孤高のグルメ

花恋

第1話 さんまのかば焼き丼

月の光がさす庭をそっと見つめた。

とはいえ、このごろの日本では月明かりより電灯の明かりのほうがまばゆい。

深夜、だいたいの人間が寝静まったであろう頃。

街は変わった。24時間営業の店がちらほらとみえ、その横を車がびゅんっと走りぬける。

あれから何があったのか。わからない。わからないけれど私が生きていた時代でないことだけは確かだ。

夢の中にいるのかもしれない。だから、もう一度眠ってしまえば、明日になれば、あの日へ、いつもへ、帰れるのかもしれない。

ほんの少しの期待とそんな自分への呆れ。あれからもう何日だ?眠りの姫が王子様のキスによって目覚めたその後、幸せに暮らしました。と、そんな話馬鹿げていると思わないか。

幸せに暮らしているとするならば、どうして今私の心はこんなにも乾いているのか。

広い広い広い城の中でひとり、おやすみとぽつりつぶやく。


********


日本人は総じて丼物が好きである。親子丼、海鮮丼、カツ丼、牛丼、ねぎとろ丼、多種多様であるがいずれもご飯の上に何かがのってでてくるのが丼である。だからってなんでもごはんの上にのせればどんぶりになるのかと言われるとそうでもないようである。

以前ふりかけ丼をつくったところこれはただのふりかけごはんだと言われ、またある日は日の丸ごはんをまねて梅干し丼を作ったところえらい不評をくらったのである。

うーん・・・ごはん文化奥が深い。

その上、丼の中でなにが一番好きかと尋ねたら「うな重」だって。私は”丼”だと言ったのに、うな”重”だぞ?馬鹿にしてないか?

なんて思ったんだがな、そうでもなかったみたいだ。

ごはんの上にうなぎのかば焼きをのせたもの。それがうな重。なのだそうだ。

というよりうなぎ丼だな。私に言わせれば。

じゃあ明日の弁当はうな重を作ってやると言ったのに、血相変えて断られた。そして渡された。これ。「さんまのかば焼き」の缶詰。

なんでうなぎじゃないんだ。これじゃあうなぎ丼にならないじゃないか。

だけどあいつは、弁当なんだからさんまで十分だよ、だってさ。それはさんまに失礼だぞ。

そもそもかば焼きとはなんだ。どこにもかばが焼かれている様子はないのだがな。

オレンジ色の缶の上部に固定された銀色のプルトップをゆっくりと持ち上げて中のさんまと対面してみる。

青い背の面影はちっともなく、茶色く染まったさんまの姿と広がる甘辛いたれの香り。

お弁当箱の半分ぐらいまで詰めた真っ白の炊きたてごはんの上に海苔を一枚。さらにさんまを丁寧にのせる。贅沢に2枚分。そしてもう一度白いご飯でふたをして、缶の中に残ったたれをぼたぼたにならない程度かけておく。

お昼にはこのたれをたっぷり吸ったごはんが今よりさらにおいしく変わることを期待して。


【さんまのかば焼き丼】

本来はうなぎでいただきたいところをぐっとこらえてさんまの缶詰で代用した節約丼。最近では同じようにちくわやナスをうなぎにみたててかば焼き風にすることも流行している。

たれのかかったごはん好きにはぜひ試してもらいたい豪華な気分を味わえる手軽な一品。


もちろん私は炊きたてのご飯にのせていただく。

今朝の朝ごはん。

骨もなく、開けなければずいぶん長く保存もできる。しかも低コスト。

缶詰、恐るべし。


ガチャリ重い音がして扉が開いた。

「おはよう。」

「おはよう。お弁当できてるぞ。」

「ありがとう。」

少年は柔らかく微笑んだ。うす暗い部屋の中でそこだけが明るく輝いているような気がする。

「今日は何?」

「昨日の缶詰のあれだ。」

「あ、じゃあさんま重だね。楽しみー。いってきます。」

少女は小さく微笑んで手を振った。

ドアが閉まる音とともに再び暗くなる部屋の中。遠ざかる少年の足音がこだまして聞こえる。

「だから、重ってなんだ。丼だっていってるじゃないか。」

文句を言う少女の口元は言葉とは裏腹に嬉しそうな笑みがこぼれる。

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