6-2 ああ、絶景だな
その日の朝を、大島要は一睡もせずに迎えてしまった。極度の緊張のあまり、身体を休ませることすら適わなかったのだ。
彼には今回、期するものがあった。今度こそ正しい形での雫への告白、そして未来への方向付けをしっかりと行いたい。その為には、きちんと一線を引かねばならないのだ。
具体的に言うなれば、行為はせずに婚約前提の交際に持ち込む。そして雫が18歳になった時、改めて結婚まで話を進める。無論、その過程で雫が他の男に心を寄せるようになったとしても、それに関して要はとやかく言わない。現状、要も雫も他に心を向かわせる予定はないようにみえる。しかし2年は長いのだ。それに。
(できれば少しでも視野を広げてほしいんだよ……)
要自身が未だにこういう思いを拭えないままで居る。そのためにも余地は広くとっておきたいのだ。
「よーにー? いつまで寝てるのー?」
そんな思考に身を浸したまま、布団でボケッとしていたのが災いだった。要の視界からは見えないが、雫が呆れた声を上げている。
「もう起きてる! 支度はすぐだ!」
要は素早く応えると、そそくさと外出着へと着替え始めた。昨日の内に泊まりの支度を済ませておいたのが、不幸中の幸いである。
「要兄、今日は車?」
「いや、電車だな。さして遠くはないが、開幕ラッシュは嫌だ」
そんな会話をしつつ、2人はドアの鍵を閉めた。
数十分の時間を消費して彼の地へとたどり着いた直後の出来事だった。リゾートの受付でパスを提出した途端、対応が様変わりした。恭しく頭を下げられ、文字通りの平身低頭をされながら通されたホテルの部屋。そこは文字通りの異世界であった。
まずそもそも最上階であることは置いておく。とにかく部屋が豪華過ぎた。
(例えるのならヴェルサイユ宮殿なのか? いや、写真で見ただけだけど。変えてくれないよなあ)
そんなことを思っていると、
「では、神楽坂様にはよしなに……。後お申し付けがあれば最優先で対応させていただきますので……」
などと言いながら『総支配人』というバッジを胸につけた男が去って行く。それで要は納得した。
(ああ、これはゴマスリの一種なのか)
気づけば部屋が色あせて見えていく。豪華な装丁が薄汚い金の集まりに見えてくる。大人の力関係はどうしようもなく汚い。しかし。
「わー! 要兄! 見て!」
窓から見える景色に目を奪われていた雫に、要は引っ張られた。白地に青のストライプを入れたシャツが、引き裂かれそうな勢いであった。彼女の笑顔は、あまりにも純真であった。長く豊かなポニーテール。緑のキャミソールと、それを覆う白のブラウス。膝上、腿を覆うレースの付いたスカート。今日の彼女は、一際。
「ほら、見てよ!」
雫が外を指差した。その先には。
広大な遊園地の全景。
大観覧車。
中世風の、高い塔のような城。
あからさまに高低差の激しそうなジェットコースター。
そしてその向こうに。
青い、青い海。
「ね、凄いでしょ?」
まるで宝物を見つけたかのような微笑みで、雫は言った。その瞬間。
全てが氷解した。
先程ホテルの面々に感じたわだかまりも。
彼女の視野に関するわだかまりも。
何もかもが彼女の笑みには敵わなかった。
「ああ、絶景だな」
要はそう、言葉を返した。
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