力。

 一瞬でも気を抜けば体ごと潰されてしまいそうな重さが、まるで風のように全身と精神に叩き付けてくるようだ。


「見つけた」


 潜水艦ラハブの姿を捉え、そのままの勢いを使ってラハブを追い抜く。

 動きを遮るようにカラドリウスはラハブの船首に取りつく、二本の腕では到底足りないと翼の外殻装甲に入れ込んだもう二つの腕で船首に穴を二つほど開けながらもしがみつく。

 振り落とされそうな圧はカラドリウスの装甲のいくつかを剥ぎ落し、幻覚か否か、自身の身体が引きちぎられるような感覚に喉を焼く。


『ポイント到達まで残り30秒、カウントダウン30、29、28、27、26、25──』


 ネモは指示を下す、カラドリウスの背に外殻装甲とは違う別の翼……めきめきと膨れ上がる翼のようなパーツが広がる。

 普段は背筋と腕に隠されて、なおかつ素でついている翼の外殻装甲の存在に隠れている存在。リーシュ形成弾の射出装置がいくつにも連なり鳥の翼のような形をとった、カラドリウスが内蔵するオーバードウェポン。

 人が扱うには脳の負荷が大きすぎる、人にとっての禁断兵器。

 一時的に迎撃SENTの接続を切る、それでも足りない。

 足りなくたってやるしかない。 

 

『14、13、12、11──』


 リーシュ形成弾が海へと羽ばたく翼のように一斉に線を描く、着弾位置から白銀の鎖が次々と顕現していく。

 焼けるような頭痛、おぼれるような吐き気、細い糸を手繰るように弦が跳ねる。ぼこりとコックピットを満たす酸素水に赤い血が混じり、血はどろりとまた下へと流れていく。

 全ては演算通りに。

 しかしそれでも、最後は自分が頼りだった。


『3、2、1──0!!』


 水面が見える、星が見える。

 光が見える、朝焼けが見える。港が見える。

 金属と金属が重なり合う大合唱と共に。



「トォ、まァれェええええええええええええええええエエエエエエエエエエエエエェェエエ──……ッ!!」


 

 慟哭が叫ぶ。

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