3-4 私どうしよう?

「……。ふう」

 翌日の昼下がり。全ての検査を終えて無事に退院した要は、近所のレストランで一時の平穏を味わっていた。程よい喧騒の中、周囲を気にせずに飲む一杯のコーヒー。その味は格別であった。そう。要は今、一人なのだ。雫は朝から一度も顔を見せていない。

(昨日が昨日だったからな。気にはなるが、寝ているだけかもしれない)


 心の何処かに気兼ねのない現状を楽しみたい思いもあったのだろう。要はズルズルと雫への連絡を先延ばしにしてしまっていた。

(検査結果が出るまでにも時間がかかるそうだし、今は今で楽しんでおこう)

 注文した食事を心ゆくまで堪能し、今度は緑茶を持って来て一息。そして思考は昨日に飛ぶ。


 自分が倒れた理由。

 幼馴染と妹分の大喧嘩とその結末。

 そして。


(泣いてたくせに、思い詰めた顔をしてたよな。『まるで、最後の思い出作り』のような……)

 そこで要の思考は繋がった。

 クビになったと要に告げた理由。

 それまで決して直接的には言及しなかったキスを、自分から求めてきた理由。

 そこに同居の条件として出していたものを合わせれば。


(まさか、雫は!)

 心臓が跳ねた。自分の失策に気付く。時計を見る。ここからではどんなに急ごうと自分の足では三十分掛かる。遅い。だが。

(止める)

 迷いはなかった。机を立ち、イライラしながらも会計を終える。そして一目散に店を飛び出すと、通りへ出てタクシーを拾った。出費はかさむが、背に腹は変えられなかった。


「お願いします!」

 要は早口で行き先を告げ、運転手に頭を下げる。すると運転手は。

「兄ちゃん、急ぎかい?」

 顔に出ていたのだろう。真剣な声色で尋ねて来た。ならば。

「はい。少々」

 乗ってしまえ。要は決断する。

「オーケイ。ちゃんと掴まってな! 行くぜぇ!」

 気合の入った運転手の声と共に、タクシーは急発進した。そして要のアパートまでの道程を、光のように駆け抜けて行った。



 そして、要は間に合った。階段を駆け上り、近所迷惑にならない程度に早足で、自室のドアを開けに行く。そこには。

「要兄……!」

 長い髪を野球帽の中に隠し、カジュアルなTシャツにジーパンを着用。サングラスまで掛けた雫の姿があった。彼女は今まさに、運動靴を履くところであった。


(っ!)

 要の心臓が再び跳ねた。意志と無関係に体が動いた。素早くドアを施錠すると、雫の腕を取り、居間の壁際に連れて行く。そして。

 手足で退路を塞ぎ、目を見据える。その角は、奇しくも先日、要自身が追い詰められた場所であった。


「勝手に出て行くなよ。早合点するなよ。俺に相談しろよ!」

 野球帽を奪えば髪がバサリと落ちていく。長い三つ編みがそこにあった。

「あんなクビの仕方なら俺だって考える余地はあった! 迷惑? 知るか! 俺だってそのくらいの甲斐性はある!」

 要は一気に言葉を叩きつける。だが雫は唖然とするばかり。じれったくなった彼は。

「ああ、違う! そうじゃない! 俺は、俺は! お前に! ここに居て欲しいんだ! ここで! 俺の横に、居て欲しい! 俺は……お前が」

 わがままに、思いのままに。要は自身の意志を伝えた。

 その時、雫のスマホが鳴った。要は、ジェスチャーで電話に出るように促した。


「はい、袖ヶ浦です。あ、大介君? え、ちょっと、はい。え!? でも……。わ、分かりました。明後日に、ですね。はい……」

 彼女は終始驚きの表情を浮かべたまま、電話に応対していた。そして会話が終わると、歓喜と困惑が混じったような目で、要に尋ねた。


「要兄、私どうしよう? 勇気を出して、損しちゃった」

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