12:投錨。

 夜も更ける港の海は闇よりも黒く、照り返す光は市場と港の残照だけが作り出す。

夜鳥羽四番港に時間どおりにやってきたマーセは暗がりの中、街灯に照らされているベンチに座り込みその人物をただ待っていた。

 レヴィアタン・コアも隣にいる、今回ばかりは部屋に待機していてもらおうとおもったのだがレヴィアが拒否するので仕方がない。

 目の前が海なこともあってかひどく冷える夜、さざ波の音だけが響いていた。

 

「来たか」


 かつりかつりと足音がこちらに近づいてくるのを感じ、マーセは立ち上がりその方向を見る。

 夜闇が被りこんでいるせいもあってか此処からわかるのは少なくとも成人男性らしい体格の持ち主というぐらいだ。それは此方に気が付いたのか、急に足早となって街灯光の下に飛び込んできた。

 ただ、その言葉に関しては耳を疑ったが。


「弥平……! あぁ、生きていたんだな……!」


 思わず目を見開いた。そこに現れたのは随分と見覚えのある……いや、記憶にまだ影を残している兄だった人物。


「……兄さん!?」  

 

 黒田誠二、つまるところ黒田弥平だった自分の兄にあたる人だった。

 衝撃的というべきかなんというべきか、このタイミングで再会するとは思ってもおらず一歩後ずさる。精神的な準備ができていない、というよりも本当に想定外だ。今自分はどんな顔をしているのだろう、驚いているのだろうか。

 つまるところ。

 黒田誠二は弥平が輸送中行方知れずになったその直後から情報を集め、ずっと探してくれていたらしい。その途中で夜鳥羽港で似た姿──マーセのことだろう──を見かけたという情報が入り、無理をいってこっちまで駆けつけたのだそうだ。

 無茶をする人だ、この時期のゴーストは活発だというのに仕事の合間を縫ってここまで来るとは。

 必死だったんだろうなと、ただそう感じた。

 

「一緒に泊木に帰ろう、母さんも志奈も待ってる」


 そう言ってくれるのは純粋に嬉しいのだ。

 ただ、マーセとしては素直に喜べない言葉でもあった。

 真面目に考えて黒田弥平はもう存在しないことになっている、戸籍も調べたが文字通り何もなくなっていたことをマーセは知っている。アンカーとしての立場も重々知ってしまった以上、帰ることは出来ない。

 首を横に振る。

 どうなるかは分かっていた。


「戸籍の事を気にしているのか? だいじょうぶだ、俺がなんとかしてみせる」

「そうじゃねえよ」


 思った以上に荒げた声が、自分の喉から飛び出していった。黒田誠二が硬直している、驚いているのだろう。自分自身だって驚いてはいるんだが。

 ……そういえば、弥平は反抗期らしい反抗はしなかったっけな。


「この前、リボルト社の軍港基地が襲撃されたって話テレビに出てただろ」

 

 "ライバル社ご指名の強襲"、この一ヶ月の中で受けた依頼の中で一番大きな仕事だった。

 どうして受けたんだったかな、確か初めて企業からの依頼で僚機ではなく本体として依頼されたからだったか。企業からの値踏みも含まれていたのだろう、どれぐらい使えるのかを見せてみろと言う話だった。

 仲介屋に伝手を作るためにもマーセはその依頼を受け、遂行した。

 リボルト社は大手軍事開発企業だ、襲撃なんて起こしたら普通に騒ぎになる。っていうかなった。

 幸い夜間襲撃だったおかげでそれを行った傭兵も特定されず、ただ騒がれただけで過ぎ去ったがそれは世間体の話。


「あれやったの俺なんだよ、企業に依頼されて弾薬庫もろとも吹き飛ばした」


 ──あの強襲は、初めて人を殺した日でもあったのだから。

 吐き気も何も沸くことはなかった、ニュースの中で伝えられた死者の数を聞いてもそんなものかとしか思わなかった。感覚が麻痺し始めているのは確かだったが、少なくとも俺はあの日確かに殺人者になったのだ。

