ep.6-7 犬とおばけ


 オリオンは広場の時計台をちらりと振り返って、誰かに手を振る幼なじみの小さな影を確認して視線を戻した。――「誰に」かは想像がつく。

「……オリオン?」

 トウセイの小さな声にオリオンは「ルミナがいたんだよ」と答える。その言葉に「そう」と返してトウセイは被っている面に手を掛けた。

「……変じゃない、これ」

 そう言いつつも面を外さないトウセイに、オリオンはくすりと見えないように笑うと頷いた。

「いいじゃん、似合ってるよ。それにお面を付けてる方がトウセイは喋ってくれるみたいだしねー」

「………………」

 オリオンの言葉にトウセイは黙って俯くと、いぬの面を深く引いた。

 先ほどまでは辛うじて口元だけは見えていたのだが、すっぽりと顔全体を彼の衣服と同じ真っ白な狗の面で隠してしまう。


 この面は先ほど屋台で見つけたものだった。

 下を向いて歩いていたトウセイがふいに目線を上げた先、あやしげな露店にこの狗の面が掛かっていたのだった。

 どことなくトウセイと似た雰囲気を持った露店には、ここらでは見慣れない工芸品ばかりがずらりと並んでおり、店主に品々の由縁を尋ねれば、「俺の爺様がこういうのに詳しくって」と返ってくる。もう死んじまったから詳しいことは分からないが、どこかの部族の伝統工芸みたいだと教えてもらい、オリオンはへえーと感心したのだった。

 感心しながらちらりと隣を見れば、トウセイは店に並べられた小物を細い指で辿っているところで、「懐かしいのかな」なんて根拠のない推測をしたオリオンはトウセイの見つめていた狗の面を指差した。

「おじさまー。あれ、くださーい」


 真っ白に塗られ、目の部分に朱と金が差してある狗の面は、本当によくトウセイに似合っていた。

「はは、おばけみたいー」

 面を買ってすぐにトウセイの頭に被せたオリオンが笑うと、トウセイは翳りのある表情を見せた。「あ、今の言葉はアウトなんだなー」とオリオンはあちゃーと内心、舌を出すが、トウセイはすぐに表情を無機質なものに戻すとその面を黙って顔に下ろしたのだった。





 噴水広場を横切り、そのまま大通りを避けて、オリオンとトウセイは並んで城への帰路を歩む。

「…………………、これ」

 長いこと沈黙したまま歩いているとぽつりとトウセイが喋った。

「……いくらだった?」

 トウセイの言葉にオリオンは一拍の間を置いて答える。

「教えないー」

 ふふん、と心なしか楽しそうに答えたオリオンはトウセイのジトっとした視線もなんのそので目線をずらす。

「……けち」

 面の下から零された可愛らしい台詞に、はははと笑ってオリオンは「代わりに今度レポート手伝って」と答えるに留めた。

 そんなオリオンにトウセイはふう、と息をつく。

「君って……どうしてそんな風になったの?」


 トウセイからの珍しい問いかけと、その内容にオリオンは少し目を丸くした。

「そんな風って? ……生まれつき? かなぁー」

 ふにゃりとポーカーフェイスに笑って答えてみせれば、狗の眼が隣からオリオンをじいっと見つめていた。

「………嘘吐きだね、君。誤魔化しは嫌いだって言ったでしょ」

 呆れた雰囲気を醸しつつも、トウセイはふうと息を吐いた。

「でも……最初からそう生まれてたら、どんなに良いんだろうね…」


 トウセイの言葉に一瞬ひやりとしながらも、得意の平静さを装ってオリオンはこちらからも、と聞いてみる。

「トウセイはさ…俺のこと好き?」

「え」


 その場に凍てついた空気が吹きすさぶ。

 だが、それは狙ったところでもあったようで、オリオンは穏やかに次の語句を付け加えた。

「そういう意味じゃなく、ねー。俺らといるのは嫌いじゃない、…って思ってていいんだよね」

 オリオンの言葉にほんの少しトウセイの警戒心は薄れたようで、とりあえずこの世のものでないものを見るかのような冷えた視線は止む。

 面を被っていてもその視線が伝わるのだから、トウセイの眼力は凄まじいものだとオリオンは神妙な面持ちで頷いた。

「俺さー、今まで去る者追わず的なスタンスで過ごしてきたのね。ずっと。心地いいくらいの距離感で生きる方がお互いラクじゃんー?」


 唐突な話の流れに、今度はトウセイがぎくりとする番だった。オリオンのように上手に動揺を隠せなくて、トウセイはひやりと汗をかく。

 オリオンはそれを見て見ぬふりで話を続ける。


「でもねー、生まれた時は、やっぱりそうじゃなかったよ。でもさ、振り払われた手をもう一度取るのって、けっこう勇気いるじゃん。傷つくこともあるしねー。だから俺、そういうの早い内にやめちゃったんだー」

