3-6 エスコート、お願いね?

 一週間後。再び神楽坂邸にて。

「やれやれ。まさか義理の弟に頬を引っ叩かれるとは思わなかったぜ……」

 あたかも今さっき叩かれたかのように頬を擦るのは神楽坂遙華。

 装いこそ大して変わっていないものの、その動作と口調はやはり令嬢には似つかわしいものではなかった。


「案外豪気なんだなあ、あの弟クン。驚いたよ。あ、砂糖もらうわ」

 コーヒーに砂糖を入れつつ、要は遙華の表情を窺った。現状、そこに不満を持っているような気配は見出だせなかった。


「まあ、アイツには一応一週間で様子を見ると言ってある。今日がその日だな」

 遙華は両手でカップを持つと、息を優しく吹きかけた。そして少しづつ、口を付けていく。それを見て、要は相好を崩した。


「その癖は相変わらずか。ホッとした」

「う、うるさいなぁ。私が猫舌なのは知ってるだろ」

 要に見られて、遙華は顔を赤く染めた。直らぬ癖とは分かっていても、ついついからかいたくなるのだ。その後に見せる表情こそが、好きだったから。


「コホン! で、そっちはどうだったんだよ? 確かきちんと見てもらったんだろ?」

 苦し紛れの咳払いを浴びせられ、要は崩した相好を再び引き締めた。そして歯に衣着せぬ質問を受ける。

「……心因性の症状、だと。そのうちきっちり治しに行く」

「そういう所がダメなんだよ。一人ならともかくな」

 遙華は顎で二階を差した。そこには、そこに居るのは。

「……。違いないな」

 そう言って要はコーヒーを啜った。砂糖を入れたのに、ほのかに苦い。

「相変わらずだな、お前は……。ちょっと詰まると言葉を削る。本当に追い詰められてから言葉が増える」

 遙華の顔は渋かった。更に言葉を継いでいく。

「それじゃ遅いんだよ。辛い時はハッキリ言ってやれ。それが……多分救いになる。そうだ、これをやろう」

 そう言って彼女は、一枚のチケットを差し出した。要はそれを手に取り、しげしげと見る。そして。

「温泉ペアチケット、ねえ……? まさか、お前」

「うっせ。あれからまだしっかり話も出来てないけどな。真面目なのはよく分かった。要が倒れた時は、お互い気が動転していた。まあ、罪滅ぼし、だ」

 かつては男と見まごうこともあったその顔を要からそらして、遙華は告げた。その姿に、要が一瞬目を奪われた瞬間。

「あー! 私の要兄を取るなー!」

「先生は落ち着いて下さい。姉ちゃん、天然であざとい真似はしない」

 たまたま休憩に降りてきた雫が叫ぶ。その後ろには丸刈りの、温和そうな顔をした少年。そして喧騒が始まった。


「んな!? 私はあざとくなんか……」

「ギャップでそうなってるから。とにかく落ち着いて。モノは渡せたの?」

「お、おう。渡せた、けど」

「要兄、これあげる! 私の口が付いてるペットボトルだけど」

「人様の冷蔵庫のもので間接キッスをさせるな!? 後飲み物を頂く許可は貰ったのか?」

「あ、俺が出しました。給料から天引きですけど」

「しっかりしてるな!」


 かくて時は流れ、全ては順調に進んだ。謝罪も、和解も、再契約も。今までのことがまるでなかったかのように。つつがなく、終了した。


 そして帰り道、要の車内。車の主は、慎重に会話を切り出した。

「なあ、雫ちゃん」

「ほえ?」

 シートベルトで胸が強調された雫は、既にスーツを脱いでいた。気を抜いていたのだろう。その声はいつもより高かった。だが、要は言葉を繋いだ。

「『友人の遙華さん』から、温泉のペアチケットを頂いた。ゴールデンウィークに、二人で。どうだろう?」

 要がフロントガラスを通して見る雫は。一瞬ぽかんとした顔をしていた。それから小首を傾げ、直後。花のような笑顔で言った。


「分かった。じゃあ要兄。エスコート、お願いね?」


 エピソード3・完

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