 傭兵はそんなものだと皆が言う、そんなものだと俺も思っている。

 それだけじゃない。


「俺はあの日


 だからこそ。


「だから俺は帰れない」


 これから人を殺しながら生きていく怪物を、庇って歩く道理はない。 

 

「かえったらいけないんだ」


 激情を噛み殺すように声が震えていた。

 ちがう、こんなものは建前だ。

 本音はもっとちがう、だからといって言っていいはずがない。

 言えていいはずがない。

 

 ──

 ──俺は知っているはずだ、俺は。

 ──俺はこんなにも、家族を想ってなどいないじゃないか。


「それでもかまわない、頼む弥平、一緒に……帰ろう。もう二度とあんな思いはしたくないんだ、大丈夫だ、全部なんとかなる……!」 


 この人は本当にバカなんだか優しいんだか。

 悲痛というべき声だった、兄はまっすぐにこちらを見ている。視線を逸らすことはないしきっとこの人は目を逸らさないんだろう。

 傭兵として引き金を引いた自分をまだ弟として、家族として見てくれている。きっとこれはとてもすごいことなんだとも思う。とても嬉しく思えて、そして──

 だが、喉元までせり上がった鉛は。


「そうだとしてもどうする……!!」


 もうそこまで出てしまっていた。

 気が付けば胸元に下げたドックタグを握り締めながら、声を荒げて目の前のそれから目線を逸らす。

 身体の中で大きなうねりが起きている、波のような、鼓動のような火傷のしそうなほど熱く痛い激情がただただ吐き出し場所を求めて暴れている。荒げた言葉を発するのはきっと初めてだ、アセンに乗っている間の高揚感とは違う、この熱は一体なんだ。


「兄さん、俺は兄さんたちのこと好きだったよ。黒田弥平として見てくれて、とっくの昔に死んだ弥平の代わりでもあの日までの俺は別に構わなかったよ。けどな、もう昔の形が思い出せないんだ」


 あぁ、きっと今自分は。


「この一か月、傭兵として生きたんだ。すごいだろ、普通じゃすぐ死んでるって先輩たちも言うんだよ。多分こっちのほうが性に合ってるんだ、俺もそう思ってる。でも流石に人を殺しておいて笑うのはどうかなってさ……だからダメなんだよ、今帰ったとしても殺したくて仕方がなくなる! 兄さんは優しいからそう言ってくれるのも分かってる、けど──俺はいつだれを殺すのかも分からないんだ」

「弥平、何を言って」

「お前を殺しかねない男の話さ」


 生まれて初めて自分の言葉を発している。


「初めからこうしていればよかったのかもな」


 この一ヶ月で血の味を覚えた。

 アセンに乗り始めてから、否、から精神の奥底で何かがずっと疼いて仕方がないのを何とか無視し続けていたがもう限界だった。

 まともに食事もとることができない飢えは、何かを壊すことでようやく満たされていたことに気が付きたくなかっただけだというのに。もう気が付いてしまった、だから止まれない。誰かに撃たれるまできっと俺は止まれない。

 衝動で何かを壊したくて仕方がなくなる。それが誰かの為になって、曳いては自分のところに帰ってくると知ってしまった。それが仕事としてなら猶更だ。建前さえあればそれをしたって誰も咎めないことを俺は知った。知ってしまった。

 銃の引き金は、すでに自分の手の内にあることを自覚した。


「誰かの代わりに生きるなんて、バカみたいだと思わないか」

「落ち着け弥平、きっと疲れているんだ。だいじょうぶだ、きっと全部──」

「俺はマーセだ!! お前らが言う弥平じゃない!!」


 それが触れかけた手を振り払う、心の中の支柱が折れていく。自分が何を発しているのかもだんだんよく分からなくなって、感情がどろどろに入り混じっていくのが感じ取れる。心を失った? 違う。感性を失った? 違う!!