 いつもと変わらない、眠そうな声色と呑気な喋り口でオリオンはぽつぽつと語る。

「自分じゃ他人のことなんか変えられないしー、そういうの傲慢だと思うしねー」

 トウセイもそう思うクチでしょ、とオリオンに上目遣いに瞬かれたがトウセイは無言だった。頑なに強張った態度を崩さないトウセイから目を伏せて、オリオンは歩みを止めると、息を吸った。

 これからは自分にも言い聞かせる、励ましの言葉だ。


「……そう思ってたけど。でもね、俺……ちょっと変わろうと思うんだー」

 無言を貫くトウセイだが、進めていた歩を止め立ち止まる。その体に力が入ったことにオリオンは気付く。


「取り返しのつかない人たちもいる。けど、いま、まだ俺が手を伸ばせば、なにか守れるものがあるのかもしれない。変えることが、変わることができるのかもーって、……信じてやってみたいんだ」


 静かに言い切ったオリオンは伏せた目を持ち上げて、トウセイを見つめた。

 こちらに顔を背けて立ち尽くす、孤独な青年の背中がオリオンのエメラルド色の瞳に映る。


 少しの間の後。ふっと笑うとオリオンは軽い歩調で再び歩き出す。

「ははー、今日は楽しかったねー」

 自分の少し前を歩くことになったオリオンの、無造作に結われた後ろ髪を面の隙間から覗いてトウセイはため息を付いた。

 決して近寄りすぎず、離れすぎず。

 善意と称して踏み入ることもしなければ、強引に連れ出すわけでもなく――君の隣は居心地がいい。

 トウセイは静かにそう思う。

 おそらく、この無言も、潜む感情までも汲み取ってくれているだろう君は、一体どうしてこんな風になれたんだろうか。何も言えない自分。ただ、君の後を付いていくだけの、僕。


 俯くトウセイの前を歩く少年から、ふと言葉が届けられる。


「俺は、結構トウセイのこと好きだよ」


 ちりりと焦がすような痛みを感じて、トウセイは一瞬上げた顔を再び俯かせた。

 ――なぜ胸が痛むのだろう。いや、どうしてかは知っている。

 彼になら話せるだろうか。色んなことを。

 

 トウセイは面の下できつく唇を噛む。話すのは苦手だが、きっと彼はいつもの眠たげな表情を浮かべて聞いてくれるのだろうと、容易に想像できてしまう自分にトウセイは静かに顔を歪めた。

 ――なにを今更、人間らしいことを。


「………~ッ、」


 今。

 いま、もし、君が振り向いてくれたら。

 何もかもを話してしまおうか。君の問いにも、自分の弱さについても。

 固く冷たい面の下に、いまにも泣き出してしまいそうな顔が隠れているのだと。


 ――ちりん。


 突如トウセイの耳に入る、澄んだ鈴の音。

 自分を呼ぶ音色に、トウセイははっと意識を引っ張られる。

 微かに聞こえたその高く美しい音色。しかし、その音が意味するものは、先ほどまでの思いを砕くには十分すぎるものだった。

(ああ、やはり僕にはあの人を裏切れない。)





 夜の闇が滲む街路に、音もなくトウセイは姿を消した。

 トウセイが姿を消した後も、無言で歩き続けたオリオンは街を抜け、城へ至る浜辺へと辿りつく。靴に砂が入り込むのも構わず黙々と進んで、ザザン、と寄せる黒い波を瞳に映す。

 ――こうして、また取り零してしまうのか。

 差し伸べたはずの手は行く宛てがなくて、悲しい。切ない。

 トウセイを引き留めきれない自分が不甲斐ない。


「あーあ、俺のへったくそ……」

 

 呟いた声は自分が思うよりもずっと哀れなものに聞こえて、オリオンは自嘲の笑みすら浮かべられなかった。

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