 お前らがおかしいだけだ、人にくたばった死人の名をくれて代役を任せたお前らがおかしいだけだ! 何が弟だ、家族だ、ふざけるな。そんなもの最初からなかっただろう、なかったほうがよかったんだろう。お前たちにわかるものか、分かってたまるか。

 お前らが手放さないならこちらから手放してやる。

 お前らが追ってくるなら逃げ切ってやる。


「俺はもう、怪物アンカーなんだ」


 本性まで狂わされたのは俺なんだ手を下さないだけ有情だと思え


 ◇


 そのあと何を話したのか、マーセはよく覚えていなかった。

 レヴィア曰く俺はあの後、黒田誠二を押しのけて夜鳥羽港から走り逃げたのだそうだ。気が付いたらウェルテクスで借りている部屋で縮こまっていたあたり、本当に情けない話だ。

 俺は破滅願望の塊か何かか、いやそうなのだろうな。

 きっともう、とっくにどうにかなっている。

 

「マスター、泣いているのか」

「泣いてない」

「ティッシュいるか」

「いらないってば」


 膝を抱える手がひどく疲れていた。

 

「レヴィア、俺はおかしくなったんだろうな」


 いっそそうだと言ってくれと。 

 声は枯れている。


「そうだな、とてもおかしい」


 だよなぁ。


「何を喚いてもおかしくはない状態だと観測する」


 ……だよなぁ。


「だから、何も言わないのはおかしい」


 後は分かるなとレヴィアは隣に座り込んだ。

 夜風に冷え切ったジャンパーと体温のないレヴィアの肌が肩に触れる、人じゃあないんだったなそういえば。

 ざまぁみろと叫んでやりたくて、でもそれができなかった。

 未練がだらだらで気持ち悪くて、断ち切ろうとしたら余計にこじれて。

 もう、深く考えることも帳尻を合わせることも面倒で。

 いっそこのまま。

 

「あぁ」

 

 名前のない怪物になれたら、どんなに幸せか。

 

 ◇

 

 ある日の酒場。


「やっぱり戻らなかったかい」

「残念だ、……こっちに残ってくれることは確かにありがたい。でも」

「人としては何とも喜べない話だよねぇ」


 カウンターの隅に席を取ったルル=ジャッカはため息をつく。

 彼にその兄弟に合わせることは賭けだった、アンカーとなってもごくまれに普通の人間と同じように生活できるものもいる、彼はそうできる可能性があった。彼が望むならば普段持て余しているコネを使って、なんとか元の生活に戻すかとも考えていたのだ。

 優先すべきはレヴィア・スカルを夜鳥羽に縫い付けることだけだ、パイロットはその言葉に含まれていない。

 だが、結果はある意味では予想通りになってしまった。

 黒田弥平はもういない、その形をしたマーセという傭兵が生きているだけだ。

 

「アンカーは……いや、違うな」


 言葉として出かけた言葉をルルは呑み込んだ。


「狂わないほうが、おかしいという話か」 


 アンカー、傭兵問わず。

 普通だからこそ耐えられるわけがない。


「世も末だねぇ」

「今に始まったことじゃないさ」


 夜鳥羽の海はいつだってそうだ。

 海の底の化け物も陸の上の怪物も、どうせ皆が皆何かがおかしいのだ。何かがおかしいまま正しく在ろうとしてまた何かがおかしくなる。


「彼は?」

「今日は古城外壁を占拠したアホ共を退去させるのに駆り出されてるよ、アルセドナ社は随分彼を気に入ってるみたいだねぇ」

「よりにもよってアルセドナ社か……」

「いい塩梅だとは思うよ、変に松芭蕉やベーカリーに引っ張られるよりかは扱いやすいだろうし」


 あぁ、今日も夜鳥羽は平和だ。

 そう思うことにしよう。

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